舞踏会のあとで
豪華なシャンデリアが明るく照らす会場。綺羅びやかなドレスが広がり、様々な華が咲き誇っている。私もその華の一つ。でも、私は他と違い壁の花だけど。
エマシュル学園舞踏会。有力貴族や著名人の子どもが通う屈指の名門校エマシュル学園。その学園の一大イベントがこの舞踏会。
この日の為に衣装を準備し、踊りを練習し、並々ならぬ意気込みでここに来てる生徒達。そんな中、冷めた目で壁に咲く私は異物過ぎる。
「はあ……。早く終わらないかしら」
つい本音が漏れる。周りには聞こえてないようでよかった。私、サーシャ=ハインは地方貴族の娘。地方の田舎貴族と言えども貴族なのだから、こういう舞踏会に不参加というのはよろしくない。壁の花をしている時点で同じかもしれないけれど、抜け出したい気持ちを必死に抑えて咲いているんだから、許してほしい。
そもそも、この舞踏会もいうのが理解出来ない。ホールの中何組ものペアが踊っているが、踊っている本人達はお互いのことしか見ていない。観客のことなど気にせず、優雅に自分達の世界に浸っているのを見て何が面白いのかしら。
「チッ。後少しだったのに。ん? ……やあ、そこの君。ガルム家長男、このクスヒ=ガルムと踊らないか?」
「……ええ。喜んで」
はあ。変なのが湧いた。でも、私は地方の田舎貴族。ここにいる生徒はほとんどが私の家より上だから、こういう場で誘われると断る訳にはいかない。
嫌々その手を取り、踊り出す。チラッと男の顔を見る。知らない顔ね。上級生かしら。
「君は美しい。澄んだ泉の様な水色の髪に、宝石の様な真紅の瞳。
「……ありがとうございます」
お世辞はお世辞だと分からないように言いなさい。どうせ誰でもよかったくせに。一人でポツンといたから誘いやすかっただけでしょう。
極力目を合わせず、ステップを踏む。もう少しで終わるわね。終わればダッシュで壁に戻りたい。いや、もう別に自室に戻ってもいいんじゃないかしら。部屋でゆっくり……。
そんなことを考えていると、突然、男が近づいて来た。体を密着させるぐらい近づき、顔が私の顔の横へ。そして、囁いてきた。
「この後、私の部屋でゆっくり痛あっ!?」
「あら、ごめんなさい。でも、急に近づくと踏んでしまいますわ」
ヒールで思いっきり足を踏んだ。別にわざとじゃない。事故である。こっちはいつも通りのステップを踏んでるのに、急に体ごと近づいてくるのが悪い。別に気持ち悪かったから力を込めたりなんてしてない。
ヒョコヒョコと足を引きずりながら舞台から降りた男。可哀想に。自業自得な目に合うなんて。
その後も舞踏会は進み、私は壁の花へと戻っていた。もうここの壁に落ち着きすら感じる。本当に壁の花になってしまいそう。
そして、舞踏会も半分ぐらい過ぎた頃、わっと大勢の声が上がるのが聞こえた。声がしたのは入口の扉の方。そちらを見てみると、一人の男性が多くの人に取り囲まれているのが見えた。
短く整えられた金髪に、澄んだ青い目。背が高く、細身ながら筋肉質な体。あれは、ユーリス殿下。
「殿下! 私と踊ってくださらない?」
「いえ、それより私と!」
「邪魔しないで私と踊るの!」
現れたユーリス殿下へ踊りの誘いが殺到する。しかし、彼は何かキョロキョロしており、彼女達の誘いを気にしてない様だった。……あっ。
「ありがとう、ありがとう。でも、すまない。最初に踊りたい相手がいるんだ」
彼は群がる女子達の誘いを躱し、その人集りの壁を押し進み始める。周りも逃がすまいと立ち塞がるが、構わず突き進む。
そして、
「やあ、サーシャ。ぼ……、私と踊ってくれませんか?」
私の元へとやって来て、手を差し出してきた。
「…………喜んで」
なんで私の所に来るのよ。ほら、ざわつきが起こってるじゃない。断ろうか、いや、断ればなんで断ってんのって反感を買うか。……はあ。しょうがない。あの目が合った時から詰んでいたわね。
差し出された手へ私の手を重ねる。大きくてゴツゴツした手。……変わったわね。
「じゃあ、行こうか」
「……ええ」
そんな手に引かれ私は舞台へと歩み進める。
誰あれ? どこの家の娘? なんであんな女と?
