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第3夜

海がひっくりかえった。

今日の空はそれくらい青かった。どこまでもどこまでも青かった。どんな淀みや悲しみだって薄めたら消えて無くなってしまうんじゃないかって思えるほどに。

この季節に相応しい空気の冷たさも、少しだけ早めに顔を出した春の風に包まれて、寒く感じることはなかった。

そんな青い世界のとある小さな町で、変わり者のお爺ちゃんの葬式はひっそりと行われたんだ。

葬式とは、人の死を弔うために行われる祭式だけど、同時にこっち側の世界に残された人たちのためのものでもあるらしい。

その人の死を受け止められるように。

もしかしたら、向こう側の世界とこちらの世界の境界線は、今日みたいに真っ青な海と果てしなく続く蒼い空の境目のように淡くてとても分かりづらいところに存在するんじゃないだろうか。


そう思いながら式場に入ると、その独特な雰囲気と線香の匂いが、ぼくの鼻をつんとしてお爺ちゃんの死を実感させる。

ああ、もう向こう側にお爺ちゃんはいるんだ。そう思った。

変わり者のお爺ちゃんは、いつもあんなにひとりぼっちだったのに、今日は黒を身にまとった人たちがたくさん集っている。その黒々しさは、まるで死に群がる死神だ。

その人たちがお爺ちゃんにとってどんな人たちだったのかはわからないけれど、せめてその人たちにとってはお爺ちゃんは大切な人であったと思いたい。そうしたら、向こう側の世界ではお爺ちゃんは、もうひとりにならずにすむ気がするから。

正面に飾られた遺影は、いじめっ子たちから、ぼくと一緒にからかわれたあの日よりも少し若々しいお爺ちゃんだった。その写真のお爺ちゃんには優しさが滲んでいる。

ふと、愛している人のそばに居ることは、案外難しいものなのかもしれないという考えが頭をよぎった。だって、お爺ちゃんは長い間、生きることをやめなかったせいで向こうの世界へ旅立った愛しい人に会うことができなかったんだから。

「きっと、おばあちゃんのところに行けて嬉しいんだろうな。」

ぼくは呟いた。

「何でそう思うの?」

その声は突然風のようにぼくの隣で鳴った。

あの白いワンピースの女の子だ。

その子はこっちを見て、

「何でそう思うの?」

ともう一回訊いて、目元を緩めて笑わせてみせた。だけど口もとには微笑んでいるようでそうじゃない冷たさを感じたのは気のせいかな。

昼間に会うその子の肌が夜に会うそれより、あまりにもワンピースの色に似ているものだから、ぼくはその肌の白さに驚いた。女の子の方が、お爺ちゃんよりも向こう側の世界に近いんじゃないかって錯覚するくらいその子の肌は白くて眩しかった。

「きみの爺ちゃんは、おばあちゃんを亡くしてから色々と変わったみたいだったから。」

その驚きを隠すようにぼくは彼女の問いに答えた。そんなぼくの表情なんか気にも止めず、その子は言った。

「でもおばあちゃんからしたらもっと生きててほしかったんじゃないかな?」

「もう80歳とかだろ?もう十分生きたと思うけどな」

「おばあちゃんからしたら80だろうと90になろうと愛しい人には少しでも長く生きてて欲しかったんじゃないかな。だって愛しい人なんだもん。」

「なるほど。」

彼女の言葉が分かったようで分からないぼくは、ひとまずそう言葉を残して考えてみたけれど、理解できなかったからたずねてみた。

「何でそう思うの?」

けれど、その問いは儚く消えた。

「何でもよ。」

その子はそう言って式場の外へ消えて行った。

すれ違う横顔には一粒の涙が零れたようにぼくには見えたんだ。

その後、式場に戻ってきた彼女は、姿を隠すようにひっそりと部屋の片隅に座っていた。誰にも気づかれたくないみたいに。

そして、ぼくはそれっきり声をかけることができなかった。


「なんて情け無いやつなんだ」


ぼくはいつだってそうだ。



「もうお爺ちゃんはこの世界にはいないんだ。」

式場をあとにするとき、ぼくは呟いた。

お爺ちゃんの死を受け入れるために。


その日の夜、ぼくはいつもの特等席で彼女が公園に現れるのを待っていた。その間、夜は月を綺麗に映し出して、ぼくには冷たい息を吐いた。

「あの子はお爺ちゃんもいなくなったし、元の家に帰ったのかな。」

夜は黙ったままぼくを眺めている。

お爺ちゃんのいない初めての夜は、お爺ちゃんのいた最後の夜と変わらない、いつもの夜だった。

ネクタイを緩めていつものようにスーツをくたびらせて帰るサラリーマン。自転車を押しながら他愛もないおしゃべりに花を咲かせて帰る女子高生たち。どこからか香る夜ご飯のいい匂い。今日はカレーかな。道路沿いに見える部屋の灯りが今日もピンク色のカーテンを染める。そのカーテンの奥に誰が住んでるのか気になるのか、その部屋を眺めながら歩く青年。実はその部屋にはカーテンの色には似つかわしくないおばさんが住んでいることをぼくは知っている。

