12
「おいおい……俺は発電所をぶん殴ってきて疲れているんだぜ? この未曾有の国難に世界の人々が立ち向かおうって時に、どこでそんな『羽』に融合されるんだよ?」
それはコロンも相手をしたヤクザの親分と同じ状態の人間だった。
「弱っているからこそ、狙いに来るのが暗殺者というものだろう?」
背中に小さな羽の生えた人間の青年である。正確にはその羽の持ち主である魔界の生物に背中から融合され、中身を作りかえられた『元人間』
「人間の言葉を理解出来るということは『副官』クラスか……ジョンソンはまだしも、地区担当やその息子にまで気配を探らせないとは、なかなかの能力者のようだな……」
この手の融合生物と遭遇した場合、シルヴィスは裏の仕事とは無関係に処分しなければならない。この通称『羽つき』は、件の鉄朗や徐孫のように話し合いの通じる魔物ではないからだ。
「シルヴィス!」
「お兄ちゃん!!」
小学校のグラウンドに向かって走って来る人影がいくつか確認できる。それはヘリの音を聞いてここに駆け付けたリンとかなみであり、その後ろには右手を包帯で吊った状態の四家筆頭とその息子、その横にはミヤ、そして松葉杖をつきながらも全力疾走の六郎までがいた。
「くっはっははは! これは丁度良い! こやつらも片付けて一気に札幌制圧してしまえるではないか! !? !!!!!がうっ!?」
ほんの一瞬、羽つきはリンたちの方向に視線を向けたつもりだったのだろうが、シルヴィスにはその時間で充分だった。
「能力者としてはまあまあだが、お前はバカだろ?」
一瞬で羽つきとの間合いを詰めたシルヴィスは、その背中の羽を右手で掴んでいた。
「お前の一族の王であるならばまだしも、副官程度が複数相手に勝てるなんて、どこまでお祭り頭なんだよ? それとも、本気で俺が弱っているとでも思っていたのか? 確かに全力の右拳六発は結構響いているけどな……こうしてお前を掴むくらいなら訳ねぇって話だし……」
羽つきは背中の羽を掴まれているので、首だけ回してシルヴィスの様子を窺うことしかできない。
「左はお前たちに見えるか知らんが、集中できねぇから、一撃で殺してやれるかわからんぞ?」
シルヴィスの左腕が羽つきの視線から外れる位置に下げられる。
「まあ、百五十発くらいぶん殴れば、いくらお前が堅くても……死ぬかな? そもそも、お前たち一族の特徴は、小型人間みたいな格好で空を自由に飛び、その目にも止まらぬスピードで獲物の背後に回り込み、背中から融合することだろ? まあ、融合された生物が人間だった場合、ほんの少し人間よりかは強くなるけどよ。それだけなんだぜ? お前のミスは、俺の背後に回り込んでの融合を試みなかったこと。それから、選んだ人間が俺より弱かったこと。弱いなら弱いなりに、誰にも気付かれない内に俺の背後に回った時点で攻撃しなかったこと。そして、駆けつけた俺の仲間を見返る余裕をかましたことだ……生まれ変わることがあるのかは知らんが、次生まれた時はそのことを踏まえてから、俺の敵になってくれ」
次の瞬間には羽つきの顔面にシルヴィスの左拳が見舞われていた。
一発目で首の骨が折れたが、融合生物は死なない。それはシルヴィスも何度か対戦しているので研究済みのことだ。
「まったく……これでは俺が弱い者いじめしているみたいじゃねぇか!」
この羽つきの本体を融合した生物から引き抜くには、融合された生物を完全に殺す必要がある。この青年を殺さずに融合を解除する方法もあるが、融合が解かれた瞬間に青年は絶命するので同じことだった。つまり、融合された生物は個人ではなくなり、既に死んでいるのだ。
左拳で二十発殴って、シルヴィスは羽を持つ手を放し、左手で握り直して融合生物を背中から引き抜いた。腰に挿していたナイフを引き抜き、羽の付け根を刺して地面に串刺しにする。
