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第九話:香椎千里の青の時代(前編:その2)

 承前。


     *


「樫山? さん?」と、客間のテーブルにすわりながら彼女は訊いた。「……ひょっとして、千駄ヶ谷にご親戚とかいます?」


「千駄ヶ谷?」と、わたし。お茶かなにか出した方がいいわよね? とか想いながら、「……ううん、いないと想うけど?」


「そう……ですか?」と彼女。何故だかわたしの顔を、ジッと見て来る。


「なに? なんか付いてる?」と、やっぱノーメイクで人前に出るもんじゃないわよね、とか想いながらわたしが返すと、


「あ、いえ、すみません」と、そんなおばさ――きれいなお姉さまのスッピン顔から目をそらしながら彼女は言った。「なんか、先ぱ……、知人のお兄さまに似ていたもので、雰囲気が」


     *


 と、言うことで。


 森永久美子さんは、大泉町出身の23歳――23歳?! わっかいわねー――、小柄な感じの、かわいらしい方で、すわり方とか話し方とか、出されたお茶の、コースターの角度を直したりするところとかを見ていると、ちょっと神経質でとっつきにくいのかなー? とか、そんな風にも見えるのだけど、


「あのー」


「うん?」


「もし、あれでしたら――」


「あれ?」


「もどって頂いても――」


「もどる?」


「さきほどたしか、別の作業がどうとか――」


 と、ちいさな声でこっちを気づかってくれたりもして、なるほど、なんかけっこう根はいい人なのね、と想えるお嬢さんだったりもするんですけど、それにしても、


「それにしても、なんでここのアシスタントを?」


「大学の先輩から教えて頂いて、猪熊先生の作品には子どもの頃から憧れていましたし、もちろん、今日の面接次第ですけれど――」


 と、いや、まあ、別に止めるつもりもありませんけどね、ここの先生って、ほら、マジでマジモンの、マジの化け物の、カトリーヌ・ド・猪熊先生だからさあ、


     *


「え? この原稿、ホントにぜんぶ手でやられてるんですか?」


 とか、


「朝までに●●ページ? あと三時間ないですよね?」


 とか、


「ねえねえ、皆さん、仮眠って知ってます?」


 とか、


「なっ?! 下書きなしで直接ペン入れだとッ!!」


 とか、


「ぺッ、ペン先からインクを飛ばし、しかもはみ出さずにベタ塗りを完成させているぅッ!」


 とか、


「片手に複数のペンを持つことでッ! 一気に効果線を書き込んでいったぁぁぁッ!!!」


     *


 みたいな?


 そんなウソみたいなマンガみたいな、どこかのス○ンドバトル的展開もあったりするっぽいんだけど、そのへん大丈夫? 森永さん?


「え……」と彼女。


 そのかわいらしい三白眼を、自身の頭の右斜め上――マンガなら丁度、考えごとのあの吹き出しが出て来るあたり――に向けてから、


「あ、はい、まあ……、それでも……、猪熊先生の下でお手伝い出来るなら……」


 と、まあ、ほんと、わかいってえらいなあ……、と、この妙齢のお姉さまなんかは感心させられてしまうのですけれど――って、それはさておき、あの化け物は化け物で、ぜんぜん帰って来ないわね。


     *


 タトンッ


 と、ナニカの誰かの地面を踏む音がして、問題の化け物先生は、ゆっくりうしろをふり返った。


 が、しかし、ここは、上石神井の駅から、先生の仕事場マンションへと向かう通りの途中で、人影はまばら、音がしたと想われたあたりには、ひとっこ一人いなかった。


「?」


 と、猪熊先生は、すこし不審に想ったが、それでも、ふたたび向きを帰ると、わたし達の待つマンションへ――、


 トタッ、トタトタッ、タトンッ


 と、ここでふたたび、誰かのナニカの地面を踏む音がして、猪熊先生は、今度はサッと、うしろをふり返った。


 するとそこには、今度はたしかに、タキシード姿の中年男性が、まるで鼻っ柱に秒速一億五千kmの太陽でも投げつけられたかのようなかっこうで、ふらつき立っていた。


 彼は――先生の言葉を借りれば、「カラマーゾフのアレクセイと実写のビリー・ピルグリムを足して三で割って二を引いたような感じの」顔をしていたらしいが――目をくらませ、ひどくおびえ、通り沿いのブティックに、そのショーウインドウに、片手をついて、どうにかこうにか、身体を支えているようすであった。


