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「ねぇ、タロー」
「ん? なんだいリン?」
シルヴィスが一人駐屯地に残って大暴れしている頃、リンは反政府ゲリラの兵士が運転するトラックの荷台にいた。
「タローもシルヴィスも外国人だよね?」
「ああ、僕もシルヴィスも『日本人』だよ」
この時点でリンは日本という国の存在を知らなかった。日本が二次大戦で敗戦したことも、その後高度経済成長を遂げたことも、バブルが弾けたことも彼女は知らない。
「あたしは無学だから、色々質問したいんだけれど……」
「ああ、僕に答えられる範囲で答えることは可能かな……」
シルヴィスに注射された痛み止め兼麻酔薬のおかげで相当睡魔に襲われていたが、リンは頑張って起きていた。村の仲間の亡骸を埋めるまで寝ないと誓っていたのだ。
「まず……どうしてあたしたちの国の言葉が喋れるの?」
「……僕はバックパッカーという名前で呼ばれる旅人でね。気に入った国には一年くらい滞在する暇人なんだよ。言葉が通じないとどんなに良い国でも魅力が半減してしまうから、一カ月くらいでその国の言語は覚えるようにしているからだね……ちなみにこの国に来たのは三カ月前かな……」
「外国語って……そんなに簡単に覚えられるものなの?」
「さあ……僕は覚えられるけど、僕の周りにそういう人はシルヴィスを除いてはいないかな? シルヴィスは……信じられないかも知れないけど、この地球上にある言語全てが使えるよ」
リンの表情が固まった。
「全部?」
「うん、全部。シルヴィスは生まれた時からこの世界の言葉を全て知っていて、読むことも書くことも喋ることもできるんだ。ちょっとした地方の方言も含めて全てだよ」
ちなみにリンの生まれた村は相当方言がキツい。それなのに会話が成立している。太郎の言葉通りならば、シルヴィスは超能力者にしか思えない。
「しかも、あの強さだからなぁ……」
同じく荷台にいるジョンソンが話に入って来た。
「俺も傭兵になって長いし、ある意味世界中の紛争地域に行ったとは思うが、あんな奴には会ったことがねぇよ」
「あれ? ジョンソンは日本に来たことなかったっけ?」
「ああ、あの国は紛争地帯じゃねぇから、アメリカ軍に雇われている時にオキナワには寄ったが、基地から外には出なかったな……」
「そっか……一度僕らの出身地に来ると良いよ。シルヴィスの戦闘能力レベルの人なら結構知っているからね」
「……サッポロには化物しか住んでないのかよ?」
リンは地名を出されてもチンプンカンプンという表情を作った。太郎は自分で言った通りにバックパッカーで、背中に大きなリュックを背負っている。そのリュックから地図を取り出した。
「ここが日本ね。それでジョンソンが言ったのはここ。沖縄という島だよ。そして僕らの出身地の札幌はここ。北海道という島にある街の名前だよ」
「これは地図だよね?」
「ああ、そうだよ」
「あたしの国はどの辺り?」
リンは生まれてから一度も世界地図を見たことのない子供だった。自分の生まれた村とその周辺の村と街の地理が頭に入っているだけなのだ。自分の国の形さえ彼女は知らない。
ただ、彼女は拳銃の扱い方を知っている。生きて行く為に動物を狩る術を持っているし、この四十六日の間に鳥の捌き方も覚えたし、鹿の皮を剥がしてなめすこともできる。
太郎もジョンソンもどちらの国のどちらの子供が幸せかなどとは考えないタイプの人間だが、少なくとも太郎はリンという少女の生存意欲に感服している。
「……ここだよ」
太郎の指差す地域を見てリンが感心している。
「そっか……国旗の真ん中に描かれているのって……この国の形だったんだ?」
当たり前に思えることに感心するリンは、太郎にとって眩しいくらい自由な少女だ。
──知る喜び、気付く喜び、発見の喜びだね……僕にとっては、長い間忘れていた感覚かも知れないな──
