第4話 斗真はどんな結婚がしたい?
教室での滞在は最小限に抑えるため、授業以外の時間は徹底的にトイレへ逃げ込んだ。陽菜を刺激してヤンデレ化するのはもちろん怖いけど、それ以上に、三森が彼女面で教室に襲来するのが恐ろしすぎる……。陽菜とエンカウントすれば、修羅場の発生は確実だ。
だが幸いにも、特にアクシデントは起こらず、そのまま放課後を迎えた。
このまま今朝の約束は忘れたことにして、こっそり家に帰ろうとしたのだが、教室を出たタイミングで腕を掴まれてしまった。
「斗真、準備が早いね。そんなに楽しみなんだ♡」
「えぇ……はい。タノシミデス」
「ふふ、私も楽しみ。それじゃ行こっか」
……逃げ場はないらしい。
半ば強引に最寄り駅まで連れていかれ、そこから電車で20分ほど移動する。陽菜が美少女すぎる故か、あるいはその容姿には不釣合な男が並んでいる故か、どうにも周囲の視線を感じてしまう。昨日今日と続いた悪目立ちよりは遥かにましだけど。
そして電車から降りて5分ほど歩くと、ある店の前で陽菜の足が止まった。
「えっと……ここ?」
「そうだよー」
アクセサリーショップ、なのかな? 『NENE』という店名が描かれた銀色の看板が高級感を醸し出している。正直、高校生には似つかわしくない雰囲気だ。
「なんか高そうだけど……大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。リーズナブルなのもちゃんとあるから。それより早く入ろっ」
「う、うん」
陽菜にぐいっと腕を引かれて入店。リーズナブルって言ってもなぁ……俺の持ち金1300円を許容しているとは到底思えないんだけど。
というか、高級アクセサリーショップに女性と2人って、浮気になるんじゃ? いやでも、そもそも三森は彼氏を寝取られたいわけで……ほな彼女公認か。う~ん。
「どれがいいかな~」
「あのー、陽菜?」
「あんまり大きいものは、毎日付けるの大変だよね……」
「おーい。陽菜ー」
「……うん。やっぱり指輪にしよっと」
だめだ、まったく声が届かない。指輪、イアリング、ネックレス等々……素敵な装飾品の数々を、陽菜は瞳を輝かせながら、じっくりと吟味している。
一方の俺はただただ居心地が悪い。店内の雰囲気は言わずもがな、店員のお姉さんはみんな大人っぽいし、お客さんも大学生以上のカップルばかり。しかも陽菜も美人なものだから、やはり俺だけ浮いている気がしてしまう。これも昨日のカフェのデジャヴだ。
「ねぇ、斗真♡」
陽菜がくるりと振り返り、ようやく俺に話しかけてきた。……語尾にハートが見えるのは気のせいだと信じたい。
「何?」
「斗真はどんな結婚がしたい?」
「けけけ、結婚!?」
予想外のワードに思わず大きな声が出てしまった。
周りのお姉さま方にくすくす笑われてる……うぅ、恥ずかしい。
「も~、斗真ったら。声が大きいぞ♡」
「……ぬぐっ」
頬を指でツンとされ、顔から湯気が出た。腕もがっちり組まれ、逃げることも叶わない。
なんでこんなことに……昨日までは普通の友達だったじゃん。
「私はね~。大好きな人と結婚して、一生尽くして尽くして尽くして尽くし続けたいの。もちろん、相応の責任は取ってもらうんだけどね」
「せ、責任って……?」
「ん~、1日に5回可愛いって言ってもらうのはマストでしょ? おはようとおやすみのキスは絶対で、あたしがつらい時は黙ってギューして欲しいな~。他の女の子と会うときは事前に相談して、当日話した内容も詳細に報告すること。あっ、ありえないけど、万が一にも浮気なんてした日にはねぇ……」
「ストーーーーップ。わかった、わかったから」
これ以上は恐ろしくて聞いていられない。こんなヤンデレ妻がいて、浮気する度胸のある旦那がどこにいるだろう。ただでさえ、陽菜以上の女性なんて芸能人でもなかなかいないのに。
けどこの調子だと、女子と少し話しただけで浮気認定されてもおかしくない……彼氏を寝取られたい三森とは対照的だが、こっちはこっちでかなり怖い。
「で。そういう契約を形にしたのが結婚指輪だからさ、やっぱり特別感あるよね」
「まあ……それはそうだな」
「だからあたし、お揃いの指輪に憧れてるんだー」
「それは素敵だね! じゃあ俺は帰ろうか――」
「もう少し待ってね♡」
どさくさに紛れて逃げようとしたが、腕の拘束が強すぎて抜け出せない。
まさか陽菜。本当にお揃いの指輪を買う気じゃ……。
「すみませーん」
「はーい。何かお探しですか?」
「彼氏とのペアリングを探しているんですけど、指輪選ぶのって初めてで。どういうのがおすすめですか?」
陽菜が金髪の若い女性店員に尋ねた。
えっと……彼氏って俺のこと?
