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第四話:天使たちの時間(前編)

     *


 ある日の朝、四時、猪熊先生は、こんな夢を見た。


 その夢のなかで先生は、まだちいさな十代の女の子で、

 東京にもどる長いバスのなかに、誰かとふたりで、

 乗っているところだった。


 まどの外には、ひらけた草原と、暗くなりはじめた、

 こんいろの海が、まじめな顔して、広がっていた。


 ここに来るまで、四日かかった。

 そう、先生は想い、


 うみに浮かぶバラ色の月を見て、

 まるで、夢のようだ。


 そう、先生は想った。


 ふっと隣りをみると、こちらもまだちいさな、十代のおとこの子が、

 窓の外をながめてすわっていた。


 先生は、かれのことが大好きだったし、

 かれも、先生のことを大好きだったら、


 そうであってくれれば、いいのになあ、


 そう、先生は想った。


 いっしょに食べた、

 シナモンチェリーパイを想い出し、


 いっしょに読んだ、

 まんが雑誌を想い出した。


 いっしょに歩いた夜のまちと、

 始発電車のフラッシュライトを、


 想い出した。


 おとこの子は、反対側のまどを見ていた。


 こっちを向いてくれないかな、


 そう、先生は想った。


 バスが、止まった。


 あたらしい乗客たちが乗り込んで来た。


 かれが、こちらを向いた。


 先生は、

 きゅうに自分が恥ずかしくなって、


 顔をそむけて、

 バラ色の月を見上げた。


 すると突然、

 おとこの子が、

 彼女のそでをひっぱり、


「ふせて、やわらちゃん」と言った。


「なになに?」うれしさとおどろきで、

 へんな声になりながら、


 それでも先生は、


 彼といっしょに、


 シートの海底へ、


 かくれた。


「いいから、しずかに」おとこの子が続けた。


「どうしたの、いきなり」こえのトーンをおさえながら、

 先生は訊いた。


「あのおんなのひと」乗り込んで来た乗客のひとりを指し、

 おとこの子は言った。


「おんなのひと?」彼の視線のさきには、二十代くらいの、

 まっ赤な蝶ネクタイをした、おんなの人が、

 立っていた。


「彼女は、」おとこの子は続けた。

「彼女はきっと、スパイだ」


「スパイ?」先生は訊いた。

「なんでそう想うの?」


「彼女のネクタイ」おとこの子は言った。


「ネクタイ?」先生は訊いた。


「あれにはきっと、カメラが隠されている」真剣な顔で、


 おとこの子は応えた。


     *


 くすっ。


 と、不意に、

 不意に先生が、


 わらった。


 そうして突然、

 とつぜん、


 ここで、


 かのじょの夢は、


 おわった。


     *


 時間と空間が切り替わり、


 十代のおんなの子はおばさんに、


 バラ色の月は、消し忘れた蛍光灯に、


 たのしかった想い出は――いや、やめておきましょう。


 そう、先生は想った。


 きょうの分の締め切りと、アシスタントたちにふるまうメニューのことを考えた。


 よっこらしょ。


 右肩と、左手首のいたみを気にしながら、ベッドから起き上がった。


 カーテンの向こうから、街の動き出す音が聞こえた。


 ぴいぃっ。


 と、鳥の鳴き声がそれに続き、先生は、バラ色の月と、おとこの子のわらい声を、彼女の想い出に、そっと隠した。


     *


 さて。


 皆さまよくご存じのとおり、この世界には、善と悪、その二種類がある――と云うことになっている。


 が、これはあくまでただのチーム分けにすぎず、ひとは――だけじゃないけど――潜在的には、善でもあり、悪でもある。


 ほんとうかって?


 もし疑うひとがいるのなら、試しに地獄まで行って、そこのボスに話を聞いてくればいい。


「え? 別にそこまでしなくていいんじゃない?」


 と、背後で悪魔がつぶやいた。「サンプルなら、ここに私もいるし」


 いや、まあ、それはそうですけど、たとえ話としては、あちらのほうがインパクトは大きいわけですから。


「でもアイツ、こわいし不愛想だよ?」悪魔が続けた。「いまだにずっとふてくされてるしさあ、人間のインタビューなんか、受けてくれないんじゃないの?」


 いえ、ですから、いまのはただのたとえ話で、ミアさんの話は、ミアさんの話で、あとでちゃんとしますから――って、ちょっと! なんてカッコしてるんですか!!


「あら? おきらい?」


 いや、すきとかきらいとか以前に、なんでおっぱい放り出してうろついてるんですか?