「タローは旅人だって言ったけど、どうしてお医者さんみたいなことが出来るの?」
「え? ああ、僕の家族は皆医者でね……小さい頃から父や母の手術を覗き見していたから、勝手に覚えたんだよ」
「ふぅん……それも凄いなぁ……」
「まあ、日本人が全員そうではないと注釈は入れさせてもらうよ」
「そりゃそうだよね。タローもシルヴィスもちょっと人間離れしているように見えるもの」
「そ、そうかい?」
太郎が辟易してジョンソンに助けを求める視線を送ると、ジョンソンは苦笑いだった。
「まあ、シルヴィスが知り合いだと言って連れて来る連中は、大抵人間離れしている奴が多いな。それが軍人でもなければ傭兵でもない一般人だと説明されても、到底信じる気にはなれん」
リンがここで、どう見ても日本人である大男の名前について触れないのは、彼女の頭の中に日本人の名前という概念がないからだ。
彼はシルヴィス・ウィンザールと名乗る日本人だ。
日本人であれば、当然頭に疑問符が浮かぶだろう。
──外国人の血が入っているようには見えないんだけど……
実際シルヴィスは純粋に日本人だ。父も母も日本人で、ハーフでもクウォーターでもない。
彼は先代の傭兵、シルヴィス・ウィンザールから名前を受け継いだのだ。
彼が傭兵になった経緯はさておき、傭兵になってすぐに彼はシルヴィスと名乗る老兵と知り合いになり、その老兵が死に際に彼に名を与えた。
元々傭兵で本名を名乗る者は少ない。ここにいるジョンソンもコードネームで、本名はシルヴィスも太郎も知らない。現在の大男シルヴィスの本名を知る者も少ない。太郎はシルヴィスと幼馴染なので知っているが、シルヴィスが本名で名乗ることを嫌っていることを知っているので、生涯彼のことをシルヴィスと呼び続けた。
その疑問がリンの頭に浮かぶのはもう少し先の話だ。
「タローは何才?」
「十八歳だよ……」
「シルヴィスは?」
「僕より五歳年上だから……二十三歳かな……」
「……ジョンソンは?」
「三十二歳だが?」
リンは首を捻った。
ジョンソンの三十二歳はリンにも予測できた数字だったが、太郎とシルヴィスの年齢はまったく予想外だった。
「タローはあたしより九歳年上なんだ……もう少し近いかと思った」
「まあ、僕は童顔だからね……ところでリン、僕からもひとつ質問があるんだけど?」
「ん? なに?」
「その服はどこで手に入れたんだい?」
リンの来ているユニホームは、彼女の血と泥にまみれているが、汚れていない場所が一ヵ所だけあった。リンもジョンソンもその左胸の漢字を読むことはできない。リンにしてみればそれが文字だという認識もなかったのだが、太郎には見慣れた文字だったのだ。
「街に教会があるでしょ? コウと一緒に図書館で調べ物をした帰りにそこに寄ったんだよ。あたしは字が読めないけど、コウの見ている本の背表紙の一文の形を覚えて、片っ端から似たような文字が書かれている本を探しただけなんだけどね……教会には身寄りのないお年寄りから子供まで沢山集まっているし、炊き出しもあるから結構お世話になったんだ。確か礼拝に出たあとで、何処か裕福な国からの贈り物とか神父さんが紹介していたけど、番号のついている服が欲しかったから丁度良かったんだよ……随分変なことを気にするんだね?」
「……ああ、多分あとでシルヴィスも同じ質問をすると思うよ。ジョンソン、ここで携帯電話を使っちゃまずいかな?」
「ん? 国外に電話か?」
「ちょっと緊急で日本に連絡したいんだけど……」
「相手と日本語で話す分には問題ないんじゃねぇか? この国で日本語通訳は見たことないし、喋れる人間は日本留学経験のある反政府組織の指導者くらいだろ?」
「そっか……まあ、ヰガルさんが通信傍受していても問題はないかな……リン、ちょっと失礼するよ……」
「? うん。いいけど……携帯電話ってなに?」
