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日輪

作者: 中川 篤





     グラタン





 ウルフィーは《レストラン》で作る料理が信じられなくなってしまった。


 レストランの厨房にいた間、ウルフィーはずっと、お前の料理は駄目だ、やめちまえと罵られ続けてきたが、今こうして下町にキッチンを構え、いざ何か作ろうという気を起こすと自分が何も作れないことに気づく。料理長のあのムカつく、嫌がらせにも似た声は、自分にとっては有用だったのだな、と今更ながらウルフィーは思った。

 とはいえ、ここには料理長も総料理長もいない。仲間のコックだって一人もつれてこなかった。ウルフィーは完全に一匹だ。


 よし。

 卵を割り、野菜を切り出し、段々と料理の流れが作られるのをウルフィーは待った。何を作るかは決めていない。オムレツに痛めた野菜を混ぜてもいいし、野菜と卵の炒め物でもいい。先のことは分からないが、まあ何とかなるだろう、という確信があった。

 外では嵐が続いていた。良くない日がこのところ続いていたが、再起をかますにはちょうどいい日だろうという気が、ウルフィーにはした。

 ウルフィーのキッチンは全くの無音ウルフィーにとってはで、店内の上部につけられた小さなテレビが野球中継を映していた。ウルフィーはそれをながら聴きしながら、料理の手を緩めない。点が入っただの逆転打の試合経過に関わる重要な単語が時おりウルフィーの耳をかすめる。

 そして扇風機の音だ。扇風機にはビニール紐が取り付けられており、先日、翼を掃除したばかりだった。それまでは埃を広げる装置のようなものだった。五、六か月は、翼の清掃をかまけていたからだろう。今は快適な空気を送ってくれる。しかし冬も近い。ウルフィーは長そでを着ている。


 だが結局、グラタンをウルフィーは食べた。近所のアニマルイレブンで買った、450円の明太もちグラタンだ。うまかった。ウルフィーは食べ終わり、意味もなく玉ねぎを刻み続ける。おわんに刻んだ玉ねぎがたまっていく。玉ねぎを刻む一打一打を料理長に、そして総料理長に向けて、叩きつけるように包丁を振り下ろす。おまえらに食わしてやる。俺の、料理を。二人の少し微笑んだ顔が見えた気がした。


 料理が出来上がり、ウルフィーはそれを皿に盛った。

 誰が食うか、ハッ。ウルフィーにはその声が聞こえる。テーブルをぶちまけたい衝動をこらえ、それさえも奴らの計略の内なのだということがウルフィーにはわかる。

 まずけりゃそこまでだ。そんときゃ店でもたたむか。

 ウルフィーはそれを一つ口に入れ、吠えた。――この馬鹿野郎が! そしてテーブルをひっくり返し、うぉんうぉん泣いて、しばらく部屋から出なかった。





     ベネフィット





 押しの動物が店を開いてる一角。とくに押しではなくても親切にしてやりたいと思えば、金を落としてやるのが、ハリネズミはーりーの信念?に基づく行動だった。金は天下の回り物、社会に流してやれば、利益はかならず自分に帰って来る、はーりーはそう信じていたし、なんていうか、押しの店を大事にしていくのは社会にとって、きっとプラスになる筈だと、はーりーは確信的に、そう信じていた。


 というわけではーりーにとっては結構な金を小売店、古本屋、CDショップなどに落としていき、やせ衰えた財布を見て愕然とする。

 押しというほど、その店のことをよく知っているわけではなく、たまたま通りがかりに入った店がそれだったというだけなのだ。が、それだけの理由で、はーりーは割といい客になった。つまり、お人好しのどうぶつだ。


 因みに、はーりーは生活保護の需給をぎりぎりのラインで食い止めている。そういう生活をしている。余裕があるわけではないのである。金というのは不浄なもので、溜めれば溜めるほどケチになる。だから金持ちは汚い。ところで、こうしてはーりーがこうして有意義な?金の使い方をしているうち、少しずつわかってきたことがある。それがカネを落とすとヒトは態度を良くし、もしかしたらその日の運勢さえも良くなるような――気がするということだ。


