第十三話:ささやかだけれど、誰かのなにかの、役に立つもの。(前編:その2)
*
「き……み、が……、いや……、なら、聞か……、なくても……、いいん……、だけどね」
と、まっ赤な赤毛に、まるい顔をまっ赤にさせながら、ミスターは言った。
「やっ……ぱ……り、ぼっ……くの、ち……から、じゃあ……、無……理、が……、あ……るよぉ…………」
と、言うことで。
こちらは場面もどって、その日の夕刻の鹿児島県は鹿児島空港。とおくに見える阿蘇山をバックに、今にも落ちそうなわたしと、それを引っぱり上げようとしているミスターであります。が、
「も……う、あきらめちゃ……、ダ……メ?」
と、およそヒーローとはほど遠いセリフと針金体型で続ける彼と、
「ダメに決まってるでしょ!」
と、こちらはこちらで、必死で彼にしがみついているわたし。なんだけどさあ――、
「こういう時こそ、秘密道具の出番じゃないの? ミスター」
「秘……密……、道……具?」
「そのウェストポーチになんか入ってないの?」
「な……んか……? って……、なに……?」
「“空を自由に飛びたいな”的な、アレとかさあ」
「そ……んな、エ……フ、先……生に……、お、怒……られる……じゃないか……」
いまさらなに言ってやがんだよ、このエイリアン。
「だったら他に、空を飛んだり宙に浮かんだり出来る道具は――」
と、わたしは続けるが、
「ご……めん、ヤ……スコ……ちゃん」
そう応えるミスター。いよいよ腕に力が入らなくなったのか、
「も……う、限……界……」
と、そのままわたしの身体を下に落とそうと――したところで、
「なにやってんだね、アンタたち」
わたしの足もとで声がした。
「そこは本来立ち入り禁止……って言うか、どうやって入ったんだね?」
こわごわそーっと、下に目をやると、そこには、ここの職員のおじさんだろうか、青と水色の制服を着た男性が、この球形の塔の一部を開き、こちらを見上げて立っている。――ってか、そこ、開くんですか?
「ちょっと待ってな、お嬢さん」とおじさん。「安全ベルト持って来っからよ、そしたらこっちで受け止めてやるよ」
そう言って、いったん塔の中に引っ込みます。こちらは上の宇宙人とはちがいガッチリとした体型をされているので、ホッとひと安心なわたしですが、
「あー、それはさておき、お嬢さんよ」
と、安全ベルトを締めながらおじさんは言いました。――なんでしょうか?
「勝手に見といてなんだがな」
――はい?
「その年でピ○チュウってのはどうよ?」
*
「これはいったい、どういうことですか?」
と、大きな背中が、彼らに訊ねた。
いや、物理的な大きさだけで言えば、この部屋の中で一番の大物は、高さの面でも、重さの面でも、“ハンプティ・ダンプティ”鳥取恵一さんである。
であるが、それでも彼は、そんな恵一さんがまるで小さな子供に見えるほどの、圧倒的な威圧感・存在感を持って、そこに立っていた。
「ずっと、眠ったままということですか?」彼は続けた。「どうして、目を覚まさないんですか?」
恵一さんは考え、黙っていた。
自分が医師であることを伝え、彼に認めてもらってはいるものの、この状態を説明出来るだけの言葉を、誤魔化せられるだけの言葉を、彼はまだ見付けられていない。
「もし、先生には分からないと言うことでしたら」彼は続けた。部屋の隅に置かれた椅子を持ち上げ、運びながら、「いますぐ、私の知り合いの病院に――」
森永さんは目を見開き、静かにパニクっていた。
と言うか、歓喜と恐怖と興奮とファン心理の中で、それらが重なり、ぶつかり、相殺し合う中で、ほぼほぼフリーズしていた。
と言うのも、イスをベッドの横に置き、そこに腰下ろすその姿、両手でごしごし顔こすり、大きな鼻摘むその仕草、そうして、眠る猪熊先生の上に向けられた慈愛に満ちたその瞳、それからそれから、その目を閉じ――本当は何にも考えていないハズなのに――まるで森の賢者が如き表情を見せるその御姿こそ、彼女が『とってもトレビアン』その他、猪熊先生の自伝的作品で見て来た、『練馬のシルバーバック』こと、猪熊タケシそのひとそのものだったからである。――パニクるなってのが無理じゃありません?