太郎は電話の歴史について五分ほど講義する羽目になった。
リュックから取り出した携帯電話にリンは興味津々だったが、取り敢えず報告が先だと太郎は判断する。
太郎のかけた電話の先の人物はワンコールで受話器を手に取ったようだ。
「あ、『理事長』ですか? 『高等部生徒総代の西区太郎』です」
相手が日本人であるので、彼は日本語で喋る。
「はい、はい……元気にしていますよ。今ちょっと言えない国に滞在中なんですが……ちょっと意外な服を見掛けてしまいまして、質問したくて電話しました……ええ、はい。シルヴィスは今少し離れたところにいて、電話どころではない状態です……ええ。それでですね。『ウチ』の学園の小等部か中等部のサッカー部のビジター用ユニホームを国際援助物資に混ぜませんでしたか? ええ、サッカーのユニホームです……ああ、なるほど……確かに漢字が間違えて刺繍されていますね……それでも服は服だからという理由で混ぜたんですね? え? ええ、その行為自体に問題はないんですが……手に入れた少年少女がおりまして……ちょっと詳しくは言えませんが、九人の少年が死にました……ええ、背番号がついている服を援助物資に入れないで欲しいという要望です。僕も生き残った少女に聞くまではユニホームの背番号がそんなことに使われるとは思い付かなかったんですけど……はい、はい……それではよろしくお願いします……ええ、僕はシルヴィスと一緒にいる限りは安全ですよ。え? 英国の『魔法学校』に帰り寄ってからですか? いや、まあ、それは構いませんよ……ええ、それじゃあ……失礼します」
日本人ならばツッコミ所満載の太郎の電話内容だが、リンとジョンソンは顔を見合わせただけだった。太郎は日本語で喋る時はわざとかなりの早口で喋り、ユニホームという単語でさえ彼等は聞き取れなかった。
「ああ、ごめんね。僕は一応バックパッカーでもあるんだけど、まだ日本という国では学生の身分でね。学校からお金を出してもらって旅を続けている手前、気になることは報告の義務があるんだ」
「それがこの服?」
「ああ、その左胸に書かれているのは僕の国の言葉でね、更に言うなら僕の通う学校の名前と一緒なんだよ……」
「へぇ……なんか縁があるんだね……」
素直に感心するリンを太郎は複雑な表情で見た。
自分の通う学園のロゴが入ったユニホームを着た少年が九人死んだ。コウの作戦上、必要な背番号の刺繍されたユニホームだが、このユニホームがなければ、シルヴィスたちの方が先に駐屯地を襲っていた可能性が否定できないからだ。
リンの言った縁を太郎も感じていた。北海道にある学園の名前の入ったユニホームがこんな遠い国の子供の手に渡っていて、それを在校生の自分がみつけたことは、奇跡のような縁だ。
「おいおい、そんなことでいちいち責任とか感じているんじゃあるまいな? 背中に番号の入ったシャツがなければ、リンの兄貴分のコウという奴が無地のシャツに書いていただろうよ。そんな細かいこと気にすんなよ……」
流石に察しの良いジョンソンが呆れた顔で言う。
「うん、まあ、そうなんだけどね……」
「シルヴィスもよく言うだろ? 戦場にも世間にも『タラレバ』はないってよ」
リンはすっかりテンションの下がってしまった太郎の頭を無意識に撫でていた。
翌日の朝、シルヴィスはなにごともなかったような顔で、リンと太郎、そしてジョンソンを含む傭兵部隊の待つ廃村に姿を現した。反政府ゲリラの部隊は本当にこの村に手を貸したことが公になるのを嫌ってここには残らず撤収し、怪我の程度が重いコウはその反政府ゲリラに連れて行かれてしまった。
「まあ、確かに俺も気にはしていたけどな。お前ほどの凹みはないな……」
太郎の話を聞き終えたシルヴィスは、ジョンソンたちが作った粥のようなスープを一気に飲み干してから口を開いた。
昨日一人で駐屯地に残り、援軍部隊を一人で壊滅させた大男はすっかり落ち着いている。