「え? でも私、家だといつも、こんな感じよ?」


 だとしても、今日はわたしも、読者の方もおられるんですから――また恵一さんに叱られますよ?


「いいのよ、あんなハンプティ・ダンプティ。このナイスバディをまえに、一度たりともお (*検閲ガ入リマシタ)を動かしたこともないんだから」


 はあ……、


「あ、ちなみに。ここで言う“一度”ってのは、角度のことね」


 …………。


「……なに?」


 あ、いえ、この小説、いちおう、よい子が見ても大丈夫なものにしておきたいので、そーゆー、シモ方面のご発言は――、


「あー、はいはい、差し控えろってことね。わかった、わかった」


 あと、その、見事なおしりとおっぱいも――、


「あー、はいはい、なにか着て来て差し控えろってことね」


 ええ、はい、ほんと、おんなの私でも、目のやり場にこまる、こまったおしりとおっぱいですので、ぜひ、お差し控えの方、お願い申し上げます。


「はいはい。じゃあ、ちょっと着替えて来るわね――」


 と、いうことで……って? あれ? なんの話してたんだっけ?


「うちのボスのことでしょー?」


 え? あー、はいはい、そうでした。


 と、いうことで。


 地獄の大ボスに、話を聞いてくればいい。


 彼は、天の国で天使として生まれた善なる存在であった、にも関わらず、ちょっと神さまに対して反対意見を言ったがために、地獄に堕とされ、まるでずっと邪悪の塊であったかのように、周囲から――とくに人間から――想われているのであるから。


「ねー、ほんと、それで余計にすねちゃったのよね」


 と、ふたたび悪魔がつぶやいた。「どう? これ? さいきん流行りだって聞いたんだけど」


 そうして、わたしが背後をふり返ると…………えっ? いや、あれ……?


「なに?」


 いや、「なに?」じゃなくて……、わたしさっき、おしりとおっぱいは差し控えるよう、お願い致しましたよね?


「うん」


 だったらなんで、逆バニーの格好でもどって来ちゃってるんですか?


「え? ダメ?」


 ダメですよ! このあと先生のところにも行くんですよ?


「普通のバニーならいい?」


 それもエロい。


「スク水?」


 いろいろはいり切らないじゃん。


「チャイナ?」


 どーせ薄くて短いのしか持ってないんでしょ?


「警官? メイド? レースクイーン? SMの女王さ……、あ、チェリーを殺すセーターもこのまえ買ったんだけど――」


 なんでエロいのしか持ってないんですか?


「だって、そういうキャラじゃない」


 人間に化けて恵一さんの病院にいるときとか、普通に事務服着てるじゃないですか。


「アレ、胸のあたりがキッツイのよね、ヤスコちゃんには分からないだろうけど」


 うっさいなあ! 取り敢えず今日はアレにしといて下さいよ。


「ミニスカナースは?」


 ダメです。


「女医さん?」


 ダメです。


「もう、お堅いんだから」


 はいはい、出番になったらまた呼びますから……って、なんの話してたんだっけ?


「だから、うちのボスの話でしょ?」


 あー、はいはい――って、なんでそこで着がえるんですかッ!!


「あ、やん、着替え中はこっち見ないでよぉ♡ は・ず・か・し・いっ♡」


 …………は?


「なに?」


 あ、いや…………アカン、無視しよう……えーっと?


 つまり、ここでわたしが、何を言いたかったのかというと、この大魔王ナントカとかの例からも分かるとおり、ひとも悪魔も天使もその他存在も、潜在的には、悪でもあり善でもあり、その場その場のノリと勢いで、どちらかになったり、どちらかにならなかったりするワケで、


「私みたいなのも、多いしね」


 と、こちらの悪魔――っていうか、ゆるやかに善から悪に堕ちてってる最中の天使――ミアさんみたいな、グレーゾーンの方々のほうが、ほんらい多数派であって、


「それこそ、その場のノリと勢いで、」


 善になったり、悪になったり、


「世界を恐怖のズンドコに堕とすこともあれば、」


 この世をハルマゲドンの危険から救うことだって、あったりなかったりするワケですね。


「え? きょうってあのお話するの?」


 あ、いや、さすがに、アレをこの連載に盛り込むだけの余裕はないので、今回お話しするのは、ミアさんと恵一さんが出会った時の、エピソード・ゼロ的な? そっちのお話ですね。


