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第十二話:スモール、グッド・シングス(後編:その2)

     *


「ごめん。通してくれ、どうしても行かなくちゃならないんだ」


 搭乗ゲートの反対側で、なにやら騒ぎが起こった。


「ですから、お客様、搭乗券を」


「だから、乗るつもりはないって言ってるだろ、お嬢さん。ある人を、こちら側に連れ戻したいだけなんだ」


 なんだか外国人のようにも見えるが、それにしては流暢な日本語を話している。


「そうおっしゃられても、規則は規則ですので」


「ああ、もう、融通が利かないなあ、だったらせめて、その人をここに呼んでくれ」


 どこかで見たような気もするけれど、外国人に知り合いはいないし、きっとなにかの勘ちがいだろう。


「はあ……、それでは、その方のお名前は?」


「名前? 名前は! 名前は……、その……、」


「お客様?」


「名前は忘れたが、こう、目と耳がふたつあって、鼻の穴も二個、口は――」


「お客様?」


 なんだろう? あのひとは?


 そう想うと茂木紘一は、なんだか少し、違和感は残ったものの、それでもそのまま、機内へと移り、指定された席へと座った。


 乗務員から毛布とイヤホンとサービスのキャンディを貰い、窓の外を眺めた。


 すこし、雲行きが怪しい気もした。


 が、まあ、よくある天気だし、どうってことはないだろう。


 そんな風に彼は想い、友人宛てのメールを一本送った。


『17時00分発の飛行機で、東京に戻ります。』


 スマートフォンを、機内モードへ切り替えた。


 誕生日を祝われるなんて、いつぶりだろうか? 


 と彼は、そんなことを想った。


 が、もちろん、そんな彼の期待をよそに、そのパーティーが開かれることはなかった。


     *


 さて。


 それからしばらくして、わたしの住む東石神井の町で、ちいさな地震が起こりました。


 その時わたしは、弟に頼まれたネーム仕事――って、これも話せば長くなるので今回は割愛しますが――のために、猪熊先生のマンションを離れ、自宅ボロ屋に戻っていたところだったのですが、


「どうした? 姉貴」


 と、弟の詢吾がわたしに訊きました。顔をこちらに上げながら、「なんか、変な顔してないか?」


「え?」


 と、わたしは応えました。彼の方をふり向きながら、「あ、いや、いま、ゆれなかった?」


「うん? いや、気付かなかったけど?」


「そう? ……それよりどう? それでいけそう?」


「あ、うん、アンタがやるとやっぱ違うな。これでもっかい坪井さんに出してみる…………姉貴?」


 と、ふたたび、詢吾が訊きました。わたしの顔を心配そうに、「やっぱ、なんか、どうかしたか?」


「え?」


 と、ふたたびわたしは応えました。ふたたび、自分でも、なにが何だかよく分からないまま、「なんか……」――なんか、変な感じがしない?


「変な? ってどんな?」


「なんか、うまくは言えないけど……」


 わたしは続けました。それでも何だか、自分でも、なにが何だかよく分からないまま、


「なんか、寂しいって言うか……、なんか、世界が、減っちゃった感じ?」


「なんだそりゃ?」


 そう彼はくり返しました。


「なんだそりゃ?」


 と苦笑気味に、それでもやっぱり、わたしを心配した様子で、「今日はもう、あっちに行くのは、やめといた方がいいんじゃないか?」


「うーん? それはそうなんだけど……」


 と、わたしは応えます。彼の気持ちを嬉しく想いつつも、それでも、彼から目をそらしながら、「それでもちょっと、約束もあるしね」


 って、誰との、なんの約束だったっけ?


「先生の様子だけでも、見て来るわ」


     *


 心配顔の弟を残して、玄関を出ます。


 外はすっかり暗くなっていたけれど、家々の明かりや、川沿いの街灯たちのおかげで、そこに怖さや不安を感じることはありませんでした。


 橋を渡る。


 いつもの曲がり角をまがり、


 どこかの家で、赤ちゃんが泣いていました。


 その子をあやす、お母さんの声が、それに続きました。


 手首に何かを巻いた人が、それを光らせながら、走ってわたしを追い越して行きました。


 こどもの頃に、ギュッとつかんだ、彼のローブの感触が不意に想い出されて、わたしは、


 あれ?


 と、その手のひらを見詰めました。


 雲が、ものすごい勢いで過ぎ去っていくのが分かりました。


 あれ?