「そりゃあ、シルヴィスは僕たちが撤収したあとで大暴れしたんだろうから、ストレス発散できたでしょ? 僕は悶々として一睡もできなかったよ……」
「生徒総代なんぞ引き受けるからだ。責任者ってのは自問自答を繰り返してストレスを溜めるのが仕事みたいなものだからな……学園理事長がお前を総代にすると言った会議で、俺は真面目に反対したもんだぜ?」
「……君のストレス発散方法を知っているだけに、君にだけは言われたくないけどね。増援部隊は壊滅だと聞いたけど、一体何人殺して来たんだい?」
「……政府軍は当たり前のように階級章を付けているからな。指揮階級の連中には流石に責任を取らせたが、一般兵士は全員生かして来たぜ?」
「……『生かしただけ』なんでしょ?」
「まあな……兵士として生きて行くことができない程度に殺してきたさ」
リンはこの会話の意味を掴めていない。兵士としての死とは、戦場に立てなくすることである。シルヴィスは士官全員を本当の意味で殺し、一兵卒は全て片目を抉り、両手人差し指を切り落とし、両足の健を切っている。兵卒がそれで死ぬことはないが、確かに兵士として生活することは不可能になっただろう。
こういう怒りにまかせた行動時、シルヴィスの戦闘能力は人知を越えている。
普段傭兵として戦闘に参加しているシルヴィスは、かなり手抜きで戦っているとしか言いようがない。
「さて、ジョンソン。スコップを用意してくれ」
「あ? 自分で持って来るようなこと言ってなかったか?」
「ああ、俺の分はあるぜ……でも、九人分の穴は一人で掘るのに時間がかかる……手伝ってくれよ」
「……了解……全員集合っ!」
集められた傭兵たちにスコップが配られ、リンの要望を聞き入れて掘る場所が指定される。
「ああ、太郎」
「うん?」
「お前は手伝わなくて良いぜ。他にしてもらいたいことがあるんだ」
一緒にスコップを持ってストレス満載の顔の太郎は、シルヴィスに森の中に連れて行かれた。
村から少し森に入った場所に、水量は少ないが川があり、そこに見事な岩肌の滝がある。
「ちょっと頭を冷やせ」
そう言って強引に頭を掴み、滝の中に入れる。
太郎は抵抗しなかった。勿論抵抗してもシルヴィスの腕力に勝てる訳もないからだ。
「冷たい……」
文字通り太郎は頭を冷やされた。
リュックからタオルを出してずぶぬれの頭を拭いていると、シルヴィスにノミとハンマーを渡される。
「……これでなにをしろと?」
「そこの滝に碑文を彫れ。死んだ九人は学園生ではないが、学園のユニホームを着ていた。故に……彼等は学園生で、この地の平穏の為に命を投げ出した英雄だ。あとで理事長に話は繋いでおく……俺たちに出来るのはそれくらいだ」
「……それくらい……か……」
「それくらいだ。十一人で百人に挑み、勝ったんだよ。勇気も精神力も俺たちがガキだった頃の数百倍あるぜ? ただ、あの子供たちは死んでしまった。死んだ人間を生き返らせる方法を俺は知らねぇ……だからよ……称えてやろうじゃねぇか?」
そう言って太郎の頭をくしゃくしゃになるまで撫でた。
「わかった……彼等を学園生と認め、僕はここに彼等の栄誉を称える文章を刻む……」
「お前は死体だろうが怪我人だろうが見慣れているが、ここぞという時の精神力に揺らぎがあるんだ。だから俺はお前をあまり従軍医として認めていないんだぜ?」
「……君のように単純じゃないだけだよ……それに、僕は平和ボケした日本人の代表みたいなものだから、子供が銃器を持って親兄弟の仇討ちをするなんてできごとに慣れていないんだ」
「ああ、それで良い。お前はそれで良いんだよ……俺みたいな精神力を持つ人間はこの世界に何人も必要ないからな。お前の進んでいる道は間違えではない。こういうのもどうかと思うが、俺には俺の道があり、太郎には太郎の道が用意されている。俺がお前になることはできないし、お前が俺になる必要もない……」
