186:危険物取り扱いは、ルール作りが大事だよねって話
最近、ゴールデンドーンの城の一角に、執務室が設置された。
それ自体はまったく不思議なことなどないんだが、俺はそこに出入りする者たちを見て、苦笑いするしかない。
何十人もの文官が出入りする執務室を横目に、俺は目的の部屋へと行く。
「おいヴァン。さすがに王都の文官を連れてくるのはやり過ぎじゃないか?」
そこはマウガリア王国、ヴァインデック・ミッドライツ・フォン・マウガリー陛下の専用執務室だった。
あまりに国王陛下が頻繁に来るので、カイルが用意したのである。
「遅かったなクラフト。湿地帯の方はどうなった?」
書類にサインしていたヴァインデック陛下……いや、ヴァンが顔を上げた。
「人の話を聞けよ……。少し手間取ったが問題は解決したぞ。それに関して、カイルとジャビール先生を交えて話し合いたい」
「わかった。二人とも呼び出せ。到着次第会議を始める」
即断即決するヴァンだが、彼の横に立っていた白髭の老人が額を抑える。
「陛下。面会の約束は数日前に先触れを出し、相手の迷惑にならないようにしなければなりませぬ。御身の立場を忘れてはなりませぬぞ」
ヴァンを諭しているのは、マウガリア王国宮廷錬金術師筆頭のバティスタ。毎日これだけ苦労しているから、目つきも悪くなったのだろうか。
「はん。カイルが俺とクラフトだけじゃなく、ジャビールまで呼んだ話し合いだぞ。政治的判断だけでなく、どうせそこの男がまたろくでもない物を作って、その運用管理に関する話し合いだ。通信や転移門に匹敵する可能性を考えたら、後日のんびりなぞ、やってられるか」
「それは……」
あの、バティスタ爺さん。そこで俺をじっとりと睨むのをやめてもらえますか? さっきみたいに毅然に叱ろうよ!
「それにクラフトから湿地帯の報告を聞く予定を、会議にするだけだ。どうせカイルのことだから、すでに準備万端、呼び出されるのを待ってるはずだ」
「わかりました。誰か、エリクシル伯に伝令を!」
こうして俺たちは、会議室へと移動するのであった。
◆
「陛下。このたびは私の願いを聞き入れていただき、まことに恐悦至極に――」
「堅苦しい挨拶はいらん。それより本題に入れ」
カイルが恭しく挨拶を始めるが、ヴァンは鬱陶しそうに片手を振り、それを遮る。
この部屋にいるのは、こちら側がカイル、ジャビール先生、俺。あちら側はヴァン、バティスタ爺さん、それにザイードである。会議室に移動しているとき、廊下ですれ違ったのだが、そのままヴァンに連行されたのだ。
「よし、ザイードが進行しろ」
どうやら議長をさせるために誘拐してきたらしい。今のザイードは文官としてものすごく忙しいはずなんだけどな。
「陛下。議長をするのは構いませんが、まず、議題を教えてくれませぬか」
「知らん。カイルに聞け」
吐き捨てるヴァンに、ザイードが軽く額を押さえる。
「エリクシル開拓伯。本日の議題を説明せよ」
「は。新たに開発された、錬金薬の取り扱いについて、ご説明させていただきたく存じます」
ヴァンが「錬金薬?」と小さく呟きながら、眉を片方だけ持ち上げた。
「説明はこちらの錬金術師、ジャビールからさせていただきます」
ザイードがジャビールに視線を向ける。
「よろしい。錬金術師ジャビール。全員に説明せよ」
「うむ。まずは資料を配るのじゃ」
説明を変わったジャビールが、用意していた資料を全員に配った。
一ページ目にはタイトルがでかでかと書かれている。
「一部の魔物に対する完全な毒霧の開発と運用」
ヴァン、バティスタ、ザイードは、その文字を目にして完全に固まった。
そんな三人の反応は予想していたのか、ジャビールは平然と説明を始めたのである。
「――という毒なのじゃ。一部の強個体には効かないのじゃ」
さして長い話ではなかったが、説明が終わると、ヴァンたち三人はぐったりとしていた。
ヴァンが気を取り直して顔を上げる。
「つまり、王国でもっとも見かける大多数の魔物に効く毒が完成し、さらにほとんどの錬金術師の紋章持ちが作れる製法も完成していると」
「そうなのじゃ。自分一人で一般製法を完成させたのは、師匠として嬉しいような、先に相談しろと叱るか迷うところではあるのじゃがな」
ジャビールが肩をすくめるが、ヴァンが指を立てる。
「ふん。結局最後には、その製法を求めることになったろう。手間が省けただけだ」
「そうではあるのじゃがなぁ」
ふにゃふにゃと机に突っ伏すジャビールに、カイルが小声で話しかけた。
「ジャビールさん。すでにこの錬金毒は、湿地帯で大規模運用が始まっています。今さら隠匿は不可能ですよ」
