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トラックはそのままの揺れを保ちながら、道なきジャングルの中を丸一日進み、リンが見たことのない材質でできた壁に囲まれた場所に着いた。
「……随分堅い壁だね……白くて奇麗だけど……」
トラックから降りたリンは早速壁に触っていた。運転席にいたジョンソンが体を伸ばしながら降り、太郎も荷台から降りる。シルヴィスはその頃になってようやく起き上がり、寝惚け眼で頭を掻いていた。
壁の高さはジャングルに生える木々と同等の高さがあり、シルヴィスでも子供に見えるくらい大きな扉のついた門以外に出入り口はない。そこは城塞と呼べるくらい立派な基地であった。
リンが壁を見上げると、見張りと思われる反政府ゲリラの兵士が数人、網を被って銃口を外に向けている。
大門の両脇に銃座が構えてあり、その片方に座る兵士とジョンソンがなにごとかを話していると、門が静かに開き始めた。
「ここは反政府組織の総本山だよ。ここにいる指導者という人にシルヴィスたちは雇われているんだ」
「太郎……着いたのか?」
やっとシルヴィスが荷台から降りて来る。
「あんなに揺れる荷台でよく寝ていられるね?」
「そりゃあ、これからまた、いつ深い眠りにつけるかわからんからな……『寝溜め』しておかないと、流石に睡眠不足は体に悪いだろ? それに、揺れると言っても、乱気流に巻き込まれたヘリの中よりはマシな揺れだ」
「……僕はそんな経験したことないから、答えようもないけどね……」
そう言いながら開いた門をくぐる。中は上空から見えないように、壁から壁に網が渡され、木々や蔦が絡ませてあり、全体的に薄暗い。
「秘密基地?」
「まあ、反政府組織の本拠地なんてそんなものだ。これだけ不自然に蔦とか絡ませてあると、返って目立つんじゃねぇかと思うんだがな……意外と空からの偵察で見つからんらしいぜ」
門と壁の大きさに対し、中の建物は立派だが質素に見える。
リンのいた村のコウの家より少し大きいくらいの邸宅と、兵舎のような建物があるだけで、ここに反政府組織のゲリラ兵士が多数いるとは思えなかった。
そんなことを思っていると、邸宅の扉が開き、これまた場違いな感じのする女性の一団が現れる。リンほど幼くはないが全員少女で、その格好はメイドと呼ばれる姿だ。
「お帰りなさいませ、シルヴィス様」
真ん中に立つ少女がメイドを代表して口を開く。シルヴィスは軽く手を上げて挨拶しただけだった。
「ヰガル様がお待ちです……リンさんはコウさんの病室に寄りますか? それともヰガル様へのご挨拶を先になさいますか?」
リンは返答に困る。リンより重い怪我をしたコウに真っ先に会いたい気持ちもあるし、シルヴィスを雇って救助に寄越してくれた反政府組織の指導者に挨拶もせねばなるまいと思っていたからだ。
「……どちらからでも構わないぜ? ヰガルは待つのに慣れた男だし、コウは重傷だが喋れないほど弱っていないんだろ? それより俺は風呂に入りてぇな……どうにもここは、俺の生まれた土地とは百八十度真逆の風土なんでよ、寒いのには強いんだが、暑いのは苦手だぜ」
窮するリンに代わってシルヴィスが答える。
「そうですか。それではシルヴィス様たちにはお風呂を用意いたします。リンさんはその間にコウさんと再会するということでよろしいですか?」
「……うん……」
「じゃあ、病室には僕が案内するよ。リンの怪我も応急処置だったから、ちゃんとした医者に診てもらった方が良いだろうしね……」
そう言って太郎がリンの手を掴み、兵舎に見えた方に歩きだした。メイドの一団に案内されてシルヴィスたちは邸宅に入って行く。
「まあ、驚くのも無理はないかな……この反政府組織の指導者宅には、君と同じように各地で親を失くした少年少女が手伝いとして雇われているんだからね。僕も最初ここに来た時は驚いたものだよ。門番の八人と城壁の十二人以外は皆そういう身の上の子供ばかりが住んでいるからね……」
「タロー……」
「うん?」
「あたしもここに住むの?」
太郎に手を引かれながらリンが俯く。
