第二話:丸いおでこ、ひかるあの子(前編)
うん。
ということで今回は、前回予告したとおり、猪熊先生がお住みになっている町、その町に――まあ、いろんな意味で――ちかい場所に住んでいる、ある子どもたちが、主人公になります。
この子たちは、パウラとアーサーっていう双子の姉弟で……え? はい? いま、なにか言いました?
あー、はいはい、それはもちろんそうですよ。
もちろん彼らも、カトリーヌ・ド・猪熊先生のマンガに出て来るキャラクターなので、猪熊先生と同じ時間と空間に住んでるかって訊かれると、そこは、さっきわたしが、
「まあ、いろんな意味で」
って書いたとおり……って、そっか……、えーっと? ……あー、まー、そうですねー…………、なんと言うかその辺は、追い追い分かってきますんで、先ずは、ふたりの紹介からさせてくださいよ。
うん、そうそう。
えーっと? なので……、
うん。
先ず、さきにこの世界に出て来たのは、ふたりのうち、お姉さんのパウラちゃんの方でした。
だけど、さきに産声を上げたのは――それでも、十秒ほどのちがいしかなかったらしいんだけど――弟のアーサーくんの方でした。
なので、このアーサーくん、ことあるごとに、
「本当は、ぼくの方がお兄さんなんだぞ」
って感じを出そうとするんだけど、そこはそれ、ほら、まだまだちいさな男の子ですし、体力的にはパウラちゃんに負けるし、ここだけの話、あたまもそんなによろしくない。
だから、なんだかんだで、こまったことがあると、すぐにお姉さんのパウラちゃんに相談する彼なんですけ……、うん? はい? こんどはなんですか?
え? あっ、そうそう、そこを言ってませんでしたね。
えーっと?
たしか、このふたりも、前回のわたし同様、まだ9才――お話の途中で10才になるんだったっけ?――の子どもたちで、都会からちょっとはずれた、そこそこ大きな公園のちかくに、住んでるんですね。
で、あ、そうそう。
この公園っていうのが、いったいどこの公園なのかっていうと、猪熊先生もはっきりと描かれてはいないんですけどね――、舞台も日本なのか外国なのかハッキリさせてないですし。
だから、いろんな人種のひとが、まじり合って出て来てたりもするんですけど――ま、それはさておき。
どうやら、この公園のモデルってのが、先生がお住まいになっている上石神井の町、そこからすぐ行ったところにある、《東京都立石神井公園》らしくて、これはもう、なんと言うか、ファンのあいだでは定説みたいになってるんですね。
そうそう。
水辺観察園とか、三宝寺池とか、けやき広場とか、ディテールや背景は慎重に変えているんですけど、それでもやっぱり、そっくりなんですよね、雰囲気というか、空気感が。
*
「“ひとが生まれて泣くのはな、この偉大なる阿呆どもの舞台に引きずり出されたのが悲し過ぎるからだ。”――だってさ」
と、問題の公園にあるベンチにすわりながら――この日当たりのいいベンチが、彼女のお気に入りなわけなんですけど――丸いおでこのパウラちゃんは言うわけです。
「つまりあんたは単純に、それに気付くのが早かったってだけよ」
って、これはもちろん、『ハムレット』……あれ? 『リア王』でしたっけ? 『マクベス』? …………まいっか。
いずれにせよ、その辺からの引用なわけですけれども、要は、このパウラちゃんってのは、けっこう本を読んだりする、あたまのいい子なんですね。
そうそう。
図書館から借りたり、それこそ猪熊先生の仕事場から無断で拝借したり。
え?
ねー、ほんっと、えらいですよね。
わたしなんか、9才のころっていったら、マンガばっか読んでましたけど、この子、新聞のニュースとかもキチンと読んでて、いざとなったら、大人のひとにも自分の意見をしっかり言うんですから、ほんとカッコい……うん? なにか言いました?