「それもわかってはいるのじゃがのぅ」
「なにより、これがなければ、湿地帯の開発は百年かかります」
「湿地帯全てを、魔物と戦いながら壁で囲うとなったら、そのくらいかかるのじゃ」
それまで額を押さえていたザイードが、襟を正す。
「皆様お気づきだと思いますが、運用は難しいですがその効力は絶大。錬金毒に関しての指針を決めるべきではないでしょうか」
説明だけで会議がダレたので、すぐさま軌道修正してくるあたり、議長として完璧すぎるな。
ほんと、呪いがないと優秀なんだよ、ザイードは。
それまでジャビールと同じように、机に突っ伏していたヴァンが、顔を上げ、顔を引き締める。
「……王国全体に普及させる」
「さすがに性急すぎるでしょう」
「よく考えろバティスタ。湿地帯で運用するかぎり、早いか遅いかの違いはあっても、すぐに噂は広がる。平民は魔物に敏感だからな。それを簡単に倒せる毒があると知ったら、誰でも欲しがる」
「ふむ」
バティスタは髭をいじりながら、ヴァンの言葉を待つ。
「買い取り希望が殺到するくらいならいい。だが、間違いなく盗み出そうとする馬鹿が続出するぞ。末端価格が跳ね上がれば、さらに増える」
なるほど。
王国全土の住民が欲しがれば、その価値は天井知らずだろう。
「金目当ての犯罪者どもが死のうと構わんが、正しい使い方もわからなければ、手に入れた方も危険になる。それは王国の住民が死ぬということだからな。正しい知識とともに広げねば、逆に混乱を招くぞ」
「このバティスタ。陛下の思慮に感服致しましたぞ」
「……スタミナポーションで似たようなことが起きたからな。ゴールデンドーンから離れた場所では、普通のポーションをクラフト製として高値がつけられ売られていた。それを推し進めて考えてみただけだ」
「経験が身についている証拠でございましょう」
ヴァンが少しばかりほほを赤らめてそっぽを向いた。
バティスタ爺さんに褒められることが少ないのだろう。
「それでは、王国に広げる方向性で決まりということでよろしいか」
ザイードが冷静に皆に問いかけると、全員が賛成の意を示した。
その後、湿地帯の他に、バティスタとその弟子がいくつかの地域で運用試験をすることになり、製法も王国所属の錬金術師に配布されることが決まった。
試験で問題点を洗い出し、王都周辺から徐々に広げていくことになる。
また、今までの商品と違い、必ず運用に関して、専門の錬金術師の指導を必須とすることで、一般市場には流さないことが決まった。
錬金毒を欲する村や町は、まず王に陳情書を出し、認められると王国所属の錬金術師が派遣され、そこで許可が出ると、錬金術師経由で錬金毒が渡される。
運用は錬金術師の指導に従わなければならず、使用量など厳密に管理されるのだ。
……という大筋が決まる。もちろん運用試験次第で変更になる可能性も高い。
「問題は山積みだがな。まずもって、錬金術師の数が足りなさすぎるぞ」
「発現率が低いのじゃから、しょうがないのじゃ」
「全国民の紋章適性を義務化したいが……」
「それをやると、マナポーションの値段が跳ね上がるぞ? 主な原材料の魔石の値段もな」
俺が指摘すると、ヴァンはわかっていると片手を振った。
「……ですが、この魔物ホイホイが王国中に広まれば、魔石の値段は落ちるのではないでしょうか」
「卵が先か、ニワトリが先か。試験結果が良好なら、国家予算をひねり出してでも、紋章適性を広めるのが先かもしれんな」
「そんな膨大な予算をどこから持ってくるおつもりか」
「それが思いつかんから、頭を抱えている!」
バティスタ爺さんが首を横に振る。
「問題はそれだけではありますまい。一部の強個体は生き残るのです。それを処理する部隊運用も考えねばなりませんぞ」
「毒の効かなかった個体は、どれもかなりの強さだったらしいな? クラフト」
「ああ。ヒュドラなら四つ首くらいまでなら確実に死ぬが、五つ首あたりになると、まれに生き残って暴れてた」
「それを倒せる部隊となると、かなり練度の高い部隊が必要だな」
「湿地帯は、スタミナポーションがぶ飲みで一気に鍛えたリザードマンの戦士がいるからなんとかなってるが、王国全土をカバーする精鋭って言われるとなぁ」
ヴァンが腕を組んで、天井を見上げた。
「……それらの戦力も、紋章適性を義務化すれば底上げできるか」
「国民総紋章持ちになるってことか」
それはそれで、恐ろしいな。
しばらく黙っていたザイードが、静かに告げた。
「議題がずれています。今回の議題は完了しておりますから、その後の話は後日にするべきでしょう。これで会議を終了いたします」
ほんと有能だよ、ザイード兄ちゃん。