「いや、」
と、ここでタケシさんがつぶやいた。
一瞬、目を開け、窓辺にたたずむレイン伯爵の方を見たが、改めてその口を閉じ、目を閉じた。
カチカチカチカチ。
時計が、時を刻んだ。
カチカチカチカチ。
沈黙が、続いた。
カチカチカチカチ。
不意に、
「すまない、お嬢さん」と、タケシさんが口を開いた。
「は、はい」と、森永さんは応えた。声のイメージもマンガ通りだなー、とか想いつつ、「なんでしょうか?」
それから、いちおう、クールで優秀なアシスタントに見えるよう、意識しつつ、
「お兄ちゃ――」――間違えた。「タケシさん?」
「こいつの、」彼は続けた。「ヤワラの仕事場を、見せてはもらえませんか?」
*
「ごめん。通してくれ、どうしても行かなくちゃならないんだ」
搭乗ゲートのこちら側で、ミスターは騒ぎを起こしていた――らしい。そうして、
「ですから、お客様、搭乗券を」
と、空港職員の女性は言い、
「だから、乗るつもりはないって言ってるだろ、お嬢さん」
そうミスターは応えた――らしい。
「ある人を、こちら側に連れ戻したいだけなんだ」
ちなみに。
なんでここで二回も「らしい。」と書いたのかと言うと、このときの彼は――問題の塔の上で時間をくってしまったから仕方ないんだけどさ――、高い所で宙ぶらりんになり、かつ、見知らぬおじさまにピカ○ュウを見られたショックで走れなくなっているわたしを、その辺に置きっぱなしにしたまま、問題の飛行機へと向かっていたからであります。つまり、
「そうおっしゃられても、規則は規則ですので」
と続けた女性職員のセリフも、
「ああ、もう、融通が利かないなあ」
と、いつものようにテンパった感じのミスターが、
「だったらせめて、その人をここに呼んでくれ」
と語ったりした描写なんかもぜんぶ、後日わたしが、ミスターを含めた関係者から聴き取った内容を基に書いているものでありまして、
「はあ……、それでは、その方のお名前は?」
「名前? 名前は! 名前は……、その……、」
「お客様?」
「名前は忘れたが、こう、目と耳がふたつあって、鼻の穴も二個、口は――」
と、肝心なときに肝心なことを忘れる彼のフォローを、肝心なときにわたしが出来なかったのも、そういう理由に基づいていたりします。はい。
*
と、言うことで。
ブブ、ブブ、ブブ。
と、胸元のスマートフォンが鳴って、アメリアさんはそれに出ました。相手は、猪熊先生のマンションにいる恵一さんであります。
彼女は――彼女とアーサー、それに「一緒に行きますよ」と付いて来た八千代ちゃんと石橋さんは――いまは『シグナレス』を出て、先生の手帳から調べた茂木さんのマンションへと向かっているところでありました。
「いや、『預言』の内容は、やはりはっきりとはしないんだが」
と、アメリアさんは言います。しかしそれでも、石橋さんが見たその内容は、先ほど自分たちが見た先生の様子とは、また違うものであるようだった、とも。そうして、
「結局まだ、よくは分からないが」そう言って彼女は、すこしほほ笑みます。「ミスターさんの言葉を借りれば、「歴史はまだ固定されていない」ってことなんじゃないかな?」
電話の向こうでは恵一さんが、すこし落ち着いた様子で、彼女に何かを伝えました。すると、
「そうだな」とアメリアさんは応え、「希望はあるさ、どんな時にもね」それから、すこし恥ずかしそうに、「それで? そっちの様子は?」
そこで彼女は、一瞬ちょっと足を止め、
「了解」と言って苦笑しました。「またなにかあったら、連絡を頼む」
通話を切って、歩き出し、
「どうしたんです?」と、石橋さんが彼女に訊ねます。すこし、ふり返って、「恵一さんですよね?」
彼に追い付きながら彼女はふたたび、すこし苦笑して、「シルバーバックが、来たんだそうだ」
「え?」と一瞬、今度は彼が足を止め、
「なんで、気付くのかね」彼女はつぶやき、彼を追い越します。
「それは、やはり――」と、石橋さんは答えようとしましたが、
「取り敢えず、」と、その言葉をさえぎるように彼女は、今度ははっきり、ほほ笑みながら、「あのゴリラが暴れ出す前に、なにかをどうにかしないとな」そう、続けました。
*
「だから取り敢えず、」と、わたしの前を歩きながらミスターは言った。今度もきっと、作戦はないのだろうけれど、「このまま飛行機に、忍び込むことにしよう」
彼がいま、どんな表情でこのセリフを言っているのか、それはわたしには分からないけれど、それでも握った手の感触から、彼がいつものノーアイディアで、しかもやっぱりテンパってんだろうなってことは分かります。
と、言うのも。
なにしろ、先ほどの騒ぎのおかげで彼は、縦にも横にも、彼の二倍はありそうな空港ガードマン×2に、空港建屋から放り出されたばかりで、
問題の飛行機は飛行機で、そろそろ出発準備を終え、滑走路に向けて動き出そうとしているところだからなんだけど――、
