231:気持ちってやつは、自分のも他人のもわからないよなって話
商人娘のエリンが興奮して俺に迫る。
仲間たちに微妙に呆れた視線を向けられつつ、俺は頷いた。
よほど錬金硬化岩が欲しいのだろう。だからとりあえず安心させる。
「ちゃんと売るって」
そもそもあげるつもりで出したとは言いづらい。ゴールデンドーンの正規価格でいいかな?
鬼気迫る勢いで、俺の胸ぐらを掴んでくるエリンを軽く押し、身体を離す。
なんとなく女性陣の視線が痛いんだよ!
「安い! 信じられない! もちろん全部買うわ! むしろもっとないの!?」
樽で取り出したのを見てエリンが叫んだ。
必要ならここで錬金すればいいだけなんだが、リーファンに視線を移すと顔を横に振った。この辺にしとけってことだな。
「あー。売れるのはそれだけだ」
「ってことはまだあるのね?」
エリンが急にしなを作り始め、俺の腕に絡みついてきた。
そ、そんな攻撃には負けんぞ!
「ねぇ……お願い……私たちとっても困ってるの」
腕が! 肘が! 挟まれる!
シュルルやマリリンに比べたら普通サイズだから耐えられるとか思ってごめんなさい! エヴァサイズでも感触が凶器です!
「放して! 俺も困ってる!」
「ほんの少しでいいの。分けてくれるなら、離してもいいし、なんならもっと凄いことだって……」
「だだだだだだだめぇぇぇぇぇ!」
俺が乙女のような悲鳴を上げていると、エヴァが立ち上がり俺とエリンの顔面を鷲掴みにしたうえで、強引に引き剥がした。
「そこまでです」
うちの女性陣は男女の距離に厳しいんだよ!
今回は助かったけどな。
手を離してもらったエリンが、ガラッと態度を変え肩を竦めて天を仰ぐ。
「うーん。色仕掛けなんて似合わないことしてもだめねー。このまま空き部屋にでも連れ込まれてたら、貞操の危機だったわけだし」
後先くらい考えろ! もちろん、そんな気はまったくないけどな!
エヴァがドン引きしながら、俺を見下してくる。
「最低ですね……」
「欠片もそんな気はねぇよ!」
するとそれまでにこやかに膝に乗っていたマイナが、俺をつねり始めた。
……結構痛い!
非力だった頃のマイナが攻撃してきてもまるで効かなかったが、学校と旅のおかげか、最近はだいぶ体力がついてきているのだ。
呪いが消えた影響もあるのかもしれないが、めっきり健康体である。
結果的に、マイナさん痛いです!
的確に急所の脇腹をつねらないで!
そんな様子に、エヴァの視線温度がさらに下がり氷点下を割った。
「女性に囲まれて楽しそうですね」
「そう見える!?」
「私のときに見せた手際はどこに……」
「え?」
「いえ! なんでもありません! とにかくクラフトさんは女性にだらしがなさ過ぎます!」
「誤解が酷い……いえ、なんでもないです。はい」
エヴァがキリっと表情を引き締め、エリンに向き直る。
「エリンさん。商談はここまでです。これ以上求めるなら、最初の取引もなかったことにしますよ。クラフトさん、行きましょう」
引き締まったエヴァの横顔に視線が吸い込まれる。
自立した女性の凜とした態度。
この旅のあいだ、気づいたら彼女のことを目で追っていた気がする。
正直に言おう。
自覚したのはごく最近だが、俺は時折見せるエヴァのこういった凜々しい横顔が……気に入ってる。
もうちょっと突っ込んで言えば、その、最近エヴァのことを意識してしまってしょうがないのだ。
ソラルのときだったり、エヴァだったり、姉さん系に弱いだって?
気のせいだ。
エヴァがレイドックに惚れてなければ、もうちょっとこう、仲良くなりたい気になる相手なんだよな。魔術系で話も合うし。
さて、そんな最近ちょっと気になる女の子がだ。
つねるマイナを膝から下ろし、俺を強引に椅子から立たせてくれる。正直格好いい。いや、だから惚れちゃダメだって!
「部屋に戻りましょう」
エヴァが俺の腕に、自分の腕を絡めてきた!
