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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異分化交流

作者: うみどり

大学の方の活動で書きました。

 男は山の中を往く。目的の山小屋はもう眼前に迫ってきていた。辺りは手入れがされておらず鬱蒼としていて薄気味悪く、魔女でも住んでいそうな雰囲気だ。何度となく訪れた場所であるので、男はノックもせずに中へ躊躇なく踏み入る。その山小屋は使われなくなって久しく見る人にどこか古ぼけた印象を与える外装であったが、いざ中に入ってみれば生活感溢れる私的空間が広がっており、部屋の中央には敷いてある布団、それから大儀そうに身を起こして座している女がいた。

 上半身は流麗な曲線美を描く人の姿で、下半身はゆうに五メートルは超す長さを誇る真黒な光沢のある蛇の尾。その長く太い尾の先端付近から二メートル弱に及んで右側面だけが腫れ上がっている。初めはごく小さい腫れだったのだが、往診を重ねる度に徐々に大きく広がってきていることは火を見るより明らかだった。死を詰め込んだような腫れが尾を蝕むにつれ、生の輝きを主張するように尾のツヤはいよいよ増していった。病状の悪化に伴って二人は時間を共にすることが多くなり、やがてただの医師と患者の関係ではなくなった。

「蛇の交尾って一日中続くのよ」

 女の変身願望と進行する病への焦りが大胆な行動を起こさせ、女は行為に耽るふりをして男を絞め殺した。戸外から薪割りに使う鉞を取り出して来ておもむろに振りかぶり、腰、正確には腸骨の少し上、を狙って得物を打ち下ろす。薪割りとは異なる人肉を割く感覚と同時に男の足がはねる。鉞を抜くと同時に、真赤で温かな血汐がはね、返り血となる。幾回か鉞を打ち下ろし返り血を増やしていくのに伴って浴びた部分から漠たる不安がゆっくりと染み込んでくる。不安はやがて恐怖へと変わり、尾を竦ませる。女は取るに足らないことだとそれを一蹴して鉞を自らに宛がう。今度は先ほどと比べて倍以上の時間を要した。その時間の大半が背骨に費やされており、終盤に差しかかってからは鉞を床に固定してそれに背骨を打ち付けて半ば砕くような形で切断を果たした。

 女は嬉々として男の下半身のあった場所へ向かう。しかし、そこにあるはずの下半身がない。あるのは不自然に開け放たれた扉だけだ。女は肉体の切れ端をそのままに、部屋から出るためにズルズルと這いずる。小屋の外に出てからそれはひたひたとした歩みへと変わっていき、やがて疾駆に至る。その姿はさながら男性の下半身のようであった。女は男の下半身が出血することなく真赤な切断面をさらしながらスキップして山道を下っているのを見つけた。それは女に気づいたのか、遁走を図る。それに応じて下半身となった女もさらに速度を上げて追走する。彼我の差が縮まって来ていることを確認してから腕のバネを使って飛び跳ね、腰の上に着地する。すると最初から一個体だったかのように継ぎ目なく接着された。その瞬間に自分ものとなったばかりの足元が覚束なくなった。身体を支えて喪失しかけた意識を再び取り戻したとき、自分の中が晴れやかな心地で満ち満ちてきて女は段々といい気分になり軽やかな足取りで小屋に戻った。出掛けは気づかなかったが、部屋にはかつて男の研究資料が散乱しており、血痕が研究資料や床に点々と飛び散っていた。女は何気なく床から一枚取り上げてそれを読む。


『雌雄同体生物や無性生物等の例外を除いて有性生物についてのみ考える場合、真に生物を支配している器官は脳ではなく、性器である。胚発生の途中まで性器の発生は男女共に同じプロセスで形成されており、性は決定されない。このときの胚は男性にも女性にもなれる状態にあり、第一次性徴後に性器は改めて胚全体を再び誘導する。これを仮に再誘導と名づけた。再誘導された胚は発生し終えた性器の性に従って再分化する。その際、男性的な身体つき女性的な身体つきへと変えられるだけでなく、再誘導は脳にまで及び、いわゆる男性脳女性脳へと再分化する。同様に第二次性徴も性器の再誘導によるものである。これは性別に応じた生殖能力を持たせるだけでなく、男性はこうである女性はこうであるといったジェンダーバイアスをも性器の再誘導による再分化が作り出したものである。

 先日、ラットとモルモットを用いた下半身の入れ替え実験を行った。入れ替えた直後は白のラットの上半身と茶のモルモットの下半身から成るネズミ、茶のモルモットの上半身と白のラットの下半身から成るネズミであったのだが、たちまち両者の上半身の毛は抜け落ちて下半身と全く同じ色の毛が生えてきた。また、白いネズミはアルビノ特有の真赤な眼に、茶色いネズミは真黒な眼になった。ラットとモルモットの性別の組み合わせを変えたりして何度も実験を行ったが、結果は変わらず同じであった。

 次に、二匹のモルモットを用意し、片方のモルモットだけ眼を潰しておく。それから下半身を入れ替える。すると潰した眼は再生し、無傷だった方のモルモットの眼が潰れてしまった。

 これらのことから、性器には種の記憶と個体の記憶の両方が備わっているようだ。

 おそらく、人体でも同じことが起こると推測される』


 男の資料を読み終わった女は、辺りのあちこちに大量の毛が散らばっていることに気づいた。ふと、なんとなく、頭に手を置いてみると、以前と毛質の全く異なる髪の毛が生えていた。あ、あ、と無意識の内に漏れていた声がひどく低い。

 さらに女は信じ難い光景を目の当たりにする。蛇の尾がピクピクと痙攣を始めたかと思えば、活きのよい魚の如くビチビチと跳ね回り、やがて自らが何であるかを思い出したようにスルスルと這い回り、男の上半身とやはり最初から一個体であったかのように継ぎ目なく接着された。

 ゆっくりと身体を起こした男は。

「治療に近道はありませんよ、君」

 その声は既に、女のものになりかけていた。

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