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「いいか!? おまえら!! 気合い入れろよっ!!」
円陣の真ん中で手書きの地図を広げた少年が叫ぶ。
その円陣を形成しているのも少年九人と少女一人、つまりこの中に大人はいない。
「おう!」
「今日が最後の日で、明日は最高の日になるんだ!!」
「おうっ!!」
円陣より視線を外に移して見れば、周囲は廃屋が並ぶ何処かの集落。
煙突から出る煙もない。廃墟と化したその場所を正確にいうならば、元村だろう。
密林の真ん中にポツンとある無人の元集落の広場に、その少年少女たちは円陣を作っていた。
真ん中の少年の言葉だけ聞けば、そこがサッカー場で、少年サッカー全国大会の決勝戦直前に見えなくはない。
なぜそんな風に見えるのかといえば、彼等がお揃いのユニホームを着ていたからだ。
しかし、ここは廃村の広場であり、周りに観客もいないし相手チームもいない。
そして、彼等は足元にボールではなく、肩から物騒な物をぶら下げていた。
彼等がサッカーのユニホームを手に入れたのは偶然だ。
その意志とは関係なく、円陣を作っている少年少女の数は十一人だったが、そもそも彼等はこれがサッカーのユニホームであるという認識もない。
この村にはテレビもなかったし、小学校の授業でルールを教える教師も存在しなかった。
どこかの裕福な国から着られなくなった服を段ボールに詰めて送りつけて来た物の中から、背中に番号の入った物を選んで貰った。それだけのことで、二週間前の話だ。
──フォーメーション確認の為に、背中の番号が使い易かったから──
それだけの理由で、現在その服を着ている。
広場の外れに小さく盛られた土の山が四十ほどあり、その頂には木の枝を無造作にクロスさせ荒縄で縛った十字が刺さっている。簡単に言えばそれは墓だろう。
まだ雑草の芽も出ていない真新しい墓が四十。新しいということは、その中に埋められた元人間も新しいに違いない。
「お祈りは捧げなくて良いの?」
円陣構成員唯一の少女が真ん中の少年に質問した。少女は十一番、少年は一番を背につけている。
「祈っても誰も助けちゃくれないさ! 大人は死に、俺たちより小さい子も皆死んだ。俺たちがその間いくら祈っても誰も助けてくれなかっただろ? だからお祈りはナシだ」
「そっか……」
彼女は納得したのか一度円陣から外れ、十人の顔を一人ずつ見た。
それから静かに目を瞑り小さな手を併せ、なにかに祈った。
「リン……お祈りはいらないぜ?」
「わかっている。だからこれがあたしの最後のお祈りだ。今ここにいる十人があたしより長生きしますように……そして、作戦が成功しますように……」
細かい聖句をいくつか挿み、彼女は祈る。
他の少年たちはそれを黙って見つめ、祈りが終わると同時に広場の真ん中から散開した。
広場一杯に広がった十一人の少年少女の陣形が、サッカーの基本フォーメーションだったのも偶然だ。彼等はこの長く感じられた四十日の間に、幼い頭を必死に回転させ生み出したのだ。
この時点から遡ること四十五日前、突如村は襲われ、彼等の両親、祖父母、兄弟姉妹は皆殺しにされている。
生き残った彼等は五日間泣き通しながら広場の隅を掘り返し親兄弟の亡骸を埋め、村長の息子が生き残っていたので、その隠し財産を密林の奥まで取りに行き、その全てを換金し、20キロほど離れた街の裏世界から銃器を購入した。
子供だと思って足元をみられたかも知れないが、彼等にとって上等な銃火器が手に入り、一カ月近くこの場で訓練を繰り返していたのだ。
「打倒! 政府軍部隊! 俺たちの両親兄弟を殺し、村を焼いた悪鬼共に鉄槌を下す!」
「おう!」
四十五日前まではそれなりに平和だった村を襲ったのは、彼等にとっては味方である筈の政府軍だった。少なくとも大人たちは四十六日前までは政府軍に村を守ってもらう側だったのだ。
その腐敗した政府軍の駐留部隊が逃げ惑う女子供を容赦なく撃ち殺し、村を焼き払った。
彼等は知らないが、村が焼かれる前の月、山二つほど離れた集落が同じ理由で焼き払われている。