それでも引き抜かれた小人状の羽つき生物は、バタバタと暴れてみせた。
左手で体を抑え、右手の指でその頭を突き刺す。
右手を引き抜いた時には、羽つきは黒い染みになって地面に溶けていた。
「……普通、最後の敵ってパターンなら、もうちょっと強いのが定番だろ?」
そう言いながら、シルヴィスは地面に胡坐をかくようにして座り込んだ。発電所への六発は確かに彼の体力を奪っていたのだ。
「無茶をしましたね……」
四家筆頭とその息子がシルヴィスの両脇に立ち、シルヴィスに手をかざす。体には良さそうな淡い色の光がシルヴィスを包んだ。
「そりゃあな……あんな爆撃後の焼け野原みてぇな街を見せられりゃあ、誰だって無茶をしてみたくなるだろうさ。あの地震を予知できた能力者は地球に一人もいなかったのか?」
「ええ、恥ずかしながら、誰一人……」
「そうか……俺と殴り合いのできる唯一の人間と言われるお前は、どうして発電所に行かなかったんだ?」
矛先が四家筆頭の息子に向けられる。
「僕も昨日戻ったばかりですよ、シルヴィスさん。昨日まで日本全国二十二か所のトンネルの調査及び、異世界生物の駆逐を担当していました。母さんがこういう状態でしたから……」
「なるほど、皆が震災に集中せねばならん時を狙って出て来やがったのか……その火事場泥棒のような発想が腹立たしいじゃねぇか?」
「ええ、ですから僕も、久し振りに本気で怒りましたし、イライラしましたよ。」
「あ、回復かなみが代わるよぉ!」
「ええ、済みません。そうしていただけると助かります。かなみ先輩」
「お? ミヤ殿じゃねぇか? あんたほどの能力者でも予言不可能だったのか?」
かなみたちと一緒にいる八尾の猫とシルヴィスは知り合いであったようだ。
「ああ、俺たち魔物……特に王の直轄で動いている者は、基本的に地球に住む能力者以外に興味がないからな……自然現象の予言や予知などしておらんよ。俺はもう独りではない」
「そうだよなぁ……そこまで頼っちまったら、俺たち人間は地球にいる意味ねぇもんな……六郎は津波に立ち向かったと聞いたぜ?」
「は、はい……でも、俺は津波に負けました……四家筆頭とミヤ様が来てくれなければ、死んだだけでした……自分の修行不足を嘆くばかりです……」
六郎がそう言って俯く。シルヴィスは少し体が楽になったので立ち上がり、六郎にハグした。
「いや、お前はかなり強くなっているぜ? 本来なら俺たち能力者の仕事に含まれない自然災害に立ち向かう勇気は持っているじゃねぇか?」
「しかし、先輩……先輩なら、津波にも勝ったんじゃないですか?」
「さっきヘリの中でジョンソンにも言ったんだが、俺はその時北アフリカで作戦中だった。だから『タラレバ』はなしだ。それに、俺は確かに足は早いが、お前たちみたく空中に浮いている術がねぇ。津波を殴りに行くにも、かなり強力な助力能力者と、空中浮遊で俺を支える能力者と、瞬間移動能力者がセットでいないと出来ねぇだろ? そんな取り合わせを常に作っておけるほど、地球上に能力者はいねぇって話だ……」
その言葉の途中でリンとかなみがシルヴィスに抱き付いてきた。
「お兄ちゃん! かなみなんの役にも立てなかったよぉっ!」
「なに言ってやがる? 怪我した六郎の看病をしていたんだろ? それに今、俺の体力回復を手伝ってくれたじゃねぇか? 皆出来ることをしたんだ。手は抜いてねぇ……それくらい有り得ない災害だったんだ……まだ認識の甘い奴がいるなら、俺がぶん殴って気合い入れ直しだぜ?」
「……シルヴィス……あたし……」
今回の一件でまったくなにもしていないに等しいリンは、目に涙を溜めていた。
