235:大海原って、想像以上におっかないんだなって話
蹴られている。
めっちゃ蹴られている。
ふくれっ面のマイナが、すごい勢いで俺を蹴っていた。
たいして痛くはないが、理由は知りたいぞ!
「なあ、マイナ……」
一心不乱に蹴り続ける彼女に声を掛けると、顔を上げ、ジッとこちらを睨んでくる。ほっぺたを膨らませている顔はちょっと可愛い。
さっきまでご機嫌だったのに、なぜ!?
「つーん」
いや、口で「つーん」って。昔と違って人と話せるようになったのは凄いけどさ。
どうしようかと思っていたら、エヴァの師匠が少し申し訳なさげにやって来た。
「込み入っているところを悪いが、話をしてもよろしいか?」
俺は天の助けと、飛びつく。
「もちろんだ。えっと、いちおうパーティーのリーダーをやってるクラフト・ウォーケンだ。よろしく」
手を差し出すと、力強く握り返された。
「私はパラディオ・アルバトーレ。隠し里において、代表の一人と思ってもらえたらいい」
「なるほど。調べ物をしてるところなんだ。色々と聞いてもいいか?」
「こちらも聞きたいことが山ほどある。だが、それは島で頼む」
パラディオの視線が船に向いたので、俺の視線も船に向く。
「招待してもらえるのは嬉しいが、パラディオさんはいろんなことに詳しいんだろ? ここで聞かせてもらえるだけで助かるんだが」
彼は軽く首を横に振った。
「いや。内容がデリケートになる可能性が高い。万が一を考えて、防諜が完璧な里で頼む。それに……」
今度はキャスパー三姉妹に視線が移る。
「久しぶりの帰省だ。少しくらいゆっくりさせてやりたい」
厳しい顔をした老魔術師だが、根は優しそうだ。
「そういうことなら、招待させてもらうよ。よろしく頼む」
「あまり長く船を停泊させたくない。慌ただしいがすぐに乗船を」
「わかった。……よし! 全員乗船!」
こうして俺たちは、大型の帆船へと乗り込むのであった。
◆
機嫌の悪かったマイナだが、帆船に夢中になってくれたので、どうやら上機嫌になってくれたようだ。良かった良かった。
さて、出港してしばらく経つと、視界の全てが水……海で埋まる。
「おおおお! 凄い! どこを見ても海だ!」
ジタローも欄干の上に乗り、俺と同じようにはしゃぐ。
「やべぇっす! 水しか見えないっすよ!」
さらにカミーユがいつの間にやらマストに上っていた。
「やばい。これ、自位置と方向がわからなくなる」
言われてみると、三六〇度全てまったく同じ風景ってのは、方向感覚が狂う。波打つ水面に目印などないから、真っ直ぐ進んでいるかもわからない。
実際、真っ直ぐ進んでいると思っていたのだが、太陽の位置から判断して、曲がっているようなのだが、それをまったく実感出来ない。
陸地なら、岩でも木でも、目印になるものはいくらでもあるが、海に関しては常に動いている水面なのだ。ゾッとするほど自分のいる場所も向いている方向すら把握できない。
「……おっそろしいな、海」
今は太陽が見えているからいいが、ちょっと曇ったら、一瞬で遭難するんじゃないかこれ?
そんなことを考えていると、武士装束のノブナが横に来る。
「大丈夫なのよ。あたしが乗ってるんだから任せるのよ」
「そうか。ミズホ神国は海の民だもんな」
「ただ、ちょっと不安なのよ」
「え?」
おいおい。任せろって言ったばかりだろ。
ノブナが船の後方に視線をやった。
「島に行くにはしょうがないんだけど、沖に出すぎなのよ」
「なにか問題があるのか? やっぱり迷っちゃうとか?」
「さっきちょっと船を見てきたけど、船員の練度はまぁまぁだし、六分儀に魔導具もあったから、迷ったりはしないのよ。ミズホの方が練度は高いけどね」
「マウントはどうでもいいが、問題ないってことじゃないのか?」
ノブナは力なさげに首を横に振った。
「海は大型の魔物の巣窟なのよ」
どっぱぁあ!