 とわたしは、自分でも気付かぬうちに、走り出していました。


 風が、ものすごい勢いで、土手の花たちを揺らしているのが見えました。


 おかしい。


 なにかが、おかしい。


 マンションに着いた。


 息が、切れていた。


 エレベーターホールで、おとこの子がひとり、泣いているのが見えた。


 彼が、こちらを向いた。


「カシヤマさん?」


 ――アーサー?


「パウラが、」


 ――パウラちゃん?


「パウラが、とつぜん、消えちゃった」


     *


「すまない、お嬢さん、私も気付くのが遅れてしまった」


 先生の扉の前で待っていたのは、レイン伯爵でした。


「どうやら、先生の監視に付けていたフェビアンも、消えてしまったらしい」


「どういうことですか?」わたしは訊いた。「先生は? なかに?」


「ドアを開けて貰えない」伯爵は応えました。「理由は分からないが、猪熊先生になにかあったのは確かだろう」そうして、「私の仲間も、すでに何匹か消えてしまっている」


「消え……? って、なに?」


「先生のちからが弱まったか暴走したか――」と伯爵。わたしのうしろに目をやると、「彼らの方にもなにかあったらしいな」


 ふり返ると、顔面蒼白の恵一さんと、キュッと口をつぐんだアメリアさんが、そこに立っていました。


     *


「すると、悪魔のお嬢さんとエレクトラくんも消えたのですな?」そうレイン伯爵が訊き、「おふたりは? なんともないのですか?」


「私は、前回のときも無事でしたし」と、先ずは恵一さんが、


「私も、元々はこちら側の人間ですし」と、次にアメリアさんがそれに応えます。「消されるとしても、時間が掛かるのでしょう」


 わたしは、彼らからすこし離れた場所で、いくつか電話を掛けていました。


 アーサーは、彼らになにか質問したそうだったけれど、それでもわたしのそばに立ち、ただただ黙って彼らのやり取りをながめていました。


 なのでわたしは、いつかの“あの人”がそうしてくれたように、


「アーサー」そう言って、左手を彼の前に差し出します。「わたしの手をにぎって」


「これ、なんとかなるの?」わたしの手をにぎる彼の指さきが震えていたのを、いまでもおぼえています。「なんで、パウラだけ、消えちゃったのさ?」


 消えているのは、きっと、彼らだけではないのだろう。


 わたしが感じた違和感は、きっと、世界そのもの、いくつかの世界そのもの、先生が創り出した世界そのものが、たぶん先生ご自身の意識、あるいは無意識によって、消滅していることで感じた違和感なのだろう。