「リン……お前は無事だった……それで良い」
「? どうして? あたしはコロンみたく看護婦も出来ないし、かなみみたいにロクローの看病もシルヴィスの回復も手伝えない! タローみたいに被災地で医療活動も出来ないし、ロクローみたいに勇気を持って津波に挑むことも出来ない!」
リンが感情的になってシルヴィスの腰に抱き付いている。
シルヴィスはその頭を優しく撫でた。
「お前は昨日、日本に来てから初めて一人で買い物に行っただろ? そしてスーパーの募金箱に五百円玉入れただろ?」
「? うん……どうして知っているの?」
「昨日、発電所停止作戦の会議中に、スーパーのレジ打ちパートのおばちゃんから電話が入ったんだ。日本人ではないお前が募金箱に金を入れたことに感動したそうだぜ。そのおばちゃんは学園の卒業生で、俺の十個上の先輩だ。生徒総代……昔だから生徒会長を務めたほどの能力者だったが、裏の仕事中の怪我が元で引退した人でな……今は主婦をしながら旦那の稼ぎに一円でも多く上積みする為にスーパーでレジ打ってるんだ。その人を感動させた……つまり、お前はなにもしていない訳じゃない。やったことなんて小さくても良いんだ。気持ちが入っていれば、一円だって気持ちは伝わるんだぜ?」
「あれぇ? でもさぁ……かなみがスーパーのチラシ見て丸つけた分は全部買って来ていたよぉ? お金もお釣りが出ないように、ちょっきり渡したんだけどぉ?」
「えっと……それは、その……かなみが丸をつけた分はタイムセールにも該当する商品があって……一時間待てば……三百円くらい浮くことがわかって……あとの二百円は……この前コロンの実家に遊びに行くって計画の時にタローがくれたお菓子代が残っていて……財布の中身を全部出したら……お釣りが一枚返ってきたから……」
「……天才主婦じゃねぇか? かなみ、お前も少し見習った方が良いかも知れんな」
「むぅ……タイムセールに該当するなんてチラシには書いてなかったよぉ!」
「うん……あれは、来店した人だけにわかるようにしているサービスだったみたいだよ……」
そこまで聞いて六郎とシルヴィスが笑いだし、かなみとリンの頭を交互に撫でた。
「しかし、この家族は本当に揃わんなぁ……」
「まあ、先輩と俺が外で働いていますからね。今回は珍しく太郎とコロンがいませんけど……」
「コロン先輩は明日戻りますよ。代わりに三樽別川先輩が被災地に入ります」
「そうか……」
シルヴィスがポケットからタバコを取り出して火をつける。
「あれ? お兄ちゃんタバコ変えたの?」
「ああ、お前たちは未成年だからあまり意識せんのだろうが、タバコの工場も被災してな……普段買っているタバコが品切れ中だ……悪しき習慣とは言っても、こんなところにまで影響が出るとはな……北海道は食糧事情がまだ良い方だからマシだが、こういうくだらんものほど物流が滞る。だが、それも我慢しながら復興に向かうしかないんだろう……まあ、多少の息抜きをしないと、人間は参ってしまうのでほどほどに。しかし、全力で手抜きなくやらねばな……それほど大きな災害だったんだ」
発電所の暴走はシルヴィスによって止められたが、津波の被害に遭った人々の苦難はこれからだろうと誰もが予想できた。そして、裏の世界ではその弱った人間や混乱した経済、惑星本体に追い打ちをかけるべく、暗躍する異世界生物が多数存在する。更に、他国の危機より自国の民主化とやらに情熱を燃やす武装組織があったり、保身しか頭にない政治家がいたり、人間の中にも世界の空気を読めない者がいる。
「だけど、日本は死なないよね? あたしの生まれた村みたいに簡単に滅びないよね?」
