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第1夜








夜が涙を我慢するのを、ぼくはじっと待っていた。








ぼくは自殺志願者だ。


毎朝夢から目覚めるたびに、死にたくなる。


死にたい、生きたいその感情を繰り返しながら、結局理性としがらみに身を任せて、生きることを選択している。それが間違いなんじゃなくて、きっと正解なんだろうし、これからもその日々が続くのだろうなと思っている。

意外とこういうぼくみたいな生き物は、思いの外多いんじゃないかって勝手に思ってる。

特に毎日が辛いわけでもなく悲しいわけでもないけれど、その分、どうして生きてるのかその意味を見失いがちだ。

代わり映えのしない世界のせいにしよう。

そう思うけれど、結局、代わり映えのしない世界を僕らは望んでいたりするのかも。

そんなこんなで、生きるってなんだろうって思ったり、幸せとはなんなんだろうと考えたり、そんな答えの見えないことをずっと考えている。それがぼくだ。


そんなぼくには友達はいない。


いるとしたら夜だけだ。


果てしなく続く闇に親近感を覚えて、その優しい静寂や耳をすますと誰かの生活音や色めきあった声、テレビの音や車の喧騒だって聴こえる。その闇に照らし出される部屋部屋の様々な明かりの色。丘の向こうにはビルたちが生き飄々と顔をだし人々を照らし出している。

そんな世界の全てを見渡している夜にぼくはいつからか憧れている。

だから、僕は夜に憧れて、夜をこうして眺めているんだ。

夜から溢れだす恐怖や謎めいた静けさや人々のざわめきや色情、それに夜にしか聴けない笑い声や幸せな匂い。恋人が手を繋いで笑いあって家へ帰っているあったかい感情や、周りを気にせずに泣きながら帰る冷たい感情も、夜は全てを知っている気がして。

そんな夜のような生き物になれる気がして。


部屋の窓をあけて、さして広くもないベランダから、ぼくが住んでいるなんて事のない平凡な街並みを眺めながら、夜に語りかける。


「今日は何か変わったことはあったかい。」


もちろん返事なんてない。返事や反論なんてあったら、それはそれで面倒だ。

だから夜しか友達がいないのかもしれない。

ひとりでいるときにいつもそばにいてくれるのが夜で、いつしか夜がいるベランダでそっとぼくが住んでいる街並みを眺めるのが日課になっていった。

大抵は、なにも代わり映えのしない風景を、時にはコーヒーを飲みながら、時には読書をしながら、いろんな人たちが街並みを通っていくのを夜と一緒に眺めているだけ。ただそれだけ。それがぼくの楽しみ。

それだけで、ぼくはこの街の全てを知っている気になれるから。少しだけ優越感を味わえる気がするから。


今日の夜はめずらしく涙を我慢していた。


ぼくはそれをじっと見ていた。


この景色は何度もあることなのだけれど、こいつがいつその雲という瞼の中から想いを堪えなくなって涙を流すのか、じっと待っているのが好きなのだ。


なぜなら、ぼくは涙を流すことができないから。


それはいつからなのか、なぜなのか記憶は定かではない。忘れてしまうくらい前から涙がこの瞼から溢れて一粒一粒頬を伝うような感触を味わったことがない。その涙が暖かいのかも、冷たいのかさえもわからない。

夜に涙はどんなものか尋ねても答えてはくれないのだ。

とはいえ、百聞は一見にしかず。もしも誰かから、今叶えたい夢はなにかと聞かれたら、おそらく涙を流すことと答えるだろう。そして涙を流して実感するんだ。それがどんな感情でどんな匂いでどんな感触なのかを。でもまだその時は来ていない。


