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第2夜

夢から目覚めたその場所は、いつもと変わらない何気ない世界だった。

眩しい日差しが差し込む、「平和」というフレーズがお似合いないつもの風景。

夜のそれとは違う、騒がしい街の音、何かに脅迫されたように急ぐ人々、本音を飲み込んで笑い合う声たち。すべてが嘘でできたんじゃないかって疑いたくなるくらいの朝だった。

今日もぼくは目覚めてしまった。


ぼくは朝が嫌いだ。


朝が来るたびに、また生きてると実感する。 そして死にたいという感情と葛藤して、たどり着く先にはいつも、理性というものがぼくを助けて生きてる現実。


「なんて情けないやつだ。」

だから、ぼくは今日も生きている。


眩しいくらいの青が街を包み込んでいる中、いつもの道を歩いていると、近所のおばさんたちが噂している話を聞いた。

近所の井口さんが亡くなったのだという。

井口さんとは、昨日の夜、白いワンピースの女の子と幸せそうに笑いながら帰って行ったあの変わり者のお爺ちゃんのことだ。

ぼくは、昨日の夜あんなに元気そうだったのにと驚きはしたものの、どうしてかあっちの世界に行ってしまったことについては、不思議だとは思わなかった。

人に限らず生き物は必ず死んでしまうものだ。

これは勝手なぼくの推測だけれど、あの白いワンピースの女の子はお爺ちゃんの孫で、女の子が夜な夜などこかに行ったものだから公園に迎えにきたんだと思う。だから、あの夜、ホッとしたように普段は固く結んだ口元を緩めて笑っていたのかな。

そう考えると、お爺ちゃんはあっちの世界に行く前にあの子に会えて幸せだったんじゃないかって思えたんだ。

それにあっちの世界に行くと、お爺ちゃんの一番大切な人にも、また逢えるのだから。


ぼくがもっともっと小さい頃、お爺ちゃんはおばあちゃんとふたりで仲良く暮らしていたらしい。もう何十年も一緒にいるというのに、それはそれは幸せそうなふたりだったと近所の人たちは言っていた。


ふたりがどれだけお互いを大切にし合っていたのかなんて、今のぼくには想像もつかない。だけど、きっと「愛」という言葉に相応しい感情がふたりを、ただふたりだけを一本の線で繋いでいたに違いない。その線は張り詰めてるわけでもなく、緩すぎるわけでもなく、お互いが心地いいくらいの距離感で、それでいてふたりの心の臓の最も近いところでしっかりと繋がっていたんじゃないかな。

そうじゃなきゃ何十年もそばにいるなんてこと不可能だ。

だから、不意にその繋がっていた線が切れてしまったとき、「愛」という感情は、その深さゆえに心臓の近くではじけて、人を狂わしてしまう力があるらしい。

お爺ちゃんもその例外ではなかった。

おばあちゃんが肺癌で亡くなってしまってからは、お爺ちゃんは人が変わってしまった。

外に出ることは滅多になくなり、小綺麗にされて明る雰囲気だったふたりの家も、ぼくが物心ついた頃には、今にも魔女が出てきて手招きしそうなくらい陰気な木々たちに覆われたひとりぼっちな家へと変わっていた。季節も逃げ出すくらい、何年もその家の周りは変わることはなかった。

お爺ちゃんが幸せだと思っていた世界は、最愛の人を失った瞬間、モノクロでなんの味もしない景色に変わってしまって、お爺ちゃんは、その異世界の景色から抜け出せなかったのかもしれない。

誰かを愛してしまうことは、その時から悲しい結末へとカウントダウンをはじめるしことなのかも。


そう思ってぼくは少し怖くなった。


お爺ちゃんは幸せだった何十年分もの世界の裏側に迷い込んだまま、ひとりぼっちだったんだろう。幸せだった分の悲しみは、計り知れずその後何年もの月日の間、お爺ちゃんを包み込んでいたのだろうか。そう思うと少し悲しくなった。でも涙は出てきてくれそうになかった。


ぼくが小さい頃から近所の人たちが、「昔はあんなにいい人だったのにね。」などと言っては、今では偏屈になったお爺ちゃんを煙たがって遠ざけていたのをボクは知っていた。


でも、ぼくはそんな変わり者のお爺ちゃんが嫌いにはなれなかった。


まだ小学生の頃のぼくは、身体も小さくて口数も少なかったからか、いじめられていた時期があった。

そんなある日の放課後、学校の帰り道にいつもいじめてくるやつらがいて、その日は無口なぼくをからかいながら、小石を投げるという刑を執行していた。ぼくはその刑の執行に無力ながら抗っていた。

