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シルヴィスの思いを知ってか知らずか、ジョンソンは駐車場で大人しく待っていた。
「よ。休暇終了だぜ?」
車の中で携帯電話をいじっていたジョンソンが顔を上げる。どうやらゲームで暇をつぶしていたようだ。
「ああ、お前一人か?」
「いや、駐車場の裏に一個小隊待機中……次の任地までお前を送る部隊だそうだぜ」
助手席に無理矢理乗り込むシルヴィスにも見えるよう、ルームミラーの角度をずらす。
シルヴィスが車に乗り込んだのを確認したらしく、ジョンソンの言う一個小隊を載せたトラックが真後ろに近付いてきた。
「米軍の特殊工作部隊だ……俺はその部隊に含まれていないが、空港まで送るように頼まれた」
「……俺は囚人かなにかなのか? これでは護送と変わらんぞ?」
「俺も米軍に正式に雇われてから一年……色々裏事情を調べていたつもりだったんだがな。あの部隊の兵士とは一人も知り合いになれなかった。まあ、新参者が目立つとロクなことにならねぇから、大人しく調べ物をしていたんだけどよ……わかっているのは全員英語使いだが、国籍がバラバラで、全員目つきがお前以上に悪いってことくらいだな……俺にはお前を空港に送って行く以外の命令は出ていない」
ジョンソンは面白くなさそうに言いながら車を発進させる。トラックも当り前のように付いてくる。
「……仕事が裏なのかも知れんが……運転席と助手席の奴からその手の能力者特有の気配が感じられねぇな……お前に行き先も教えないのか?」
「空港までだな。それ以上付いてくるなら『口封じする気』満々って感じにしか見えないぜ。あれだけ人種を混ぜているところを見れば、暗殺部隊なんじゃねぇかな? 最近新聞でやたらと騒がれている、北アフリカの独裁者辺りを殺せという命令かも知れねぇな」
「そんな馬鹿げた仕事を俺に回すほど、米軍は人材不足なのかよ?」
「大統領閣下のブレーンが考える正義が、世界の正義だと信じて疑わない連中だからな……表立って陸戦を仕掛ける気はないんじゃねぇかな? 俺の勤務地では弾道ミサイルの準備がおおわらわってやつだったし、就職先を間違えた気分だぜ」
ジョンソンは慣れたハンドル操作で、車を高速道路に向ける。
「なるほどな……武器弾薬の供給を受けているウチの会社でも、断り切れなかったという訳か。まあ、俺の仕事ぶりをせいぜい見える程度に見せてやるか……」
「……俺たちでも追えないお前の姿を、特殊訓練程度の訓練で見えるとも思えんがね」
そこまでの会話をわざと盗聴させ、シルヴィスは後席に仕込まれたマイクを外し後ろのトラックに見えるように振って見せた。
この間の会話は、全てアフリカ奥地に住む部族の言語が使われ、データベースのなかった米軍は慌てることになる。
「色々な国と言っても、限度があるだろうからな……お前が運転手で助かったぜ?」
「まあ、俺が役に立てるのはここまでだよ。あとはあいつらと仲良くやれよ……ついでに、俺がこの件で米軍をクビになった場合もよろしく頼むぜ?」
「ああ、取り敢えず就職先の斡旋くらいはしてやるよ」
シルヴィスとジョンソンが高速道路上の人になった頃、リンとかなみが院長室に戻ってきた。
「あれぇ? お兄ちゃんはぁ~?」
相変わらずリンの手を掴んで放さないかなみが、院長室の応接テーブルの下を覗き込みながら太郎に訊ねる。かなみは美人だが、この行動だけ見るとアホの子にみえる。
「ジョンソンが迎えに来たから、仕事に戻ったよ……」
ヰガルの日記の各ページと格闘していた太郎が顔を上げる。
「……リン……一応注意しておくけど、かなみに着せられた服で外に出ないでね?」
「……この服は日本でもおかしい扱いなの?」
かなみに手を掴まれたままで、院長室に入ってきたリンの服装はとても奇抜な格好だった。
「ああ、それは……そういう趣味の人々が集う会の会場ならまだしも、普段着て歩くと『奇人変人』を通り越しているからね……一応シルヴィスも含めて君も『不法入国』だから、警察に捕まったりすると面倒だからさ……その辺りのことはシルヴィスも説明しているよね?」
