キャンディ・ガール
こういう作品を書きたかったんだ〜!!
以上、作者の叫びでした。
まぶしい、まぶしすぎる。五月になって窓から差し込む朝日が攻撃的になった。汗で髪がベトベトだ。今の会社に入社してもう三年くらいたつのか。いわゆる三年離職のような危機には瀕していないが、厳しい部長の顔が浮かんで憂鬱になる。休みてー、でも休めねー。今の状況、自分が抱えている仕事の量プラス今日も舞い込むであろう仕事のことを考えると39度くらい熱が出ないと休めないだろう。そんなことを考えながらも着々と出勤準備を進めている自分を思うとすっかり社会人、サラリーマンに染まっちまったなと少し悔しいが、どれだけ悔やんでも電車の時刻はやってくる。星占いは11位か。せっかくなら最下位にしやがれ。そのほうがスッキリする。ラッキーフードはペロペロキャンディ。ねえよ、今頃。
実家が田舎だから仕方なく都会のほうへ引っ越してきて一人暮らし。駅まで徒歩5分のアパートは交通には便利であるがやはり田舎に比べて家賃は高い。それもまあ仕方ないことだ。びしっとスーツを着てドアを閉めてカギをかける。うちの田舎じゃ施錠すらしなかったが、もうこっちへ来て三年。やはり中に誰もいない部屋を開けっ放しにしておくのは気が引けた。でも金目のものなんてないから入られたってかまわないのだが。しかし最近は物騒だからいきなり刃物を突きつけられることもあるそうだ。やはり警戒しすぎてしすぎることはない。
そんなことをまだ完璧に働いていない脳で考えていると聞きなれない声がした。ただとりあえず駅に急いでいる俺は一瞬気になったもののスルーした。
「お兄さん!」
さっきより声が大きく聞こえる。
「お兄さん!キャッチ!」
いきなり右の太ももに違和感を感じて振り返ると、まだ十代だろうか、少女が俺の太ももをがしっと掴んでいた。
おいおい、なんだよ。なんか気持ち悪いけどどうすればいいんだ。足を振り払っても離れずしがみつくものだから無理に前へ足を進めるとそのまま少女も引きずられてきた。少しの間、足を引きずっていたが駅に向かう人の数も増え、このままじゃ何か勘違いされると思い、少女の説得に入った。
「ごめんね、ちょっと離してくれるかなあ、お兄さん急いでるんだ」
にこやかにそう少女に話しかけると少女は顔をぱっと上げ
「キャンディ買ってくれ」
そう言った。
そう言ったんだけど会話が成立していないことに気づいて俺は必死にその少女を離そうとしながら説得を続ける。
「ちょっと頼むから、離してくれよ、何?これ、新手のキャッチセールスかな。太ももキャッチ!ってそのままじゃないかあ、ははは」
「だからキャンディ買ってくれよお」
にこやか作戦を打ち切り、今持てる自らの全ての力を使って少女を引き離しにかかった。
「だから、もう離してくれってば。てか力強いね、君」
自分のほうが息が上がっていた。それにこれ以上引き離そうとすると俺の右足そのものが引きちぎれる可能性がある。
「もうどうしたら離してくれんだよお」
情けない声を振り絞って言うと満面の笑みで少女は返した。
「キャンディ買ってくれたら離してあげる」
「わかった」
俺は財布から千円札を取り出した。ぐちゃぐちゃにして入れていたせいで野口英世が怪しく笑っているように見えた。笑われてるよ、俺。
「ありがと!お兄さん!」
千円札を渡した途端、やっと俺の大事な右太ももは開放され、少女は信じられない速度で駆けていった。
「おい、お釣りは・・・・・・」
返さなくていいか。少々痛いが今はそんなこと言ってる場合じゃない。腕時計を見る。走ればまだいつもの電車の時刻に間に合う。急がなければ。
さっきの少女との格闘と運動不足の体での駅への全力疾走に加え、この満員電車の熱気は非常に苦しい。ハアハアと大きく息をしたいもののこんなに人がいる中でそれをやるのは気が引け、不規則で不自然な呼吸を繰り返して鼓動が収まるのを待った。苦しい、非常に苦しいぜ。
こんな生活早く脱出したいよ、せめて賞をもらえればなあ。