「ああ、裏の仕事が増えても、学園にいる能力者や四家、異世界の協力者、フリーの退魔師や除霊師が片付けるから、そっちは心配ないな……表の復興は日本人が底力を見せる時だ。だからお前は心配しなくて良い……」
シルヴィスはタバコの煙を吐き出しながら、リンの頭をもう一度撫でた。
「そういえば、リンは来週から中学生だったな……」
「うん。初めて通う学校だよ……」
「今度は家族ではなく、沢山の友達を作れよ? バカな話から真剣な話しまで、なんでも話せる友達が良いぜ? 時には本気で喧嘩したり、反発しあう時期があったりするかも知れんが、本当の友達は最後まで残ってくれるからな……ゆっくりで良い。お前の人生はちょっと急ぎ過ぎているからな」
「お兄ちゃん。それじゃあミヤ様並みのお爺ちゃんみたいだよぉ?」
「そうか?」
確かにシルヴィスの発言は時折年寄りのような言い回しがある。
「誰が爺だ! 俺はまだ数千年しか生きていない異世界の猫だぞ? なんでも人間の感覚に当てはめるものではない。俺はもう独りではない」
「ミヤ殿の主も似たようなものだろう?」
「ぬ……確かに我が主もリンと同い年の人間の子供だが……俺のことを爺扱いしてはおらぬわ。俺はもう独りではない」
ミヤの主である諒子は地球のトンネルから偶然魔界に落ちた人間である。
「え? ミヤ様のご主人さまって……猫の女王とかじゃないの?」
「こらこら……流石に猫の女王と魔界王が婚約者な訳がなかろう? 七人の魔界王の内、少なくとも四人は人間と同じ姿形をしているのだ。そもそも、猫に女王などおらんし、猫は猫に従わぬ。猫が群れるなど考えられぬわ……まあ、コタツとストーブの前と日向ぼっこと恋愛関係の時は別だが……俺はもう独りではない」
尾が八本で人間の言葉が喋れても、基本的にミヤは猫の習性を残している。
こうして、未曾有の二次災害から日本を救った大男は、傭兵になってから初めての有給休暇を強制的にとることになる。
新学期が始まるその日、リンはシルヴィスと太郎と六郎に見送られ、かなみとコロンに連れられて初登校することになった。
「しかし……先輩……ヰガルの遺言を実行するのはいつになるんです?」
「それは僕も聞きたいな?」
三人を見送って居間に戻った男三人は、それぞれのソファに腰を降ろす。
「……死に際の親友の言葉か……地球に住んでいる限り不可能にも思える遺言だが……」
──このような『吊り橋効果』ではなく、リンが本当に君のことが好きだと自覚できる時が来たならば、傭兵などという職を捨て、一生リンを守ってやってくれたまえ……それが養父として、私ができる最後の子供へのプレゼントになる。リンを頼んだぞ、我が友、シルヴィス・ウィンザール──
これがヰガルの最期の言葉であった。
「リンが高校を卒業するくらいまでには、真剣に考えないと……吊り橋効果じゃなくても、リンが君のことを想っているのは明白だもんね……」
「それは構わんが、俺から傭兵の仕事を取り上げると、残るのは裏の仕事だけだからな……確かに人間同士が殺し合うのよりは有意義な仕事にも思えるが、正直言って金にならん」
「まあね……なんだかんだとお金は必要だから……愛情だけでは食べて行けないのも、地球に住んでいる限りはムリかねぇ……現実問題として、西区医院はこの数カ月無収入だしね」
「マジでか?」
「まあ、女の子三人を養っていくだけなら、多少は蓄えもあるし、シルヴィスの稼いだお金でなんとかなるよ……これ以上『家族』が増えなければね」
三人は天井を見上げ、ソファに沈んでいく。
「先輩……俺は子供欲しいッス」
「……僕も二人は欲しいな……僕が一人っ子だからさ……」
「お前ら……益々俺を傭兵から身を引けなくしているんじゃねぇか?」
「地球の言葉で良い言葉があるぞ? お前たちには『甲斐性無し』が該当するな。俺はもう独りではない」
