総合評価0ptだった十三篇に、値段がついた日
総合評価0ptだった十三篇に、値段がついた日
「ブラウザバックしたやつら、全員見てろよ」
薄暗い自室で、俺は何度目か分からないままF5キーを叩いた。モニターの中央で読み込みを示す円が回り、やがて昨日と同じ数字が表示される。机の脇には飲みかけのコーヒーがあり、表面には薄い膜が張っていた。
【総合評価:0pt】
【ブックマーク:0件】
【PV:3】
題名は三度変えた。あらすじには対立と結末の予告を入れ、本文も冒頭から書き直し、無駄だと言われそうな描写を削った。三行ごとに読者を引っかける言葉を置き、最後には冒頭の台詞を反転させた。それでも、投稿から二十四時間で本文を開いた人間は三人しかいなかった。
「読まれてつまらないと言われたなら、まだ分かる。三人って何だよ」
小説投稿サイトには、同じ日に何百もの作品が投稿されていた。婚約破棄、異世界転生、追放、溺愛、ざまぁ。新着欄へ載った題名は数分で次のページへ押し流され、俺の短編も誰にも拾われないまま沈んでいった。
ネットの創作論を検索すると、欲しくもない言葉ばかりが出てきた。
『0ptには0ptの理由がある』
『本当に面白ければ、いつか誰かが見つける』
『読者の時間を奪う価値すらなかったということ』
俺は画面を閉じた。指先に力が入り、マウスが机の上で硬い音を立てる。「いつか誰かが」という言葉を信じて、半年待った作品もあった。累計PVは十一、評価は今もゼロだった。
「だったら、待つ場所を変えてやる」
それまでに書いた短編は十本あった。どれも別々の作品として投稿していたが、並べて読み返すと、奇妙な共通点があることに気づいた。どの話にも、赤い傘を持った名もない女が一度だけ登場していた。
一作目では、駅のホームですれ違うだけだった。四作目では、失踪した兄の机に赤い傘の女が写った写真がある。十作目では、主人公の母親が三十年前に書いた日記に、同じ女の記述が残されていた。
意識して仕込んだものではなかった。俺自身も説明できないまま、同じ女を書き続けていた。そこで新たに三本を書き下ろし、十本の短編を一つの結末へつなげた。
題名は『十三本目の赤い傘』にした。
校正は自分で七回行った。表紙はプロのイラストレーターへ依頼し、夕暮れの駅に十三本の赤い傘が並ぶ絵を描いてもらった。本文用紙の色、文字の大きさ、ページを開いた時の余白まで調整し、百二十八ページの短編集を三十部だけ印刷した。
印刷費、出店料、交通費、表紙代。Excelの最終行に並んだ赤字を見て、胃の奥が縮んだ。三十部すべて売れても、利益はほとんど残らない。
「ネットで無料でも読まれなかった本を、千二百円で売るのか」
声に出すと、自分でも馬鹿げて聞こえた。それでも段ボール箱へ本を詰め、値札と釣り銭を鞄へ入れた。少なくとも今度は、新着欄の底で待つのではなく、自分の手で誰かへ差し出せる。
文学フリマ当日、会場には開場前から長い列ができていた。俺は期待しかけたが、来場者は有名作家や目当てのサークルへ一直線に向かい、俺の机の前を通り過ぎた。隣のブースでは午前十一時になる前から完売を知らせる札が立ち、俺の段ボール箱には三十冊がきっちり残っていた。
正午になっても、一冊も売れなかった。
向かいの机から漂ってくるカレーの匂いで腹は鳴ったが、昼食を買いに行く気になれなかった。椅子に座ったまま、何度も見本誌の位置を直す。通路を歩く人と目が合うたびに頭を下げたが、ほとんどの人は題名だけ見て離れていった。
「やっぱり、場所を変えても駄目だったか」
そう呟いた時、一人の女性が足を止めた。灰色のカーディガンを着て、布製の買い物袋を肩から下げている。彼女は見本誌を手に取り、冒頭を二ページほど読んだ。
「これは、連作短編ですか」
「はい。最初は別々に書いた作品ですが、最後の三篇で全部つながります」
「この赤い傘の女性も?」
「つながります」
女性は表紙をもう一度眺めたあと、財布を取り出した。千円札と百円玉二枚が、白いトレーの上へ置かれる。俺は手が震えないよう両手で本を包み、紙袋へ入れた。