俺は大学時代、ある作家の小説に魅了され俺も書きたいと思い、小説家を目指していた。いや、現に今も目指している。大学生の頃は卒業したらバイトで食いつないで小説を書きまくって華々しくデビューするぞと意気込んでいたが、もちろん両親、親戚一同に無視された。それでも俺はやってやると思っていたのだが案外小説家の中には別の職業を持っている人も多く、いわゆる兼業作家という道もあるのだと考えた。同級生達が企業の内定をもぎ取っていく中で俺もとりあえずはどこでもいいから就職しようと考えた。そう言うと両親も安心してくれたし、自分自身、惨めな思いはしない。ただ小説家になるという思いだけは心に強く持つことにしたのだ。だが、現実は甘くなく、賞に応募するどころか仕事が忙しすぎて書く暇がない。はじめに思ったようにシフトの自由なバイトに変えて夢をもう一度追いかけようとも思ったが、もうこの生活に慣れてしまい収入が激減してしまう生活は考えられなくなった。つまり俺の夢は挫折したのだ。適当に仕事を選んだ以上、到底やりがいがあるとも思えず、ただ激務をこなしサラリーをもらう典型的なこの国の標準形になってしまった。
けどやっぱり夢は俺の心の隅っこで以前と変わらずふつふつと沸いているのだ。
電車が到着してごったがえす人の波にまぎれながら駅を進んでいく。自分の力で歩かなくても自然に流されていきそうだ。
いつまでこんな生活を続けるのだろう。最近永遠にこの生活が続くのではないかと錯覚さえ起こすことがある。
改札を出るとやっと人の波はそれぞれの出口へ分かれて自分の意思で歩けるようになった。ひとつため息をついて俺も駅出口を目指すと目の前に見たことのある少女がキャンディを舐めて俺を見ていた。
見なかったことにしよう。
それにしてもその棒つきのグルグル模様のキャンディはどこで売ってたんだ。そしてなぜここにいるんだ。
「さっきはありがとう、おつりを返すの忘れてたんだ。これを買ったあと、渡そうと思ったらお兄さんがいないじゃないか。電車に乗るお兄さんの姿を見たから仕方なく乗ってきたんだ。すぐに渡して近い駅で降りようと思ったけど人が多すぎてこの駅になったんだ。キャンディありがとう」
俺もしっかり手を差し出して少女から五百円玉を一枚受け取った。
それ五百円もするんだな。
さてと会社へ急がねば。
「お兄さん、私もキャンディを買ってもらっておいて何もお返しをしないような失礼なやつじゃない。これからお返しをする」
「いいよ、このキャンディは俺からのプレゼントだ。気にせず受け取ってくれ」
もう十分失礼だよ、と心の中でぼそっとつぶやいた。
「そうはいかないよ。お兄さん、現代人は言いたいことも言わずに心に溜め込んでしまう傾向があるらしい。それがストレスとなり、様々な病気を引き起こしてしまうらしいのだ。そうなっては手遅れだぞ。言いたいことははっきり言わないと・・・・・・って井上のおばさんが言ってたぞ」
誰だよ、井上のおばさんって。
「私は特殊な能力を持っている。この手を相手の心臓に当てるとその人の本音を読み取ることが出来る。お兄さんにも本音と建前というのがあるのだろう。だから私が代わりに言ってやるよ」
やっかいなこと言い出したな。やっぱりキャンディなんて買うんじゃなかった。
「そうか、それはすごい能力だ。ただお兄さんは急いでいるんだ。わかるよな・・・・・・わかってくれよ」
言ってるそばから少女は俺の心臓に手を当てて目をきつく瞑って歯を食いしばっている。そろそろ駅にいる人の目線が気になってきた。
しばらくすると満面の笑みで少女は言った。
「読めたぞ、お兄さんの本音」
「そ、そうか。それは良かった、それじゃあ急ぐんで」
少女から逃げるように俺は早足で会社へ急いだ。時計を見る、結局ギリギリじゃないか。
「任せろ、私が代弁してあげるよ」
少女が俺の足並みに合わせるようについてきている。もう無駄に話をしていると間違いなく会社に遅れてしまう。とりあえず急げ、俺。
会社についてエレベータに乗り込む。そして少女もなぜか乗り込む。
「なんとか間に合ったよ、疲れた。君は何してるの、ここまでついてきて、学校は? 学生じゃないのか、制服着てないもんね。お母さんに怒られるよ、勝手に会社の中に入ってきたりしたら」
少女は聞いていない。
目的の階に到着した。少女は俺が降りるより先に降りて俺の袖を引っ張った。
