210:腕力が、全てを解決するよなって話
万を超える帝国軍が、広大な広場で激しく動き回り、攻城兵器が行き交うと、石畳の隙間から、少しずつクラフト特製のトリモチがにじみ出してくる。
量が少ない間は、ブーツの砂や巻き上がる埃などと混じり、本来の効果を発揮しない。それゆえに、兵士たちも最初は泥がにじみ出てきたとしか思わなかった。
兵士たちが気づかないあいだに、地面には汚れて効力のないトリモチが、泥濘のように広がっていく。これももちろんアルファードの策の内である。
泥や埃とトリモチが飽和状態を超えると、帝国軍の動きは大きく鈍っていった。
帝国兵士が叫ぶ。
「な、なんだこりゃ!? 足が動かねぇ!」
「どうなってる!?」
「泥だ! 泥が足に絡みついて!」
「スライムみたいなドロドロが!」
特に動きの激しい市壁前で攻撃をしていた兵士たちの動きが封じられていく。後方で指揮を出していた王城攻撃隊のゼット・オーバール大将が、ようやく異常を察知するが、時すでに遅し。
ゼットが自分の足下を確認する。
彼の周辺は前線に比べると重量物が行き交っていないためか、トリモチは染み出し始めた程度で、動きを絡め取られるほどではない。
「ちぃ! 粘性のある液体を石畳の下に仕込んでいたのか! それにしてもこれだけ広大な範囲に仕込むほど量産したというのか!?」
戦慄すると同時に、ゼットは戦局を改めて分析する。
前線の兵士が動きを止められている千載一遇のチャンスだというのに、王国側は兵士を出さず、弓を射るだけだった。
「そうか。奴らも巻き込まれるのを恐れているのか。ならばまだ立て直せる。全軍橋上まで後退! 体勢を整えるぞ!」
一度下がって、砂をばらまけば、なんとかなるかもしれないと、命令を飛ばすが、その願いは叶わなかった。
王国側の弓兵が、全員火矢に持ち替えたからだ。
「ま、まさか……」
ゼット大将は最悪の事態を想像する。そしてそれは正しかった。
火矢が地面に落ちると、そこから何本もの火柱が上がり、あっという間に燃え広がる。
クラフトのトリモチには、大量の燃焼剤が混ぜられていたのだ。かつてコカトリスの死体を骨まで燃やし尽くしたあの燃焼剤である。
城壁の上から、その炎が一気に広がるのを、アルファードは冷酷に見下ろしていた。
炎に巻かれ、逃げ出そうとする帝国兵に、小さく「すまぬ」と呟きながら、さらに非常な命令を発する。
「魔導部隊! 風の魔法で炎と空気をかき混ぜろ!」
アルファードの命令で、魔導師たちが大量の空気(酸素)を周囲からかき集め送り込むと、炎の勢いはさらに増した。
高い市壁に三方を囲まれた広大な広間は、さながら竈の様相を見せる。帝国兵は悲鳴を上げる間もなく、あっという間に消し炭になっていった。
「……子供たちには見せられん光景だな。だが、慈悲は何度も与えた。兵士の中には帝国に忠誠を尽くす武人もいただろうが、カイル様を敵に回した為政者を呪え。この作戦を考え実行した私を呪え」
アルファードが眼下の光景を睨みつけながら、小さく呟くと、その肩をレイドックが叩いた。
「一人で格好つけるなよ。悪いのは戦争なんか仕掛けてきた帝国だし、どんな方法を使っても俺たちの街を守るって決めたのは、あんた一人じゃないんだぜ?」
「……そうだな。私は軍人としてすべきことをしただけだ。それでも後悔がなくなるわけではないが、少しは気が楽になった」
「全員を生かす方法なんてねーよ。むしろあんたは多くの帝国人を救ったさ」
「そうだといいな」
「俺が保証するぜ。……さて、それじゃ俺も自分の仕事をしてくる」
「本当に正規兵はいらんのだな?」
「言い方は悪いが、足手まといだ。あんたになら参加して欲しいところだが、大将が前線に出るもんじゃねーよ」
「……頼んだ」
「任せとけ」
そう言って、レイドックは市壁を飛び降りる。一〇階建てに匹敵する高さから飛び降りたというのに、ケガ一つない。剣聖の紋章を得たレイドックには児戯にも等しかった。
レイドックに続いて、どこからかカミーユも飛び降りていたが、くノ一の紋章に相応しく、いつ降りたのか誰も気づけない。
戦場となっている広大な広場は、すでに灰しか残っていない。一瞬で高温の渦になったため、帝国兵士は苦しまずに逝ったことだろう。
そんな灰色の荒野に、数人の帝国兵士が憤怒の表情で立っていた。
ここは剣と魔法の世界である。人外まで鍛え抜かれた武人や、魔導具、魔法などによって生き残った者たちがいて当然であろう。
生き残りの全員が、色つきの紋章を輝かせていた。
レイドックが油断なく近づき、彼らに声を掛ける。
