103:時には、背中を任せなきゃいけないって話
八ツ首巨大ヒュドラが、宿営地のど真ん中に出現した。
しかも、レイドックとジュララの連合部隊を振り切って。
俺は背中にぶわりと汗をかいた。
「全員! これをヒュドラと思うな! ドラゴンを相手にしていると思え!」
俺のオリジナルで、声を拡声させる魔法をつかい、宿営地中に警告を響き渡らせた。
魔力を喰うのが難点だが、今は贅沢を言ってられない。乱発は厳禁だが。
最低限の注意喚起はした!
その巨体で、見事に戦力が分断されてしまった。
宿営地は大混乱である。
八ツ首ヒュドラの巨体で遮られて、カイルの様子がわからねぇ!
どうする!?
強行突破するか!?
その時、俺のローブが引っ張られる。
はっとして振り向くと、マイナが今にも泣きそうな不安な顔で、俺のローブをぎゅっと掴んでいたのだ。
俺は冷水をかけられたかのように、頭が冷える。
そうだ。俺の役目はマイナを守ること!
「キャスパーたち! ジタロー! ここは逃げるぞ!」
あっけにとられていたキャスパー三姉妹とジタローがはっと顔を上げる。
「は、はい!」
俺たちが固まって逃げだそうとしたとき、八ツ首の一つがこちらを向きやがった。
そして吠える。
ギュガアアアアアアアア!
大きく開いた口の中に、一軒家すら咬み砕けそうな牙がずらりと並び、先割れした赤く長い舌が不気味にうねっていた。
「ひぅ!!」
マイナが真っ青になって身体を硬直させたので、俺は即座に抱え上げる。
どうやら、ヒュドラ野郎はマイナの姿を気に入ったのか、首の一つがこっちを凝視してやがる!
これは狙われるか!?
俺は、でかい呪文で足止めするか、全力で逃げるか、わずかの時間だが考え込んでしまう。どれを選んでもろくな結果が思いつかない!
「クラフトさん! 逃げてください! ここは私たちで足止めをします!」
叫びながら杖を構えたのはキャスパー三姉妹の長女、エヴァだった。
俺は目を剥く。
「な!? 無茶だ! 他のヒュドラと同じに考えるな! あのレイドックが倒せなかったんだぞ!」
レイドックの視界を共有した感じだと、ヒュドラのもっとも得意とする状況に偶然出くわし、連携をとれない状況で蹴散らされた感じだったが、エヴァに細かく説明する時間はない。
「レイドック様はどうなったんですか!?」
「態勢を立て直してから合流するはずだ!」
打ち合わせをしたわけではないが、レイドックなら必ずそうする。
「なら、レイドック様が来るまで保たせます!」
「だが!」
「クラフトさん! あなたが今しなければならないことはなんですか!? 私は冒険者として、マイナ様の護衛を受けました! 私の最優先は護衛対象を守ることです!」
わかってる!
そんなことはわかってるんだよ!
だが、相手はドラゴン並の魔物なんだぞ!?
「大丈夫っすよ! おいらもついてやすから!」
ひょいっと気楽な様子で弓を構えたのは、もちろんジタローだ。
狩人のくせに、俺たちにくっついて冒険しまくっているせいか、こと弓に関してはレンジャーの紋章持ちであるソラルに匹敵する腕をいつの間にか持っていた、お調子者である。
お調子者だが、敵の強さがわからない馬鹿じゃない。
きっと勇気を振り絞っているに違いない!
「カミーユさーん! 一緒に頑張りやしょうぜ!」
「……ん」
次女のカミーユにだらしない笑顔で近づいていくジタロー。
勇気……だよな?