「……あんた、まだいたのかよ?」
ミヤがストーブの前で丸くなり、片目だけ開けて甲斐性無し三人を眺めていた。
「この病院は主から入院患者まで含め、ロクな人間がおらんが、ストーブだけは一人前だ。俺はこの場所が気に入っている。だからここにいるのだ。俺はもう独りではない」
「……寒いのが苦手なのはわかったから、魔界に帰れよ」
「俺の場合はここにいるのが仕事だからな。わざわざ普通の猫のフリをせんでも良いし、俺の天敵かなみと要注意人物リンを見張る任務が延長されたので、暫く帰る気はないぞ? まあ、我が主の婚姻の儀には一旦戻る予定だが、我が主もまだ幼いからな……数年はここに寝ていても構わんだろう。なんなら燃料代くらいは稼いで来てやるぞ? 俺はもう独りではない」
「……そうやって魔界の奥地で百年近く寝ていたと聞いた覚えがあるぞ?」
ミヤは魔界の生物であるので、食物を摂取しなくても死なない。
「まあな……地球の感覚ではそうなるな。勿論、結界を年に数十メートルずつ伸ばし、俺のお気に入りの場所の確保はしていたが……七王の領土争いに巻き込まれたので、俺の結界に先に侵入した羽の小人の敵に回っただけだ。それに比べると我が主の婚約者はなかなかの人物だからな。俺はもう独りではない」
ミヤの言葉を聞いたシルヴィスは、腕を組んで考え込む。
「……金のかからない場所に引っ越すか……」
「魔界は金の心配をせんでも良い場所だからな。その考えはなかなか正しいが、今までのように、安全な場所に家族を置いて戦いに出るというスタンスは使えなくなるぞ? 魔界は毎日がサバイバルだからな。俺はもう独りではない」
「……どこかの王の庇護を受ければ問題解決にはならないのかい?」
察しの良い太郎がシルヴィスの考えを読んで質問する。
「シルヴィス以外がお荷物と判断されれば、受け入れ拒否もあるな……魔界の王たちはそれほど親切ではないからな。特にシルヴィスを欲している鉄朗王は、脆弱な民を守るだけで手一杯だしな……あと数年経ち、六郎とかなみとリンが最大能力を発揮できるようになれば、太郎とコロンがいても問題はないかも知れんが、最低でも最大能力の発揮が条件になると思うぞ? 俺はもう独りではない」
「うーん……ミヤ殿。それだと俺の条件と合わないから、却下なんだよな……」
「お前の条件?」
ミヤの両目が開き、興味を持ったように頭を上げる。
「ああ、俺はリンを戦闘にださない。どのような異世界征服の能力を持っていようとな。リンが戦闘を望むのであれば、その時はだすが……あの子には普通の生活をさせてやりたいんだ。リンが強くなる必要性は感じないんだよな……そうなると、魔界行きの話もナシだよな?」
「じゃ、やっぱり今のスタンスのままで数年過ごして見てからじゃないと決まらないね?」
「フム……甲斐性無し共の考えはなかなか奥深いな……ま、俺としてはシルヴィスという男の考え方の一旦を見られたので良しとしよう。では寝る。俺はもう独りではない」
その甲斐性無しの男共の考え方を理解しているのか、それともしていないのか、女性陣には女性陣の考え方があるようである。
学園での転入初日を終えたリンは、クラスにいた唯一の知り合いである地域担当の息子のカノジョに学園内を案内されていた。
「……別に四家の人間全員を誰々の息子とか、四家筆頭とか呼ばなくても良いんだよ? 苗字は特別だけど、名前は特に問題ないんだよ……だから私の名前は素子で呼んで構わないからね? それに、私の苗字を名乗っても、リンは覚えられなかったでしょ?」
リンは確かにクラスメート全員の自己紹介を受け、フルネームで全員覚えたつもりだったが、素子の苗字だけはどうしても思い出せなかったので、首を傾げた。