そんな時、たまたまお爺ちゃんがネギと大根のはみ出た買い物袋を片手に、そして、もう片手に杖を持ってぎこちない足取りで現れたのだった。

「お前らなにをやっとるんじゃ。」

そう言ってお爺ちゃんは杖を振り回してそいつらを煙に巻いた。きっとぼくを助けてくれようとしたのだろう。

だけど、さすがに片足が不自由な杖を持ったお爺ちゃんも小学生の俊敏さにかなかったのか、最終的には、ぼくと一緒にいじめっ子たちにもて遊ばれて終わった。ある程度刑の執行をしてそいつらも飽きたのか、「また明日覚悟しとけよ。」というセリフを残して帰っていった。

結局、変わり者のお爺ちゃんはぼくの巻き添えを食ってしまっただけで終わった。爺ちゃんは、落としてしまったスーパーの袋に、散らばった買ったものを入れ直してお尻をはたいた。その背中は惨めなくらい小さなものだったけれど、その時の僕にはその背中がとても優しくて大きく思えたんだ。

正直、その時の記憶ははっきりとは頭には残っていないのだけれど、そういえばあんなことがあったよなと中学になった頃、いじめっ子のひとりだった同級生に言われたことがあった。

そんなこと言うくらいなら助けてくれたってよかったのに。とは思ったものの、その頃からひねくれてたぼくは、人なんて自分が損することなんてしないもんかと納得したのを覚えている。

ふたりしていじめられたその時は、さすがにお爺ちゃんはバツが悪そうに、「お前が悪いんじゃ」って怒鳴っていたけど、その目は優しさが滲んでみえた。

その後、ぼくがお爺ちゃんの大根やねぎがはみ出たスーパーの袋を持って、一緒に歩いて帰ったのだけれど、その途中に少しだけ会話した。それが、ほとんど唯一残されたふたりの会話。

「おまえは弱さそうだがな、別にあいつらみたいに強いだの粋がるだの、そんなものをひけらかすような人間にならなくていいんだ。そのままでいい。」

変わり者なお爺ちゃんは杖を片手に、少し足を引きずってゆっくりと歩いてぼくを横目に言った。若い頃に事故にあって左足に少しだけ障害が残ったらしい。

「普通、そこはもっと強くなれとかいうんじゃないの?大人ってそういうものでしょ。」

小学生なぼくは素直に疑問をぶつけた。

「どんなに強くなったとしても、それは全部錯覚だ。そうやって強がるやつほど、本当は弱いもんなんだ。」

変わり者のお爺ちゃんはやっぱり変わり者だ。なにを言っているのかさっぱりわからない。

「どういうこと?」

「弱いものでも強くなれる魔法があるんだ。なんだと思う。」

お爺ちゃんは少し目を輝かせて顔は正面に向けたまま僕に聞いた。

「魔法なんてあるわけないじゃん。なんなんだよ。その強くなれる方法って。」

珍しく変わり者のお爺ちゃんはニヤッと笑って、

「それはな、勇気という魔法じゃ。」

薄汚れた袖で顔を拭きながらお爺ちゃんは続けた。

「弱いものでも勇気さえあれば大抵のことはできるようになるんだよ。しかも勇気はどこでも手に入るときた。昔はな、俺もお前のように弱々しいやつだったがな、勇気っていう魔法を使って幸せってものを手に入れた。そりゃ、色んな苦労もしたけどその勇気のおかげでわしは大切なものを手に入れられた。それは形ばかりの強さだけじゃ手に入らんもんだ。言ってることわかるか?」

こんなにちゃんとお爺ちゃんが話しをしているところも、得意げに話す表情もぼくは初めてみたから少したじろいだ。

ううん。って横に首を振ると、変わり者のお爺ちゃんは豪快に笑いながらぼくの頭をぐちゃぐちゃになでて、「大人になってるたびに自然とわかってくもんさ。それまではわからんでいい。ただ我慢の日々だな。」と言ってさらに笑った。