そんな二人を無視して、エヴァがこちらに手を伸ばす。
「マナポーションをありったけください!」
彼女の瞳には決意が宿っていた。
そうだ。彼女は一流の冒険者。
俺がやるべきは、錬金術師としての仕事をすることだと思い出す。
空間収納からありったけの魔力回復薬を取り出し、全てを渡す。
もっとも二〇本くらいしかないんだが……。
「ありがとうございます」
彼女は礼を言ってから、ヒュドラに向き直る。
エヴァはそのまま魔力を込めて、体内で魔術式を練り上げているようだ。
おそらく、全魔力を使ったでかい魔法を放つのだろう。
カミーユとジタローが、エヴァを守るように前に出て、ヒュドラに対峙する。
……。
それにしても、ヒュドラの動きはなにか妙に感じる。
八ツの首を四方八方に動かして、そこら中で兵士と戦闘をしているようだが、先ほどまでの素早さを駆使する様子がない。
なんとなく、人間を攻撃しているというより、追い払いたいようにも見えた。
見える範囲だが、兵士の一人も死なずにヒュドラと対峙しているのがその証拠である。
だが、問題は八ツ首のうちの一つだ。
はっきりと、その首は俺たち……いや、マイナに照準を定めている。
マイナの身を守るのが俺の仕事だ。ならばやることは一つだけ。
俺は奥歯をかみ砕くほど歯を食いしばった後、叫ぶ。
「あとは任せた!」
「「ええ!!」」
マイナを抱えたまま、一目散に逃げ始めると、俺たちを狙っていた首が再び奇声を上げた。
それまで、ここが自分の陣地だとでも主張するように居座っていた巨大ヒュドラが、その巨体に似合わぬ速度でこちらに向かってくる。
それは、山のように巨大な船が、大河を切り裂いて迫ってくるかのごとく。
湿地の水を、空高くまで巻き上げ、木々をぶち折りながら、俺とマイナを追ってきたのだ!
「ひぅ!!!」
俺に抱えられたマイナが、後ろを振り向いたのだろう、その恐怖に声を上げ、涙をぼろぼろと流し始める。
(まずい! 追いつかれる!)
心の中で悲鳴を上げたのと同時に、魔力が走った。
それはエヴァの魔法!
「食らいなさい! 師より授かりし、最強最大の攻撃魔法!! 〝深淵の冥層氷獄牢〟!!」
あの魔法は!
俺たちが開拓を始めたばかりのころ、オークの集団を見つけ、俺が一人で倒したときに使った呪文!
別名コキュートス!
あのときオークどころか、あたりの森一面を凍りづけにした、A級冒険者の水系魔術師でも、使える者はほとんどいないという、超高難度の攻撃魔法!
コキュートスをまともに放てるなら、宮廷魔術師としてスカウトされるレベルの魔法である。
それを、エヴァは放った。
彼女の杖に纏う魔方陣をみれば、そうとう無理しているがわかる。
だが、彼女の渾身の一撃は、たしかにヒュドラにダメージを与えることに成功したのだ。
湿地という地形が、このときばかりは味方する。ヒュドラの全身が、地面ごと凍りついた。
「凄いっす! エヴァの姉さん!」
「まだよ!」
嬉しさでエヴァに駆け寄ろうとしたジタローが、彼女の叱咤でピタリと止まる。
エヴァはマナポーションを二本いっぺんに飲み込んだ。
……そうか。彼女も一本では回復しきらないのか。
実は俺やジャビール先生は、この伝説品質のマナポーション一本では、魔力が回復しきらない。
俺が知っている限り、二人だけだったのだが……。
もっとも、今のエヴァは命の危険を冒して、魔力を振り絞ったというのもあるだろうが。
びきびきびきと、ものが割れる音。ヒュドラとあたりを固めていた氷にひびが走る。
ばきん!
甲高いガラスを割ったような音とともに、首が自由になった。
エヴァが静かにこちらに視線を向ける。
強い意志が宿っていた。
俺は大きく頷いて、走りだす。
背後から再び、コキュートスが放たれた音がした。
続く戦闘音。
だが、俺は振り返らない。喧噪を背中に置いて、がむしゃらに走り出す。
いつの間にか現れた、世界を覆う真っ白な霧の中へと向かって。
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