彼女の言葉と同時に巨大な水柱が立ち上がる。
滝のような水柱から、巨大なイカが姿を現した。
ジタローがぽそりと呟く。
「フラグ回収、早すぎやしません?」
同感である。
◆
揺れる船上で、俺たちはバーベキューをやっていた。
もちろん材料は巨大イカ。クラーケンである。
戦闘は一瞬だった。
エヴァの師匠である、パラディオが強力な魔法を放つべく魔術式の構築を始めたのだが、それより早く、エヴァが大技一発でイカを仕留め、パラディオが驚愕していた。
他人に見せるためではないので、パラディオが構築した魔術式は雰囲気しか感じ取れなかったが、エヴァが使っている魔法に雰囲気が似ていた気がする。
やはり師弟なのだなと納得した。
二人でなにか話しているようだが、紋章の説明をしているらしい。
ゴールデンドーンに来てから、キャスパー三姉妹の実力は、恐ろしいほど伸びてるからな。もともと実力のある三人だからこそ、師匠からしたら驚くだろう。
久しぶりの再会だ、邪魔をせずバーベキューを楽しもう。
俺も食べようと、鉄板に向くと同時に、メイドのリュウコがイカ焼きを差し出してくれた。
「マスター、どうぞ」
「ありがとう。……うん。美味い」
結構、船は揺れているのだが、リュウコはものともせずに料理をしている。バランス感覚もいいらしい。
戦闘も強かったしな。
マイナもリスみたいにイカをはむはむしている。満面の笑みだ。気に入ったのだろう。
貴族令嬢のはずだが、逞しくなったものだ。
リーファンは……うん。ずっとマストにへばりついてる。蝉みたいに。
戦闘は一瞬だったが、巨大イカが出現したときに、船がひっくり返るように揺れたからな。気持ちはわかる。
大丈夫だ。そう簡単に沈まない。
……ノブナ。沈まないよな?
「造りはしっかりしてるのよ。いざとなったら水中呼吸の薬もあるのよ」
良かった。
念のため、全員に配っておこう。
リーファンに渡そうとしたら、常に持ち歩いてるらしい。さすがだ。
気になるのは、マイナの横で、延々と語っているポンコツだな。
「ふむ。イカが巨大だから、味も大味になるかと思っていたが、想像以上にきめが細かく繊細な風味と上品な舌触りを感じられる。それでいて野性味も残しているから、繊細さとワイルドさが両方楽しめるところがいい。さらに適度な弾力で心地よい歯ごたえも楽しめる。焼いただけだが、火加減が絶妙で素材の味が最大限に楽しめるな。それに、ゴールデンドーンの調味料がその風合いをさらに引き出し、極上の一品へと昇華して――」
「わかったわかった。つまり美味いんだろ?」
俺がペルシアを止めると、彼女が冷たい視線を向けてきた。
「貴様は美食というものがわからんやつだな」
「いや、ちゃんと美味いぞ。さすがリュウコだ」
まわりを見ると、船員たちも涙を流す勢いで、イカ焼きをがっついている。慌てなくても材料はいっぱいあるからな。なにせ巨大イカ一匹分だ。好きなだけ喰え。だが落ち着いてな。
「ふん。美味いものへの敬意が感じられん」
「それ、マイナにも言えるん?」
「マイナ様はいいのだ! その愛らしいお姿だけで十分だろう!」
ああ、うん。
それでいいなら、それでいいんだ。うん。
海鮮バーベキューをしながら、リュウコがイカをどんどんと捌き、それを船員たちが忙しそうに干していく。イカ干しは酒のつまみに最高なんだよな。あとで少しもらおう。
海の男は逞しいな。
あと、リュウコが分身してるんじゃないかと錯覚するレベルで活躍していた。あんな風に動けたのか。知らなかった。
さすがジャビール先生にいただいた人格魔石だけのことはある。
そんなこんなで、夜になる頃、船は巨大な島へと入港したのであった。
「どんなかわい娘ちゃんが待ってるっすかね!」
ジタロー……お前はもう少し自重してくれ。ほら、海の男ともう少しコミュニケーションを取ったらどうだ?
むさ苦しいって?
お前も大概だからな。