進む最中に様々なざわつきが聞こえてくる。また明日何か言われそう。でも、そんな声が聞こえていないのか彼は一直線に進んでいく。自分のせいでこうなってるって分かってるのかしら? きっと分かってないわね。それにしても、みんな好きよね。ユーリス殿下が。
「変な顔をしてるな。どうしたんだ?」
「別に変な顔なんてしてないわ」
「そうか? 不機嫌だがどこか嬉しそうじゃないか。何か良いことと悪いことでもあったのか?」
「……何もないわよ」
「何故睨む!?」
うるさいわね。人の顔を気にするより、自分の踊りを気にしなさい。ほら、ステップ乱れてる。手でもちゃんと支えなさい。しっかり私をリードしなさい。
彼と手を繋ぎ、息を合わせステップを踏む。顔を上げると、澄んだ青い目がこちらを見ている。目が合うと、優しく笑い、目を細める。体は大きくなっても、その目は変わっていない。
彼に導かれながら、舞台の上を舞う。一緒に踊るのなんて数年ぶりだけど、あの頃とは見違えるようね。力強く、それでいてこちらを気づかう優しさを感じる。……成長したのね。それなら、私も応えないと。優雅に、美しく。あなたと共に華を咲かせてみせましょう。
「綺麗……」
「あの娘、誰……?」
「……やはり美しいじゃないか」
華は咲き誇る。周りの雑音など聞こえない。周りの視線など気にしない。今の私にはユーリスの音しか聞こえない。ユーリスの姿しか見えない。私達の世界に何人たりとも入り得ない。
咲いて、咲いて、咲き誇って。お互いの全てが分かる。お互いの目から、息遣いから、感じる温もりから。まるで一つになったかのように舞う。舞って、舞って、そして。終わりが来た。
「……ありがとう、サーシャ」
「……こちらこそ」
あっという間だった。何もかも忘れ、没頭した時間だった。
お互いお礼を言い合い、ユーリスに手を引かれ、舞台から降りる。
舞台から降りると、彼の手が離れ、私はまた元に戻った。ユーリスは何かハッとし詰めかけて来た令嬢達に捕まった。そして、また舞台へと上がっていった。
「疲れた……」
舞踏会がやっと終わった。結局、踊ったのはあの二人だけで大して動いてないけれど、あの空間にいるだけで疲れる。ユーリスと踊った後は多くの視線が突き刺さり、針の筵のようだったし尚更。
もう寝たい。でも、まだ寝られない。まだやることがある。とりあえず、さっとシャワーでも浴びて待ってよう。どうせ、そのうちやってくるわ。
シャワーを浴び、ようやく舞踏会から解放された気分になる。これで本当の自分に戻った気分。
そして、舞踏会の熱も鎮まった深夜。椅子に座って本を読んでいると、
コンコン。
扉をノックする音が。
「……開いてるわ」
私の返事を扉がキィと開く。
「いくら学園内とは言え、鍵をかけてないなんて不用心じゃないか?」
「あなたが来るから開けておいたのよ」
そして、入って来たのはユーリスだった。
「もし、暴漢とかだったらどうするんだ」
「その時はあなたが助けてくれるでしょう?」
「むっ……」
さあ、そんな所に突っ立てないで椅子にでも座りなさい。あなたの好きなホットミルクも用意してるから。
「……なあ、サーシャ。今日の僕はどうだった?」
「あら? 『僕』になってますわよ。また誘い文句でもおっしゃるつもりかしら。ユーリス殿下」
「そ、それはいいだろ。それにあの時もちゃんと『私』と言ったじゃないか」
「ギリギリでね」
「はあ。サーシャはいつもこうなんだから。……僕はちゃんと今日『王子』でいられただろうか?」
弱々しい顔付きに、不安そうな声色。舞踏会の時とはまるで別人。情けない顔でチラッチラッと不安げにこちらを伺っているその姿は、皆が知るユーリス殿下とは似ても似つかない。
それもそのはず。ユーリスは本来、気弱で臆病で心配性の豆腐メンタルの持ち主。今の情けない顔こそが本当の彼。私のよく知るユーリス=イレイド。普段皆が知る「ユーリス殿下」は彼の精一杯の努力の証。
本来の弱い性格では王子として相応しくないと彼は考えていた。民を導く存在が頼りない訳にはいかないと。だから、彼は仮面を被った。皆が求める理想の王子様という仮面を。
皆が憧れる「ユーリス殿下」。しかし、その仮面を外せばただの「ユーリス=イレイド」。気弱で臆病で心配性の豆腐メンタル。自らの弱さを認め、人の為に必死に努力する心優しき青年だ。