引っ張るためなのはわかるけど、その……当たる!
エリンと同じくらいだ……いやいや雑念はよせ! エヴァは俺をトラブルから遠ざけるのに精一杯なだけだ!
落ち着け心臓、止まれ鼓動!
……死ぬな。落ち着け俺。
手際良く、二階の男部屋に連れ込まれた。二人部屋である。俺とジタローしかいないからな。
そういやジタローのやつ、ナンパしに出るから帰りは遅くなるとか言ってた。つまり、薄暗い部屋でエヴァと二人っきり。
立て付けの悪そうな窓の隙間から、月明かりだけが部屋に差し込む。
やばい。
意識した途端、なんか急に緊張してきた!
エヴァの腕もそのままだし!
急に訪れる沈黙。エヴァの体温が伝わってくる。心臓の音も。めっちゃ早い。
いや、これは俺の心臓の音か。なんか良くわかんねぇ!
とととところでエヴァさん。部屋に逃がしてくれたのは嬉しいんだけど、いつまでこのままなのかな?
そう口に出したかったが、喉がカラカラに渇いて、音にならない。
痛いほどの沈黙の中、吐息のように小さくエヴァが問いかける。
「クラフトさんは、私と二人で食事に行ったのを覚えてますか?」
「お、おう。もちろんだとも」
「そのときの約束、覚えてます?」
約束……ああ、あれか!
「も、もちろんだ。デザイルのレストランで、また一緒に食事をしようってやつだよな?」
デザイルは開拓の初期から頑張っていて、今では何店舗かの料理店を経営しているらしい。凄いよな。
「そうです。忘れてなかったんですね」
良かった。合ってた。
「おう。カイルを無事に起こしたら、連れてくよ。あんときは割り勘とか言ったが、お礼を込みでまた奢るさ」
「それは二人っきりで、ですか?」
エヴァの表情がわからない。俺の腕にくっついてるのに、顔を逸らしているからだ。あとでかい帽子!
魔術師は表情を読まれないようにフードやでかいプリムを好む者が多い。
役目を果たしてるな、魔術師ハット!
旅は絶対に成功させるから、お礼も絶対だ。だがそれは同行メンバー全員にするべきだよな。
エヴァがふいに右手を上げる。
「今までは外していましたが……今回の旅ではずっと着けてます」
俺が贈った指輪が、薬指で光っていた。
ど、どういう意味だろう。深い意味があるような、ないような。
心臓が破裂しそう。すっげえ勢いで脈打ってる。ボスヒュドラから逃げてるときと同じくらい。
ボス戦より緊張する!
ヒュドラと対峙する方がまだ気が楽だわ!
俺は意を決する。
「あのレストランには、ふ、二人で」
「そう、ですか」
それ、どういう意味!?
合ってるの!? 間違ってるの!?
正解がわからない!
いや、正解とかそういう話じゃないのかもしれないけどさ!
呆れてるのか、喜んでるのかすらわかんない! せめて顔を見せて!
いや! 今エヴァの顔なんて見たら、もっとわけわかんなくなる! そのままそのまま!
誰か助けて!
魂の叫びが届いたのか、部屋の扉がバーンと開く。
マイナだった。
扉を開け放ったときの大の字ポーズが、逆光で浮かび上がっている。
俺とエヴァがくっついているのを見て、頭に血が上ったのか、顔を真っ赤にして怒りを露わにするマイナ。
俺とエヴァは顔を見合わせた後、慌てて飛び退く。
「クラフト兄様の……すけべ」
おおおおう……。
エッチとか変態って言われるより、すけべって言われる方がダメージがでけぇ。
俺は膝から崩れ落ちた。
その隙に、マイナがエヴァの背中をぐいぐいと押して、部屋から出してしまう。
その間、廊下で薄ら笑いで見てるだけのポンコツ騎士! 助けろよ!
いえ、助けてください、お願いします!
◆
ジタローが戻ってきた。少し酔っ払ってる。
「村の奥にアキンドー商会関連の建物がいくつか建ってて、酒場もあったんっすよ。東の火山地帯の話を聞いてきたんすけど……今度はなにをやらかしたっすか?」
暗い部屋で一人、正座をさせられている俺だった。




