142:常識人って、たまに浮くよなって話
学園の玄関ホール。
これまた荘厳重厚な作りで、庶民が出入りしていることに、違和感が凄い。
中に入り、高い天井を見上げていると、サイカちゃんがクスリと笑う。
「そうだ。この学園でやっちゃだめなことを教えてあげるよ」
サイカちゃんが軽く学園の注意事項を教えてくれる。すでに書面でもらっていたことだが、彼女が説明してくれるのだから、しっかりと聞くべきだろう。
僕は亜人差別などしないのだ。
彼女の解説を聞きながら、目の端で錬金術師と一緒にいる美しい少女を目で追っていたが、どうやら少女が一人で奥に行ってしまったようで、見えなくなってしまった。残念。
「――とりあえず、このあたりを守ってれば大丈夫なんだけど、聞いてた?」
「あ、うん! もちろん!」
「じゃあ、教室に行こうよ!」
廊下を進もうとすると、途中でトンテンカンとリズミカルな音が聞こえてきた。
職人がなにかを修理しているらしい。
後ろ姿でよく見えないのだが、職人は小柄でオーバーオール。腰にさまざまな工具がぶらさがっている。
僕たちより先を歩いていた錬金術師が、その職人に気づいたらしく、声をかけていた。知り合いなのだろうか?
廊下を進むと、錬金術師と職人がはっきりと見えてくる。
ツインテールが揺れていた。
職人は少女だったのだ。
(僕と同じくらいの年齢にみえるけど、もう働いてるってことは成人済みなんだな。ってことは十六歳かな?)
横切ったときに、二人の会話が耳に入る。
「リーファン、なにしてんだ?」
「あ、クラフト君。このあいだ風の強い日があったでしょ? それで飛んできた枝で壊れちゃったところを直しに来たんだよ」
「なるほど。だが忙しいのにリーファンが直々に?」
「ギルド総長が来てくれたから少しは余裕が出来たんだよ。それに学園はカイル様の肝いりだから、私が直接見たかったんだよね」
「それもそうか。頑張れよ」
「うん! クラフト君もね!」
職人の少女が、めっちゃいい笑顔を錬金術師に向ける。
……なんかむかつく。
「どうしたの~? 教室はこっちだよ~?」
「あ、ああ。ごめん」
ワミカちゃんがのんびりと僕を促してくれたので、慌ててあとを追う。
背後でカンカンとトンカチを振るう、少し年上の少女を、何度も振り返りながら。
騒がしい教室に入ると、女騎士がいた。
教室の後ろの壁に、姿勢良く直立した女性の騎士。
子供と比べたら背が高いので、真っ先に目についたのだ。
王国の親衛隊がつけるのに似たショートマント、剣の邪魔にならないよう、短く切り取られた金髪。凜々しい横顔。
そういえば、貴族の子供も通っているので、護衛の同行が許されているんだったか。
俺がポーっと見入っていると、エドがその方に軽く声をかける。
「よう! ペルシアの姉ちゃん! おはよう!」
「ああ。おはよう。今日も元気だな」
どうやらペルシアさんと言うらしい。
鈴のような声で、心臓がドキリと跳ねる。
「そちらの少年は初めてだな。そうか、君が紋章官の孫か」
キリッとした表情で、僕を真っ直ぐに見つめながら、握手するべく手を伸ばされた。
どっどっどっ。心臓がうるさい。
「あ、は、はい。フェイダール・イングです。そ、その。よろしくお願いします」
「私はペルシア・フォーマルハウト。マイナ様の護衛をしている。空気と思って適度に接してくれればいい」
握手を交わすと、ペルシアさんがうっすらと微笑む。
空気となんて思えません! と叫びたかったが、さすがにそれは飲み込んだ。
ペルシアさんと握手した右手の感触を思い出しながら、手のひらを見ていたら、いきなりその手が、がっしりと掴まれる。
上書きされた!?
「フェイダールだっけ? こっちこっち!」
「ちょっ!? おい! 手を握るな!」
殺意を込めてエドを睨むが、すでに前を向いているので意味がなかった。
「マイナ! 新人が入ってきたぞ!」
教室の真ん中で、生徒が集まっていて、エドがそれをかき分けると、中心に女の子の生徒がちょこんと座っていた。
そして振り返る。
金髪の長髪が、ふわりと揺れた。
心臓が、止まった。
たぶん、三十秒くらい。
「……マイナ」
ポツリと雨音のような声が聞こえた。
目の前の少女が発したものだと理解し、慌てて俺は心臓に活を入れる。
「お、俺はフェイダール・イングです……だ!」
なんで僕はかっこつけようとしてるんだ?
自分のことを俺なんて言ったの、初めてだぞ!?
妙にどぎまぎしながら、マイナちゃんに胸を張って自己紹介したところで、大きな鐘の音が響く。
すると生徒たちが、おのおの席に座っていく。
特に決まった席はないらしいので、エドやカイに導かれるまま彼らの横に腰を落とした。
マイナちゃんの斜め後ろの席で、彼女の横顔がやたら視界に入ってしまう。
たまたま! たまたまだからな!
少しすると、慌てた様子の男性が教室に飛び込んできた。たぶん教師だろう。
三十前後の年齢に見えるのだが、なんとなく、頭に違和感がある。髪の毛が全体的にずれてる?
僕が違和感に首を傾げていると、男が頭を押さえながらこちらに視線を向けた。
「ああ、ここにいたんですね、フェイダール君。初日は職員室に来るよう言われませんでしたか?」
「え?」
あれ? そうだっけ?