「まあ、及第点と言ったところかしら」
「及第点か……。何が悪かったんだ?」
「色々あるけれど、一番は私を最初に誘いに来たことね」
「? それの何が悪いんだ?」
「あなたは一国の王子なのよ? それが地方の田舎娘のとこに真っ先に来たら駄目でしょう。侯爵の娘でも誘いに行きなさいよ」
「それは昔から……、いや。ちゃんと踊れるか不安だったんだ」
「だから、私を練習台にしたと?」
「練習台って、そんな意地悪言わないでくれよ」
事実じゃない。踊れるか不安だったから私で試したんでしょう。実際、間違えてたし。
「だって、サーシャは昔から俺に踊りを教えてくれてたし、信頼できる相手だから……」
「物は言いようよねぇ」
「ぐっ、サーシャ……」
「フフッ。冗談よ。昔よりちゃんとリード出来るようになっていたわ。振る舞いも問題なく、どこからどう見ても王子そのものだったわ」
私とユーリスはいわゆる幼馴染である。父がユーリスの父である現国王と学生時代から仲が良く、同じ年に生まれた私達も幼い頃は事あるごとに会っていた。ここ数年は色々あって、会うことはなかったが、今年この学園にて数年ぶりに再会したのだった。
そして、こうして私の部屋で他愛もない話をする。私とただのユーリス=イレイドとで。
「ほ、本当か? はあ。よかった……」
彼は必死に王子を演じている。私はそんな彼を昔から見ていた。王子として求められる振る舞いをし、苦手な踊りや剣も必死に練習していた。時には一緒に練習し、練習相手にもなったし、私の方が上手く出来て彼に教えたりもした。辛くて泣きべそかいてるのも何度も見た。
「サーシャがそう言ってくれると安心するよ。それに自信も持てる」
「それはよかった。また一歩近づけたわね。理想のあなたに」
「ハハハ。そうだな。みんなの、僕の理想へ」
ずっと間近で一番近くで彼を見てきた。彼の努力を、涙を、心を見てきた。彼のことは一番よく知っている。
「……サーシャ。ありがとう」
だから、私はその仮面を外せる場所になってあげたい。
「フフッ。お礼を言われるようなことはしていないわ。それとも、今日の踊りの補習でもしてほしいのかしら」
「ハハッ。それはまた今度お願いするよ。……じゃあ、おやすみ。また明日」
「ええ。おやすみなさい。ユーリス」
他愛もない談笑も終わり、少し晴れた顔のユーリスが部屋から出ていく。さあ、これで全部終わりね。明日も早いからもう寝ましょう。
少しは彼の力になれたかしら。……フフッ、今日はよく眠れそうだわ。
次の日。未だ舞踏会のことで盛り上がる校舎。そんなに盛り上がる話も無いだろうに。彼らを横目に一人スタスタと校舎内を歩き、教室へと辿り着く。
さて、今日も一日頑張ろう。まずは教科書を出して……、としている所へクラスメイトの女子が。
「これ、サーシャさん宛てに上級生の方から……」
「……ありがとう」
彼女から渡されたのは一通の手紙。開けて中を見てみると、そこには差出人すら書かれていないシンプルな文面が。
『放課後、体育館裏に来るように』
ふむ、呼び出しの手紙ね。これはもしや愛の告白かしら? なんて欠片も考えられないのが悲しいわね。文字からして女性だし、便箋も女子がよく使うようなおしゃれなもの。はあ。昨日のことで呼び出しかしら。
なんて面倒な。朝から憂鬱な気分になるなんて。その憂鬱の要因さんはクラスメイトの男子と楽しそうにお喋りしているけれど。まあ、我慢することには慣れているわ。
「来たわね。サーシャ=ハイン」
「……ごきげんよう。お姉さま達」
手紙通りに放課後体育館裏へと向かうと、そこには既に三人の上級生が待ち構えていた。確か、真ん中のこの方は侯爵家のご令嬢。……面倒ね。
「フン。逃げずに来たことだけは褒めてあげるわ。それよりあなた何様のつもりなの?」
「……何様とは?」
「昨日の舞踏会よ。何故、この私より先にユーリス殿下と踊ったりしたわけ? 常識的に考えて、タニツ侯爵家の娘である私が最初に殿下と踊るべきでしょう?」
そんなの知らない。そもそも、私から誘ったんじゃない。それなら、あの誘いを断ればよかったのかしら? 断ったら断ったで難癖つけてくるのでは?
