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「まあ、この家が普通じゃないことはわかるでしょ? 僕の両親も普通の感覚の医者じゃなかったよ……まあ、僕と違って両親は医師免許を持っていたけどさ。シルヴィスとかなみの実父であるお父さんも相当な変わり者だったし、そんな変わり者の妻になったお母さんも変わり者だった。六郎の実家は分家といっても四家の分家だよ? 言うまでもなく変わっているさ。五歳の六郎が生まれたばかりのかなみに一目惚れし、生まれて十五分のかなみが六郎の言葉を聞いて泣きやんで笑った……だから婚約が成立したんだよ……勿論、二十歳になった頃にもう一度かなみの意思は確認するけど、かなみは六郎のことが好きでしょ?」
「うん! 大好きだよ!!」
呆れるリンを余所に、かなみは先程電話で数分喋っただけの六郎との会話を思い出し、高テンションを維持していた。
「かなみがこう言っている限り、僕が反対する理由はひとつもないよ……嫌がっているなら話は別だし、それならシルヴィスが黙っていないさ。それに、男の僕が言うのもどうかと思うけど、六郎は良い男なんだよね。まあ、今時の男としては古風だけど……その辺にいるチャラついた男よりは余程信頼できるね」
太郎がそこまで言うのだから間違えはないのだろう。リンは会ったこともない人間の評価をしていることに気付き、自分の傲慢さを恥じた。
「ん? コロンが帰ってきたようだね……晩御飯にしようか……」
かなみの帰ってきた音はわかるが、コロンがドアを開ける音はリンには聞こえない。これはかなみにも聞こえていないそうだ。大事に思う人間の為ならば、太郎も特殊な能力を発動するらしいことをここ数週間でリンは覚えた。
ちなみに、かなみはまったくと言っても差し支えないほど料理ができない。本人曰く『鍋との相性が悪い』のだそうだ。
そういう訳でこの家で炊事をするのは太郎かコロンだった。
ただ、太郎の料理は料理本に載っている文字を全て暗記したものを寸分違わず作るだけなので、味に個性がない。料理と言うより『実験』の続きにしか見えないのだ。
「ん? 様子がおかしい……」
太郎は呟きながら、救急箱に手を伸ばし、かなみとリンにこの場から動かないように指示する。この動作は緊急事態を知らせるものであるらしく、かなみはすぐにリンを後ろに庇う仕草をした。
院長室のドアを開け、太郎は廊下の様子を窺う。
「うわ……派手にやられたね……」
太郎が顔だけ出すと、廊下の奥にかなみと同じ学園の制服を着たコロンがかろうじて立っていた。その右手には梵語らしき文字が無数に書かれた木刀を杖代わりに持っている。
「……依頼者が、退魔師と除霊師の区別もできないようなバカでして……」
「コロンちゃん。今日のお仕事は先輩たちと一緒じゃなかったの?」
「ええ、一緒だったわ……私以外は全員入院が必要なレベルね……」
そう言ってコロンが廊下に膝を着く。駆け寄った太郎が素早く抱き起こし、治療室のベッドに運ぶ。こういう時の太郎の素早さは並みの人間ではない。
雨も降っていないのにずぶ濡れ状態のコロンは、制服にたっぷりと血液を被っており、白いシャツが真っ赤に染まっていた。
「ふむ……右肩の脱臼のみかな……あとは膝を擦り剥いただけか……派手にやられたのは君じゃなくて、傍にいた人間か……」
コロンの制服を脱がせながら、太郎がコロンの右肩に触れ、一瞬で脱臼を元に戻す。
「く……情報不足のままでの仕事が裏目に出ました。霊体に取り憑かれたヤクザの親分さんとやらから霊体を追い出すだけの仕事だったのですが、取り憑いたのではなく、魔界生物に融合されていまして……親分さんの護衛と称する方々が八十人ほど犠牲になりました……」