「まあ、暫くはお世話になるんじゃないかな? コウの怪我が治ってから二人で相談して、村の近くの街に引っ越すとか……村に二人で戻っての生活はあまりお勧めじゃないかな……選択肢は色々あると思うよ?」
そう言って慰めたつもりの太郎だったが、リンは疑問符のついた表情をした。
「そこまで未来のことは考えてないよ……その……あたしもさっきの人たちみたいな格好をするかどうか訊きたかったんだ……村の中では変人扱いだったかも知れないけど、あたしは『スカート』をはいたことがないんだよ……」
「……なるほど……僕の方が話を飛躍させてしまったね……言われてみれば、ここにいる女の子は皆あの格好だよなぁ……」
太郎は色々な案をリンに提示したが、結局リンは近い将来、件のメイド服を着ることになる。
コウとの対面後、風呂に入ってさっぱりしたシルヴィスと合流し、この邸宅の主人に挨拶となった。この館の主人であるヰガルは、あまり多人数での面会を好まない男であるらしく、呼ばれたのはシルヴィスとリンの二人だけだった。
邸宅の最も奥まった一室に通された二人の目の前に、豪華な椅子に腰かけたヰガルがいる。
「灰皿借りるぜ?」
挨拶もなくシルヴィスがテーブルの上にあった灰皿を自分の側に引き寄せる。ヰガルは苦笑いの表情で頷いただけだった。その視線は部屋に入って行った瞬間から、リンの顔を凝視している。観察されていると感じた。
「シルヴィスくん。君は伏流煙という言葉を知らんのかね?」
「知ってるよ。それがなにか?」
この反政府組織の指導者に対しても、シルヴィスの態度はまるで変わらなかった。
「医療関係者の学会等で発表されることは無視かね?」
「……その医療関係者なり学者連中の中に、俺の知り合いがいて、俺を納得させられる奴がいるなら話は別だが、少なくともタバコの煙が原因で死んだ奴が俺の周囲には存在しねぇ。それともお前が学者連中になりかわって、俺を説得でもしてくれるのか?」
「……いや、そんなことはしないな。君は君の考えを通す男だと理解している。説得など無意味だ。今回のモリナカ村の件も、正直君の部隊が引き受けてくれるとは思っていなかった」
「リンには悪いが、たまたまだ。部隊の中にこの国出身の人間がいたので、案内させて任務の打ち上げをやることになっていたんだ。お前も知っての通り、太郎とこの国で会う約束をしていたから、俺にとっては一石二鳥のプランだった……そこにお前からの依頼が来たというだけの話だよ」
「たまたまでも偶然でも構わんさ。私は君を信頼している……それではこの国には『傭兵外』の仕事で来た訳ではないのだね?」
リンにはヰガルの言う『傭兵外』の仕事という意味が掴めなかった。シルヴィスには通じているから良いのだろうが、少し置いて行かれている気分だ。
リンから見て、ヰガルはシルヴィスほどの大きさを感じない男で、同国人にしても少し風貌が変わって見える。短い髪に白髪が混ざっているのは、リンの父親もそうであったが、決定的に違うのは目の色だ。左目の黒目が薄い。
体型としては痩せており、筋肉質なシルヴィスに比べると、とても細い印象を持つ。
年齢はどう見てもシルヴィスより上で、リンの父親よりも上に見える。
「そっちの仕事は副業以下だからな。それに、この地域の担当者はお前だろ?」
「……確かにこの国の担当は私だが……最近どうも調子が悪くてね……」
その言葉を聞いて、確かに顔色の悪さをリンは見てとったが、シルヴィスは手厳しい。
「そうやって具合の悪いフリをするなよ……確かに肉体的には既に限界を越えているんだろうが、精神的には逆に研ぎ澄まされているだろ? 俺に名前をくれた爺さん傭兵もそんな感じだったぜ?」
「フフ……それもそうだな。しかし、これはこれで『見え過ぎて』気分が悪いのだよ」
「見えているなら……もう少し早く依頼して欲しかったな。普段戦場で金を稼ぐ俺だから、人間性を語る主義じゃねぇが、九人もの勇者の死を見せられたのは、ちょっとは精神に付加がかかるんだぜ?」
シルヴィスが、死んだ九人の仲間を勇者だと表現してくれたことに、リンは素直に感動した。
ヰガルはテーブルの上で両手を組んで祈るような姿勢になる。