ぼくはやっぱり変わり者は変わったことを言うものだと思った。

変わり者のお爺ちゃんとの思い出は、そのくらいしかない。そもそも滅多に家から出ないからあうタイミングさえもないし、ぼくも中学や高校に上がってからは爺ちゃんのいる町の方へは滅多に行かなくなっていたから。今ではもう大切な思い出だ。

今頃思ったって遅いのだけど、もっと話せてたらよかったなって素直にそう思った。


その日の夜も、ベランダの特等席でいつものように街を眺めていた。こんな近所なのにまだ見たことない人とかもいて、その人がどんな生活をしてどんなことが好きなんだとか、ひとり妄想しているとき、昨日と同じくらいの時間に白いワンピースに赤いマフラーをした女の子はまたあの公園にやってきた。


てくてく。


自分の身体ではないじゃないかってくらいぎこちなくその歩みは続く。


てくてく。


その歩き方が、妙に心を落ち着かせてくれる。

今夜もその子はブランコに座ると足に力を入れてエイっと浮力をつけて身体を揺らしはじめた。

ぼくはその子が気になって、しばらく特等席から眺めていた。

そうしたら急にその子はこっちの方を見て大きく手を挙げて手を振った。そして予想外に大声で叫んできたんだ。

「そこのベランダから覗いてる変質者さーん!こっちおいでよー!」

ぼくは戸惑った。こんな近所で人の目もある中、そんな大声で変質者呼ばわりされるなんて思っても見なかった。焦った。正直焦った。というか、こっちから見ていたことはバレていたのか!誤解を解かねば!

そう思い、急いで、ベランダから道に飛び出して、公園へ向かった。歩いて1分もしない、ただ目の前の道を横切るだけのことだけなんだけど、久しぶりに走ったから少し息が上がって、両膝に手をあて身体を支えうなだれてた。

なんて惨めなんだ。

きっと雲ひとつない今日の夜が嘲笑ってるに違いない。

「あんなところで公園覗いてるなんて変わってるのね。」と女の子は冷たい目線を向けてきた。

なんて惨めなんだ。

ぼくは弁解も含めて、

「別にきみのことをのぞいてるわけじゃない。あそこにいるのがぼくの日課で、たまたまきみが公園にいてそれが視界に入ってきただけだよ。変質者でもなければストーカーでもないし、むしろ変な誤解で、ぼくの楽しみの邪魔をしないでくれないかな。せっかくくつろいでたってたのに近所迷惑ったりゃありゃしない。」

その子は辺りをひと通り見回すと、

「別にご近所さんはあなたのことなんて気にしてなんかいないから安心して。ほら、誰も覗いてさえいないし、立ち止まってさえいないじゃない。それよりなんでいつもベランダなんかにいるの?寒くないの?」

外見に似合わず、結構ずばずば物事を言う子なんだなと思いつつぼくは反論した。

「あそこが一番落ち着くとこなんだよ。ぼくの住んでるところなんだからどこにいてもいいだろ。」

そう言って、変わり者のお爺ちゃんのことが気になっていたから、

「それより、お爺ちゃん残念だったね。昨日あんなに楽しそうに一緒に帰ってたのにな。」

彼女は少し驚いたようにして言った。

「やだ。そんなところまで見てたの?やっぱり変質者じゃん。怖いんだけど。」

ぼくはしまったと思いながら続けた。

「そんなんじゃなくてさ、お爺ちゃん帰るとき幸せそうな顔してたろ?ああなる前に、きみに会えてよかったんだろうなって思ってさ。」

そういうと、急に女の子はそれまでのいたずらな目から切なげな目になった。そして色々な考えを巡らしたような素振りを一瞬見せて言った。

「わたしは、そういう役目だったの。」

「え、どういうこと?」

思っていた答えが返ってこなくて戸惑ってぼくは尋ねたつもりだったのだけれど、その回答もまたぼくを困らせた。

「秘密。」

その一言をいったその子は、今までとは違う翳りのある眼差しをしたのをぼくは見逃さなかった。

でも、それはほんの一瞬のことで、またいじらしい眼差しへと変わって言葉を続けた。

「初対面な人にそんなところまで言えるわけないじゃない。変質者さんは無粋な人ね。」

「・・・ごめん。」

釈然とはしなかったものの、たしかに踏み込み過ぎたなと思って素直に謝った。

「別にいいの。ねえ、明日お爺ちゃんの葬式なの。少し顔だしてよ。わたしもこっそり忍び込むからさ。」

「きみはお爺ちゃんの孫なんだろ?別にこっそり忍び込まなくたっていいだろ。」

ぼくは苦笑いして言った。

その言葉に対して「わたしにも色々あるのよ。あなただって色々あるでしょ?」と言って、「じゃあ明日ね」というセリフを残し、そのてくてくとした独特の歩き方で夜がうっすら照らす元きた道を歩いて消えて言った。