その涙はいつも、夜という友達にとられてしまうから、仕方なく堪え切れなくなるその瞬間を見逃すものかと今日もベランダで夜を眺めているんだ。

窓をあけてそう広くないベランダに窮屈そうに置かれている木製のいす。それがぼくの特等席。この世界で唯一心の落ち着ける空間。誰にもどんな感情にも邪魔されない空間。

誰にも邪魔のされないその場所で、今日もぼくは夜と一緒にいた。いつ涙を流しやがるのかとにやけながら、夜を眺めながら。


今日はもうひとり涙を我慢する夜を見たいやつがいるみたいだ。

ベランダの向こう側に見える通りを2月の中頃だっていうのに、白いワンピースと赤いマフラーだけした女の子が、てくてくと歩いてくる。

ぼくはそこの子の歩き方があまりにもぎこちなかったので興味をそそられてベランダから覗き見ていた。


てくてく。てくてく。


その歩き方はまるで自分の身体ではないようなぎこちなさだったのだけれど、なぜだかぼくにはそのぎこちなさがとても心地よく感じた。


てくてく。てくてく。


その子はベランダからとてもよく見える近くの公園に入っていった。

そして、少しだけ止まって辺りを見渡すと、お目当のおもちゃでも見つけたみたいに、またてくてくとうす暗い公園を歩き出した。


「あの子こんな季節に寒くないのかな。」


ぼくは夜に呟いた。でもすぐに自分もこんな季節にベランダでアイスを齧りながらじっとしてるなんて、人のこと言えないなと思って苦笑いした。


その間にその子はブランコに座って足にぐっと力を入れて身体を揺らしはじめた。

その表情は、雲に覆われた空と街灯にちょうど映らない場所にいたからわからなかったけれど、なんとなく悲しそうな表情をしてるように思えた。髪型かな?もとからそんな顔してる子なのかな?そう思ったその瞬間、一瞬なんだか懐かしい匂いのした風が吹いた。春風にはまだ早いはずの少し暖かい強い風が。それまで風なんて吹いてなかったのに。

学生の頃の放課後に、夕焼けに染まった校舎や校庭になにかを期待して待っていたそんな感情の懐かしさに似ている気がした。そんな一瞬に、そこには誰かが待っている気もした。

公園を見たら、その子がブランコで身体を揺らしはじめていた。


「誰か彼氏とかでも待ってるのかな。」


そう呟いても夜は返事を返してくれない。

その子は、ブランコに身をまかせながら月も星も見えない曇って淀んだ灰色の夜を見上げていた。

夜から涙が溢れでるのを待っているかのように。

そして、夜はとうとう涙をこらえ切れなくなって、涙を一粒、また一粒、僕らの世界に零しはじめたんだ。


「 情けないやつだな。」

ぼくは夜が涙するといつもそう呟く。


夜の涙は我慢していた分、どんどん強くなって眺められる限りの街を、地面を、そして公園を濡らしはじめた。涙の音は次第に悲しさを増していった。


「あの子大丈夫かな。」

そう呟いた時だった。


彼女のいる公園に誰かが入っていった。

そして、彼女に傘をさして何かを話しているようにみえる。体感では5分くらいだったけれど、もしかしたらもう少し長かったのかもしれない。

何かを話し終えたのか、女の子はブランコからそっと立ち上がり、その人と手を繋いで帰っていった。

帰り際、街灯に照らされたふたりを見て気づいたのだけれど、女の子を迎えに来たのは近所で変わり者扱いされているお爺ちゃんだった。

こんな天気だっていうのに、なんだからわからないけど、とても幸せそうに笑っている。

だけど、そんなお爺ちゃんの隣で女の子は涙を流しているようにみえた。もしかしたら夜の涙が彼女の肌を濡らしただけで、気のせいだったのかもしれないけれど、その表情はお爺ちゃんとは対照的に誰かを傷つけた時のように思いつめた顔をしているみたいだった。

なんでたろう。


僕は、その表情を綺麗だと思った。


そう思いながら、椅子から数歩先の、窓の中の生ぬるい世界へ戻っていった。


「 情けないやつだな」

夜がそういう声が聞こえてきた。


その日の夢の中に、ある女の子がでて来た。

誰だかはわからない。顔も声もわからない。

わかるのはぼやけた服装や仕草やそういうところだけ。

だけど、どこかで逢ったことがある気がする。

そして、夢の中のぼくはその子に会えるのを待ち望んでいたように思える。


どうしてだろう。


懐かしくて、恋しくて、触れたくてたまらない。

だけど触れると壊れてしまいそうでぼくは恐れているようだ。


「ねえ、キミの名前を教えてよ。」

「どこかで会ったことあるよね。」


ぼくがそう尋ねても、そのキミは何も言わずに手を振っている。


どれだけ走っても、どれだけ叫んでもそのキミには聞こえてないようで、その場所までたどり着けない。


ぼくは焦ってた。でも何も出来なかった。

そう、何も出来なかった。


その子は手を振ってぼくからどんどん遠ざかっていく。そして白くて何もないところへ消えていこうとする。

ただ、その子は何かをぼくに言っているようだった。口元が動くその部分だけハッキリと見えたけど、何を言ってるのかわからなかった。


そして、その子が白くて何もないところに消える瞬間、その風景がパズルのピースが崩れていくように、剥がれていくように、ひとつ、またひとつ、砕け落ちて消えた。


ぼくは叫んだ。

待ってと叫んだんだ。

何度も叫んだんだ。



目をひらいたその場所は、いつもの何気ない世界だった。眩しくて平和ないつもの日々だったんだ。



その日、近所のおばさんたちが噂しているのを聞いた。昨日白いワンピースの女の子と幸せそうに消えた変わり者のお爺ちゃんが亡くなったのだと。












次回へ続く

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