「わかった。説明は後で良いから……かなみ。お風呂沸かして!」
「うん!」
ダッシュするかなみを見送るリンに出来ることはほとんどないが、濡れたタオルでコロンの顔を拭くくらいはできる。
「ありがとう……コロンちゃん……」
かなみに連れられてコロンは風呂に行く。リンはおろおろしてしまった自分に恥じるが、太郎はその頭を撫でてくれた。
「時々依頼主からの情報が少なくて、除霊師が犠牲になる例があるんだよ。これは学園側に厳重抗議するに値するかな……リン?」
自国では日常茶飯事だった筈の殺し合いだが、札幌にきてからはそのことを忘れるくらいの平和なひと月だったので、リンは不意をつかれて目に涙を溜めていた。
「……『家族』が傷付くのを……見るのは……嫌……だよ」
村を襲われ、両親と幼い二人の弟、そして村人を殺され、生き残った十一人の子供も九人までが死に、引き取り先であるヰガル邸でも、折角養父になってくれたヰガルを含めたほとんどが殺された経験を持つリンは、ここにきてもそれが続くのかと不安になったようだ。
「大丈夫だよ……コロンは簡単には死なないから……」
勿論、この太郎の言葉がリンを慰める為の嘘だとリンにもわかる。そして、いざ大きな戦いに巻き込まれた場合、最初に死ぬのが自分であることを、太郎自身も自覚している。
単純な異能力の強さ順に並べると、シルヴィス、六郎、かなみ、リン、コロン、太郎の順だからだ。更に、そうは見えなくとも太郎は能力者ではない。
「センセーっ! タローセンセー! 急患だぜぇっ! 頼むから開けてくれーっ!」
いかにも頭の悪そうな声というのはあるものだが、その声はまさにその声質であった。病院の表口を素手で叩く音が聞こえる。
「……闇医者開業だ……リン、今晩は出前にしてね……手術になると一晩かかるかも知れないから、僕の分はいいや……」
その夕方から翌日の明け方まで、太郎は本当に治療室から出て来なかった。
運ばれてきたのは、いずれも普段病気とは縁のなさそうな連中で、コロンが血まみれになった原因の男たちだ。
「ウチのおやっさんが、突然狂っちまってよぉ……ユーレイ退治のお姉ちゃんたちを次々にぶっ飛ばして、アニキや子分ども皆、壁に叩きつけられたカエルみてぇにしやがったんだよぉ」
「……おやっさんの背中に羽が生えていなかったかい?」
「おう。センセー、よく知ってんな? なんか小さな羽がパタパタって動くと……五人くらいの大人が吹っ飛んじまうんだぜぇ?」
「銃器は使用した?」
「ああ、おやっさん狂っちまったんで……仕方なく皆で撃ったよ。でもよぉ……おやっさん。死んでくれねぇんだわ。ユーレイ退治のお姉ちゃんたちの中で一人だけ無傷だったお姉ちゃんがよ。散弾の弾に『気』を込めたから、それで撃ったんだ……そうしたら、おやっさんは停まったけどなぁ……事務所の中はなんだか表現できない状態になっていて……俺たちはケーサツ来る前にトンズラしてきたんだ……」
太郎は最も軽傷だった右腕がなくなったチンピラから事情を聞き、手当してから治療室を出、となりの診察室の椅子に倒れ込むように座った。
「一晩でオペ六件って……僕は闇医者だけど『ジャック』じゃないんだ……」
「お疲れ様です」
その気配を太郎は感じていたので、驚きはしなかった。
「やあ、君か……君も一晩中駆け回っていた『くち』かい?」
声の主は少年の姿をしていた。診察室の床に胡坐をかいて座っている。
「ええ、僕も仕事しなきゃならなかったですね。除霊が退魔に変わり、学園側にも怪我人が出たという事例は少なくありませんけど、一般の目撃者が今回は多くて……こちらの患者さんにも『処置』していきますけど?」
「ああ、大体のことは聞いたからいいよ……まさかコロンやかなみや僕まで『処置』しないだろうね?」