「四家の苗字は名乗っても記憶に残らないの。この学園の校名が記憶に残らないのと同じシステムだと思えば良いよ」
「じゃあ、どうしてかなみの苗字である鷹刃氏はあたしの記憶に残るの?」
「それは簡単なことよ……それは、リンがかなみ先輩の家族だから。だから、今リンが発音した四家の苗字を私も覚えられない。私は家族ではないからね」
「うう……日本語を覚えるのにも苦労したけど、そのシステムに疑問を抱かなくなるのも難しそうだね……」
「そうかもね……でも、私はあなたが羨ましいよ?」
「? どうして?」
「リンは最初からかなみ先輩の苗字が覚えられたでしょ? 私はまだカレに家族扱いされていないから、苗字が覚えられないもの……四家の家族の一員に認められるのって、案外難しいんだよ」
割と四家の機密に触れる重要な会話なのだが、すれ違う生徒に二人の会話は聞き取れていない。遥か昔は苗字が知られるだけで呪術対象となったので、その防御の為編み出された術である。現代にその風習が残っているのはおかしな話だが、学園開設者が四家筆頭なので、多少感覚が古い術が残っているのだ。
「あれ? 素子も四家のひとつだよね? 四家同士でもその術は効いているの?」
「そうね……私は修行を始めたばかりだし、まだまだだと思うわ。特に四家筆頭の家はその術の効き目がかなり高いから、カレと結婚しても覚えられない可能性も否定できないよ」
そんな会話をしながら、二人は校門前まで歩いて行く。
その校門前が大変なことになっていた。
「? これは一体なんなの?」
「さあ……」
各体育会系の部活動者が全員校門前に集まっており、その視線は全て校門の外に向かっていたのだ。リンへの部活勧誘をするという雰囲気ではなく、攻めてくる外敵から校舎を守るような体勢だ。
「どうしたの?」
近くにいたサッカー部のキャプテンに素子が声をかける。
「あ? ! これは素子『さま』! 失礼しました!」
その大声に気付かない者はおらず、全員が振り向いた。
その全視線が素子からリンに移る。
「?」
「これは、超常現象研究部の部長が占った結果でありまして! 本日正午頃、危険なる者が校舎前に現れるとの情報であります!!」
「……素子? 超常現象ってなに?」
「ええっと……私たちみたいな能力者の能力を、科学的に一般人にも見せることができないかを研究する部活動かな……それにしても、占いを信じて校門前に集合する運動系部活って一体……」
辟易するリンと素子の後ろから、男子生徒が一人歩いてくる。
「もっちゃん? なにしているんだい?」
「あ、──くん」
となりにいたリンでさえ聞き取れない。四家筆頭の息子にかかっている術は相当なものだ。
「生徒総代! 一大事です!」
柔道部キャプテンと空手部キャプテンが駆け寄り、カレに耳打ちする。
カレは肩をすくめた。
「あのね……そりゃあ、確かに中等部の全員でも勝てない人はくるよ……リンの保護者は君たちも知っているだろうけど、西区医院の院長で、ここの卒業生の太郎先輩だよ? そして、皆もリンの苗字は聞いているだろうけど、世界最強の傭兵シルヴィス・ウィンザールの庇護も受けている。その二人の関係者がリンを迎えにくるという意味だろ? つまりは、シルヴィスさんの実の妹である高等部生徒総代のかなみ先輩と、太郎先輩の婚約者であるコロン先輩がくるって意味だと僕は判断するけど? 超常現象研究部部長の占いは、肝心なことを占えないという欠点があるということを忘れてはいけないよ?」
校門前に集まった運動系部活動部員たちから、安堵のため息が漏れる。この学園の校門を破った人間は歴史上一人もおらず、誰もがそう思うかも知れないが、自分たちの世代で連勝記録が破られるのは気まずいものだろう。それだけに運動部員たちは決死の覚悟で学園を守るのだ。