 若いころ、はーりーはぐうたらして、親に寄食して暮らしていたが、その頃の周囲と比べると、今の周りの態度は雲泥の差だ。そして、はーりーがよく行く店は外国籍のどうぶつが経営する店が多かったが、金のあるなしと同様、生まれた地域やどこのどうぶつかということもそのどうぶつの笑顔の量を左右しているのということにはーりーは気づいた。

 おいおいそりゃないぜ……先立つものはなんだ、いつもカネか? 俺は、そういうのがあの頃、何よりも許せなかった……持つものは与えられて、ないものは奪われる、そういう世の中が……ところが適当な仕事を得て、半端な、中途半端に生活できる金が入って、ヒトに飼いならされて、あのころの『許せない』って気持ちを忘れちゃったんだ。きたねえなあ。


 それじゃあ、今のおまえにあの頃の自分に立場に立つ覚悟はあるか? おお、保身、それしか考えていない、クソ大人の意見だ。こいつは。すごすぎて涙がちょちょぎれるぜ、いっそ額縁に飾るか? こりゃ。俺の口から出るとはね。連中は俺をどうした? 社会の置き物かなんかみたいに扱って、仕事一つやっと寄こしてくれたのは相当後になってからだ。それも労働力の不足が無かったら、おそらく……!


 これくらいでよそう。よそうよ。建設的な意見が言えないのがこちらの弱点だ。俺ももういい年なんだから、さすがに怒ってばかりでは困る。問題は今、これから何をするかだ。国会議事堂に火をつけるとかアホな議員を刺すとか俺でもいえないよ。





     テレビをぶっ壊す(四台目)





 酷い話だ。


 ドッグスは今テレビに対する憎しみであふれていた。日テレ、フジ、テレ朝、TBS、テレ東、爆破してやりたいと思う。そう、爆破だ。国会議事堂を爆破するわけではないんだぜ。爆破相手はテレビ局だ。相手はどう思う?――喜ぶだろうな、連中はマゾなんだから、同業者のビルが爆破されたら、小躍りして駆けつけるに違いない。

 ドッグスのテレビに対する増悪は今日たまたま沸いた。多分、明日には冷めるだろうが、けっこう彼はムカついていた。テレビ――一方的に情報を届けてきて、こちらをぶん殴ってくるこの薄っぺらいこの箱、大体、彼は生活のあらゆるシーンの選択でこれに左右されてきたような気がする。星占いと同じだ。こう考える、すると、ビールのCMが「それはないね」という、またこう考える、すると、信用金庫のCMが……といった感じだ。


 これって普通?


 と思う。読書でも同じような「ゾーン」に入ることはたまにある。そしてやっぱりテレビでも「ゾーン」があった。というより、テレビは大体こちらに訴えて来る。訴えないテレビに何の存在意義があるかね?

 そしてドッグスは政治に手を触れた。何故テレビを点けながらそんな文章を書くのかは不明だ。書かせるまいという声が聞こえてくる。しばらく耐え、ついにドッグスはキレた。


 『平和平和平和~』


 もうどうにでもなれとそんなことを書く。ブチ切れるテレビ。テレビの向こうの声がブチ切れ、ドッグスも自分がコントロールされているように感じ、上手く使われているように思われ、自分が道具のように思われ!――爆発した。

 叫ぶ。

 空手チョップをテレビにくらわす。画面が割れ、ドッグスはテレビをかかえて、居間のテーブルに薄型テレビをぶん投げて、箸置きの中のものを散乱させる。気づくとドッグスがいる部屋は無茶苦茶になっていた。上方を睨みつけ、俺は監視されている、俺は監視されている、と頭の中はそれだけでいっぱいになって、ぶっ殺してやる、と言い、乱暴にドアを蹴り開けると、夜の街へ消えていった。





     テレビジョン受信機





 ネズは脳をプラグに繋がれて、幻想を見せられていたが、彼はそれを知らない。彼の目に映る世界はいつも変わり映えのしないTV画面。彼がいつも同じコースを往復し、帰宅し、テレビ画面に見入る。ネズが(一時は不思議にも思い、病院送りにもされた)TVにおける偶然――こちらを窺っているかのようにタイミング良い内容や言葉が入ってくるあのCMというもの(彼はそれを刑罰と呼んだ)も次第に慣れてしまい、そのうちCMは空気のようなものに化してしまった。

 全部脳内の戦いだった。

 破廉恥なことを考えれば、女性芸人が信じられないというようなことをテロップ付きで叫び、少し殊勝なことを考えれば、お褒めの言葉が速報のようなテロップでやってくる。


 生きてるのか?