太郎もかなり細面の良い男だが、少年は絵に描いたような美少年であった。その目が少々眠そうなのを除けば、国営放送の一年通し時代劇ドラマに、主人公の少年時代役で出られそうな顔だ。
「コロン先輩はまだしも、僕の能力でかなみ先輩をどうにかしろというのはムリですよ。それに、シルヴィスさんの家族に手を出して、喧嘩になるのは勘弁してほしいですからね。ここに運ばれた患者さん六人の記憶を消去するだけです」
「ヤクザ事務所の後始末もしてきたのかい?」
「ええ、事務所に爆弾が落ちたくらいには……偽装してきましたよ。勿論北海道知事と札幌市長には報告しましたけど……こんなことであれば、最初から僕が行けば良かったですよ……これは仕事を引き受けた学園側に厳重抗議です」
この少年が、リンとかなみの会話にも登場した地区担当の息子である。リンと同年齢にして、シルヴィスと本気の殴り合いのできる能力者。果ては閻魔大王でも神でも対等に戦えると言われる能力者も、この時点では幼さをまだ残している。
「……そんな街中まで『あの生物』が飛来していたのかい?」
「いえ……どうやら融合された親分さんは『登山好き』だったようです。始めたのが最近らしく、軽装での冬山登山中に崖から滑落……九死に一生でしたが、死んでくれていた方が良かったかも知れませんね。落ちた場所が『例のトンネル前』で、たまたまトンネルから出てくることに成功した『例の生物』に融合され、探しにきた子分に見つけられて事務所に戻り、どうにも様子がおかしいので学園に連絡が行き、調べが甘いままでコロン先輩たちを向かわせてしまったという訳です。親分さんが怪我でもしていれば、ここに運ばれてきたでしょうから、もっと早く対処できたんですけどね……ついでに言いますけど、リンさんが眠るまで、この病院にえらく強力な結界が張られていました。僕の結界中和能力を遥かに超えたものです。お陰で入るのに苦労して、こんな時間の来院ですよ」
「……リンはちょっとショックが大きかったみたいだからね……かなみのテンションダウン時期とも重なっていたから、相殺できなかったんだろう……今は皆眠っているのかい?」
言われた少年は目を瞑り、病院全体をスキャンしたらしい。
「ええ、皆眠っています。起きているのは僕と先生だけです」
「はぁ……シルヴィスが札幌に永住してくれれば、こんなに苦労しないのになぁ……いっそのこと例のトンネル前に病院ごと移住したいくらいだよ」
「それは母さんも遥か昔に考えたそうですが、ああして開けておかないと、別の場所にトンネルができてしまうという事例があり、これ以上トンネルを増やさせない為にも、近くの街に住むという協定が能力者たちの間にはあるそうですよ。それに、シルヴィスさんが帰札永住した場合、札幌が戦場になる可能性が否定できません」
「まあねぇ……人間やっていれば、何もかも思い通りにならないことくらいは知っているよ。それでもウチはまだマシな方だろうから、愚痴はよそう……」
「そうですね……お互いベストを尽くすのみです」
「はぁ……寝る前にコロンを抱き締めるのが日課だったのに……今日はこのままここで眠りそうだ……」
「僕は帰ってからカノジョと一緒に寝ますけどね……」
「……十四歳でそれは早いよ」
「一緒に寝るだけです。幼稚園児の昼寝と変わらないレベルですよ……それでは僕はこの辺で、おやすみなさい。先生……」
胡坐をかいた姿勢のままで空中に浮いたかと思うと、少年はまばたきの間に部屋から消えていた。ちなみにこの能力は瞬間移動ではなく、物凄い早さで部屋から出て行っただけで、この少年も瞬間移動と呼ばれる能力者ではなかった。ただ、シルヴィスとの差は空中に浮けるか否かである。