つまり、政府からの少ない給料だけでは生活に困る地方部隊の一部が、集落を守る見返りを求めたのが発端であり、人里離れた集落はその賄賂を拒否し、更に村の若者を密告に街まで走らせようとしたのである。
その若者は街に着く前に捕まり、焦りを感じた駐留部隊は集落を襲った。
真相は口封じだが、この駐留部隊の正式な報告書には、
──該当集落は反政府ゲリラへの内通の疑いがあった為、部隊を派遣し殲滅──
という文言で処理されている。
リンたちの村も同じ扱いを受けた。村長は頑なに賄賂を拒み、信頼できる傭兵に中央政府への嘆願書を預けたが、中央まで届く前に駐留軍の襲撃を受けたのだ。
他の十人がどうやって生き残ったのかをリンは知らない。
彼女はその日、村の隅にある厨房施設の係が当たっていた。この村の食事は全てそこで作られる。各家庭にある竈はお湯を沸かしてお茶を飲むのに使う程度の小型の物だ。
リンも子供であるので、料理は任されない。彼女に与えられた役目は大型の竈の火を起こすという仕事だった。
週に二度は当たる係であったので、リンはいつも通り大型の竈の中に入り、火種になる小枝に火を付け、三つある竈のひとつに火を起こした時だった。
鍋に入れる水を汲みに行く係だった少女の悲鳴と銃声が同時に聞こえた。
そして土の壁に掠める銃弾の音。
彼女は咄嗟に火を入れていない竈に飛び込み、火を付ける為に父親に借りた簡易ライターと薪を握り締め、ガタガタと震えながら銃声が納まるのを待ったのだ。
そこでパニックを起こし屋外に飛び出さなかったのが、生き残った最大の理由だ。
竈は勿論耐火性に優れていたし、厚く塗り固めた土が銃弾を通さなかった。
しかし、運良く生き残ったリンが竈から這い出て外で見た物は、昨日までの平和な村ではなかった。
藁ぶき屋根に火がついている自分の家が真っ先に目に入る。その中には両親とまだ乳飲み子の弟が二人いる筈だ。走り出そうとする彼女だったが、井戸の前で息絶えている水汲み係の少女が視界に入る。そしてその少女の母親だったものが自分の家との間の草むらに倒れていた。娘に危険を知らせようとしたが間に合わなかったのだ。
リンが外に出た時、既に村の中に生きている者は彼女も含めて十一人しかいなかった。
彼女は泣き喚かず、唇を血が出るほど噛みしめて村の中を見回す。
今晩のおかずになる筈だった鹿を仕留めた村一番の射撃の名手であるオジサンが自宅前の路上に転がっている。その手にライフルではなく、家の中にあったであろう子供をあやすガラガラ音の鳴るおもちゃを持って息絶えている。
村に通じるメインの道路を走り去る軍用トラックの後部が見えた。その後部幕にでかでかと描かれているのは、リンくらいの年齢の子供でも知っているこの国の国旗。
動いている人間を一人だけ見つける。
村長の自宅前で、火の付いた扉を毛布で必死に消火しようとしている子供だ。
それが現在一番のユニホームを着ている村長の末っ子、コウだった。
「コウ!」
叫んで村長宅の前に走る。火がついているのは扉だけではなく、家全体だった。そして、耐火設備もへったくれもない家はあっという間に炎に焼かれ、崩れ落ちるところだったのだ。
毛布を振り回すコウの腰に飛び付き、扉の前から引き剥がす。
それと同時に村長の家が崩れた。
「親父と……母さんと……婆ちゃんと……兄貴たちが……中にいた……」
暫くの間呆然とし、崩れ落ちた村長の家を見つめていた。
生き残った十一人の中でコウが最も年長者であった。
彼等は泣きながら広場の隅に穴を掘り、焼け跡から引きずり出した亡骸を埋めたのだ。
その間、となりの集落の人ですらこの村に近寄らなかった。
理由は先に述べた通りで、この村も反政府ゲリラの支持者と報告された為だ。
ここが日本であれば、コンビニもスーパーもないこの状態で子供十一人が一カ月以上誰の支援もなく生きて行ける筈もないのだが、生憎ここは日本ではない。彼等は幼くして日本ではサバイバルと言われそうな生き方を既に身につけていた。