「初めてだと悩みますよね。まず指輪の形から考えましょうか」
「はい! お願いします」
「たとえばこちらのリングが左から、ストレート型、ウェーブ型、Ⅴ字型になるのですが、どれがお好みですか?」
「うわー、どーしよー。うーん……ストレートかな。シンプルで可愛いし」
「でしたら、こちらのペアリングはいかがでしょう? ゴールドとシルバーの色違いで、女性のリングには小さなダイヤが入ってるんです」
「すてきー。結婚指輪みたーい」
「彼氏さんにもきっとお似合いですよ」
「ですよね! えー、これにしようかな。値段は……うん、これなら出せそう」
俺を置いてきぼりで、話がどんどん進んでいく。
陽菜と俺が付き合ってるのは確定みたいな感じだし……。
「ちょっと陽菜。彼氏って──」
「も~、斗真ったら。言わせないでよ~」
「いや惚気とかじゃなくて本当に……」
「あ、安心して。指輪代は全部私が出すから」
「だから違──いやいやいや! それはさすがに受けとれないって」
ちらっと見たけど、どれも単位が渋沢先生から始まってたもん。そんな高価なもの、たとえ俺が彼氏だとしても貰い難い。
「大丈夫。プレゼントだから」
「えっ?」
「4月4日だもんね、斗真の誕生日。ちょっと遅くなっちゃったけど」
「──!」
覚えていてくれたんだ……。
俺の誕生日は4月4日とかなり早く、春休み明けにはもう終わってしまっている。だから祝われないどころか、知られることすら少なくて……ちょっとウルッとしちゃった。
「ありがとう。覚えていてくれて」
「あたりまえじゃん。斗真は私の大切な人だもん」
「うん」
「それにお金のことは心配しないで。春休みはけっこうバイトも入れてたから。」
「いやそれとこれとは話が──」
「すみませーん。彼の指サイズ測ってもらっていいですか。」
「かしこまりました。どの指になさいますか?」
もうサイズを測るフェーズまで……どの指も測られたくないのだが。でも店員のお姉さんを待たせるのも心苦しい。
「ほら斗真♡ 早く左手の薬指出して」
「うん……って! それは絶対にまだ早いでしょ」
「ふ~ん。まだ、ね」
陽菜が悪戯っぽくニヤリとした。本当に勘弁してくれ。
「そ、それで陽菜。結局いくらくらいなの?」
「そんなにだよ。2つ合わせて10万ちょっとかな」
「貰えないって!」
結婚指輪としてはリーズナブルなのかもしれないけど、男子高校生の誕生日プレゼントとしては桁を2つ間違えている。しかも俺は彼氏ですらない。
「受け取ってくれないの?」
陽菜の声色にヤンデレの影が覗く。強まる目力。蘇る今朝のトラウマ。
……でも今回はお金も絡むからな。ちゃんと断らないと。
「ごめん、陽菜。やっぱり貰えない」
「えー」
「ほら、ニーチェ先生も言ってたじゃん。『大きな恩恵は、感謝を生みださない。むしろ相手の心に復讐の念を萌させる』って。あんまり高い物貰っても、俺が返しきれないよ」
「『ツァラトゥストラはかく語りき』、ね。でも大丈夫。私は斗真に恨まれても別に良いもん」
「そんなことはないだろ……」
「ううん。斗真にたっくさんのものをあげて、借りをいーーーっぱい作って、たっっっっっぷり依存させて――どんなに斗真が嫌でも、私なしじゃ生きられなくしてあげるからね♡」
「怖い怖い怖い! 怖いって!!!」
なんでこうも狂気的な愛のフレーズがポンポン出てくるんだよ。この重すぎる想いを、昨日まで胸の奥に大事にしまっていたことが信じられない。どうして気づけなかったのか……。
その時、俺は後ろから肩をポンッと叩かれた。
「と~ま~くん♡」
甘えるような少女の声。冷たい汗が背中を伝る。
まさか……恐る恐る、俺は振り返る。
「な~にしてるんで~すかっ♡」
そこにはあったのは、彼氏にウィンクをする三森咲月の姿。
終わった……。
参考 ニーチェ、氷上英廣訳、2022『ツァラトゥストラはこう言った(上)』岩波書店
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