「それは分かったけどさ、ミスター」と、そんな彼の手をギュッと握りしめながらわたしは訊きます。すこし、息を切らして、「これ、本当に見えてないの? 周りから?」
と、言うことで。
いま、わたし達は、空港の滑走路をまっすぐ、問題の飛行機へと向かって歩いているわけなんだけれど、なんでさっきからわたしが、
「彼がいま、どんな表情でこのセリフを言っているのか、それはわたしには分からないけれど」
とか、
「それでも握った手の感触から」
とか、
「そんな彼の手をギュッと握りしめながら」
とか、
そんなことをいちいち書いているのかと言うと、これは別に、男女の心理的アレコレが働いただとか、絵的にこっちの方がエモいだとか、そんなことはまったくなく、ただただ、実務的な要請に基づいてのことでありました。
と、言うのも。
実は現在わたし達は、それぞれの頭に、変な形のグレーのキャスケットを被っているのですが、これも何やら、ミスターの秘密道具のひとつらしく、その効果と言うのが、
「この帽子をかぶると、その人は途端に、まるで道ばたに転がる石ころのように、誰にも気にされなくなるんだよ、ヤスコくん」
と、問題のダミ声で説明しちゃうような代物で、そのため、それを知っているわたしでも、彼の表情はなんだかボヤーッと見えて来るし、
「手は離さないでよ、はぐれちゃうから」
との忠告を受け、こんな感じに彼の手をにぎり締めているわけなんですが――、
「ねえミスター、これって要は『石ころぼう――』」
「しっ、ヤスコちゃん。この秘密道具の名前は、きっと『スモール・ストーン・キャップ』とか、その辺だよ」
「はあ……」
ってか、なんでこんなのまで持ってんのに、空を自由に飛ぶ道具は持ってないのよ、あなた。
*
ガタン。
と、扉の開く音がして、最初に部屋に入ったのは、アメリアさんだった。
どこで覚えたのかは知らないが、アーサーの持っていたイタズラ用の針金と、八千代ちゃんが使ってた髪留めを使って、彼女が扉を開けたからである。
そうして、それから彼女は、手短に部屋の中を点検すると、あとの三人にも中に入るよううながした。
引っ越して日も浅いからだろうが、茂木さんの部屋の窓はすべて閉まっていて、当然ながらエアコンはオフ、外もまだまだ暑かったけれど、中に入ると、一気に汗の量が増す感じがした。
彼の室内は静かで、聞こえる物音と言えば、気持ち古めの冷蔵庫が、控えめなうなり声を上げているくらいだった。
「きれいに……、片付いてますね」
と、最初に言葉を発したのは、石橋さんだった。
彼も言うとおり、部屋のあちらこちらから、ここの住人の、慎ましく几帳面な性格が見えて来るようだった。
きれいに掃除し整理された玄関。白を基調に揃えられた家具類の上には、余分な衣服が放り出されることもなく、寝室の布団や枕やライトなども、みな然りと、整理し、揃えられていた。
著者順に並べられた本棚には、歴史や物理、工学系の書籍に混じって、カトリーヌ・ド・猪熊のコミックスも、まるで誇らしい盾か何かのように置かれているのが見えた。
奥の書き物机には、きっと彼らも初めて見るだろう、うつくしい女性の写真が一枚、額縁におさめられて立っていた。
「アメリアさん?」
写真に目を取られていた彼女に、石橋さんが声を掛けた。「なにか見付かりましたか?」
が、しかし、そう訊かれたところで彼女にも、結局のところ、何をどう探せばよいのかから分かっていなかった。
「いや」
と、静かに彼女はそう応えると、目線を本棚に戻しつつ、
「先生の本ならそこにあるが、」と言って続けた。「ミスターさんの指示も、「なにか手掛かりになるもの」「彼と先生のつながりを示すもの」だけだったから、正直、どれがそれなのか――」
それから彼女は、きびすを返すと、その書き物机から離れようとしたのだが、その時、部屋の北西の角に、たぶん旅行用だろう、使い古された、仔牛皮の鞄があることに気付いた。
最初、それを見たとき彼女は、これは、この亡くなられた女性の物で、中にはきっと、なんにも入ってはいないのだろう、とそんな風なことを想った。
聞いた話が確かならば、彼女のすべては、すべてがすべて、あの春の海に流されてしまったのだから、と。
が、しかし、それでも彼女は、まるで何かに、まるで誰かに、背中を押されるかのように、そのままの足で、その鞄のそばまで、近付き向かうことになった。
「アメリアさん?」
と訊く石橋さんを一瞥してから彼女は、そこに、その鞄の前に、ゆっくりと、しゃがみ込んだ。
鞄の口はきちりと閉められていたが、それでも彼女は、すこしためらいはしたものの、それでも彼女は、それを開いて中を見た。
そこには、きっと、本棚にしまい切れなかったのだろう――という体面を保持したかったのだろう――いくつかの本と、それにまぎれ込ませるように置かれた、一冊の、青い表紙の、日記帳、があった。
(続く)