でも、そんなもしもを考えても意味が無い。今はここを切り抜けることを考えないと。
「……殿下は久しぶりに踊られたみたいで、いきなりタニツ様と踊るのは失礼だと考えられたのだと思います。ミスしようが何でもいい私で練習し、タニツ様とちゃんと踊りたかったのだと」
仮に襲われても三人程度なら勝てる。だが、問題は格上の家相手に逆らうなんて出来ないこと。こういう時貴族って面倒ね。
「……そんなのを聞いて、はいそうですかと引き下がるでも? 私を舐めないでちょうだい」
練習台にされたのは事実だけど。それにちゃんとあなたもユーリスと踊ったでしょう。私の次に。
「もういいわ。言って駄目なら、他の方法で分からせるしかないわね。やりなさい」
彼女がそう言うと、取巻き二人が前へ出て来た。自分の手は汚したくないのかしら。まあ、誰が来ても同じか。私は耐えるだけだし。
私は反撃することができない。避けるのも駄目。言葉でも暴力でも駄目となると、次は家族を狙ってくるはず。そうなるとどうしようもないから、甘んじてその暴力を受け入れましょう。
「死ねっ!」
取巻き二人が詰め寄ってくる。握られた拳はどこを狙うのかしら。顔は目立つから止めて欲しいのだけれど。
目を瞑り衝撃に備える。大丈夫。ある程度殴られてやられたフリすれば、満足して帰っていく。
そう、私は大丈夫……。
「待て!」
殴られる直前に背後から声がした。目を開け、その声の方へ振り返る。そして、そこには、
「で、殿下!?」
「……ユーリス?」
ユーリスの姿があった。
「寄ってたかって一人をいじめるのが名門エマシュル学園生なのか?」
こちらに歩を進め、彼は私の前に立つ。その大きな背中が私を守るように。
「サーシャ大丈夫か?」
「……ええ」
ふと蘇る昔の記憶。幼き頃の記憶。そう言えば、前もこんな風に彼の背中があったっけ。小さいのにすごく大きく感じた背中。それは今も変わらない。そう、あの時から私は……。
「そうか、よかった。……上級生でありながら、下級生をいじめるとは何事だ。上級生は下級生の模範となるべきだろう」
「これは、その……」
突然のユーリスの登場に取巻き二人は後退りする。それにより、侯爵令嬢が再び前に出てくることとなった。ついさっきと同じ形。ユーリスが間に入っている以外は。
「それにいずれ民を導く立場である者が何をしている。己の見つめ直し、反省したまえ」
「は、はい……」
ユーリスに怒られて、取巻き二人はしゅんと俯いた。だが、一人だけ様子が違った。
「……何が反省よ。反省するのはあなたの方ではなくて!?」
「何?」
タニツ令嬢だけはユーリスの言葉に反感を示してきた。
「私はタニツ侯爵家の娘なのよ! それなのに、私を差し置いてこんな田舎娘となんか踊って! 何を考えているの!?」
「お、おい!?」
彼女は激高し、完全に頭に血がのぼっている。鬼の様な形相でユーリスに詰め寄り、彼の胸倉を掴み、手を振り上げる。
「私が一番に決まってるでしょ! ふざけないでよ!!」
そして、ユーリスの顔目掛けてその手を振り下ろした。
「……この手は何? あなた、誰を殴ろうとしてるの?」
「な……!」
しかし、その手はユーリスの顔に当たる直前に受け止められる。……何をしているのかしら。
「痛っ!? ちょっとふざけないで! あなた離しなさいよ!」
「ふざけているのはどっち。何をしているの」
力一杯振りほどこうとされても、そんなことはさせない。それにこの程度の力では、私は微動だにもしない。
「ユーリスを傷つけようなんて、悪い子ね」
このままこの手首を握り潰してやろうか。もう二度と殴ろうとなんか出来ようにしてやろうか。誰に手を出そうとしたのか思い知らしめてやらないと。
「ひっ……、いた、痛い痛い! 止めて、ごめんなさいごめんなさい!」
