第十二話:スモール、グッド・シングス(後編:その3)
*
先生をベッドまで運んでくれたのは、恵一さんだった。
先生の服は、わたしと森永さんで着替えさせた。
先生に布団をかけながら森永さんは、わたしを見上げ、それからまた、先生に視線を戻した。
先生の目は、閉じられたままだった。
「あの……」と、森永さんが訊いた。「あの人たちは……?」
答えは分かっているのに、自分からは出せない様子だった。
*
「皆さん、森永さんです」リビングに戻り、わたしは言った。「森永さん……みんなよ」
それから少しの間を置いて、
「彼女は、ここの新しいアシスタントで――」
と、わたしが続けようとした瞬間、
「ミセス! アメリア! リンディ?!」
と、森永さんは叫んだ。「あの! 『虹のエリーゼ』の?!」
「う、うん」
と、わたしは応えた。――この子、こんな大きな声出せたの?
「あ、あのね、森永さん」
そう言って、いまの状況を説明出来る言葉を探そうとするわたしだが、
「えッ? うそッ? うそッ! やっぱりッッ!!!」
と、そんなわたしはさて置いて、森永さんは続ける。
「そこのおっきな人! 恵一さんじゃないですか!!!」
あ、うん、そうね、そうなんだけど、
「私ッ! 『天使たちの時間』のッ!! 最初のコミックス第六巻が大好きで!!!」
って、そうね、マンガ好きじゃないと、こんな所でアシスタントなんかしてないわよね。「特に! 最後の! あなたが内科医として葛藤する姿に、すっごくすっごく感動して――」
困ったわね、この子、テンションマックスじゃない。
「あの、あの、あのあの、あとで、あとで、あとでコミックス持って来るんで…………、よければサインとか?」
と、彼女は続け、
「あ、あー、それは構わないけど――」
と、それにたじろぐ恵一さん。すると、
「やったーー!!!!」
と、天井に届かんばかりに飛び上がる森永さんだけど――うん、まあ、ちょっと、落ち着こうか、森永くんよ。
とここで、わたしと同じことを感じたのだろうかレイン伯爵、
ぴょんっ
と、恵一さんの大きな肩に飛び乗り、
「にゃな、なーニャ、ナゴナゴ、ゴロにゃん」
と、彼女への説明を試みた――のだが伯爵、この子にネコ語は通じないし、それってあれよ、逆効果よ。
「キャー!!!」
と、我らが伯爵登場に、更にテンションあげあげの彼女。
「うそ? うそ? うそ? うそッ!!!」
と、じたばた足を、踏みながら、
「アドリアン・ヤン・ファン・メリージ・ダ・ピーテル・ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・フォン・レイン伯爵?!」
うん、それ、コミックス七巻の作者あとがきに一度だけ出た伯爵のフルネームね。
「どーなってるんですかーー!!!」
と、両手を上に振り上げて、ご近所迷惑かえりみず、こころのままに叫ぶ森永さんだが、次に彼女は、
「しかも! そこの子! そこの男の子ッ!」
と、アメリアさんのうしろに隠れていたアーサーを見付ける。
「『公園』シリーズのアーサーくんじゃないですかーーー!!」
「あ、う、うん、そうね」とわたし。――この子、こんな子だったっけ?