「あんたらの負けは確定だ。投降してくれないか?」
終結しつつある帝国の生き残りの一人が叫けぶ。それは王城の攻撃責任者に任命された帝国の大将であった。
「断る! 我らは帝国に忠誠を誓った武人だ! せめて一矢報いるまで、死ぬに死ねぬ!」
「そうか……」
レイドックは少し悲しげに目を伏せる。
帝国の生き残りは、全員が一騎当千の強者である。敵対するのが普通の軍勢であれば、彼らだけで殲滅できるほどの猛者であるのは、一目でわかった。
彼らが本気を出せば、王国軍兵士を万単位で殺せるほどの戦力である。もちろん彼らは全滅するだろうが、この世界の上位者はそれだけの力を持つのだ。
帝国大将はレイドックとカミーユを睨みつける。
「貴殿らは、我らの力を理解した上で、たった二人で立ち塞がるか?」
「ここに至っては、数は無意味だろ?」
「生き残った我らは、帝国の剣の切っ先だぞ? たしかにもはや王国……ゴールデンドーンを落とすことは敵わんが、大きな傷跡をつけるのは可能だ」
「ああ、だから、俺がいる」
それまでレイドックのことを、降伏を言い渡しにきた代表だと思っていた帝国大将は、自分たちを打ち倒すためにいることを理解し、一瞬で沸騰する。
「貴様が実力者なのは間違いなかろう! そこの女もな! だが、たった二人で我ら全員を相手にすると言うのか!?」
それは彼らにとって、最大の侮辱だろう。生き残った彼らは、人類の枠を超えた者たちなのだから。
もちろん目の前の青年も、その一人であるのは間違いない。それでも帝国最上位十数人をたった二人で止めると言うのだから、彼らのプライドはズタズタである。
「我が名はゼット・オーバール! 帝国騎士団序列二位にして、王城攻撃隊の大将である!」
大将ゼットが、巨大な深紅のフランベルジュをレイドックに向けた。
「レイドックだ。今回は義勇兵のまとめ役を任されてる」
「……カミーユ・キャスパー」
二人は軽く名乗りを返すと、それに対してゼットは小さく頷く。
「これ以上の言葉は不要! 推して参る!」
ゼットの左手が、手甲越しでもわかるほど光り輝くと、彼の体中が燃え上がり、フランベルジュが業火を纏った。
彼は近寄ってきていた女性に叫ぶ。
「カーリナ!」
「任せてください! 蛇旋崩牙!」
生き残っていた一人で、高価な軽装鎧に身を包んだ美女が、豪奢なミスリル製の弓を取り出し、数十本の矢を一瞬で打ち出す。
まるで蛇のようにうねり、予測できない軌道で、レイドックに噛みつこうと飛んでいくが、それが突然空中で全て弾けた。
「なっ!?」
カリーナと呼ばれた女弓兵が、市壁の上に視線を向ける。そこには弓を打ち終えた格好でたたずむ、目つきの悪い女がいた。
信じられないことに、あの距離からカリーナの矢が全て打ち落とされたらしい。
「ウソ……」
「ちぃ! 援護などなくとも!」
ゼットは矢で体制の崩れたレイドックを一刀両断する予定だったが、それを諦め、全力で一刀両断するべくフランベルジュを振り下ろす。
彼の持つ豪炎騎士の紋章による力は炎だ。近づくだけで消し炭になる業火を纏い、すかした剣士を消し飛ばすつもりだったのだが、蒼い剣士は柳に風と、軽く剣を振っただけで、ゼットの剛剣を受け流した。
「ちぃ! まだまだぁ!」
ゼットは波打つ大剣フランベルジュの軌道を無理矢理変え、レイドックの頭を吹き飛ばそうとするも、真正面から剣で受け止められてしまう。
両手持ちの大剣で、灼熱を纏った一撃。しかしレイドックは片手剣で簡単にそれを受け止めたのだ。
しかも、高温で普通の剣なら溶かすことすら可能なフランベルジュの刃が欠けたのである。
「ば、ばかな!?」
「ちっとばかり熱いぜ、おっさん」
「ふざけるなぁ!」
さらに熱量を上げ、力を込めるが涼しい顔をした若造は微動だにしない。そこでようやく、腕も、力も、剣も、全てに差があることを悟る。
「そ、その剣は幻のオリハルコン!?」
「正解。もっとも鉄剣でも結果は変わらないけどな。しばらく寝てろ。無限雪月花!」
レイドックが軽い口調で繰り出した技は、ミズホ神国で覚えた剣技である。冷気が具現化し、あっという間にゼットの炎を消し飛ばした上に、強烈な一撃とともにゼットを気絶させた。
「安心しろ、峰打ちだ」
政治的な意味合いで、アルファードから可能なら生け捕りにしてくれと頼まれていたのである。
「無茶言うぜまったく」
口調の割に、あっさりと実現してしまうのだから恐ろしい。
「さて、残りを片付けるか」
レイドックは気楽な口調で、肩に剣を乗せるのであった。