年少の者が密林の中を歩き獲物を追い詰め、コウが銃で仕留める。獲物は鹿であったり野ブタであったり、野鳥であったりと様々だったが、食べるのに困ることはなく、生き残った者がいるとは思っていない政府軍も、井戸に毒を投げ込むような真似はしていないので、飲み水に困ることもなかった。
そして、彼等の精神が困窮の状態を打ち破った。
それは復讐心である。
コウがその提案をした時、誰も反対しなかった。
「父が残してくれた財産を全て金に換え、武器を買おうと思う」
年長の三人で村長の財産を処分し、街で武器を購入した。
それで彼等の財産は全てなくなり、調べ物をするのが日課になった。
コウが街の図書館で軍事関係の資料を読み漁り(文字の読み書きが出来るのはコウだけだった)リンを含めた年長二人はリンの記憶を頼りに村を襲った部隊の特定を急いだ。
部隊の特定が出来たのはほとんど奇跡としか言いようがない。
政府軍内部でもそんなことは日常に思われたのだが、見返り要求して断られた腹いせに村を襲撃した部隊はひとつしか存在しなかった。それでも軍内部の機密であるので、子供だけで簡単に調べられるものではなかった。
勿論彼等はパソコンも持っていないし、携帯電話も所有していないので、ヤ●ー知恵袋に質問することもできない。
年長者であるコウとリンが夜の街で情報を集めることになり、ほとんど不眠不休で二人は情報集めに奔走した。村に残った年少組は年中組の指導で銃器の扱いに慣れさせる為の訓練を重ねている。
この部隊特定までに二十日間が使われ、あとの二十日間は軍事訓練に費やされた。
誰一人文句を言う者はおらず、全ては親兄弟、村全体の仇討ちの為に彼等の体力も頭脳も使われた。
コウが選択した作戦は簡単に言うと早朝の襲撃である。
当該部隊は単独で陣を構えており、村から最も近い政府の駐留軍だ。
これが他の部隊と一緒であれば、彼等は手が出せなかった。
まずは人数差が最大のネックである。当該部隊人数は百名で、それに対する子供たちはたったの十一人。使える武器に制限もあった。年少組は拳銃には慣れたが、自動小銃は重過ぎて使えなかったのだ。リンは年長組だが体が小さく、女の子でもあったので力が弱く、自動小銃に向いている体型とは言い難かった。また、車の運転をできる者もいない。輸送手段は村で二台だけ焼け残った自転車だった。当該部隊駐屯地傍に廃屋があり、武器をそこに運び込んでいたが、とても効率は悪かったとしか言いようがない。
コウが朝を選んだ理由は簡単明瞭で、兵士たちが起き出して最初にする行動を観察したからである。
兵士たちは朝起きると拳銃も持たないままで、朝食を食べに食堂に集まる。
粗末な食堂の壁が薄い板でできていることをコウは偵察して知った。
百人に反撃させずに、こちらが銃撃を加えるのが最短距離に思えたのだ。
最初は食堂に爆弾を仕掛けることを考えたが、百人を一度に吹き飛ばせるような量の爆薬を買うことができなかった。
この地方は明け方特有の気象条件があり、朝霧が深いという特徴がある。それを考慮したコウの襲撃作戦は完璧に思えた。少なくとも彼等は子供であるので、それ以上の作戦は思い付かない。
円陣を組む数時間前、村長の焼け崩れた家から古びたラジオを掘り起こし、街で入手した電池を入れたところ、音を発した。それが幸運にも明日の天気予報であったことで、彼等は自分たちに見えない神の手が差し出されていると思ったのだ。
夕方に村で最後のフォーメーション確認を行ったあと、彼等は当該部隊の駐屯地に向けて歩き始め、深夜に廃屋に着き休憩仮眠し、日の出前に起きだして出発した。
年長組三人、年中組四人、年少組四人の子供部隊は、重機で踏み固めただけの道路を徒歩で駐屯地に近付いた。
道と呼べるものはその一本しかないのだ。
駐屯地は崖を背に作られていて裏口はない。
最初の関門は出入り口付近にいる五人の兵士だ。彼等は寝ずの番兵であり、土嚢を重ねた銃座を構えている。銃座に二人、土嚢の外に三人。
深い霧に包まれた駐屯地の朝が来ようとしている。
コウは全員いるかを確かめ、無言で合図を送り、リンを先頭にフォーメーションを作る。
ここで重要なのは銃座の占拠である。
村でも似たものを作って何度も練習した。