「うん。でも、ヰガルさまの邸宅で着ていた服はコロンが洗濯すると言って持って行ってしまったよ?」
「……メイド服も私服で着ている人はいなから……」
「? でも、コロンも看護婦のコスチュームプレイをしているじゃない?」
「……あれは本物の看護服だよ。コロンは本当に看護士の資格も取得しているからね。日本の法律云々は後で説明するけど、この街には『独自の法』があるから、その辺りをまずは理解しないとダメだね……」
札幌を含めた北海道は八年前に日本から半分独立しているので、太郎の口からそういう言葉が出る。
「うん、その方面はタローが教えてくれると有難いかな……かなみもコロンも言葉が半分くらいしかわからないから……これでもヰガルさまのお屋敷で結構日本語の勉強もしたつもりなんだけど、まだ母国語の方が勝っている……ところで、かなみの着ている服はなに?」
「え? ああ……学園の制服だよ。これは日本国内ならほとんどの学校がそうだと思うけど、各学校指定の制服があるんだ……そう言えばリンの国には学校もないんだったっけ?」
「あたしの生まれた集落にはなかったよ。街にあるって話は聞いたことがあるけど……お金持ちの子供が行くところだと聞いていたから、見に行ったこともないな……」
「ふぅむふむ……リンちゃんの国の言葉は難しいねぇ~。こりゃかなみの頭で覚えるのはムリムリだね!」
手を放してもリンが逃げないことを確認しながら、かなみは二人の口元をずっと観察していた。リンという異国の人間が来ることを知ったかなみは市立図書館に通い、それなりにリンの母国語を予習していたのだが、リンは母国語を標準語で喋れないので、予習は意味をなさなかった。標準語と関西弁くらいの差なのだが、まるで違う言語に聞こえるのだ。
「かなみ……覚えなくて……イイ。あたしが……ニポンゴ……覚える……シルヴィスとの……約束だから……」
「リン……少しは喋れるんだね?」
「うん……ここまで来る……船の中……で……シルヴィスが……耳で……覚えろって……言って……ずっと……ヰガルさまの日記を……おと……おん……音読! してくれたんだよ……だから、聞きとって……意味……わかるよ」
「シルヴィスとは思えない優しい配慮だね……」
普段のシルヴィスからは想像できない光景だが、かなみには優しい兄である。かなみは口を尖らせた。
「お兄ちゃんは優しんだよ! 太郎くんよりもねぇ……それにしてもぉ……リンちゃんはすんごいね!!」
「……スンゴイ? ちょっと……意味がわからない……よ?」
「……『凄い』と言ったんだよ。かなみの日本語は少々荒れているので、あまり参考にはならないんだ」
「そうなんだ? 日本語って難しいんだね……でも、スラングも含めて全部覚えるつもりだから、ご指導よろしくお願いします……」
かなみに無理矢理着せられた物凄い格好のままで、リンは行儀良くお辞儀した。太郎が初めて出会った九歳の頃のリンとは別人のようである。ヰガルの元で相当礼儀作法は仕込まれたものだと推察できる。
「まあ、暫くは自宅学習だね……かなみ。図書館から絵本を百冊くらい借りてきてくれるかな? あとは……僕の部屋にあるマンガで、三十冊以上で完結しているものを五パターンくらい……それから、日本語の字幕が入った映画のDVDを五十本くらいレンタルしてきてよ……日本映画でも米国映画でも構わないけど、二ヶ国語で、日本語字幕が必ず入っているのが条件ね?」
「? 太郎くん?」
「僕の外国語習得方法はかなみも知っているだろ? 新聞がちゃんと読めるようになったら、次は小説にチャレンジ。コメディとかお笑いがわかるようになれば、外出しても大丈夫だと思うよ。それまでは自宅学習……」
「荷物……持つくらいなら……あたしでも手伝える……よ?」
「いや、シルヴィスと僕以外との外出は避けてくれ……」
シルヴィスが語ったリンの特殊能力を考慮しての配慮をした。かなみと一緒であれば相殺される能力なので問題はないが、かなみはリンの国の言葉が喋れない。なにかあった場合の意思疎通が重要だと太郎は考えた。