「行くぞ」
どこにだよ。
少女はオフィス内を進んでいく。散らかった俺のデスクの前を素通りして部長のデスクの前で止まった。部長は目を丸くしている。
「おはよう、鈴木君。この女性は?」
「いや、その何というか」
俺が必死に弁解しようとしていたところ、少女は部長のデスクにドンと手を置いて演説を始めた。
「ゴホン。俺はこんなおもしろくない仕事もうやりたくない。給料だけのためにこんな性悪部長の下でなんか働きたくない。部長がミクちゃんと不倫していることはみんな知っています。俺みたいな平社員はそんな上司の命令に対しても常にイエスマンでいなければならない。もうたくさんだ、こんな会社。今すぐやめてやる。俺には小説家になるという夢があるんだ。おかしければ笑えばいい。でも俺は本気だ。たとえ小説家として成功しなかったとしても、それでも俺はこの夢には挑戦する価値があると思っている。安定していることが人生の全てか。もし九十九人がそう言っても俺はそれに抵抗する一人でありたいんだ・・・・・・とお兄さんの心は言っている」
俺は冷や汗が止まらなかった。頭が真っ白になって思考が停止した。しかし何か音が聞こえる。拍手だ。振り返るとオフィスのみんなが拍手している。
「やるわね、鈴木君」
「カッコイイっす、先輩」
確かに俺の本音だった。言ったのは俺の横にいる少女だが。拍手や賞賛の声があがり温かい空気がオフィス内に充満し始めていたが、俺の目の前の人物は血相を変えていた。
「鈴木君。実は上のほうから人員整理の話があってね、私も困っていたんだが自ら辞めたいという社員がいて良かったよ」
部長の声は怒りに震えていた。
「お前なんかさっさと辞めちまえ!」
最悪だ。おせっかい少女とともにオフィスの外へ追い返された。ただオフィスの同僚や後輩は絶賛してくれた。
「私は応援してるわよ」
「なんかスッキリしますね、最高っす、先輩」
もう弁解する余地もなく、とぼとぼとエレベータに乗り込み、俺はビルを後にした。
「スッキリしただろ?」
少女がそう言うので、いくらなんでも不倫のことは言わなくても良かったと説教してやろうと思ったが、正直に言うとスッキリしていた。ただこの現実はどうなのだろうか。
「なんなんだよ、君は」
歩きながらため息交じりに少女に言った。明日、会社に言って部長に謝罪しようか。でもこのピンチはチャンスかもしれないと少し思っている自分もいた。
「なあ、お兄さん」
少女は前を見たまま俺に言った。
「人生の王道を目指す人がこの国には多い。整備された人生の道。その道を進めることはとても幸せなことかもしれない。ただこれはあくまで一般論だ。人によっては人生の王道というものは冷たいコンクリートの道のように感じるかもしれない。それは果たして幸せといえるのだろうか。それならば整備されていない土や泥の道のほうがいろんな虫や植物に出会えてその人にとっては幸せなのかもしれない。誰もが人生の王道を進むことが幸せであるのだと勘違いをしている・・・・・・と私のおじいさんが言ってた」
「君のおじいさんは立派な人だ」
その通りだと俺は思う。ただ社会人になった俺にとってその理想を実行することは想像以上に難しいことなのだ。この少女も大人になればわかるだろう。ただ、やはり俺は今日ひとつのチャンスをこの少女から与えてもらった。
「よし、恩返しも終わったことだし、私は帰る。キャンディありがとうな、もう一本をゆっくり味わいながら帰るよ」
二本買ってたのか。
一本二百五十円だな。
どうでもいいや。
「おい、君はいったい何者なんだ」
この問いに返答は無く、少女はもう街の雑踏へ消えていた。
今日の星占いは良く当たっていたなとどうでもいいことを考えていた。運勢が最悪。でも最下位じゃなかったところがこれまた良く当たっている。
明日からどうしよう。
解放感と同時に少々の不安もある。
でも俺は少女から少し勇気をもらった。これからのことはゆっくり考えよう。
そうだ、久しぶりに小説書いてみるか。
題名は『キャンディ・ガール』だ。
意味わからなくてゴメンナサイm(__)m
そして最後まで読んでくれた方
ありがとうございます!