え? あ、だから、さっきも言ったじゃないですか、この公園は――いろんな意味で――先生のお住まいに近いって。
うん、そうそう。……大丈夫ですかね? 大丈夫そうなら、続けますけど。
で、まあ、いま彼女が声をかけたのが、彼女の弟のアーサーくんで、彼のほうは、いまなにをしているのかと言うと、お姉さんのはなしなんか彼の耳にはまったく届きませんから、履いてたコンバースのスニーカーを脱いで、ベンチのすぐ横の樫の木を、スルスルスルッと登って行ったところなんですね。
日あたりのいいこのベンチが、パウラちゃんのお気に入りであるように、公園全体が一望できるこの木のうえが、アーサーくんのお気に入りでもあるわけです。
ほら、“なんとかとかんとかは高いところが好き”って言いますしね。
「ちょっと、聞いてるの? アーサー」
と、樫の木を見上げながらのパウラちゃん。すると、
「ごめーん、聞いてなかった」と、アーサーくんは返します。「アホウドリがどうかしたー?」
彼はいま、昨日仕込んだいたずらの成果を、文字通り高みの見物しようとしているところで、
「どう?」と、本を閉じながらパウラちゃんも訊きますが、「警官のひと、来た?」
と、まあ、そのいたずらにはもちろん、彼女も関わっているわけです。
そうそう。
このふたりはいつも、こんな感じで、毎日のように公園でぶらぶらしては、他愛もないお話やいたずらばかりしてるんですけど、これは、いたずらをしているときのふたりが、とても仲がいいからなんですね。
で、そんな彼らの、今回の目的というか標的というのが、駅前の交番にやって来たばかりの、若い警察のお兄さんなわけです。すると、
「来たよ」とアーサーくん。こちらも先生の仕事場から失敬して来たオペラグラスをのぞき込みながら、「いつもどおり、時間どおり」と、今回の目的というか標的を見付けます。
この警察官のお兄さんは、当番明けのお昼には必ず、この公園の決まったベンチ――それはいま、パウラとアーサーがいる場所からだと、ちょうどひょうたん池をはさんで反対側のベンチなんですけど――そのベンチで、昼食を取ることにしているようなんですね。
「手紙は?」とアーサー。一番ふとい枝に腰を下ろしながら、「ちゃんと渡してくれた?」
するとパウラちゃん、お兄さんのすわるベンチに向きを変えながら、
「もちろんよ」と答えます。「コーヒー屋のお姉さんはおどろいてたけど、あたしほら、かわいいし、演技もバツグンだから――」
とここで、
「あっ」とアーサー。口にひとさし指を当てながら、「お姉さんが来たよ」と、目でアスレチック広場のほうをさす。「やっぱりちょっと、うかれた感じだよね」
*
と、まあ、そんな感じで。
今回の彼らのいたずらは、この若いふたり――警察官のお兄さんとコーヒー屋のお姉さん――が目的っていうか標的で、このふたりってのが、
「はじめて会ったその日から、恋の花さくこともある」
みたいな?
初めて会ったその日から、互いが互いを意識して、互いが互いを、明らかに好ましく想っていたんだけど、互いが互いに、顔を合わせても、互いが互いに、手までまっかにしちゃうぐらいに、互いが互いに、奥手なもんだから、告白どころか、あいさつすらまともに交わせていなかった。
だもんで、
「あれ、チューぐらいさせたいよね」
と、そんな彼らのナンヤカンヤに気付いたアーサーが、今回のいたずらを想い付いた――、と、まあ、こういうワケなんです。
なんですけど――、
*
「お兄さんのほうは?」とパウラちゃんが訊いて、
「まだ、気づいてない」と、アーサーくんが応える。すると、
プルルルルル。
と、猪熊先生のお家の電話が鳴る。それから、
「しかし、あんなウマヅラハギのどこがいいのかしらね」とパウラちゃんが続けて、
「ウマズラハギってなに?」と、アーサーくんも訊ねる。するとまた、
プルルルルル。
と、猪熊先生のお家の電話も鳴る。
鳴るんだけど、ほら、お話のなかにいるときの先生は、そのお話のなかのひとなわけですから、
「うるさいわね、もう」
とつぶやくだけで、ぜんぜん電話に出る気配もない。それよりも、
「ここはゆっくり、慎重に歩いて来たほうがいいかしら?」
とか、
「それとも、すこしうかれた感じのほうがいいかしら?」
と、問題のお姉さんの歩き方や、その日の衣装やメイクをどうするかのほうに、意識が向かっているわけです。だから、
「どう? アーサー? お姉さんはどんなかんじ?」
って、アーサーくんに訊いたりもする。すると当然アーサーも、
「いまちょうど、お兄さんのすがたに気付いたところ」って、木のうえから応える。「あ、いま、赤いエプロンを外したよ」
すると、
「え? そうなの?」と、先生。「私てっきり、店を出るときに外したもんだと想ってたわ」
そう言って、机の端の消しゴムへと手を伸ばす。すると続けてアーサーが、
「それでいま、それをクルクルッて丸めてる」と言って来るので、
「そっかそっか」と先生も、いそいでペンを走らせる。「たしかにその方が、いそいで出て来た感じがするわね」
それから、
「やっぱちょっと、緊張してるみたい」とアーサーくんが言って、
プルルルル。
プルルルル。
あれ?