「了解~っ! そんじゃあ、かなみは図書館に行ってくるねぇっ!!」
太郎の意図を野生の感で汲み取ったかなみは、院長室からダッシュで出て行く。
「かなみもコロンも良い人だね……」
「ああ、二人とも過去には色々問題も多かったけど、今は割と落ち着いているんだ」
「ここには太郎とかなみとコロンの三人で暮らしているの?」
シルヴィスに太郎の両親のことは聞いていた。
「いや、コロンは一人でアパートメントに住んでいるよ。僕としてはこっちに住んでくれた方が楽なんだけどさ……おっと……今のは日本語が喋れるようになっても、コロンには内緒で頼むよ?」
「うん、わかった。秘密にしておくよ……それにしても……折角かなみが着せてくれた服なんだけど……動きづらくて仕方ない……そもそもこれは服なの?」
「まあ、一応ね……かなみの服装センスはちょっと変わっているんだよ」
「……これは……聞いても良いことなのかな? シルヴィスもなにも言ってなかったけど……」
「? なんだい?」
「タローの髪の毛のこと」
リンはシルヴィスと共に密航船で小樽に上陸したのだが、札幌まで来る間、金髪長髪でゆるくウェーブのかかった髪型のそんな日本人には一人も遭遇しなかった。
「ああ、これかい? ここにいる人や近所の人は見慣れているから、気にしなくなったんだろうね。僕も久し振りに訊かれた気がするよ……」
後ろで束ねた髪を手に持って、太郎はなんと答えようかと考える。
「事実から言うと……これが僕の地毛なんだよ。シルヴィスに出会う前は黒く染めたりもしていたんだけどね。純血の日本人は大抵黒い髪の毛だから、小さい頃は結構いじめられたなぁ」
「シルヴィスに出会ってから、考え方が変わったの?」
「ああ、あの大男は僕が小さい頃から大男でね。小学六年生の時……十二歳の時には彼の父親の身長を抜いていたかな? シルヴィスに出会ったのは僕が六歳の時だよ。今はもうないけど、シルヴィスの生まれた家はこの近所でね。僕の両親が札幌に引っ越してきた時に知り合って、この髪の毛のことで結構ウジウジしていた僕に両親が紹介してくれたんだ。その頃からシルヴィスはスケールの大きな男だったよ。僕が髪の毛のことを悩んでいることを打ち明けたらさ、なんて言ったと思う?」
太郎は思い出し笑いしながらリンに訊ねる。
リンは十二歳のシルヴィスの考えよりも、その姿が想像できなかった。
「……血の色は同じ……とか?」
捻り出した答えを聞いた太郎が素直に驚いている。
「いやぁ……この問題に正解を出したのはリンが初めてだよ。そうなんだ。十一歳のシルヴィスは突然台所から包丁を持って来てさ。僕の掌と自分の掌を切ったんだ……そして、掌を合わせて言ったもんだよ『肌の色が違っても、髪の色が違っても、信じるものが違っても、俺たち人間の血は同じ色。争う理由にゃならねぇよ』だってさ。掌を切られた痛みを忘れるくらい、笑ったなぁ……あの時は六郎も一緒だったっけ……」
今時そんな熱血教師みたいなことを言う人間は日本にいないと思われるが、子供の頃のシルヴィスはそういう熱血野郎だったようだ。
「ロクロー? 誰?」
リンにとっては初めて出て来る名前だった。
「ああ、僕のもう一人の幼馴染だよ……ちょっと訳があって今は札幌に住んでいないけどね。その内ひょっこり現れるかも知れないな……新しい『家族』が増えたんだから、挨拶くらいはしに来るだろうね」
「新しい家族?」
新しい情報が次々と出て来るので、リンは正直戸惑っている。
「うん? 新しい家族はリンのことだよ。家長はシルヴィスで、お金を稼いで来る係。僕は家を守る係。六郎は……なんだろうな? まあ、兎に角。シルヴィスの考える家族は僕の家族であり、六郎の家族であり、かなみやコロンの家族になる訳だよ。シルヴィス風に言えば『血は繋がっていなくても、血の色は同じ』かな?」
それから暫く、コロンの洗濯とかなみのダッシュが終了するまでだが、リンは思い付く限りの質問をバラバラにしてきた。太郎は時折考え込んだり、腹を抑えて笑いを堪えたりしながらも、嫌な顔をせず答えてくれる。