音をたてずに近付き、五人の兵士を行動不能にし、銃座を占拠する。
これに失敗した場合、作戦は最初から失敗である。
眠気に耐えてあくびをしようとした兵士の首にナイフを突き出す。リンの身長では正直届かない距離なのだが、兵士のあくびは途中で止まった。他の四人もナイフを突き付けられて、身動き出来ない。コウが最後尾から現れ、一人ずつ後ろ手に縛り上げ、さるぐつわを噛ませる。
恨みのある兵士たちに容赦する必要はないのだが、ここで悲鳴のひとつも聞こえては作戦自体が駄目になる。
「ここからが本番だ。皆、気を抜くなよ?」
コウと年少組の一人が銃座に入り、音をたてないように大型の機銃の向きを食堂方面に変更する。銃座の外には年少組の中でも体の大きい二人が残り、比較的反動の少ない小銃を構える。
年長組一人と年中組三人、年少組の残り一人が食堂の入口付近までほふく前進。リンと残った年中組一人は銃座横でまだ待機していた。
深い霧の向こうで兵士たちのざわめきが聞こえるが、それは普段の様子と変わらない。こんな朝からゲリラが襲ってくることなど頭にないような普通の会話が聞きとれた。
部隊のほぼ全員が食堂に集まっている状態、コウは二日間寝ずにこの駐屯地を見張り続け、時間がずれる夕食時ではなく、全員が集まる朝食時を狙った。
しかも兵士たちは起き抜けでほとんど武装していない。
軍隊として素人で、しかも子供である彼等の勝機はそこにしか存在しなかった。
太陽の光が深い朝霧を払い、食堂の輪郭がはっきり見える時までコウは待つ。
コウも含め、この子供たちはお世辞にも射撃が上手とは言えなかったからだ。
食堂近くに停車しているトラックの陰に隠れていた五人が見えた時点で、コウは引鉄を引いた。
突然の銃撃に食堂内がパニックになるのは予想通りの展開だ。
銃座の両脇の二人もなにか叫びながら食堂の壁に向かって撃ち始める。
トラックの陰から五人が飛び出し、銃弾を避けて食堂出入り口から出て来る兵士に向かって銃弾を浴びせる。
「……行くよ?」
その光景を見て少し委縮した年中組最後の一人の背中を叩いて、リンは食堂とは別の方角に走り始めた。
これもコウの観察のお陰だが、部隊の中で朝食を一人だけ食堂で食べない兵士がいる。
それはこの部隊を率いる部隊長だ。
リンと年中組最後の一人はその隊長のオフィス目掛けて走ったのだ。
部隊の壊滅も仇討だが、本当に殺したいのはそれを率いて命令した人間だとコウは皆に言った。そしてその役目をリンに託したのだ。
「百人のゴミ掃除は俺とサイが率いるチームで充分だぜ。リンは自動小銃が持てないけど、俺たちの中では一番小回りが利くし、拳銃での射撃もうまい……だからクイと二人でこいつをぶっ殺してくれ」
そう言ってコウから渡された写真をもう一度確認し、腰から拳銃を引き抜く。
部隊長のオフィスから食堂方向の銃撃音が聞こえていない訳はないのだが、その扉を開け放って様子を窺う部隊長の姿を確認できなかった。
「? リン姉、この騒音の中で部隊長はまだ寝ているのかい?」
「……そんな筈はないと思う……」
小声で話しながら二人はドアに近付く。
突然ドアが開き、中から人が飛び出してきた。
二人は同時に拳銃を構えたが、その人物が食堂から部隊長のオフィスに朝食を運んだ半裸の手伝いだと気付く。こんな朝から一体中でなにをしていたのやらという疑問と走り去る女性を見送ったのが不幸の始まりだったとリンは後述することになる。
オフィスのドアから視線を外した隙を部隊長は見逃さなかったからだ。
リンの右肩に激痛が走り、後方に吹き飛ぶ。
「リン姉っ!!」
クイはそのリンの姿をまたもや追ってしまった。ここは味方が撃たれてもクイはドアから視線を外すべきではなかった。それを彼は命をもって知ることになる。
右肩を撃ち抜かれて吹き飛んだリンは、クイが撃たれる光景を見てしまった。
撃たれて吹き飛んだのはリンと同じだが、撃たれた場所が体の中央より少し上だ。
村での訓練中、あれほど足を止めるなとコウに注意されたのに、二人は守れなかった。
クイは即死だ。