「たぶん、聞いてませんが」
「おや、連絡の不行き届きでしょうか? 教室に馴染んでいるようなので良かったです。ではそのまま待っていてください。貴方を探しているクラフト先生とジャビール先生を呼んできますから」
「あ、はい」
僕に指示を出すと、教師は頭を左右から押さえながら、教室を出て行った。
「……カツラかな? まだお若いのに」
僕がポツリと零すと、エドがニヤニヤと笑みを浮かべる。
「オブリオ先生はズラだぜ。だって、日に日に髪が薄くなってくの、俺たちは毎日見てたからな。ある日突然、ふさふさになったら、誰でもわかるだろ」
「そうだったんだ」
そんな短時間で薄くなっていくとは、いったいなにがあったのか。
もしかして、庶民の教育がそれだけストレスになってるのか? ありえる。
そんな話をしていると、例の錬金術師が教室に入ってきて、軽く手を振った。
「悪い、フェイダール。こっちの連絡不足だったらしいな」
「いえ、彼らに教室まで案内してもらいましたから」
「そうか。とりあえず前に来てくれ、全員に紹介したい」
「はい」
「じゃあ、黒板に名前を書いてくれ」
「え?」
当たり前のように文字を書けと言われたんだが?
「あれ? 読み書きは出来るって聞いてたんだが、覚えてないのか?」
「書けるよ! 馬鹿にすんな!」
僕は紋章官の孫なんだぞ!
鼻息も荒く、黒板に名前を書き殴ってやった。
読めるもんなら読んでみろ!
するとエドがふーんという感じで「汚い字だなー」と呟き、サイカに「あんたも大して変わらないでしょ!」と怒られた。
え、マジで全員読めるの?
おかしくない?
普通読み書きが出来るのって、 家の職業で必要だったり、 裕福で家庭教師を雇えるところの家だけだろ?
なのに、クラスを見渡しても、だれ一人として読めないという雰囲気はない。
孤児院なんかで読み書きを教えてるとこもあるが、 庶民はあまり真面目に通わないし、通ったとしても大抵の場合はまともに身につかない 。
この人数全員が文字を読めるっていうのは、凄すぎるんじゃないだろうか。
殴り書きしてしまった自分の文字を見て、僕は急に恥ずかしくなった。
「あ、えーっと、書き直します……」
僕がきれいに書き直すと、クラスから「おー」と感嘆が上がる。
「きれいな字だな。みんなお手本にするといい」
「「「はーい」」」
多人数で学ぶなんてことがなかったので、なんかこう、背中がむずむずする。
「さて、みんな仲良くやってくれ。転入生は慣れてるだろ?」
「「「はーい」」」
生徒たちがハモって返事をする。
どうやら移住者が多いこの領地に、転入生が増えるのは日常茶飯事のようだ。
「よろしくお願いします」
頭を下げて、席につくと、エドが「よろしく!」と背中を叩いてくる。
「強いんだよ!」
「あはは! 悪い悪い!」
まったく思ってないだろ!
……それにしても、学園か。
最初は興味なかったけど、通ってみるか。
サイカちゃん、ワミカちゃん、ペルシアさん、マイナちゃん、リーファンさん……は出入りの業者さんか。
毎日会えるのは悪くないよな!
もしかしたら、誰かと仲良く……うへ、うへへ……。
そこで思考が一度止まる。
(あれ? 一番気になってた、紫髪の魔術師ローブの子はどこだ?)
エドに小声でたずねてみる。
(なあ、俺たちの年齢で、別のクラスとかある?)
あんな目立つ子、教室で見落とすわけもない。
だとしたら、クラスが複数ある可能性を考えたのだ。
「フェイダール。ホームルームでも私語は禁止だ」
耳ざとい錬金術師に見つかって、丸めた教科書で頭をぽこりと叩かれる。
「まあ、ついでだ。説明しとこうか。本来は年齢ごとに学年を区切りたいんだが、学園を創設したばっかで、十二~十五歳を同学年にしてた」
錬金術師が黒板に学年別の年齢を書き出す。
「だが、一五歳の生徒は、成人と同時に卒業だろ? だから、途中から十五歳の学年を別にして、特別授業をしてるんだよ。かなり詰め込みでちょっとかわいそうだけどな」
黒板に、六歳~一五歳と書き加えられる。
「本来一〇年かけて学ぶことを一年で学びきれるわけもないが、成人を無視するわけにもいかない。だから、一六歳を過ぎても、希望者はそのまま学園に通える。みんなも成人までの間に、学園に残るかを考えておいてくれ」
するとエドが弾けたように立ち上がった。
「俺たちは、ワミカの卒業する年まで、学園に通うからな!」
「ケンダールたちはもう決まってる。他の者も、真剣に考えておいてくれ。どんな答えでも、学園が最大限応援することを約束する」
「「「はーい」」」
つまり、もう一クラス存在するわけか。
なんだ、あの少女はそっちか。
僕はがっくりと肩を落としたが、同時に教室のドアががらりと開く。
「遅くなったのじゃ」
なんと、入ってきたのは例の少女!
なんだ。トイレかなんかに行ってただけか!
少女はツカツカと教卓に出ると、当然のように錬金術師が下がる。
え?
「ふむ。では授業を始めようかの」
少女が教科書を開く。
僕の脳裏に【初恋の少女が、先生だった件。】そんな謎の文章が横切り、同時に初恋が散ったことを理解した。
だ、大丈夫。
僕はまだ終わっちゃいない!
僕の戦いはこれからだ!
夜空に向かってキメ!!(きらーん★)