「サーシャ!」
「……はぁ」
ユーリスの声に仕方なくパッと手を離す。私がへし折るまで黙っていればいいのに。
「……タニツ嬢。君の好意は嬉しいし、君の立場だって分かっている。だが、私にだって譲れないものはある」
手を離した私を下がらせて、ユーリスご彼女と向き合う。その目は真剣で、すごく真っ直ぐだった。
「私は子どもの頃からこの学園の舞踏会を知っていた。伝統ある名門校の最大のイベント。そこで踊る華やかな生徒達。……私はずっと前から決めていたんだ」
ユーリスの言葉に熱が帯びてくる。真っ直ぐに、心の底からの言葉が彼から発せられた。
「私が子どもの頃から決めていたこと。譲る訳にはいかないこと。それは、最初に踊る相手はサーシャだと決めてこと。……サーシャは。サーシャは僕にとって、かけがえのない大切な存在なのだから!」
……え。聞き、聞き間違い、かしら。私が、大切……?
「う、うう……、み、認めないわーー!」
「「タニツ様!」」
うわーんと大声を出し、彼女達が走って私達の横を駆け抜けていった。呆気に取られていた私はそれを見送り、小さくなっていくその姿をただ見つめていた。そして、見えなくなってようやくハッとする。
「……なんで来たのよ」
「ん? ああ、朝から君の様子がおかしかったからな。ずっと気になって見てたら、変な方へ行くもんだから尾けてきた」
「……変態かしら?」
「なっ!」
「冗談よ。来てくれて助かったわ。ありがとう」
彼に背を向けて、お礼を言う。本当に助かったわ。私だけだと殴られるしかなかったし。
「……なあ、怒っているのか?」
「別に怒ってなんかいないわ」
「そう、なのか。じゃあ、なんでこっちを見てくれないんだ?」
「……うるさいわね」
「やっぱり怒ってないか!?」
うるさい、怒ってなんかいないわよ。……ただ、今ちょっとそっちを向けないだけよ。
「とにかく助かったわ。あなたのおかげよ」
「ああ。いつも助けてもらってばかりだからな。少しでも役に立てたならよかった」
チラッとユーリスを見る。ユーリスはいつもと変わらない様子。……そうよね。
「……じゃあ、またね」
あれはきっと彼女達を撒くための言葉。何でもない、ただの嘘。
ユーリスに背を向けたまま歩き出す。また明日教室で会うのだから、ちゃんとしたお礼はその時でもいいよね。
「……サーシャ!」
歩き出した私を呼ぶ声が。なに。お礼なら明日するから。
「迷惑をかけて済まなかった!」
「別にいいわ。これくらい」
そんなこと気にしなくていいわ。こんなの大した迷惑でもないし。
「そうか。では、これからも迷惑をかけていいか?」
「は?」
思いがけない言葉に振り返る。これからも迷惑をかけていいかってどういうことよ。気にしなくていいとは言ったけど、それはいいわけないでしょ。
だが、振り返ってみた彼の顔は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「僕はこれからも君を踊りに誘う」
「え?」
「きっとその度に迷惑をかけることになるかもしれない。それでも、僕は君と踊りたい。来年も、これからもずっと、君と!」
真っ直ぐ見つめるその目に嘘はない。本心からの言葉が私へと贈られていた。
「サーシャ、僕と踊ってくれますか?」
こちらへ手が差し出される。大きくて硬く、ゴツゴツした手。求める姿になろうと必死に努力する彼の努力の証。
「ええ。喜んでっ!」
差し出されたその手を握る。どれだけ迷惑をかけられようと、どんな困難が待ち構えてようと断る訳がない。私が尊敬する、愛するあなたの誘いならば。
握り返された手。その手の温もりを感じながら、自然と笑みがこぼれた。
フフッ、舞踏会も悪くないわね。