部隊長は勿論朝から食事当番の娘とイチャついていた訳ではなく、食堂方面の銃撃音を聞いた途端に娘の服を破って半裸にし、オフィスのドアから尻を蹴飛ばし外に出したのだ。
普段禁欲を旨とする兵士にとって、半裸の女性は目を奪う。
部隊長の勘違いは朝の襲撃を仕掛けてきたのが反政府ゲリラだと思ったことくらいだろう。
ただ、外で半裸の女性を見送るバカな敵二人が子供であっても油断はしない。その子供二人が片手に拳銃を持っていれば尚更だ。
クイが即死だったのに対し、リンは右肩を撃たれただけだったので、必死に起き上がろうと努力していた。リンは撃たれた際に拳銃を放りだしてしまっているので、部隊長からは痛みにのたうちまわる愚かな子供にしか見えない。
「どうしてこんな子供が?」
当然の疑問を口にしながら、部隊長がリンの傍まで歩いて来る。
その銃口はリンに向いたままで、部隊長に油断は感じられない。
痛みで気絶しないように気を張る彼女だが、手元に武器がないのでは、部隊長を殺せない。
リンを眼下に見下ろす位置まで来た部隊長が、無造作に軍支給の靴底の厚いブーツでリンの右肩を踏んだ。
「アウっ!!」
「……よく見れば顔立ちの整ったお嬢ちゃんじゃないか……向こうで死んだのは男の子か……なんの目的でここに襲撃を仕掛けている?」
リンの右肩を踏んだブーツに大人の体重が掛かる。普通に踏まれても痛いだろうが、銃撃を受けた右肩の激痛が電気のように体中に走り、リンの体を激しく痙攣させた。
「……もう一度訊くぞ? そのふざけたサッカー少年団のユニホームを着たお前等は、どうしてこの駐屯地を襲っているんだ?」
右肩から足を避けてくれたが、代わりに銃口を胸に充てられる。
リンは死の恐怖と戦いながら、恨みの籠った目を部隊長に向けた。
「四十六日前……お前が率いる部隊はあたしたちの村を襲い、村長を含む村人全員を殺した」
部隊長の目が一瞬つり上がったが、すぐに彼は表情を冷徹なものに戻した。
「まったく最近のガキはとんでもないことを考えるものだな。大人しく村人と一緒にあの世に行っていれば、こんな恐怖を感じずに済んだだろうに……朝の食堂を狙ったのは賞賛に値するが、俺の部下を何十人か殺したことに変わりはない。当然償いは死だぞ?」
──コウ、ごめん……あたしとクイは失敗した──
そう思いながら視線を食堂方面に向けると、一方的虐殺になる筈だった食堂でも反撃が始まっていた。
考えてみれば簡単な話である。
食堂に集まった兵士は、生きている人間であって人形ではないのだ。
最初の銃撃で壁際に座っていた十数名は即死だったし、丸腰で出口から外に出た者も確かにいたのだが、ある程度経験を積んでいる兵士は拳銃を常備していたし、すぐさま床に伏せた者もいた。更には食堂の壁が銃弾に耐えられないと瞬時に悟った兵士が連携しテーブルを倒しバリケードを作っていたのだ。
パニックを起こし出入り口に殺到した者は、待ち構えた子供たちに確かに撃たれた。
それを見た数名は銃撃のない方の壁を軍靴で蹴り壊し反対側に飛び出すことに成功している。そして、その方向には彼等の寝泊まりしている兵舎が立ち並んでおり、そこに辿り着ければ当然普段使っている武器が枕元に置いてある。
それを手に取り、予備の武器を持ち、食堂に向かう。子供たちにとっては悪人だが、彼等兵士は政府軍の正規兵であり、仲間を助けに戻ることは当たり前だろう。
「このガキ!!」
コウたちのいる銃座の左側にいた年少組の一人に兵士が飛び掛かる。コウがしっかり縛り上げた五人の見張りの一人が縄抜けに成功していたのだ。
大人の拳を顔面に受けた年少組の一人が銃座の横にある土嚢に吹き飛んで来た。
これもコウの作戦の甘いところを露呈した形になる。
縛り上げた五人を食堂攻撃と同時に年少組に射殺させておけば、この事態は起きなかったからだ。縛り上げたことで安心した子供たちは、そのひとつの行程を省いてしまった。
子供にとっては緻密な作戦でも、本当の戦いであれば行程を省いただけで形成は逆転する。
銃座からのコウの支援射撃が一瞬なくなったのを、食堂の兵士たちは見逃さなかった。
誰に命令された訳でもないが、その牙は食堂出入り口を封鎖していた五人の子供に集中する。
