第1話 米内藤子―1
小説家になろう「秋の文芸展2025」に基づく投稿小説になります。
何かというと、昨今では太平洋戦争前の家制度に基づく家族制度に回帰すべきだ、と高市自民党総裁等は主張されているようですが、当時、偽装結婚でも、旧民法では外国人が日本国籍を取得できたのを知っていて、そんな主張をされているとは、と考える私はひねくれているのでしょうか?
米内藤子は、初孫になる孫娘を、小林医院に連れてきながら、改めて想った。
本当に小林先生と、こんな形での親友になるとは想わなかったモノだ。
人生の奇縁としか、言いようが無い。
おっと、そんなことを考えている余裕はない。
何しろ、3歳になる初孫が熱を出しているのだから。
本来ならば、母親が連れて来るべきかもしれないが、乳飲み子がいては、それは無理だ。
かと言って、父親や私の夫になる祖父も、色々と軍務があっては。
最終的に、私が孫娘を病院に連れて行くしか無かったのだ。
そんなことを考えながら、孫娘の春香と共に、小林医院の待合室で、藤子は診察で呼ばれるのを、暫くの間、待つことになった。
それこそ小林先生は、私の親族になる以上、すぐに診察で読んで欲しい、と考えなくも無いが。
(小林先生の夫は、私の実の従兄になる)
そんな特別扱いがされては、私の気が引けるし、小林先生自身が、
「病人は平等に取り扱うのが当然です。勿論、トリアージとかで、緊急ならば別ですけど」
と言うのが口癖だから、黙って待つしかない。
(この辺り、戦場経験が、小林先生にあるのも一因なのだろう。
兄姉の関係から、積極的に小林先生は、戦場の軍医に志願、希望しており、戦場に何度も赴いている。
だから、小林医院は、しばしば休院する事態が起きている程だ)
そんなことを考えている内に、順番が回ってきて、藤子は孫娘の春香と一緒に診察室に入った。
「何があったの」
「春香が熱を出して、咳もしています」
「風邪かしら」
小林先生と私はやり取りをして、春香の胸に小林先生は聴診器を当てる等、診察を開始した。
小林先生は、私より6歳程年上で、50歳近くになっている筈だが、未だに30代後半で通る程に若々しくて綺麗なままだ。
私とて40歳そこそこで、歳より若く見られがちだが、小林先生と同級生ですか、と言われても当然な程に、小林先生は若くて綺麗なのだ。
本当にカバラ魔術を、小林先生は修めているのではないか。
結果的にユダヤ教を棄教して、小林家に合わせて、神仏習合と言って良い日本人の信仰に合わせた生活を、小林先生はしているけれど。
そんな他所事が、私、藤子の脳裏に浮んでならない。
そんなことを考えている内に、小林先生の診察は終わって。
「恐らく風邪ね。でも、インフルエンザとかの性質の悪い風邪ではないみたい。熱も38度そこそこだし、取りあえず、咳止めと解熱剤を出しておくわ。解熱剤を呑ませた後、39度を超える熱が出たら、すぐに連れてきて」
「分かりました」
私と小林先生は、やり取りをした。
「序でと言ってはなんだけど、仁さんはお元気?」
「ええ。禁酒生活を続けています。慢性アル中寸前から、ここまで回復させていただき、ありがとうございます」
「何を言うの、貴方が献身的に努力したからよ」
小林先生の問いかけに、私は即答して、やり取りをした。
私の父方従兄にもなる夫の仁は、第二次世界大戦終結後、幾つかの戦場に赴くことになった。
(尚、その場に小林先生も赴くことがあり、私は気を揉むことになった)
そして、戦場で心に傷を負った夫は、酒浸りに一時なってしまい、退役寸前にまでなったのだ。
だが、戦場から還って来た小林先生が治療を行い、私も夫の治療に積極的に協力したことから、夫の禁酒は成功に至ったのだ。
その為に、無事に軍務に服せるようになり、順調に出世街道を、又、歩めるようにもなっている。
「それは良かった。ところで、又、休日にお互いの都合をつけて会いましょう」
「はい。暫く、休日に会っていませんものね」
小林先生の誘いに、私は即答した。
本当にかつて恋敵と考えた相手が、今では私の親友になるとは。
思いも寄らない人生だ。
現実と小説を混同するな、とフルボッコにされそうですが。
そんなことを、この小説を描く際に私は考えてしまいました。
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