「あの……」と、猪熊先生は声をかけた。


 こんなシーンは、こんな人物は、これまでの時空間移動でも、見たことも聞いた覚えもなかったが、それでも、妙なデジャヴをおぼえつつ――「だいじょうぶですか?」


 ふと横をみると、そこには、ヒナギク色で埋められたショーウインドウがあり、その前景には、ほかの人物たちから、意識して離れているのだろうか、両脇に腕を下げ、まるで葬儀に向かうため、またそれをとおくより眺めるため、ひとり静かに歩いていく、青いコートの女性、いや、トルソーの、こちらを向きつつ立っているのが見えた。


「ノン、ノン、ノン……、」


 息を整え、また、ここがどこであるか? を確認しながら、男性は顔を上げた。


「メルシー、マダ……」


 が、そう言い終わるが早いか、我に返ったような口ぶりで彼は、


「やはり……、」


 とひと声つぶやくと、それでも一縷の望みを託しつつ、


「いや……」と胸に手を当て、「失礼ですが、私をご存知ではありませんか?」


 胸には――彼の望みは、いまだ叶っていないのだろうが――、一通の、きっと出されることのない、一通の手紙が、入ったままになっていた。


「どうか、知っていると仰って下さい」そう言って男は続けた。「猪熊先生」


     *


 と、言うことで。


 この男性――香椎千里は、いうまでもなくSF作家で、この時代の、この日本で、それを望み、それになり、そうしてそれなりの実績をあげているそうであるから、この男は、いうまでもなく、頭のネジが何本か抜けたかイカれて壊れた、いうまでもない、変人である。


 であるからして彼の――いま、我々の目のまえにいるところのこの男性の、その風貌――それは先ず、前述のタキシードに男性用の厚底スニーカー、左手には花束、目には三徹明けのような血が走り、髪は短く、そうしてたぶんに、バート・レイノルズを意識しているのだろう口ひげを生やしているその風貌が、相当奇妙なものであったとしても、


「あ、まあ、SF作家なら仕方ないわね、いうまでもなく」


 と、その手の人間に免疫のある人間ならそれほどおびえなかったのかも知れないし、それは我らが猪熊先生にしても同様であった。


 であったが、しかし、


「香椎です! 香椎千里です!」


 そう叫び近付いてくる男の目には、血と同じかそれ以上の狂気が走り、口からは大量のカフェインと、バラと毒ガスと巨大なホットドッグサンドを混ぜ合わせたような臭いが漂いだしていたし、そうしてなにより、


「以前! お会いしましたよね!!」


 と叫ぶ彼の顔にも名前にも、彼女はまったく見覚えがない。


 なので彼女が、


『まさか! 新手の○タンド使いか?!』


 と、想ったかどうかは定かではないし、右手にGペンを持つ格好をして、そのまま、


「天○への扉 (ヘ○ンズ○アー)ッ!!!」


 と、目の前のSF作家を本にして、その記憶を読み始め――たりすることももちろんなければ、流石にそれは怒られるので、


「ま、まあ、ちょっと落ち着いて――」


 と先生は、血走る彼をなだめると、まずは男の話を聞いてみることにした。きっと恐怖や不安より、『マンガのネタになるかも?』的好奇心が勝ったのだろう、


「どこか……、どこかそのへんの喫茶店にでもはいりませんか?」


     *


 ピロン。


 と、それからほどなくして、わたしのスマートフォンが鳴った。


 このときわたしは、森永さんの持って来た絵のサンプルを見せてもらっていたところだったのだが、その届いたメッセージに、


「あれ?」


 と、ついつい声を出し、小首をかしげることになった。


「なにか?」森永さんが訊いた。


「あ、いえ、別に」わたしは応えた。きっと、なにかの誤送信だろう、「猪熊先生、もうちょっと遅れるかも」


 届いたメールには、こう書かれてあった。


『来客予定あり。

 電車遅延。

 あがって待っていてもらって下さい。

 ――猪熊』



(続く)

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