リンは倒れたままの姿勢で、その様子を見ていることしかできなかった。
「仇討なんぞ今時流行らねぇ真似しやがって!」
部隊長が叫びながらリンの右肩を蹴飛ばした。
リンは気丈にも悲鳴を上げなかったが、今この瞬間、それを偉いと褒める人間はここに一人も存在しない。
部隊長オフィスの脇に停めてあったジープのタイヤにぶつかって止まる。背中を強打して息が詰まる。
部隊長が方腕でリンの胸ぐらを掴んで持ち上げる。武器のない怪我人の子供を一方的にいたぶるのは彼の得意技だろうし、大人なら誰もが負ける訳がない。
リンの小さい体は簡単に宙に浮く。
子供がしたことでも、部下が殺されたのであれば、容赦する理由は彼にひとつも存在しないのも事実だ。
「今度はベッドで大人の対応を見せてやろうか!?」
そう聞きとれたが、リンには意味がよくわからなかった。
部隊長はリンをそのまま自分が出て来たオフィスの中に放り込む。
リンの重さは野球のボール並みと判断されたのか、下投げではなく上投げの形でオフィス内の床にストライクで投げ込まれる。頭から床に突っ込めば、そこでリンの生命も流石に途絶えたのだろうが、部隊長の手にユニホームが引っ掛かって少々速度が落ちたので、右足から床に落ち、バウンドする形で今まで部隊長が寝ていたであろうベッドに落ちた。
スローイングされた際に引っ掛かったユニホームが部隊長の手に残る。
「すっぽ抜けた……まあ、脱がせる手間は省けたな」
リンの抵抗力がほぼ皆無だと感じた部隊長は、邪悪な笑みを浮かべながら言い、舌舐めずりしながらオフィスのドアをくぐった。
全身に痛みのあるリンはベッドの上で荒く息を吐き、なんとか起き上がる。ユニホームが脱げてしまったので上半身裸だが、生憎まだ胸は出ておらず、羞恥心というものはなかった。胸を隠す為ではなく、右肩の傷を止血する為に上げた左腕が偶然胸を隠している状態で、シーツを血で染めながらなんとか部隊長を睨んだ。
「本当の女にならずに死ぬには惜しい美人ちゃんだ。せめてもの情けで俺がお前を女にしてやろう」
言葉の意味はリンには不明だったが、なにかされることだけは理解できた。
ただ、リンの頭はそのセクシャルな言動の部隊長ではなく、親兄弟の仇としての部隊長を殺すことしかない。なにをされるかは想像の域から出ないが、部隊長は歩いてリンに近付いている。つまり、走っているより動きが遅く、飛び掛かられて馬乗りになられている訳ではない。
かなりの出血で目が霞み始めているリンにとって、これは最後のチャンスタイムだった。
ほとんど動かなくなった右手が自分の尻に触れたのは偶然だが、その尻ポケットにコウがくれた最後の武器があった。
──ピンを抜いてから三秒だったかな──
尻ポケットの中にあるのは、手榴弾だ。
基本的に兵士たちを撃ち殺すことしか考えていなかったので、リンはその武器の使い方をイマイチ理解していなかったが、部隊長がベッドの上に乗った時点でピンを抜けば、自分もろとも爆死できる。リンから見ればスーパーマン並みの部隊長だが、この最後の攻撃を咄嗟にかわせるとは思えなかった。
部隊長は大人しくなったリンが諦めたのだと判断したようだ。
──あと一歩……いや、二歩近付いたらピンを抜く──
「……まあ、それくらいにしとけよ。オッサン……」
その第三者の発言はリンにも部隊長にも、あまりに突然の出来事だった。
二人が対峙している間に、オフィスのドア付近にもう一人男が立っていたのだ。
しかも、視認してみれば大男で、部隊長より頭ひとつ身長が高く、気配を消してオフィスに近付いたとは思えなかった。
「誰っ! ゴフっ!!」
部隊長は振り向き様に『誰だお前は!?』と叫ぼうとしたのだろうが、大男の左拳が振り返ることも言葉を最後まで喋ることも許していなかった。
開きかけた口の辺りに左拳は直撃し、憐れな部隊長は吹き飛ぶことも許されずにその場に崩れ落ちる。吹き飛ばなかった理由は、大男が殴る瞬間に一歩右足を踏み出して部隊長の足を踏んだからだ。
「……誰?」
部隊長の代わりにベッドの上のリンが口を開く。
大男はオフィスの外に落ちていたリンのユニホームを右手に持っており、それを放って寄越した。