「ほらほら、こんな所に集まっていないで、練習に戻った戻った! リンの勧誘解禁日は生徒会で発表するから、今日はナシだよ!」
呆然とするリンと素子を残し、部員たちはバラバラに校舎に戻る。カレはもう一度肩をすくめる。
「ごめんね……ウチの体育会系は脳ミソまで筋肉みたいなのばっかりだから、ちょっとした噂を信じてしまうんだよ」
「それはいいけど……コロンはいつからタローの婚約者になったの?」
「ああ、それは公然の秘密なんだよ。あの二人の関係に関して知らない生徒はいないけど、滅多に口にはださないね。太郎先生は話し合いで解決する人だけど、コロン先輩は怒ると怖いからね……あ、超常現象研究部の占いが当たったよ?」
カレの指差す方向からかなみとコロンが歩いて来ていた。各学部の正門はそれぞれの学部で所有しており、全ての学園生は小等部、中等部、高等部といった各学部の正門を使用する。
ちなみに各学部校舎は隣接しており、繋がってもいるのだが、小等部の生徒が高等部の正門から出入りすることはなく、その逆もないのである。
「それじゃあ、僕たちは失礼するよ。リン、また明日からよろしくね」
「うん。それじゃあね」
手を振って別方向に歩く二人を見送ると、リンの両脇に頼もしい二人の先輩が立っていた。
「おやおやおやぁ? 中等部の生徒総代さんがカノジョさんと一緒に下校だよぉ? これは新聞部が放っておかないスクープだねぇ!!」
「高等部の新聞部はそんなゴシップネタやらないわよ。それに、あの二人が付き合い始めたのは去年でしょ? 記事として新鮮さがないわ」
リンはコロンの強さに感心していた。先週の今頃は被災地で救援活動を行っていたからである。除霊師としてなかなかの修羅場をくぐり抜けてきたコロンにとって、瓦礫の山の中での作業は苦ではなかったようだ。同じように学園から派遣された生徒の中には、心的外傷後ストレス障害になりリタイヤした者もいたのである。
かなみはそういうモノには弱いとされているが、コロンと一緒であれば大抵のことをこなせる人間でもあった。精神の強い者と一緒であれば、かなみはどこまでも強くなれるのだ。リンはテレビの映像を見て震える弱い自分を恥じていたので、精神を強くする為の学校行事や部活動には積極的に参加しようと思っている。
「コロンとかなみは中学の時は何部だったの?」
「え? かなみはずっと茶道部だよぉ。お茶をねぇ……こう……ぐりぐりぃってやるのが好きなんだねぇ。あとは和服を着るのが好きなんだよねぇ……普段着じゃない世界って感じでねぇ、あれはやみつきになるよぉ……」
どうやらかなみにとって茶道はコスプレの延長にあるものであるらしい。
「私は部活はしていなかったね……父が厳しい人だったから、真っ直ぐに帰宅して修行の毎日だったかな……精神修行のひとつになると四家の人に言われて華道を始めたから、まだ始めて一年くらいだね」
「あたしはどんな部活が良いだろう? 精神力も重要だけど、体力も同時につくものが良いんだけどな……」
歩きながらそう質問すると、二人から意外な言葉が返ってきた。
「……合唱部じゃないかな? あれは舞台に立つ度胸がつくから、精神修行になるし、舞台上ではわからないけど、並みの運動部より階段ダッシュとか、机運び競争とかして、腹筋背筋鍛えまくるしね……」
「それならぁ、吹奏楽部も結構キツイよぉ。楽器にもよるけど、マーチング隊に編成されたら凄い筋肉むきむきだよぉ? 応援部もかなりハードだよねぇ……夏場の暑い時期に外で応援とかするしぃ……リンちゃんも見たと思うけどぉ、ウチの学校の運動系は皆全国大会に出るからぁ、応援部やチア部なんて夏の終わり頃には肩の皮日焼けし過ぎでボロボロなんだよぉ?」
