表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/38

第34話 『斗真がいなきゃ何もできない、弱い女の子なの』『とーまくんが間違える時は、あたしも一緒に間違えます』

 陽菜の父、花守陽介。

 H大学哲学科の教授であり、日本を代表するニーチェ研究者だ。俺がニーチェにハマったのも先生の著書がきっかけで……まさかこんなところでお会いできるなんて。


「は、初めまして。()()()()()斗真です」

「おお、君が笹原くんか。いつもうちの娘がお世話になっているよ。陽菜の父の花守陽介です」

「ぞぞ存じておりましゅ! 昔からたくさん本も拝読していて、その……サインくだしゃい!」

「はっはっは、喜んで。よかったらご一緒してもいいかな」

「もちろんです!」


 むしろ今まで教授を立たせていたことが申し訳ない。さっきからテンパって噛みまくりだし。

 店員さんにも確認を取って、教授には俺の隣に座っていただいた。陽菜は三森の隣に着席する。


「あの、サインを頂いてもいいですか?」

「僕の本じゃないか。いつも持ち歩いているの?」

「は、はい。『ニーチェ──道徳批判とその応答』はぼくのバイブルなので……」

「はっはっはっ。嬉しいよ。こちらこそありがとう」


 あまりにもったいないお言葉。天にも昇る気持ちだ。

 そして裏表紙に刻まれる『花守陽介』という達筆な文字。うぅ……嬉しい。


「はい。どうぞ」

「あ、ありがとうございます……! 家宝にします!」

「はっはっはっ。まさか娘の婚約者から()()()()()()()サインをお願いされるとはね」


 そっか、教授はあの婚姻届けにもサインしているのか。……じゃあプロポーズの件も公認なのかな。どう思ってるんだろ。


「あの~。すみません、陽介さん」


 三森が教授を名前で呼ぶ。

 え、何様?


「たしか君は……」

「三森咲月。()()()()()()()()()()


 あ、言ってしまった。教授は笑顔のまま固まり、陽菜の眉間にしわが寄る。

 だから婚約はしてないって……。


「……笹原くん」

「いや、あの、これは、その──」

「はーっはっは。いやー、笹原くん。見事な修羅場じゃないか。はっはっはっ」

「ちょっとパパ! 笑い事じゃないでしょ」

「ああ、すまんすまん。でもこういう男、ぼくは好きだよ。ニーチェを志す者にピッタリじゃないか」

「は、はあ」


 なぜか教授は嬉しそう。

 どうしてこの状況を笑って楽しめるんだ……?


「あの。陽介さんはそれでいいんですか?」

「それでとは?」

「あたしから言うのもなんですけど~。これってとーまくんが二股掛けている状況ですよ……」


 いや、俺はたしかにプロポーズされたけど、婚約まではしていない。

 だから2股では断じてないぞ。


「ぼくはねぇ、三森くん。老人の凝り固まった道徳的価値を、未来ある若者に押し付けるようなことはしたくないんだ。それはニーチェの言う”弱者”の振る舞いだからね」

「弱者、ですか」

「そう。だから僕はせめて、弱者の自覚を持つ弱者として、君たち若者の選択を可能な限り尊重したいんだよ」

「は、はぁ」

「さて、年寄りはこの辺でお暇しようかね。後は若者だけで、美味い物でも食べてくれ」

「あ、ありがとうございます」


 教授はテーブルに万札を置き、席を立った。

 そして残される若人たち。最初に口を開いたのは三森だった。


「……あの。花守先輩」

「なにかしら、咲月ちゃん」

「噂で聞いたんですけど。海外の高校、行くらしいですね」


 陽菜の眉がピクリと動いた。


「えぇ、そうよ。それが何か?」

「いや~。とーまくんにプロポーズしておきながら、自分は一人で海外だなんて、ずいぶん身勝手だなと思いまして」

「そんなの……咲月ちゃんには関係ないじゃない」

「そうですね。でも第三者的には、そんな人がとーまくんを幸せにできるのか、甚だ疑問です」

「それは……」


 陽菜が言葉に詰まる。

 ピリついた空気が流れた。


「とーまくんはどう思います?」

「えっ?」

「花守先輩が離れること、どう思ってるんですか?」


 三森と陽菜の視線が同時に俺を捉える。

 ……陽菜が離れるのは、正直寂しいし、不安だ。この3年間、当たり前に隣にいたんだから。だけど。


「俺のことは気にせずに夢を追いかけて欲しい、かな。だって陽菜はすごい才能があるし、正直俺なんかに構っているのももったいないって言うか──」

「違う!!!」


 俺の言葉を遮ると、陽菜は何度も激しく首を振った。

 まるで自分に憑いた何かを払い落とすかのように。


「違う違う違う! 私は斗真がいたから頑張れたの。努力の正しさを信じられたの。斗真がいなきゃ何もできない、弱い女の子なの。高根の花なんかじゃない。孤独だった私にとって、斗真の正しさだけが心の支えで、誰にも触れて欲しくなくて、ずっと好きで好きで好きで好きで……ねぇ、斗真はもちろん、私を選んでくれるよね?」


 瞳を涙でいっぱいにしながら、陽菜は俺に訴えた。

 それは久しぶりに見る、ヤンデレな陽菜だった。


「まだわからないんですか? 花守先輩のそういうところが、とーまくんを苦しめてるって」

「……なんですって」

「とーまくんはそのままで魅力的なのに、花守先輩先輩は、とーまくんに正しくあることを強要しているんです」

「──!?」

「あたしは違います。あたしはありのままのとーまくんを肯定して、どんなとーまくんも愛せますから。別に正しくなくてもいいし、とーまくんが間違える時は、あたしも一緒に間違えます」


 俺を名前で呼びながら、三森もまた、涙に潤んだ瞳を俺に向けていた。


「そんなの……そんなの嘘よ!!! 斗真はきっと、最後は私を選ぶに決まっているわ。ねぇ、そうだよね斗真?」

「いいえ、とーまくんはあたしを選びます。そうですよね?」

「俺は……」


 わからない。

 正しさも、ありのままの自分も。俺に誰が必要なのかも、誰が俺に必要なのかも。


「……少し、考える時間が欲しい」


 だから俺は、答えを保留することしか、できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