ってまだ、お家の電話鳴ってたんだ。
「ほんと、うるさいわね」
でももちろん、先生に電話に出る気はまったくないし、
「なに? なんか言った?」とアーサーが訊いても、
「なんでもないわ」とだけ先生は応える。「それより、お姉さんの服装なんだけど――」
だもんだから、
プルルルル。
プルルルル。
と、鳴り続けていた電話も、
「なに? アーサー、あんた先生とお話してるの?」
と、パウラちゃんが言ったところで、
プルルル、プル……。
と、やっと切れてくれるわけ。
「やれやれ、やっと静かになったわ」メガネの位置を直しながら先生が言って、「で? お姉さんの服装は? 今日はどんな感じ?」
「うーん? いつもどおりのキレイなひとだけど」とアーサーくん。下にいるパウラちゃんに、「なあ、パウラ、あのお姉さんの服装って、どう言えばいいの?」
すると今度は、
「私の位置だと見えないわよ」
と、パウラちゃんが応えたところで、
チャーンッ、チャカチャ、
チャッチャ、チャカチャ、
チャーンッ、チャカチャ、
チャッチャ、チャカチャ、
と、充電中だった猪熊先生のスマートフォンが鳴り出す。
「あー、もー、だれよ、このいそがしいのに」と、先生。「こっちは仕事中だってのに」
そう言って机を立ち、仕事場奥のコンセントのところまで行く。すると、
「どしたの? アーサー?」と、これは公園ベンチのパウラちゃんで、
「なんかいったん、ストップらしいよ」と、これももちろん、樫の木のうえのアーサーくん。「パウラもあがって来いよ」
と、止まった時間のなかで、パウラちゃんに声をかける。
「ぼくの代わりに、先生に教えてあげてよ、お姉さんのかっこう」
と、ここで先生、
「はいはい、猪熊です」と、しぶしぶながら電話に出る。「あのね、望月さん。いま私は、あなたの所のネームを描いているところなのよ――」
と、どうやら相手は、担当編集の望月さんみたいですね。
「きょう締め切りの原稿があるでもなし、これと言った約束があるワケでもなし」
と、コーヒー屋のお姉さんのすがたをどうしようか考えながらの先生。
「いまの世のなか、メールもファックスも、留守電だってあるんだから、文代さんが倒れたとかならまだしも」
あ、ちなみに。この「文代さん」ってのは、望月さんが所属する会社の――とってもこわい――敏腕編集長です。
「用があるなら、まずはそっちに送って、電話はなるだけやめてくださいってずっと以前から――」
なんですけど――、
『あ、いえ、先生、私、いま――』
と、電話向こうで望月さん。なんだかとってもこまった感じで、
『権利部の方といっしょに――』
そう続ける。
と、ここで我らが猪熊先生、やっと、やーっと、
ハッ
とそれに、やーっと、気が付くワケです。
『駅前の喫茶店で、かれこれ十五分ほど――』
ヤバい。
そう、先生は想い、
また、やってしまったかも知れない。
と、手にしたスマホの通話口をふさぐ。
それから、
今日って何月何日だっけ?
と、作業場北壁の三か月カレンダーに目をやると、
みどりの線、みどりの線、みどりの線……、
と、まるで光のようなはやさで、
あのペン入れはおわってる、あっちのネームもおわってる……、
と、複雑怪奇に絡み悶え合っている七色の進捗確認線を、ひとつひとつ丁寧に追いかけて行き、
しまった……、
と、本日、6月8日金曜日 (仏滅)のところにある、ちいさなちいさな、点のようにちいさな丸を、やーっと、見つけることになるわけです。
また、やってしまった……、
そう。
そのちいさな点の下には、これまたちいさなちいさな、だけれど、はっきりとした先生の筆跡で、
《駅前、喫茶、シグナレス》
と、しっかりくっきり書かれており、また、そのさらなる下には、
《望月、14時、打合わせ》
の文字も、これまたくっきり、書かれていたり、したわけです。そうして、
14時?