「多分俺の予想だと、お前は『モリナカ村』の生き残りだな? 俺たちはモリナカ村の村長の嘆願書を受け取った者から依頼された者だ。中央政府への嘆願書だったようだが、何故か反対側の勢力に届いてな……まあ、細かい話は後でしてやるから、まずは服を着ろ。そして傷の手当てだ……」
腕がうまく動かないリンに近付いた大男は、無造作にリンの腕を掴み、ユニホームを着せた。
尻ポケットから手榴弾を取り上げ、これも無造作に外に放り投げる。
ピンはリンの人差し指に残っていた。
大男の行動は無造作という言葉がよく似合うが、計算されているのか、大男に殴られ一度崩れ落ちた部隊長が援軍を呼ぶ為に外に這い出たその場所に手榴弾は飛んでいる。
大男の幅がかなり広いので、リンは部隊長が手榴弾で粉々に吹き飛ぶ光景を見ることができなかった。
「おーい! 軍医はいねぇのかぁ! 出血が酷い子供が一人生きているから! 早く来いよ!」
大男が叫ぶと、オフィスのドアをくぐってもう一人男が現れた。大男に比べると妙に華奢なイメージの男で、髪は腰まで長く、全てが金色に染められていた。
「手榴弾は投げる前に『投げるぞぉ』とか叫んでくれないと……危ないじゃないかシルヴィス」
「……シルヴィス?」
リンの疑問符はもっともで、その大男にこれ以上ないくらい似合わない名前だった。
「おう。悪いな太郎」
「……タロー?」
それに対する金髪青年の名前が太郎なのも、かなりの違和感がある。
更に疑問は、彼等はどう見ても反政府ゲリラではなく、外国人だった。少なくともリンの知る反政府ゲリラの格好ではないし、金髪青年は軍服ですらない。
もうひとつ疑問が浮かぶ。
──どうしてあたしたちの国の言葉で喋っているの?──
ただ、こんな素朴な疑問は後回しだった。
「コウたちはどうなったの?」
仲間であり、今では家族である村の生き残りの心配の方が先である。
言葉に出したあと、リンの頭は後悔で一杯になる。シルヴィスの顔が曇ったからだ。
「あと十分……いや、五分早くこの場に着けていればな……犠牲者はもう少し減らせただろう」
そう言ってシルヴィスはリンから視線を逸らした。
オフィスの外には手榴弾の爆発跡があり、その向こうにはリンより先に撃たれたクイの亡骸が横たわっている。太郎が仰向けに起こし、両手を胸の上で組ませてからコートを脱いで被せていた。
「コウというのは銃座に座っていた男の子かい?」
その太郎はオフィスの中をウロウロし、棚の中を引っかき回している。泥棒しようとしている訳ではなく、救急箱を探しているのだ。
「うん、そう……あたしたちのリーダーよ……」
「そっか……彼は助かった筈だよ。僕が入口を通った時は生きていたからね。シルヴィスの部下と銃座を交代して、ゲリラの人と一緒に後退した筈……君と同じで腕を撃たれていたけど、手当くらいはしてくれるだろ?」
「ああ、まあな。反政府組織だって鬼の集まりではないからな。しかし、その連中だって政府軍の軍医だって、死体を生き返らせたりはできない……生き残りはお前とそのコウという男の子だけだ……助けに来た筈の十一人の子供のうち、二人生存じゃ話にならねぇ……」
食堂方面の銃声は既に止んでいた。
シルヴィスと太郎は単独でリンたちの救出に来た訳ではない。
リンから見ていくらシルヴィスが超人に見えても、彼も人間である。そして本来の目的はリンたちの救援ではなく、単純に悪徳部隊の排除だった。
「戦場で『タラレバ』はないって、よく僕にも教えてくれたじゃない? 十分遅れて九人の子供が死に、敵の部隊は壊滅させた……酷な言い方だけれど、そういうものでしょ?」
「ああ、それは太郎の言う通りだ……」
「ああ、あった、あった。救急箱を机の下に隠す意味ってなんだろうね? この国で医薬品が貴重品で、消毒薬ひとつが僕らの国で買うより数十倍も値が張るのは知っているけどさ……」
リンは二人の会話を聞いていたが、現地語の中でも上級で難しい言葉が含まれており、半分くらいしか理解できていなかった。
「そう言えば名前を聞いていなかったね。手当するから袖をまくってくれるかな?」