 これで生きてることになるのか? というような疑問がネズの中でもたげてきた。テレビの中の連中は、彼にとってそもそも架空の存在のようなものだった。すべてがフィクションだ。作り物。テレビは精巧に出来た作り物を売ってる。

 リアルタイムでないだけテレビはマシだった。テレビが刑罰なら、ラジオは拷問だ。これは、非常に危ういバランスの上の議論だった。細い板の上にいわばネズは立っていて、そこから落ちる危険があった。うっかり下を向こうものなら、彼は奈落の底に真っ逆さまに落ちるだろう。でもその辺りの点に関してはネズはプロだ。入院歴二回は伊達じゃない。


 昼の世界に段々と魔術的なものが顔を出すようになって、ネズは魔術の方ばかり向いて生きるようになった。人といても彼は話をせず、誰ひとりとして心の底からは語ろうとはしない。心は内側を常に向いていて、魔術的なるものの声に耳を澄ましているのだ。


 そして彼の声はやがて止まった。意味もなく、《俺、ラジオ、焼き肉、金、俺、ラジオ、焼き肉、金……》と繰り返すだけになり、世界から音が消えた。辺りには誰も居なくなり、期待も侮蔑も、何もかも、声は消えてなくなり、彼は完全に一人ぽっちになった。

 静かだ。それからテレビの音の絶えた室内で、彼はそう思った。



     ☆



 弾力はまだ残っていた。ネズは脳のプラグを外すと、そこで初めて外界の空気を吸った。代わり映えのしない室内にドラゴンボールに出てくるような巨大な試験官があった。その中についさっきまで彼は入っていたのだ。着替え、外に出る。視界が段々クリアになって行き、次の行動を考えた。

 何となく、神頼みだ。

 神社に彼は向かった。酉の市で、財布を見ると、結構金があった。彼はだるまを買った。ラジオの電波もテレビのテロップもここにはない。あるのはリアルの手触りだ。生身の人間――そんなものがいるとさえ数分前のネズは思ってもいなかった、自分以外の人間は全てフィクションだったのだから――が往来を行きかい、本物だ! 生きている! これ全部、人間だよね! みたいな声を彼は上げそうになった。要約するとこうだ。人間だ! すごい! 本当に存在したんだ! うわあぁ!


 ネズは神社の入り口にあったおみくじの自販機で運勢を占った。おみくじは365日分のおみくじが箱に入って用意されていて、入れ物に百円玉を入れたらあとは勝手に自分の分を引くのだ。

 おみくじは人に交わると良いというようなことが書かれており、それから境内に入って、彼はだるまを買った。このように、フィクションとリアルの世界の境界はあいまいだ。この世界では、誰でも神隠しに会う可能性がある。世界は反転し、フィクションの世界は消え去り、ネズの目の前に現実が帰ってきた。試験管も脳に繋がれるプラグももうない。世界が彼に「おかえり」といった。





     日輪





 三浦海岸へ向かう。それから少し行ったところにあるセブンイレブンで五時ころ、初日の出を待っていた。年明けの日の出を見ようという人々がすでに群れてきていて、コンビニのなかは混んでいた。


 肉まんコーナーにはちいかわまんが大量に置かれている。甘酒とちいかわまんのピザを一つ買い、北風に打たれながら日が昇るのを待つ。冷えてきたので、味噌バターのカップラーメンを買い、食べながら待つ。少し体があたたまってくる。


 六時ころ、陣太鼓だ、という声がした。海岸の方を見ると陣太鼓が何鼓か台の上に置かれて出番を待っている。

 さらに待った。



 やがて海岸線に人が並び、自分もそちらに移動した。千葉の方が段々と赤くなる。太鼓の原始的な響き。こうして太鼓の音を聴いて、遠くの陸地に見える朝ぼらけを見ていると、もっとも遠い記憶や自分たちにとっての初心を思い出せる気がした。


挿絵(By みてみん)





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