「タローは学生の頃、なにかやっていたの?」
「先生は『散歩部』ね……あれはお勧めできないわ……先生に言わせれば、散歩しながら色々なことを考えられたり、日々違う風景を見て感覚を研ぎ澄ませられたりするっていうんだけど、私は歩くので精一杯だったわ。あの感覚には流石について行けないかな……それに、先生の代で確か廃部になった筈だし……」
「……シルヴィスは?」
「お兄ちゃんは格闘技系の部活に顔はだしていたけどぉ……見ているだけだったかなぁ……ほらぁ、お兄ちゃんは手抜きできないからぁ、対戦相手のあるスポーツはできないんだよぉ」
「相手を『壊して』しまうからね。シルヴィスさんとまともに組手とかスパーリングとかできる中学生や高校生なんて、少なくとも日本には存在しないでしょ?」
「ロクローは?」
「あははぁっ! 六郎くんは一回だけお兄ちゃんとガチ勝負してぇ、文字通り木端微塵だったんだよねぇ……かなみは小さ過ぎて覚えていないけどぉ。お父さんが止めに入らなかったら、六郎くん死んじゃっていたらしいよぉ」
「それでも六郎先輩は四家分家の中ではかなりの強さなんだけどね……」
実際、シルヴィスが学生だった頃一度も試合に出た記録はない。ちなみに、かなみに関しても、球技での出場記録はあるが、個人格闘技に関する出場記録はひとつもない。この兄と妹が個人戦に出場していた場合、相手が死ぬことが容易に想像できた為、学園側から出場を禁じられていたのだ。
シルヴィスが傭兵になった最大の理由は時給の高さだが、スポーツ選手になること自体が禁じられていたという事実もある。バレーボールでスパイクを打てばボールが破裂し、蹴ったサッカーボールが相手選手に当たれば骨折し、野球であればバットに必ず当てることができるので、全て場外ホームラン。外野守備ではバックホームした際に味方捕手のグローブごとバックネットに吹き飛ばしてしまう。ボクシングで殴り合えば、相手に触れさせることもなく一撃で沈めてしまい、空手ならばローキック一発で相手の足が折れてしまう。
とにかく、シルヴィスという男にはスポーツ選手としての『魅せる』という能力が欠落しているのだ。
「ふぅん……やっぱりシルヴィスは特別強いんだね」
「たいへんだよぉ? お兄ちゃんのお嫁さんになる人はねぇ……」
前振りのないかなみの一言で、リンは紅潮してしまう。
「私はついていけないと判断して、自分より体力的に弱い人を選んだわ。シルヴィスさんは強過ぎるし、優し過ぎる……私の持つビジョンとはスケールも違い過ぎる人よ? リンちゃんはその男にどこまで本気で恋できるのかしら?」
「うう……あたしもそこまではっきりとしたビジョンはないよ……ただ……」
「ただ?」
「ただ……今はあの強さに一ミリでも近付きたいの……訳のわからないことで殺された村の人々や、生き残った仲間たち……ヰガルさまと反政府組織の人々……皆、もっと生きたかった筈なんだよ……地球上でこんな悲しい思いのままで死んで行く人を少しでも減らしたいの……それだけだよ……タラレバはなしだし、死んだ人間は生き返らないけど、これから先、そういう人が一人でも減らせれば良いと思っているよ」
結果だけ言えば、リンのこの思いが地球上で叶う日はこなかった。六十億人の人間が一致団結し、利害関係なくひとつになれるような事件が起きることはなかったからだ。しかし、そのような大規模災害や宇宙人の侵略戦争、異世界との激突を回避した数々の記録に残らない前哨戦の中に、シルヴィスと共に戦うリンの姿があったことだけは記しておこう。
後に地球最高戦力に数えられることになる少女の物語は、まだ始まったばかりだった。
了。