不思議な女の子だ。

家がどこにあるのかとか名前とか聞くのを忘れていたけど、不思議とそこには気にはならなかった。

明日であの変わり者のお爺ちゃんとも会えなくなるのかと思うと、もう少し話しておけばよかったな。そんなことを考えて、唯一の友の夜と一瞬に辺りを少し散歩して帰った。


「今日は月が綺麗だね。」

夢の中のキミは悪戯な目でそう言って続けた。

「夏目漱石は I love youをそう訳したんだって。 」

「それ正確には、月がとっても青いから。って訳したって説もあるらしいよ。」

僕の口からその言葉がこぼれた。もう何年も前に誰かから教えてもらった気がする言葉だ。

さりげなく辺りを見渡してみると、目の前には校舎があってもう夜が顔を出して辺りは街灯に照らされているふたり以外真っ暗だった。僕らは学校のそばにある自販機の裏側にあるベンチで話をしていた。そして、よくそこで僕たちはよく話していたような懐かしい気がした。

夢の中の夜は、現実のぼくが知っている夜とは違う色をしていた。

「そうだったんだ!」

夢の中の物語はいつだって突然はじまるものだ。

彼女は目を輝かせて大げさに驚いて、飛び跳ねて見せた。「青いってところがいいね」なんてひとりで盛り上がっている。

そんなキミの顔は、昨日の夢のままぼやけてはっきりとわからないままだ。それでも驚いたり喜んだり笑ったりそんな表情はわかるという謎がまた夢らしい。

「ねえ、どうして漱石さんは愛してるって言葉をそう訳したんだろう。」

「んー、その頃の日本人には直接的すぎてそんなこという奴がいるもんかって言って、月が綺麗ですねって訳すもんだって言ってたっていうのは聞いたことあるけど、本当のところはどうなんだろうね。でも、そんな言葉で好きとか愛してるとかって伝わるものなのかな。」

「わたしは、漱石さんの気持ちわかる気がする。ほら、よくさ、恋愛ドラマで俺は君のことが好きで好きでたまらないんだー!とか言ってたりするじゃない?」

僕はひとつの芸術作品のように綺麗な夜空とキミの横顔を交互に眺めながら頷いた。

「その度にいつも思うんだけどさ、好き。って言葉にした瞬間、なんて嘘っぽい言葉になるんだろうって思うの。きっと言ってる本人からすればそうじゃないんだろうけど。」

なぜだろう、ぼくはドキッとした。

「それじゃあ、どうしても好きになった人がいたとして、その人にその気持ちを伝えたくなったらどうしたらいいの。」

「月が綺麗ですね。」

「え?」

「直接的に言わなくたって、その気持ちが伝わる言葉もあるんじゃないかなって。好き。って言ってしまえば、そこでその感情は終わってしまうけど、月が綺麗ですね。って言葉には、好きって言えないくらい好きなんだけど、その気持ちが言葉に表せないから出ちゃった、そんな言葉な気がするの。だから間接的でもその感情が空気に触れて伝わる。そんな気がするの。」

「なんだか、今日のキミは文学的だね。何かあったの?」

ぼくは冗談めかしく笑いながら尋ねた。けれど、彼女は綺麗な月が輝く夜空を眺めながら呟いた。

やっと声として成り立つくらい、吐息混じりの小さな声で。そっと。

「その人のことを知りたいって思えば思うほど、人は自分のことを忘れてしまうものたんだって。」

「え?」

ぼくは肩が触れるくらいに近いのにぼやけてはっきりと見えないキミの表情をみてみた。

「満月だって夜のことを知りたくなって、やがて自分が月だってことを忘れて夜に消えてしまうの。」

そう言って、肩が触れるのも気にせずこっちをみたキミの瞳がぼくの瞳に触れた瞬間、心の奥の奥に隠れていた何かが痛む音がした。


目を開いたらベットにぼくはいた。ベットの中のぼくはいつものぼくだった。


3日目に続きます。

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