「いやぁ……怒涛の質問攻めだったね。初めて来る外国のことを知りたい気分はわかるんだけどさ」
次の任地に到着した旨を電話で伝えてきたシルヴィスに、太郎は思い出し笑いしながら言った。
「シルヴィス。君は『外に置いてある自動販売機が何故略奪されないか?』なんて質問されたことあるかい?」
『ああ、治安の悪い国に住んでいて、日本に留学とかした奴に訊かれたことはあるな……自国の民にそのモラルの高さがあれば、内戦などしなくて済むのではないかという考え方なんだろうが……』
受話器の向こうで真面目に答えるシルヴィスにも驚くが、その質問者は多分ヰガルのことであると想像し、太郎は笑いを堪えた。
「あんまり気にしたことはなかったんだけど、そんなに外国では珍しいのかい?」
『ああ、そういう機械を置いている店などは閉店時にシャッターを下ろす内側に設置するのが基本だ。迂闊に外面に置いておけば、翌朝までに商品も金も全てなくなっているだろうな。二十四時間明りの消えない歓楽街とかは別だが……』
「いやぁ……僕もまだまだ修行が足りないよ。その質問に対する答えを説明するのに十五分もかかったんだからね」
『まあ、お前も普通の日本人とは言い難い存在だからな……『普通』を教えるのは苦労するだろう。ところで、リンは上手くやっているか?』
「うん、まあね……方言の聞き違えに時々戸惑ってはいるけど、基本的なヒヤリングはほぼ完璧かな? かなみとコロン以外にも友達ができたし、喋る方も大分上達したよ……」
『ん? かなみとコロン以外の友達? 誰だ?』
「ああ、学園生とかOGだね。コロンはまだ外部との接触は早いと言うんだけど、かなみがランダムに連れてくる友達は、僕から見ても問題ない人物ばかりなんだよ。君も知っている理事長の後継者とそのパートナーとか、この辺りの地域担当の息子とそのガールフレンドとかね」
『……能力者ばかりじゃないか……まあ、俺と唯一『互角の殴り合いができる』地域担当の息子以外はそれほど問題でもないか……他に変わったことはないな?』
「うん、特にはないね……」
『そうか……リンは熱帯に近いような国の出身だからな。風邪でもひいているんじゃないかと思っていたんだが、元気ならそれで良い。俺はこれから一ヶ月程度連絡ができない状態になるから、なにかあればメールしておいてくれ……』
「雪を珍しがってはいたけど、ヰガルさんの邸宅が割と山奥だったから、寒さは平気みたいだよ。メールの件は了解……『件名コード』は?」
『そうだな……『伊藤は良いけど、奈々ちゃんの転勤には反対』にしてくれ』
「それを真顔で言っている君が時々怖いね……大体、どうしてそんな地方放送局の人事を君が知っているのかが僕にはわからないよ」
シルヴィスの時々垣間見せる妙にマニアックなネタに太郎は慣れていたが、それが傭兵の使うメールの暗号コードに使って大丈夫なことにはいつも驚かされていた。
奇妙な方向にマニアックという意味で、シルヴィスとかなみが実の兄妹であることがわかる。
この兄妹が並んでいるだけでは、血の繋がりを一切感じないのだ。
『インターネットってのは便利なものだということだ。俺にとってのくだらんことを除いて読み解くスピードさえ手に入れれば、世界のどこで任務に就いても札幌の情報入手くらいはできるからな……まあ、勿論『表』の情報のみだがよ……中には俺たち傭兵のように、一見迷惑メールみたいな件名で裏の情報をやり取りしている人間もいるがな……お? なんか呼ばれているみたいだから、また連絡するな?』
「あ……うん。それじゃまたね……」
受話器を置いて、インターネットの発達とシルヴィスのマニアック具合の関連について暫く考え込んでいると、裏口のドアが乱暴に開けられる音が聞こえた。
「たっだいまぁ~っ!!」
学校からかなみが帰宅してきた。ドアの開かれ方から察すると、今日は友達を連れてこなかったとわかる。
太郎は考えごとを止め、リンから借りたヰガルの日記の解読作業に戻った。
「あれぇ? 太郎くんは!?」
かなみが入って行くと、リンが居間で本を読んでいた。