「ああ、それについては私の目が見えていなかった……君が部下を怒鳴りつけたように、あと三十分私の判断が早ければな……」
その組んだ両手を見て、リンの目が大きく見開かれる。
ヰガルの両手は自分の手とは違ったからだ。
「ああ、この手かね?」
正直に驚き過ぎるリンの表情に気付いたヰガルの視線が向き、組んでいた手を広げて見せてくれる。
「私の手は生まれつきこういう形でね。ちなみに足の指も同じ状態だよ」
ヰガルの指の数は五本だが、その並びが異様だった。それはどう見ても、片手につき『親指』が二本あるのだ。その代わり小指がない。
「この手のお陰で命拾いしたことはあるが、不自由を感じたことはなくてね。まあ、初めてこの手を見る人間は大体驚くものだ……」
「ああ、俺も最初に見た時は驚いた。宇宙人かと思ったからな」
シルヴィスの表現が間違っているとも思わないが、本人を目の前にして言うことではないだろう。そう思ってシルヴィスに非難の視線を送る。シルヴィスはその視線に気付ける人間なので、リンに視線を移さずに肩をすくめて見せた。
「本当のことを包み紙で包む奴は信頼しない。それがヰガルであり、俺である限り、この部屋で嘘は言わない。それが俺とこいつのルールなんでな。どうしても言葉が悪くなるんだよ」
「実際、私もこの手に関しては人間外の生き物なのではないかと思っているのでね。シルヴィスくんがいくら無礼に見えても、彼は事実を言っているだけに過ぎんのだよ。それに、普通の人間には見えないかも知れないが、シルヴィスくんの右手もかなり特殊事情を抱えているからね……お互い様というところだろう」
「……神木さまを切り取った時に見えた光のこと?」
リンの何気ない呟きを聞いたシルヴィスが驚き、ヰガルも目を大きく見開く。
「フム……あれが見える人間がこんな傍にいるとは……」
「まあ、俺には見えないんだがな……リン、お前は助かるべくして助かったのかも知れんな」
「?? どういうこと?」
リンの質問に二人は顔を見合わせた。まだ幼い彼女にどう説明しようか迷ったようだ。
「……簡単に言うと、私はこの地域を担当する超能力者の一人でね。信じられないかも知れないが、人間外の生物と戦う役目を誰かに与えられているのだよ……反政府組織の指導者という立場は、人間に対しての表向きの顔で、本来の私は魔物を狩る者なのだ。シルヴィスくんの表向きの顔は傭兵だが、ある人物の依頼が入ると裏の顔になる……君の国では退魔師と呼ぶのだったか?」
「ああ、俺は世界中を飛び回る仕事をしているから、世界各地の地域担当能力者に異常があり、戦闘不能になった場合の代理駒だ。太郎に地図を見せてもらっただろうが、俺の生まれた土地には、世界でも五指に入ると言われる能力者がいて、時々その人から依頼があるんだ……今回は依頼じゃなかったんだが……」
シルヴィスがタバコを灰皿に押し付けた。
ヰガルは組んでいた手を解き、額に手を充てて考え込む。
リンは自分が助けられた理由がイマイチ把握できず、シルヴィスとヰガルの顔を交互に眺め、シルヴィスの右手を見た。
「今は光っていないよ?」
「ああ、そうだな……いつも光っている訳じゃないんだ……」
「でも……今はシルヴィスの体全体が薄く光っているように見えるよ?」
「……説明に困るな……そんな細かい所まで見えているとは……普段は俺の体全体にある光だが、能力を発動する時は右手に集中すると言えばわかり易いか……」
「タローやジョンソンにもその光は見えていないの?」
「ああ、あいつらは普通とは言い難いが、この場合は普通の人間だと表現できるので、俺が神木さまをパンチしたようにしか見えなかっただろうな……」
「……ヰガルさまは見えるんだよね?」
「フム……私に見えるのは、シルヴィスくんが右手にその光を集中している時だけだよ。君は最初からかなりレベルの高い『神眼』を持ち合わせているようだ……これは……神の啓示にも思えるが……どう思うね?」
矛先が結局シルヴィスに戻る。
シルヴィスはポケットからタバコを取り出し、ライターでもう一度火をつけた。
ゆっくりと煙を吐き出しながら、腕を組んで天井を見上げる。