「あのね、森永さんね、いっかいね、いっかい落ち着こうかしらね」
「え? じゃ、じゃあ、アレですか?」と森永さん。
うん。聞いちゃいねえ。
「樫山さんも? ご存知だったってことですか? ことですよね? 皆さんが実在するってこと!!!」
「ま、まあ……」と、わたし。そろそろ本気で引きながら、「そう言うことに……なるかもね」
「えー、もー、だったらー」と、彼女。両手をワキワキさせながら、「もっと早く言ってくれればよかった――、って、じゃ、じゃあ、あのとき見たドラゴン?! あれ! あれも夢じゃなかったんですね!!!」
「あー、まー……、うーん……、そうねー、あれもー、夢じゃなかった……んじゃないかなあ……」
「うっわ、だまされたー」と彼女。「だって樫山さん、シレーッとした顔で、「きっと緊張で、変な夢でも見てたのよ」って言ってたじゃないですかー、「空飛ぶドラゴンなんて、いるわけないじゃない」ってーー」
「あ、あー、そうね、言ったかも……、言ったかも知れないわね……」
「え? え? じゃあ、いまは?」と森永さん。顔をキョロキョロ左右にふりつつ、「今日は? アメリアさん? 今日もきっと、エレクトラちゃんに乗って来たんですよね?」
「あ、あの、それがね、森永さん――」と、わたし。なんとか彼女を止めようとするのだが、
「伯爵は? いつものメンバーは? 一緒じゃないんですか? フェビアンさんとか」
と、テンションマックスの彼女の話は止まらない。そのため、
「あ、でも、それ言い出したらー、やっぱ恵一さんですよー、なんだかんだでミアさんとはいっつも一緒ですしー、って、きゃーっ! わたし、生のミアさん見たらエロカッコよさに卒倒しちゃうかもー!!!」
と言っては、彼の悪魔を探そうとするし、
「ごめん、森永さん、それは、その話は――」
そう言うわたしの声も、届かない感じで、
「そうそうそうそう、それからそれから、コンビって言ったら、パウラとアーサーのふたごコンビは外せませんよね? 今日もいっぱい一緒に遊んで来たんでしょ? いろんなイタズラしたりして――」
そう続けては、丸いおでこの、ひかるあの子を探そうとする。するのだが、
「ねーねー、アーサーくん、お姉ちゃんは? お姉ちゃんのパウラちゃんは? どこ? 彼女もここに来てるんで…………アーサーくん?」
と、ここでようやく彼女は、周囲の空気に気付いたのだろうか、不意に声を落とすと、
「どうしたの?」
と、彼に訊いた。
が、彼は首を横にふっていた、泣きながら。
「分かんないんだ」彼は言った。「どこに行ったか、分かんないんだよ」
彼は叫んだ。
「どこに行ったか! 分かんないんだよ!」
こんな“かなしい時間”に立ち会うことになるなんて、想像したことも、なかったかのように。
「アーサー……くん?」もう一度、森永さんが訊いた。「なにがあったの?」
そうして、
ジリリリリリリッ
と、突然、リビングの電話が鳴った。
でも、当然誰も、わたしも含めて誰も、いまは電話に出られるような気分ではなかった。
みんな、ずっと、黙り込んでいたから。
だからわたしも、
「はやく留守電に切り替わってくれないかな」
そんな風に、想っていた。
そんな風に、想っていたのだけれど、何故かその日、いつもなら直ぐに切り替わるはずのそれは、何故だか全然、切り替わる様子を見せなかった。
ジリリリリリリリリッ。
それは、鳴り続けていた。
ジリリリリリリリリッ。
仕方がないのでわたしは、アメリアさんと目で合図を送りあってから、リビングドアの横にある、固定電話のところにまで行った。
そうして、それから――たしか、八度目か九度目のベルのときだったと想うけれど――、すこしの肌寒さを感じながらわたしは、それでもそのまま、受話器を取った。
「もしもし?」泣いてるアーサーを、心配に想いながら、「猪熊スタジオですが?」
「樫山さまでいらっしゃいますね?」と、いつかどこかで聞いたような、男のひとの声がした。「※※※※からお電話がはいっております」
なんだか知らない、外国の名前を出された。
「すみませんが」わたしは応えた。「いま、スタジオのひと誰もいなくて」変な違和感を覚えながら、「先方には、また明日かけ直して頂くよう、そうお伝え下さい」
カチャリ。
と、電話を切った。
なんで、わたしって分かったんだろう?
と、そう想った瞬間、
バンッ!!
と突然、天井から、ナニカとナニカのはげしくぶつかり合うような音がして、そうして、
ドッシン!!
と、うしろでナニカの、ひょろひょろとしたナニカの、床に落ちる音がした。
おどろいて、後ろをふり返った。
そこには、ひとりの青年――いや、わたしの 《ときを見た少年》――が、これまたいつもの如く、ぼっろぼろになった、イギリス紳士みたいな服を着て、そこに倒れていた。
「いっててててててて」
と、立ち上がりながら、彼は言った。腰のあたりを押さえながら、
「なんでもっと、静かに飛ばせないかね、あの修道士」
わたしは駆け寄り、彼に抱きついた。なみだが流れないよう、十分注意しながら。
「ちょ、ちょっと、痛いよ、ヤスコちゃん」彼は応えた。「……ヤスコちゃん?」
それから、わたしの顔を見て、いつもの調子で、
「なんだい? 変な顔して」と言った。いつもの調子で、「ひょっとして、泣いているのかい?」
(続く?)