と、カレンダー真上の丸時計に目をやると、
14時……19分?
キャーーーーーーーーー!!!!!!
声にならないさけび声をあげる先生。
ハッ、
とガラスに目をやると、すっぴん&寝巻き&ボサボサ頭の自分が見える。
《絶 望》
の二文字が、イワタ極太明朝体で頭に浮かび、
い、いやいや、まだよ、まだ大丈夫よ、イノクマ・ヤワラ。
と、よそ行きモードに声音を変える。
「ご、ごめんなさい、望月さん」
パジャマを脱いで、洗面所へ、
「出がけに……、ちょぉっと、ちょおっとしたゴタゴタがありまして……」
言いわけは、走りながら考えましょう。
「あと……三十……二十分もあれば……、お店に着けるかと……」
BBクリーム男塗り、眉毛も太ペンひと筆書きで、
「もうすこし、もうすこしだけ……、お待ちください」
*
「え?」
と、いうことで。
こちらは、場面もどった公園のパウラちゃん。樫の木のうえにすわりながら、
「なに? 先生どっか行っちゃったの?」
と、となりにいるアーサーに訊く。すると、
「あ、ほら、あそこ」
と、こちらはアーサー。例のオペラグラスをのぞき込みながら、
「きっと駅前の、いつもの喫茶店だよ」
え? どこどこ? と、これはわたしで、
「ほら、あの、バイソン超特急みたいなの」
え? あ、ほんとだ。むっちゃくちゃ全力疾走してるわね。
「また、約束を忘れてたとかですか?」と、これはパウラちゃん。目をほそめながら、「なんかいっつも、あんな感じですよね、猪熊先生」
まあ、ほら、ああいう天才肌のひとは、いちど集中し出すと、俗世のこととか忘れちゃうからさ。
「まあ、別にいいんですけど、」とパウラちゃん。わたしのほうを向きながら、「そしたらこっち、どうします? 私たちと先生の紹介をする予定だったんでしょ?」
「なー、こっちのお兄さんとお姉さんも、先生いないと進まないし、」で、これはアーサー。「どうすんの? カシヤマさん」
そんな急に訊かれても――、
「先生のお話勝手に進めたら、それはそれで、また怒られちゃうんでしょ?」
このまえやっちゃったときは、しばらくお口をきいてもらえなかった。
「だったら、打ち合わせ中の先生のことでも書きます?」
うーん? でも、それはそれで怒られそうな気がしない? 編集さんたちの許可も取らないとだし。
「だったら、今日はもうやめる?」
それはそれで困るのよね、アーサー。これ、このあと後編も書かなくちゃいけないし、こんな半端でおわらせたら、またいろいろ言われるだろうし――、
「なんか、めんどくさいんですね」
おとなはたいがい面倒なのよ、パウラちゃん。
「カシヤマさんが下手なだけなんじゃない? 小説」
うっさいわね、アーサー。それはわたしが一番よく知ってんのよ……、ってか、今回は、猪熊先生が約束忘れてたのが原因じゃない?
「でも、いつものことですし」
だけどさー、って言うかさー、パウラちゃんたちも気を付けて教えてあげなよってはなしでさー、せっかく近所にいるんだしー。
「え? やですよ、そんなの。ただのマンガのキャラクターですよ? 私たち」
いや、まあ、それはそうだけどさー、あー、しかし、これ、ホント後編どうしようー? ……パウラちゃんたちのむかしのお話を紹介するとかでもいいかなあ?
「ですから、私たちに訊かれても――」
「むかしの話って、どのお話?」
“冷凍庫ミイラ事件”は?
「え、止めてくださいよ。私あれ、想い出しただけでも気持ちわるくなるんですから」
じゃあ、“一億匹失踪事件”。
「ごめん、アレ、結局なにがどうなったのか、よく分かってないんだよね、ぼく」
うーん? あ、じゃあ、あれは? “JJJ対ブルース・ブラザーズ”
「あ、あれ、私すき」
「うん。あれは楽しかった、ネコとイヌとみんなで大合唱」
ねー、わたしもあれ好きなのよね。じゃあ後編は、あれを紹介してお茶を濁しますか!
「……いや、言い方」
(続く)