209:危険察知は、才能だよなって話
ゴールデンドーンにて、旧文明が崩壊したあと初めての大規模な人間同士の争いが始まった。
もちろん数百人規模の戦争は何度もあったが、お互いの兵力が万を超える戦いは初めてである。
ではまず、助かった方の帝国軍から見ていこう。
ゴールデンドーンの上空を飛び回っていた白い鳩が、ハゲた老人の元へと移動し、手に止まる。
「これはいかん!」
小さく叫んだのは、帝国軍の最後方で集団儀式魔法の準備をしていたスキンヘッドの老人、メルデュラ・デュラスであった。
彼は鳩の使い魔で観察していたのだが、使い魔がゴールデンドーンに近づいた瞬間、敵の探知魔法に引っかかる。それもかなり強力なやつだ。
次の瞬間、使い魔が殺されると思ったが、そのまま放置される。
気づいているのに見逃された理由は一つだろう。敵は自分たちの戦力を見せつけたいのだ。使い魔が攻撃能力のない鳩だったというのも大きいだろうが。
メルデュラは戦慄した。
エリクシル領主である少年の周りに、ヤバいやつが勢揃いしていたからだ。
まず、自分の使い魔をあっさりと探知した、古風な魔術師スタイルの女だが、見たこともない紋章を宿している。
紋章官ではないメルデュラだが、今まで発見された紋章のほとんどは暗記しているのだが、彼女の紋章にはまったく見覚えがない。それよりもあの輝きを見るに、恐ろしい力を宿しているのは間違いないだろう。
「ありゃあ、間違いなく最上位紋章……おそらく伝承クラス」
敵に黄昏の錬金術師がいるのは聞いている。それだけでも驚異だが、最上位紋章が二人いるという事実に、メルデュラは恐怖した。
おそらくこの馬鹿げた城や大橋を作ったのは、黄昏の錬金術師が関係している。断言してもいい。
この時点で、すでに勝ち目は限りなく薄いだろう。そこに伝承クラスの魔術師が加わったら……。
「これはいかん」
メルデュラは無意識にもう一度呟いていた。
「師よ、ど、どうしましょう?」
メルデュラと同じように、小動物の使い魔で敵を観察していた弟子の一人が、顔を真っ青にしてメルデュラに問い詰める。
「そんなもん、答えは一つじゃろ。問題はあの蜂男の方じゃ」
メルデュラはもう一度鳩を飛ばし、今度は味方である蜂男の様子を窺う。そして戦慄した。
蜂男が自分のことを「魔族」だと宣言したのである。
幸い、蜂男はすぐに戦線を離脱してくれたので、メルデュラは迷わなかった。
「投降するぞ。本当に生かしてくれるかはわからぬが、このままここにいても死ぬだけじゃい! やっかいな蜂の参謀もおらんしな!」
「はっ! 我ら全員、師と共に!」
「格好いいことを言っているが、死にたくないだけじゃろ」
「もちろんそれもあります」
「うむ。正直でよろしい。では全員強化魔法を使って、大橋を戻るぞ!」
「「「はっ!!!」」」
こうして最後尾に布陣していた魔導部隊が速やかに撤退すると、迷っていた帝国兵も突撃命令を無視し、我先へと逃げ出し、魔導部隊に続くのである。
ドーン大橋を逆走し数時間、彼らの前にミズホ武士の一団が待ち構えていた。
すわ、挟み撃ちかと警戒したが、先頭で待っていた人物を見て、メルデュラは全てを理解する。
「たしか、マサムネ・セントクレア殿だったか。なるほど貴殿の裏切りからして、策略だったというわけじゃな」
メルデュラがため息交じりに手を差し出すと、帝国をドーン大橋上に手引きした張本人であるマサムネが握り返した。
「記録はほとんど残っておりませぬが、人同士が争っていた時代は、それはえげつない策略が飛び交っていたそうですぞ。ミズホ周辺は小国家が乱立しておりましたゆえ、多少はその手の策略に覚えがあり申してな」
魔物だけを相手にしていたのでは絶対に身につかない心理戦である。
