最終話・桃花散る里に咲きて……19
国家老は晴れ晴れとした顔で帰宅した。
妻は夫の顔を見て、やっと安堵できたようだ。
「琴乃。やはり、隠居願いは取り下げるようにとの仰せであった。いずれ家名は甥の修二郎に継がせることになるだろう。大津に関しては、成人後は格別に扶持を下されるそうだ。何でも好きにさせてよいとお墨付きを頂いた。これでわたしも一安心だ」
「そうですか、大津に扶持をいただけるのですか。それは真にようございました」
「こいつめ、殿を南蛮菓子の次に好きですと言いおったぞ」
「まあっ……大津……、なんという事を……」
母は思わず気色ばんだ。
「だって……お殿さまとは、初めてお会いしたのですもの。大津にはお殿様がどんな方かよくわかりませぬ。それに、父上と母上と義高さまの方が大津は好きです」
「もう、良い。殿が寛容なお方だったから良かったものの、父は肝が冷えたぞ。さあ、そちは、義高の所へ貰った菓子を届けに行っておやり」
「はい、行ってまいります」
呆れた顔で大津を見送りながら、不思議な子だと思う。
脆く折れそうな風情の大津の中に、両親は芽吹く強さを感じていた。
……時が流れた。
傷も癒えた大槻義高は、大槻藩主でもある父親に許されて、そのまま長逗留を続けていた。
藩主が烏帽子親となり、無事元服の儀式も終わった義高は、刀を捨てることなく仕官し新しく役職を得ていた。
義高は、国許から持って来ていた薬草の絵図を元に、薬膳所を作りたいと願い出て受理された。
他国で生かされた身上なればこそ、人々を救うために働きたいと思っていた。
後年、襲った飢饉の時に義高のまとめた野草絵図は、多くの民を飢えから救うことになる。
藩医の元で貧しいものも通える養生所を作り、藩の持つ広い畑に種々の薬草を植えた。
その傍らに、男姿の大津の姿があった。
相変わらず線は細かったが、髪を切り茶筅に結って陽を浴び鍬を振るう姿は、長い髪に玉簪を挿した少女のような大津ではなかった。
やけた額に流れる玉の汗を、ぐいと拭った。
「あ、義高さま~!」
「大津。精が出るな。金銭草を干して居るのか?」
「はい。疳の虫にはこれが良いそうです。次々に、必要な薬草を植えなければなりませんから、東の畑をもう少し開墾しないといけませんね。あ、その前に川から水を引く工事の人手が足りませぬ」
「灌漑工事まで気を配っておるのか……白い手が、すっかり荒れてしまったな。そういえば、元肥なども担いでおるそうだな」
「刀だこはありませぬが、百姓のような鍬だこができましてござりまする。ほら……」
「働き者の、良き手じゃ」
義高はいつしか、大津と呼んでいた。
腰を下ろした東屋で、二人手を取り合って見つめていた。
「大津……仕事は辛くはないか?わたしの仕事を手伝ってくれるのはありがたいが、無理をさせているのではないかと、時折心配になるよ。元々、丈夫ではないのだから」
「義高さまのお役にたてるのが、何よりも嬉しゅうございます。それに、大津は草花の声を聞くのが好きです。どうすれば、元気に育つか実が大きくなるか、毎日世話をしていると話してくれまする」
「そうか、大津は草花の声が聞けるのか」
「はい」
「おお、そうだ。今日は久しぶりに道場で高坂殿と、手合わせをしてきた。父上の跡を継いで、間もなく武芸指南役になられるらしい。大津さまは元気にしておるかと言って居った。働き者の花むぐりは、毎日休まず花粉を運んでおりますかな……と言って居ったが、花むぐりとは、大津のことかな?」
「さあ、知りませぬ」
大津は花のように笑う。
愛しき姫が、愛しき人となって、義高の腕の中で咲く。
出会った時に、桃の花の精のようだと思ったいとけない姫は、今は義高の唯一無二の想い人となった。
「義高さま。大津は今が一番幸せでございます」
「わたしもだ」
一陣の風が桃花を散らし、大津が花のように笑った。
―(完)―「桃花散る里の秘め事」
長らくお読みいただき、ありがとうございました。
可愛い大津は、大好きな大槻義高と共に暮らし幸せになります。
次は、大津の父上とお殿様の幼いころのお話を書きたいと思います。
お読みいただければ幸いです。 宵町一葉