「あ……はい……」
リンは不思議なほど痛みを感じていなかった。出血量が多過ぎて意識が朦朧としているのも原因だが、シルヴィスが彼女から手榴弾を取り上げた際、瞬時に傷の度合いを見定め、ポケットから出した注射器で彼女の太腿に注射していたからであった。
「で? 名前は?」
「……リン……」
「そうか、ではリン。お前の村を襲った連中の始末は俺たちがしたからお前の仇討ちは終わった……お前はこれからどうする?」
シルヴィスが話しかけてリンの注意を引いている間に太郎が素早くリンの傷口を消毒し、リンの注意が傷に向きそうになるとシルヴィスが口を開くというシステムが完成されていた。
「まずはスコップ……」
「スコップ?」
「うん……死んでしまった九人を村に運ぶのに自動車も必要かな……四十六日前に死んでしまった村の人たちと一緒に埋めてあげたいから……」
太郎の手はその言葉で一瞬止まったが、すぐに手当てを再開する。太郎は見た目が二十歳くらいの若者にしか見えないが、その手さばきは熟練の医師のように的確で素早い。
「そうか……辛いかも知れないが、その後で今回の事件の全てを証言してくれ」
「どうして?」
「ああ、それはお前の話を聞きたがっている俺の『友達』がいるんだよ……」
「その友達はここには来ていないの?」
「来ていたんだが……」
そう言ってシルヴィスは食堂方面に視線を戻した。誰かの気配を探っているような顔をしてから「どうやら先に帰ったかな。あいつは忙しい奴だから……」と言い。ポケットからタバコを取り出して火をつけた。
「シルヴィス! 太郎先生!って……ここにいたのかよ?」
シルヴィスと同じ格好の兵士が一人オフィスに走って来た。
「どうした? 今はちょっと手当ての最中だから、報告云々は待って欲しいんだが……」
「ジョンソン。僕は『医者でもなんでもない』んだから、先生は止めてくれよ」
二人が同時に口を開いたので、言われたジョンソンは面喰った表情をしたが、用件は急ぎであったようだ。
「ああ、悪かったよ。だが緊急で撤収命令が出ているんだ……銃座の機銃音が思ったより響いたみたいでよ。街の方からこっちに政府軍部隊が向かっているって話だ」
「数は?」
「この辺の駐屯部隊全部だとさ……ここの部隊が全滅だとわかれば、空爆も有り得るそうだ」
「太郎、どうだ?」
「……今縫合したから、あとは包帯巻いて……おしまい」
「ジョンソン。俺たちより先にこの駐屯地を襲った英雄たちの回収は?」
「ああ、それはそこにいる負傷者と外の亡骸を収容すりゃ終わりだよ」
「リン……」
「はい?」
「俺たちも墓穴掘りは手伝うから、それは明日で構わないか?」
「うん」
「太郎」
「ん?」
「お前が華奢でもリン一人くらいなら背負えるよな?」
「ああ、それくらいなら……シルヴィス?」
シルヴィスの顔がだんだん怖いものに変化しつつあった。
「悪い……スコップ持ってあとから追うから、お前等は先に撤収しろ……ジョンソン」
「おう」
「反政府組織の長であるヰガルの奴に言っておけ……次の作戦立案は最低でも『三十分捲け』とな。いらない犠牲が出る戦い方をしやがったら、契約を解除するとも言っておけ……」
「ああ、わかった……合流地点は例の場所で良いんだな?」
「ああ、明日の朝までに戻らなければ、そのままお前等はこの国から撤収しろ」
「……了解」
会話の意味を吟味しようと頭を回転させていたリンは、太郎に突然持ち上げられた。
「リン。説明はあとでちゃんとするから、今は大人しくしていてね……」
「うん……」
ジョンソンがクイの遺体を回収して背負い。太郎とリンもその後に続く。
オフィスに一人残ったシルヴィスは、もう一本タバコを取り出して火をつけた。
「……これはダメだな……怒りが収まらねぇ……幼い子供の死を見てキレるなんざ、俺はガ●ラかよ……」
そう日本語で呟いて立ち上がったシルヴィスの顔から、表情が消えていた。
その日、反政府ゲリラに襲われた駐屯部隊支援の為に動員された政府軍の兵士たちは、視認することのできない巨人によって壊滅するという前代未聞の大参事に見舞われる。