「お前みたいに生まれた瞬間から能力を持つ者と、リンのように突発で授かった者とは……正直比べられん……まあ、まだリンは小さいし……育てることは可能だろうが……俺にはお前がさっさと裏の世界から引退したいと言っているようにも聞こえるんだよな?」
「否定はせんよ。私はこんな手を持つが……人間だ。私は、長年奇妙な生き物と戦ってきたが、本来はこの世界の住人と戦いたいのだ」
「まあ、普通の人間に見えない者と戦うのは、誰からも称えられない仕事だからな……単純に金にもならんし、結果奇人変人扱い……お前のように、表向きの顔が反政府組織の指導者となると、裏の立場は邪魔以外の何物でもないものな。俺とは真逆の考えだが、わからんでもない」
「……シルヴィスは……その……怪獣だか魔物だかと戦っている方が、気分として楽なの?」
リンの素朴な質問に、シルヴィスは組んでいた腕を解き、大きな右手で頭を撫でた。
「人間同士の殺し合いには飽き飽きしている……自分で言うのもどうかと思うが、俺の戦闘能力は人間の考えを遥かに凌駕した位置にあってな。相手をすると、それは単なる虐殺にしかならんのだ。地球人という立場で、俺と対等に渡り合えるのは……『二人』しかいない……」
リンは、この時点で地球の人口が何人いるのかを知らない無知な存在だが、二人より多いことくらいはわかる。
「だから俺は、人間同士の争いには極力関わらない」
「では傭兵などという職業は辞めた方が、君の為になるのではないかね?」
「まあな……しかし、それ以外に稼ぐ方法を知らんのも事実だ。俺が日本で会社員とかをしている姿など、想像も出来ないだろ? まあ、その辺りは俺もお前も同等に我儘にできているんだよ」
「その意見不一致は堂々巡りだったな……」
「ああ、それは俺とお前の生まれた環境と国の違いだろうよ……」
リンはその拙い頭をフル回転させて、二人を交互に観察する。
その幼い頭の中で、二人の異能力者の意見はどちらも正当に聞こえていた。
「リン……君はこれからどうしたいと思っているのだね?」
ヰガルの発言の意味はわかるが、仇討を終えてしまったリンに、そこまで未来のことを考える頭はない。
そこで浮かんだのは、同じ村出身で、年齢も近いコウのことである。
「コウはどう思っているんだろう? あたしは村の仇討が終わってしまって……どうもこの数日が嘘みたいに平和だから……先のことを考えられないよ……」
そのコウの考え方が、リンの思ったものと違ったのは意外であった。
先のことを考えられないという意味では同じだったが、コウの仇討は終わっていなかったと知ったからだ。
コウは政府軍全てに復讐の牙を向ける気になっていたのだ。
「まあ、反政府組織に入る理由としては上出来じゃないか?」
「私も基本理念は復讐だからな……」
その報告を聞いた二人の意見が合ってしまった。
「二人をここに置いて、コウをお前の反政府の後継者、リンを裏世界の後継者に育てるという案になりそうだが?」
「私は歓迎だ……リン。暫く私の元で修業してみないかね?」
「……帰る場所もないし……コウもここにいるなら、心強く思うから、それは良いよ……でも、あたしは人殺しをしたくない……それが恨みのある政府軍兵士でも、人が死ぬのを見るのは嫌だよ……」
駐屯地襲撃の際、リンは拳銃を所持していたが、実は引鉄に一度も指をかけていなかった。
甘い考えだが、リンは部隊長の反省の弁が聞きたかったのだ。
結局それを聞くことはできず、部隊長はリンの右肩を撃ち抜いた揚句、裸に剥いてなにかしようとしたが、シルヴィスが代わりに倒してくれた。
太郎が拾い上げたリンの拳銃は、安全装置すら外されていなかった。
仲間がいたから、となりにクイが走っていたから、両親と幼い弟たちの仇だから、リンは勇気を振り絞っていたが、実は気の弱い女の子だった。
「……それは考慮しよう……しかし、この施設は反政府組織の基地だから、訓練は受けてもらうことになる……それで良いならば、私は君を歓迎しよう……」
うまく言いくるめられた感はあるが、こうしてリンはヰガルの元での修行を開始した。
この国で出会った二人をヰガルに託したシルヴィスに、リンが再会するのは五年後のことになる。