…………、
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……………………………………………………………………………………ジジジジジ、ジッ、ジジジジジ、ジジッ
「なにそれ? その間違ったラチェットレンチみたいなの」
「時空間の波動や波長、それに色彩を測るための装置だよ、ヤスコちゃん。――そういや、名前を決めてなかったな」
「それで? それでなにか分かるの?」
「いや、うん。……いや、取り敢えず、よく分からないことだけは分かった」
「はあ?」
「“すべてのお話は、すべてホントに起きたこと、すべてホントに起こること。”」
「なに? それ?」
「僕の故郷の、古い子守唄さ。――“すべての記憶が、物語へとかわるとき。”ってね」
「ごめん、ミスター、いったい何の話を――」
「物語が実在するということは、その物語の登場人物たちも、同様に実在すると考える方が自然だろ? ――“わたしはきみの見た夢を、きっと夢に見るだろう。”――いやいや、じつに大変、興味深い」
「興味深いって――」
「ああ、ごめん、たしかに。君や僕はまだしも、猪熊先生の直接の創造物である彼らにとっては、興味深いじゃすまされないな。――鳥取先生!」
「どうした?」
「行政書士の先生と喫茶店の子に連絡は取れたかい?」
「ああ、ふたりとも普通に電話に出たが――」
「彼らの方では、何も起こっていない?」
「え? ああ、その通りだけど――」
「オーケー。そしたら君は、全体の連絡役としてここに残ってくれ。それから……、そう、そこの君、三白眼の子」
「…………」
「なんだい? ひとの顔をジッと見て」
「あ、あの、あのあの、あの、あな、あなあな、あなたって、あなたって! ひょっとして! あの、あのミスターですか? あの、あのあのッ、あのッ! ミスターですか?!」
「うん? そうだけど」
「『ときを見た少年』の?!」
「え? あ、ああ、たしか猪熊先生のマンガではそんな――」
「私ッ! あなたのッ! 大ッファンでぇッ!!!」
って、ごめん、グリコちゃん。時間もないし、その辺はまた後日にしようか。
「それじゃあ、鳥取先生と森永くん、それに伯爵にはここに残ってもらって、先生の監視――失礼、看病と、みんなとの連絡役をお願いします」
「私は?」
「ミセス・リンディとアーサー少年には、先ず、行政書士の先生が見た『預言』ってヤツを詳しく訊いて来てもらいたい」
「なるほど、了解。すぐに訊きに行くよ」
「あ、あと、出来れば、喫茶店の子も一緒の方がいいかも知れない」
「佐倉くんも? なぜだい?」
「いや、彼女については、僕もハッキリしたことは言えないんだけど――」
「まあいい。だったら、いつもの喫茶店で落ち合うようにしよう」
「うん。まとまったら僕に報せて。それから、その茂木って人の家に行って、なにか手掛かりになるようなもの、彼と先生のつながりを示すようなものがないか、調べて来て欲しい」
「アンタは?」
「残念ながら、いま僕が使えるタイムマシンは、二人が限界でね」
「タイ…………なんだって?」
「タイムマシンさ、修道士のとは違うやつがあるんだ」
「はあ?」
「なので僕らは、僕とヤスコちゃんは、これから一緒に、過去へと向かう。修道士が僕を送って来たってことは、過去も未来も、まだ変えられるってことだろうからね」
(続く?)
…………ジリリリリリリッ
……………………ジリリリリリリッ
…………………………………………ジリリリリリリッ
……………………………………………………………………………………ジリリリリリ、カチャッ
「はい。もしもし、猪熊スタジオです。
え? あ、いえ、私、ここの新しいアシスタントで森永と――、
あ、いえ、望木さんも野崎さんもすでに帰られて――、
え? あ、いまは締切り明けで再開は明後日を予――、
あ、あー、それが……、先生はいまお休み中で出られな――、
タケシさん? 失礼ですが、どちらのタケシさ――、
えっ? あ、あの?!
あ、い、いえ、その、別に体調を崩しておられるとかではな――、
はあ……、はあ……、しかし、いきなり「時空の乱れを感じる」と言われまして――、今からこちらに来られるッ?!
え、いえ、そんな、そんなわざわざ来て頂かなくても、先生が起きられたらこちらからお電話を――――、切られちゃった」
「なんだい? 森永さん。いまの電話は?」
「恵一さん……」
「どしたの? 複雑な顔して」
「いまの電話……、タケシさんからです」
「タケシさん? って、どこのタケシさん?」
「猪熊タケシさんです」
「…………うそ?」
「「練馬のシルバーバック」こと猪熊タケシさん。先生のお兄さまの、猪熊武志さんです」
(続く)