 理屈は、分からない。


 理由も、いまは分からない。


 対策だって、なにも想い付かない。


 だからわたしは、彼にウソを吐きました。


「大丈夫よ、アーサー」“あの人”みたいだな、そう想いながら。「作戦ならあるから」


 そうして、


「伯爵!」と、向こうにいる彼らに声を掛けた。


「管理人は?」首を伸ばしながら伯爵が訊いた。「すぐ来れそうかね?」


「それが、連絡が取れなくて」わたしは続けた。「代わりに、近くにいたアシスタントの子にカギを――」


 そこまで言って、わたしはハッとした。


「樫山先生?」伯爵が訊いた。


 廊下の反対側、非常階段の向こうから、ひとりの男性が、こちらに歩いて来るのが見えた。


 黙然と、手に――こんな言葉を使うときが実際に来るとは、いままで想像もしていなかったけれど――手に、バールのようなものを持って。


「どいてくれ、ヤスコちゃん」


 と、その男性――飾森陸さんは言った。


「エルが消えた、俺の目の前でな」


 その、バールのようなものを、ドアとドア枠の間にねじ込みながら、


「きっと、オリジナルがなにかしたんだ、俺のな」そうして、「あるいはそいつに、なにかあったんだ」


 ベキッ。


 扉が壊され、はずされた。


     *


 それからすぐに、わたし達は中へはいった。


 部屋は暗く、点けっぱなしのテレビだけが、なにやら音を出していた。


 先生は、リビングの床に荷物を置いたまま、そのテレビの前で、ただただ立ち尽くしていた。


 荷物の中身――それは、季節の野菜やお魚だったけど――そのパックについた水滴から、それが、随分長い間、そこに置かれたままだったのが分かった。


「ヤワラちゃん?」飾森さんが言った。


 しかし、先生は応えなかった。


「ヤワラちゃん?」飾森さんが言った。こんどは少し、彼女に近付いて。


 だけど、先生は応えなかった。


「ヤワラちゃん?」飾森さんが言った。


 そのまま彼は、もう少しで彼女を抱き締めるところだったけれど、それは出来ず、そのまま、代わりに、もう一度、


「ヤワラちゃん?」と、飾森さんは訊いた。


 先生がふり返った。


 一瞬、目を見開いたが、すぐに半歩後ずさると、


「リクくん?」と、彼の名を呼んだ。とても、憎々し気に。「なにしに来たのよ」


「先生!」アメリアさんが叫んだ。彼女の気を、彼から逸らすかのように、「なにか、あったんですか?」


 飾森さんを後ろに下がらせ、彼女の腕を、やさしく取りながら、「急に世界が――」


「アメリアさん?」先生が言った。


 飾森さんから目を背けながら、まるでもう、何の関心もないという風に。「火災が――」


「火災?」アメリアさんが訊き返した。


「火災が、起きたんだって」先生は応えた。


 飾森さんは、わたしとアーサーの所まで戻って来ていた。


 彼の呼吸は乱れていて、そうして、右手が半分、消えかかっていた。


「火災が、起きたんだって」先生はくり返した。


 まるで小さな女の子が、なにかの言い訳を、するみたいに、


「彼が、乗っていたのに」先生は続けた。


 まるで、部屋にいる皆に、世界中にいる皆に、いま起こっていることを、これから起こるだろうことを、こころの底から、謝るように。


「彼が、乗っていたのに」――こんな世界、消えてなくなってしまえばいい。


「ヤワラちゃん!」飾森さんが叫んだ。


「リクくん」先生が応えた。


 とても、すまなさそうに、


「あの人と同じ顔で、」


 そうして、とても、憎々し気に。


「私の名前を、呼ばないで」


 パーーーーンッ


 と、


 どこか遠くで、


 天から降って来たような、


 なにかの弦の、


 切れる音がして、


 そうして、


「リク!」と、アメリアさんは叫んだ。


 が、その一瞬後、


 飾森さんの姿、気配、いや、存在そのものが、この世界から、消え去っていた。


     *


 さて。


 この日この年、鹿児島空港17時00分発の民間航空機※※※※便は、目的地である東京羽田空港への着陸直前、その右側エンジン第一段高圧タービン・ディスクが破断、その破片がエンジンケースを貫通、その影響で、エンジン火災を発生させた――と、推定されている。


 事故発生後、機体はすぐに機長の操縦でC滑走路脇に停止、すぐさま空港配備の化学消防車が出動、消火活動を始めた。


 機長は、運航乗務員からの火災発生の報を聞くや、すぐさま乗客・乗員全員の脱出を彼女たちに指示、乗客の一部からは、「はやく扉を開けろ!」などの悲鳴や怒声もあがったそうだが、それ以外の多くの乗客は、ほぼ冷静に、沈着に、パニックになることもなく、乗務員の誘導に従い、機体停止後、脱出を開始した。


 が、しかしながら、この火災は、運航中モードのドアを開くと自動で展開するはずの緊急脱出用スライドが、二カ所正常に機能せず、また、火災のため使用不能となった脱出口は避けなければならなかった等の事象が重なり、不幸なことに、負傷者八名、死者二名を出す、重大インシデントとなってしまった。


 そうして、これもまた非常に不幸なことに、死亡した二名のうち一名は、東京から鹿児島へ出張で来ていた会社員・茂木紘一 (56)だった。


     *


「先生!」


 わたしは叫んだ。


 飾森さんの消失に合わせるかのように、彼女が床に倒れ込んだからである。そうして、


「恵一さん!」


 と、つづけて、優秀な内科医である彼の名を呼んだ。先生の顔を覗き込みながら、


「先生を診てあげて!」


 しかし彼は、いつもの彼ならば絶対にためらわないであろうこの場面で、


「でも……」


 と言い掛けて、しかしそれでも、


「そうだな……」


 そう続けて彼女に近付くと、その場にしゃがみ込み、彼女の脈を取り、呼吸の様子を見ながら、恐るおそると、


「ヤスコちゃんは、そこにいてくれよな」


 と、こちらを見ずに言った。先ほど消えた飾森さんと、彼の悪魔を想い出しながら、


「僕が消え掛けたら、教えてくれ」


 それでも、そう、苦笑しながら。


 この部屋にいる他のメンバー――レイン伯爵とアメリアさん、それにアーサー――は、そんなわたし達を遠巻きに、すこしの恐怖を感じながら、眺めていた。


 が、するとここで、


「すみませーん」


 と、玄関先から遠慮深そうな声が聞こえて来た。皆が、いっせいにそちらを向いた。


「樫山さーん? カギ……、持って来た……んですけど……?」


 さき程わたしが呼び付けた、アシスタントの森永久美子さんだった。



(続く)

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