どこを見渡しても、お爺ちゃんがいなくなった跡は見当たらない。元からこの世界にはお爺ちゃんは存在していなかったように、いつも通り時間は進んでいく。

そこにはいつもの日常があって、安心してるはずなのに、心細さと虚しさが僕の身体を行ったり来たりして落ち着かない。

それでも、あの子のことを考えていたら、ふとお爺ちゃんのことが羨ましくなってきた。

だって、自分のことを想って泣いてくれる人がいてくれるんだから。あんなに変わり者扱いされて誰の相手にもされなかったお爺ちゃんだったのに。葬式きていた僕の知らない人たちの中にも泣いている人がいた。何人もいた。泣いてくれる人がいた。

嫉妬に似たその感情は、同時に虚しさも感じさせた。

ぼくは今日も涙を流すことができなかった。

泣くこともできなかった。

その分だけぼくは自分を嫌いになってしまうのも知っている。


涙を流すことができるのが羨ましい。


その分だけ感情が心を震わせて、その人には心があるんだよって教えてくれるから。

ぼくは感情をなくしてしまったんだろうか。

心をなくしてしまったんだろうか。

涙を流せないたびぼくは不安になるから。


あの子は話をした時、たしかにあの白い頬に涙をつたわせて整った口もとへ落としていった。

なんて羨ましいんだろう。ぼくは心配よりも先にそう思っていた。

そんなぼくにはお構いなしに、夜は雲ひとつない夜だった。

「月が綺麗だ。」

そういってぼくは、寒くて両手でそれぞれの腕をさすった。空気はまだ冬を忘れたくないみたいだ。


その日の夜、白いワンピースの女の子はとうとう姿を現さなかった。



「今日は遅かったじゃん。」

キミはいたずらな笑みを浮かべながらこっちを見てそう言うと、また視線を机に戻して絵を描いていた。

まずぼくは夢の中の状況を把握することに努める。ここは音楽室らしい。

扉を閉めて右手側が教室の正面で、大きな黒板が堂々としている。そして目線の先には大きなグランドピアノがそびえ立つ。

そして、左手側が生徒が座る場所になっている。


「なにやってるの?いつものとこに座らないの?早くしないと昼休み終わっちゃうよ。」

黙々を絵を描きながらキミは言う。


どうやらここはぼくとキミがよく来る場所らしい。だからなのか、なんだか居心地がいい気がする。ベランダの特等席のような。

音楽室で絵を描くのもどうかと思うのだけれど、彼女もまた彼女でここで絵を描いているのが心地いい様子だ。そんな顔をしている。

といっても顔はぼやけて分からないのだけれど。だけど、どんな表現をしているのかだけは分かってしまう。そんな夢なのだ。

「何描いてるの?」

「え、ただの落書きだよ。授業の間とかも眠気ざましにもよく描いてるんだけど、見せたことなかったっけ?」

「ううん、絵を描けるなんて知らなかった。」

そういってぼくは、彼女のところへ近づくとその絵をのぞいた。

彼女曰く暇つぶしの落書きだというが、その絵は落書きにしておくにはもったいないくらいとても上手かった。キミには絵の才能があるらしい。

ここが変だ、ここをもうちょっと丸くかければもっとよかったのにとかなんとか、ぶつぶつ自分の絵に文句をいっている姿がなんだか可愛かった。

もとから明るくて人懐っこい性格のキミは、何人かの男子から好かれている。夢の中の設定がぼくの頭の中へ情報を押し込んでくる。

その人懐っこくて、いわゆる男ウケしそうな仕草が原因なのか、女子生徒からはあまりウケは良くないらしい。

「なんでいつも音楽室に来るの?」

ぼくはそれとなく聞いてみた。

「友達とかと一緒にいると疲れたりしない?嫌われないように愛想笑い浮かべたり話し合わせたりして疲れちゃうから。息抜きって大切でしょ。」

彼女自身もあまり友達を作りたがらないみたいだ。

「キミは人間が嫌いなの?好きって言われるのも嫌がってるみたいだし。」

キミは手の動きをとめてペンをはしらせるのをやめた。

「違うの。人間が好きだから嫌いにならないように深く関わらないようにしてるの。例えば、友達と話をしてるとするじゃない?でも話をしてるうちに、あっ、この子のこの考え方イヤだなって思っちゃったりするの。その度に、あー自分って心の汚れた人間だなって思うのも、その子の自分にとって好きじゃない部分を知るのも怖くて。」

「なんか女の子って大変なんだな。」

ぼくは正直な気持ちを言葉にした。

「まあね。」

キミは少し悲しい顔をして、またペンを走らせた。

「だから、ここに逃げてきてるのかもね。」

そう言いながら苦笑いを浮かべて絵を描き続けた。

その後、昼休みが終わるまでの間、僕らは同じ空間にいるっていうのに言葉を交わすことはなかった。


ぼくは自分に向かって呟いた。


「なんて情けないやつなんだ。」


その言葉を合図に昼休みを終えるチャイムの音がした。


目覚ましはケタケタと鳴り響き、ぼくを夢の中から呼び覚ます。

そして、やっぱりぼくは今日も自殺志願者だった。

次回に続きます。

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