「あー、アレのおかげで、私もこのセクシーボディを、手に入れることになったしね……どう? この服ならいい?」


 あー、はいはい、そのスーツなら、外を出歩いても平気――、


「なに? どうかした? 自分のおっぱい見たりして」


 あ、いえ、やっぱ、神さまって不公平だよなあ…………って想いまして。


     *


「コマちゃーん、どこー?」


 と、ここでとつぜん、猪熊先生の声がひびいた。「さっき頼んだ背景なんだけどー」


 ここは、時間と空間を行ったり来たりした猪熊先生の仕事場マンション。呼ばれているのは、“ドラフトブルーのお駒”こと名アシスタントの望木駒江さん。なんだけど――、


「あ、すみません、先生」と、奥の書庫から駒江さん。こちらに顔を出しつつ、「背景資料探してたら、こんなの見つけちゃって」そう言って、B3サイズのクロッキー帳を先生に見せる。「“天使の時間”のころのですか?」


 ちなみに。


 この“天使の時間”ってのは、さっきの悪魔ミアさんと、まだ出て来ていない“ハンプティ・ダンプティ”鳥取恵一さんのシリーズ――とくにその初期作品群――を、ファンの皆さまが呼ぶときのよび方です。


「すっごい丁寧にデッサンされてて、これだけで一冊出せるんじゃないですか?」と駒江さん。


 するとこれに先生は、


「もう、また古いの出して来て」そう言って応え、「ちょっと見せて」


 と、恥ずかしそうにページをめくる。


 このクロッキー帳には、むかしの先生が描いた、とくにセクシーな感じのモデルさんの、ヌードデッサンがいくつもあったワケですが、


「ほら私、マンガばっか描いてて、絵の勉強とかしてこなかったでしょ?」と、先生。「これじゃあいけないって、ミアさんたちの話の前に、絵画教室とかにも通ったんだけど――」


 そう言いながら、恥ずかしさ半分、真剣さ半分な顔で、重心の位置や髪のバランスを確認していくが、


「でもやっぱり、才能のなさはどうにもならなかったわね」


 パタン。


 と、そのままクロッキー帳を閉じてしまう。


「えー、そうですかあ?」と駒江さん。クロッキー帳を受け取りながら、「私、むっちゃ模写しましたよ、ミアさん」


 そう言ってふたたび、ぱらぱらとページをめくる――ねー、わたしみたいな素人にも、すっごい上手に見えますけどねー。


「それはほら」と先生。「なんだかんだで、マンガ的ごまかしで描いてる部分もあるから」


「それも、味があっていいんじゃないですか?」と、駒江さん。「エロかっこよくて、あこがれでしたもん、ミアさん」


「そう言ってくれるのはうれしいけどね。本物はもっとずっとエロかっこよくて――」


「はい?」


「え?」


 とここで先生、すこししまったという顔をするんだけど、


「あ、いや、それより背景、頼んだ背景」


 そう言って駒江さんを書庫から引っぱり出してごまかす。


「さっさと描いてよ、今日はカズちゃんも遅れるって言うしさあ」


「はいはい、分かりました、分かりましたから、引っぱらないで下さいよ」と駒江さん。「でもやっぱ、マンパワー足りてなくないですか? 詢子ちゃんいなくなってから」


「そう?」と、くびのうしろを掻く先生。「三人でなんとかなりそうじゃない?」


「みんながみんな、先生みたいな化け物だって想わないで下さいよ」と駒江さん――これはそう、本当にそう。「これから、全集の仕事も入るんですよね?」


「あー、まあ、そうだけど……、望月さんに相談しようかしら?」


「あ、あと、詢子ちゃんの後輩にけっこう手の早い子がいるって言ってましたから、訊いてみましょうか? 手伝えないか」


「あ、それいいかも。お願い出来る?」


「もちろん」


「うん、じゃあ、ほらほら、背景、背景」


「はいはい、あ、このクロッキー帳借りてもいいですか? ミアさんの元ネタかと想うと感慨深くって」


「よっぽど好きなのね、彼女のこと」


「そりゃまあ、猪熊キャラには珍しいお色気お姉さまですし。またいつか描いて下さいよ」


「はいはい。またいつか、チャンスがあったらね」


     *


 と言った感じで。


 よくも悪くもコアなファンの多い悪魔のミアさんですが…………、初登場時は、そんなエッロエロボディではなかったんですけどね。


「うん。ヤスコちゃんも知ってのとおり、最初は私、地獄から逃げ出した天使を捕まえに来ただけで、ここに残るつもりも、この身体になるつもりも、なかったものね」


 で、ここに残って、その身体になって、回を追うごとに服装もポーズもエスカレート――って、やべ、今回はその最初のお話を書くんでした。


「なんか延々だべってるけど、ページ足りるの?」


 うーん? いち、に、さん…………ま、まあ、書きながら考えますよ。


「はあ、」



(続く)

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