「さて、マサムネ殿。我らの処遇はどうなるのでしょうかな」
「カイル様は降伏した者へ寛大である。現在蒸気船で食料を運ばせているので、戦争が終わるまで、おとなしくここで待機していてもらおう」
「うむ。了解した」
こうして、万を超える兵士はその命を拾ったのである。
一方、ゴールデンドーンに攻撃を開始した帝国軍は混乱していた。
まず、兵力の三分の一が脱走。初っぱなから万の兵力が減った。しかも最大戦力である魔導部隊が真っ先にである。
ただでさえ落とすのが困難であるのがわかっているのに、城門を破れる可能性のある部隊がいなくなったのだから、指揮する大将がどれだけ慌てたか想像できるだろう。
それでも大将は感情の全てを飲み込み、部隊を再編する。
「組み立ての終わっているカタパルト部隊(移動式攻城兵器)で、城門を攻撃させろ! トレシュビット(設置型の大型攻城兵器)の組み立ても急がせろ! 破城槌も出せ!」
もはや長期戦は不可能と判断した大将は、持てる全ての攻城兵器を投入する。
だが、巨大な丸太を削った破城槌も、人頭大の石を複数打ち出すカタパルトも、ゴールデンドーンの城門を打ち破ることが出来ない。
城壁は謎の石で出来ているため、最初から破壊は諦めている。だが城門は木製なのだ。破れる可能性はある。
「トレシュビットが組み上がればあるいは……」
大将が呟く。
人間サイズの大岩を打ち出すトレシュビットならば、いかな丈夫な門とはいえ、打ち破れるはずだと、自分に言い聞かせる。
なお、攻城兵器の大半は、”空間収納”持ちが分散して運んでいる。クラフトのように非常識な容量はなくとも、優秀な魔導兵団には収納力の多い魔術師が何人かいたのだ。
もっとも、その魔術師たちは真っ先に逃げ出したがのだが、荷物を置いていったのだけは不幸中の幸いだろう。
そんな状況だからこそ、優秀なはずの大将は気づけなかった。必死で攻める帝国軍に、矢の一本も飛んできていないことに。
★
そこは城の司令室。
何十人もの文官が、慌ただしく戦況を分析していた。
司令室の一番奥には領主であるカイルが座り、その左右に国王であるヴァインデックと、ミズホ神国の現人神ムテンが、大量に送られてくる書類と格闘している。
カイルはそのうちの一枚をつまみ上げた。
「では、帝国軍の三分の一ほどは撤退してくれたのですね」
それに対し文官のまとめ役であるザイードが答える。
「はい。現在はマサムネ殿が統率しております」
ザイードは普段の兄としてのしゃべり方ではなく、文官としての口調を保っていた。カイルにはそれが少しやりにくい。
「もう、降伏してくれそうな帝国兵はいませんか?」
「おりません」
ザイードが断言する。
ここで断言しなければ、次へ進めないからだ。
「……わかりました。アルファードに始めるよう伝えてください」
「了解いたしました」
ザイードは一礼し、伝令係に指示を飛ばすと、本人はそのまま報告書の束が積まれた机に戻った。
最高指揮官であるアルファードは、指令を受け取ると即座に行動に移る。
「自分たちが袋の鼠だと気づいているだろうに、それでも攻める姿勢には感嘆するが、我らがゴールデンドーンに傷を付けたのだ。その報いを受けてもらう」
大量に飛んでくる矢を軽く手で払いながら帝国軍を見下ろすアルファード。
「なぜ、わざわざ敵が集合すると予測される広場を石畳にしたのか、まるで気づいていないようだな」
なぜ、錬金硬化岩ではなく、石畳なのか。
石畳も丈夫だが、数万の軍勢が歩けば、わずかだが沈んだりして動く。重量の重い攻城兵器もあるのだから当然だ。しかも帝国兵の多くは武具を持ち、通常より重い。
石畳がわずかに動くたび、その下に仕込まれた粘度の高い物質が、隙間からにじみ出してくる。
それは、クラフトが大量生産したトリモチであった。