第3話 小林アンナ―2
そんなことがあった末、私と今の夫は、偽装結婚することになった筈だった。
更に言えば、私は1941年4月から医学生になることに、何とか成功することにもなった。
この当時の(この世界の)日本の国籍法上、日本人の男性と結婚した外国人の女性は、この当時では世界の常識と言えた「夫婦同一国籍の原則」から、日本国籍がすぐに取得できたのだ。
だから、日本人である今の夫と結婚した私は、すぐに日本人に成れたのだ。
そして、それを活かして、日本軍の軍医予備士官になりたい、と私は志願して、帝国女子医学専門学校に入学できたのだ。
更に私は、帝国女子医学専門学校で勉学に励むことになった。
でも、本来からすれば、色々とそれは困難な話だった。
確かに軍医予備士官課程を履修すれば、授業料は無料にはなる。
でも、そうは言っても、私の生活費等は自分で稼ぐか、誰かの支援を仰ぐかしかないのだ。
そして、私自身の生活費のみならず、私の母の生活費も必要な現実がある。
(細かいことを言えば、母なりに内職等をして、それなりに稼ぐ努力をしていた。
だが、そうは言ってもカツカツの生活と言って良く、帝国女子医学専門学校に私が通うとなると、母とは別居生活を送らないといけないことから生活が極めて苦しいのが現実だったのだ)
だが、私の夫は結婚早々から、私が医学生として勉強しないといけない関係から、別居生活を送らないといけないのに、私の母と私にそれなり以上の生活費の支援をしてくれた。
偽装結婚なのに、と申し訳ない想いがして、私が頭を下げて生活費の支援を断りたい、と言ったら、夫は即答した。
「偽装といっても夫婦なのだから。妻の生活を支援して当然だよ。それに君が頑張っているのを、僕は知っている」
何で偽装結婚相手の筈の夫が、私が勉学に励んでいるのを、私は言っていないのに知っているのか。
そんな想いが私の中で浮かんだが、考えてみれば、当たり前のことだった。
私の夫は小林家の人間だ。
更に言えば、米内藤子の母は小林家の人間だ。
そして、小林家は、小なりとはいえ横須賀の芸妓の置屋をやっていて、海軍内から、噂レベルとはいえ、それなり以上の情報が流れてくるのだ。
又、藤子自身も、両親のつながり等を活かして、それなりの情報を得て、それを私の夫に流したのだ。
そんなことから、夫は私のことを深く知ることになり、私に想いを寄せる事態が起きたのだ。
更に、そんな好意を寄せられては、私としては心苦しくてならず、結果的に夫に想いを寄せる事態が起きることになった。
とはいえ、医学の勉強は大変だった。
更に言えば、それこそ長時間労働ならぬ、長時間勉強で、本来ならば6年掛かるところを、4年で医師に成れ、という暴挙を私達の同級生は強いられることになった。
そんなことから、私と夫は夫婦らしいことがほぼ出来ないまま、私は医師に成ったのだ。
そして、4年の歳月は、ある意味では残酷な事態を生じさせた。
私が医師の資格を得た時、既に第二次世界大戦は終わっていたのだ。
とはいえ、世界各地の植民地では、独立運動が武装過激化しつつある現実があり、それへの対処に植民地を保有している大国は苦慮しており、又、日本も対応しないといけない事態が起きたのだ。
私としては、これまでの夫の好意に報いて、夫との家庭生活に完全に入りたかったが。
軍医士官になった以上、更に元は日本人ではない以上、積極的に戦場へ赴きたい、と自ら志願せざるを得ないことになったのだ。
そして、私は戦場に何度か赴く事態が起きた。
だが、夫はそれを受け入れてくれ、私も夫の好意に報いようと努めた。
そんなことから、私達は本当の夫婦生活を送ることに今ではなっていたのだ。
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