「ありがとうございます」
その日、売れたのは一冊だけだった。
帰りの電車で、三十冊分の重さが肩へ食い込んだ。文学フリマへ出れば読者と直接出会える、作品が面白ければ見本を読んだ人が買ってくれる。そんな期待は、一冊という数字になって鞄の底で揺れていた。
家に着くと、売れ残った二十九冊を机の下へ積んだ。着替えもせず椅子へ座り、いつもの癖で投稿サイトを開く。『十三本目の赤い傘』へ収録した十篇は、どれも0ptのままだった。
「一冊は売れた。ゼロじゃない」
自分へ言い聞かせ、パソコンを閉じた。
翌朝、見慣れない通知が一件届いていた。文学フリマで本を買った女性が、SNSへ感想を書いていた。
『会場で偶然買った短編集。第一篇では背景に立っていただけの女が、読むほど近づいてくる。十三篇目を読み終えて最初へ戻ると、一行目の意味が完全に変わった。昨夜は二度読みして眠れなかった』
華やかな宣伝文句ではなかった。表紙の写真と、付箋だらけになった本が写っていた。その投稿についた反応は、朝の時点で十二件だった。
『通販はありませんか』
一件だけ、そんな返信があった。
俺は昼休みに個人通販のページを作り、在庫を二十九冊と入力した。最初の注文が入ったのは、その日の夜だった。翌日に二冊、その次の日に一冊。段ボール箱の底が見えるまで、十九日かかった。
完売を知らせる投稿をすると、今度は七人から再販を求められた。第二刷は五十部にした。近所の小さな書店から五冊だけ委託したいという連絡が届き、同時に電子書籍版も配信した。
すぐに人生が変わったわけではない。電子書籍は初日に九冊、翌日は三冊しか売れなかった。それでも、読了した人が一人ずつ感想を書き、その感想を読んだ誰かが次に買った。
三か月後、『十三本目の赤い傘』は電子書籍の短編部門で一位になった。総合順位では百位にも届かなかったが、画面に表示された金色の「1位」を、俺は何度も保存した。紙の本は第四刷となり、最初の三十冊にはなかった帯が巻かれた。
『0ptだった十篇から生まれた、十三の連作短編集』
帯へその言葉を入れるか、最後まで迷った。しかし、隠す必要はないと思った。評価されなかった過去は恥ではなく、この本が通ってきた道だった。
やがて投稿サイトの作者ページにも、以前とは違う動きが現れた。
『電子書籍から来ました。元の短編が無料で残っていて驚いた』
『これが0ptだったのか』
『ランキングしか見ていなかった。こんな作品が沈んでいたなんて』
半年前には十一だった作品のPVが、一日で千を超えた。評価とブックマークが入り、総合評価の数字が初めてゼロではなくなる。けれど、その数字を見ても、以前のようにF5キーを何度も叩くことはなかった。
俺は机の上に、文学フリマで最初に売れた本の注文控えを置いていた。購入者の名前も住所もない、手書きの正の字が一本だけ引かれた紙だった。
作品を救ったのは、十万人のランキング読者ではない。見本を二ページ読み、千二百円を払ってくれた、たった一人だった。
昔読んだ創作論には、「0ptには0ptの理由がある」と書かれていた。その通りだと思う。ただし、その理由が作品のつまらなさだとは限らない。
新着欄にいた時間が短かった。題名が流行と合わなかった。最初の読者へ届かなかった。ただ、それだけで作品は簡単にゼロになる。
俺は第四刷の表紙を撫で、投稿サイトに残っている昔の数字を見た。無料だった時には、ほとんど誰にも読まれなかった十三篇が、今は代金を払った人の本棚に並んでいる。
「ブラウザバックしたやつら、全員見てろよ」
あの日と同じ言葉を口にしたが、もう指は震えていなかった。通り過ぎた読者を責めても、作品は一冊も売れない。俺が見るべきなのは、立ち止まり、ページを開いてくれた人の方だった。
モニターの横には、第五刷の見積書が置いてある。俺は発注部数の欄へ百と入力し、保存ボタンを押した。
0ポイントは、作品の値段ではない。
それを決めるのは、いつだって最後まで読んだ人だ。