「……また、好き勝手なことを言うね」
「おう。それが俺だからな」
言われた太郎はそれ以上反論せず、また反論しても堂々巡りなことは理解していたので、リュックからノートを取り出し碑文を考え始めた。
シルヴィスは頷き、森の中から出た。今の会話で太郎は立ち直ったと確信している表情だ。
彼等は死ぬまでの長い付き合いになるが、この理解し難い会話と阿吽の呼吸とも言えるお互いへの理解度は、他人にまったく理解されることが終ぞなかった。
森から出ると、傭兵たちがリンの指示で穴を掘っている。少々粘土質の村の土は掘り返すのに手間取る重さを有していたが、世界各地を転戦し、塹壕掘りなどもこなす傭兵たちは苦にした様子もない。
リンのとなりに立ったシルヴィスをその幼い瞳が見上げていた。
「ん? どうした?」
「……あたしたちだけなら全滅だったんだよね? コウの作戦は失敗していたんだよね?」
「ああ、お前たちだけならばな。だが、俺たちが間に合った……間に合ったという言葉は当て嵌まらないかも知れないが、全滅を二人生存に変え、遺体も全て回収し、今は埋めることもできている。仇討という意味ではお前たちの勝利だ。向こうは全滅し、こちらの犠牲は十人以下だ。割り切れとは言わん。俺も時々戦闘中に相手のことを考えることがあるんだが、それを考えている間に、味方が死んではなんにもならんのさ。一度殺すと決めた敵に対して、躊躇はいらないってことだ……俺の言葉はちょっと難しいか?」
「うん。シルヴィスは難しいことを言うね……でも、理解はしているつもりだよ。生き残ったあたしとコウは勝ったからこそ、死んだ仲間を想い、胸に刻んで生きるということだよね?」
「フム……お前はなかなかの理解力を有しているな。今の会話をジョンソンは理解できまい?」
掘りかけの穴から顔を出したジョンソンは、眉間に思い切り皺を寄せる。
「どうせ俺は頭の中まで筋肉のバカ野郎だよ。だが、お前の言うことは正しいと思っている。だから年下の小僧であるお前の言うことに従っているんだよ。それに、シルヴィス老人が認めた男だしな、あの老兵に俺は何度も命を救われた。その名を継いだお前に恩返しをしても罰は当たらないだろ?」
「ああ、当たらないだろうな」
「どうでも良いが、お前も少しは手伝えよ……」
「ああ、それなんだが……思ったより早く穴は掘れそうだからな。俺は別の仕事をすることにしたよ。リン」
「なに?」
ジョンソンから視線を外したリンがシルヴィスを見上げると、彼は村の奥にひと際大きく育った大木を指差していた。
「あの木はこの村のシンボルか?」
「うん、神木さまと呼ばれる大事な木だよ?」
「そうか……あの太い幹を二メートルくらい切った場合、罰は当たるだろうか?」
「……なにに使うかにもよるんじゃない?」
「ああ、さっき村に着いてから思ったんだが、お前たち子供の作った墓標があまりにも粗末なんでな、あの大木を使って俺が墓標を作りたいと思ったんだが……」
「まあ、木の枝組み合わせただけだからね……そういう使い道なら、神罰が下るとも思えないよ? でも切り倒してしまうにはもったいないくらいの立派な神木さまだよ……」
そう言って俯くリンの頭をシルヴィスは撫でた。
「ああ、切り倒しはしない。ここから見える真ん中辺りの二メートルほどを切り取るだけだ。神木さまを殺しはしない……」
流石に言っている意味がわからず、リンは顔を上げた。
シルヴィスが右手首をグルグル回している。
その言葉を聞いたジョンソンたち傭兵も穴を掘る作業の手を止めた。
「おいおい。お前の人間離れをこんな子供に見せる気かよ?」
「ああ、俺の気分としては、リンには見せても良いかと思うんだが……この勇気ある少女に俺の力を見せるのは背信行為か?」
スコップを持ったままのジョンソンが肩をすくめる。
「お前がそう思うなら良いんじゃねぇか? お前のすることに反対するバカはこの部隊にはいねぇよ。例え背信行為でもな……」
そう言われたシルヴィスは上機嫌な顔をし、もう一度リンの頭を撫でてから、大木に向かって歩き出した。
シルヴィスほどの大男でもその幅には敵わない。それほどの大木と彼は対峙した。
グルグル回していた彼の右拳に光が集まっているようにリンには見えたが、ジョンソンたちには見えていない。
「……神木よ。お前が今まで守り、育んだ人間の集落は滅び、二人の子供が生き残ったことは見ての通りだ。この二人に祝福を……死んだ村人たちに安らぎを……お前の体を一部もらいたい……村人たちの安眠と、これから旅立つ二人の子供の為に……どうだ?」
神木に向かって話しかけたシルヴィスは異様だが、神木の枝葉がそれに答えるように、風も吹いていないのに揺れ、ざわめきを持って返事をしたように感じられた。
「そうか……サンキュー」
口を閉じたと思った瞬間。シルヴィスの右腕が大きく後ろに引かれ、神木の幹に向かって突き出された。リンは瞬きすら忘れて、その光景を見た。
シルヴィスが突き出した拳が幹に触れた時、まるで最初からそうなることが運命であったかのように、大木の幹が彼の思った通りの大きさ分切れた。だるま落としのように幹がなくなった部分に上から大量の枝葉を揺らした幹が落ちてきたかと思うと、切り株状になった下と融合し、また一本の木に戻る。
「……なにを……したの?」
思わず口から疑問の声を発したリンに、ジョンソンが呆れたような声で答えた。
「あいつは木を切り倒さずに使う分だけ切り取れるんだよ。まあ、戦場で役に立つ能力じゃねぇし、正直意味不明な能力だ。あいつを理解するのは難しいんだぜ? お嬢ちゃん……」
高さ二メートル、直径四メートルにも及ぶ丸太をシルヴィスは肩に担ぎ戻って来る。
リンたちが埋めた村人たちの墓の横にその丸太を降ろすと、土に三十センチほど埋まる。そして、まるで最初からそこに生えていたかのように、風景に馴染んでいた。
「俺の信じるものとは違うかも知れんが、この土地に根付く信仰の寛大さに感謝する……」
シルヴィスが呟いて黙祷し、スコップを持ったままでジョンソンたちも丸太に一礼した。
九人の亡骸を埋葬し、太郎の碑文制作を待ってから、村にいた全員はトラックに乗り移動することになった。その車内でリンは太郎にこう訊いた。
「……シルヴィスって、一体なんなの?」
碑文制作ですっかり元のバックパッカーに戻った太郎は、暫く顎に手を充てて考え込む。
「うーん……なんだと言われてもねぇ……人間なのは確かなんだけど、色々な見えないものとも話せたり、普通に生きていれば絶対会うことのない世界の人間と知り合いだったり……天敵だったり……とにかく、この星の最終兵器の一人ではあるかな?」
「最終兵器の一人?」
「うん、まあ、この星の戦力で対抗できないと判断された場合、呼ばれもしないのに出て行くタイプの暇人かなぁ……兵器というより守護者か……」
「シルヴィスみたいな人って、世界には沢山いるの?」
「さあ、そこまで詳しくないけど……僕の知る限りで、あと一人は確実にいるかな……」
そのシルヴィスは会話に参加せず、揺れるトラックの荷台で横になって寝ている。
さきほどまで右拳に集中していたオーラのような光は消えていたし、寝ている姿は普通だった。寝返りもするし、たまに尻も掻くし、寝息もしている。ただのデカいオジサンにしかリンには見えなかった。
「ねえ、どうしてシルヴィスはあたしたちを助けてくれたの? 傭兵というお仕事で、たまたまあたしたちの仇と同じ駐屯部隊に攻撃を仕掛けただけなのかな?」
「シルヴィスが仕事として受けたのは、その部隊の殲滅だったのは確かだよ。リンやコウを助けたのは……リンが言ったように縁だったとしか……」
シルヴィスは本当に寝ているのか、寝たフリなのかわからないが、リンに背中が向くように寝返りし、いびきまでかき始めた。