第八話:こまった時には気軽に相談、あなたの街の法律家。行政書士の石橋さん(後編:その2)
承前。
*
「いいか、よく聞け、人間よ。
この世の地獄をつくるのは、
われら悪魔や、
やつら天使や、
ましてや!
天にまします、あのクソ野郎でもない!
おまえら!
人間どもだ!!」
*
と、ここまで叫ぶとメフィストフェレスは、初老の執事の姿から、かたい顎鬚と横に飛び出たながい耳、それに赤と黒と炎の入り混じった本来の姿へともどりながら、少年姿の老人の、意識と魂を凍らせようと、巨大で無限で幾十幾百にも重ね合わされた、紅蓮に輝く悪魔の右手を、彼のふるえる小さなその目に、踏み入り、壊し、溶かし込もうとした。
が、そこに突然、
「きゃーっ!!!」
と、客間の高い天井から――というか、その下あたりの空間から――というか、要は、悪魔の頭の、奇妙なその上あたりから、変な女の叫ぶ声が聞こえた。
おどろいた彼が天井――というか、声のしたあたりを見ると、そこには、
「だ、だめ、だめ、だめ、だめ、だめ、」
と、じみーな服の、貧相ボディの、くせっ毛メガネの、貧乏三文小説家・樫山泰子がいるのでありました。
彼女――というかわたしはいま、ここの屋敷の、一階客間の、たかーい天井の、ちょっと下あたりに出来た奇妙な白い出入り口――高さ200cmほどの、ドアの形をした、奇妙な亜空間への出入り口――に必死でぶら下がっているところなのですが、
「お、おち、おち、おち、おち、落……た、た、た、た、たす、たす、たすけ、たすけたす――」
と、きっと、「落ちる、助けて」と言いたいのでしょうが、いかんせん 《何処にでも開き戸》の出口をまちがえたショックと、いつもの高所恐怖症で、まともに言葉も継げないワケで、
「なんだ?! おまえは!」
と悪魔なんかに訊かれたところで、この状態のわたしがなにかを答えられるワケもなく…………って、ちょっと待って! 先生! このアングルからだとわたし! スカートまる見えじゃないですか!!!
*
「あら、マズかったかしら?」と、すっとぼけた顔で猪熊先生は言い、
「いいじゃないか、たまには」と、にやけた顔で丸顔エイリアンは続けた。「サービスだよ、読者サービス」
うるさい! あなたが見たいだけでしょ!
「む、失礼な」と赤毛の異星人。「女性ものの下着なんか、前の身体のときに自分のものをたくさんだな――」
だったら! そこでにやにやなんかしてないで、さっさとわたしを助けなさいよ!
「ダメだよ、版権的に僕はそっちのシリーズには出られないもん」
あー、もー、使えない! 猪熊先生!
「はいはい、すぐ引き上げてあげるから、もうすこし頑張って――」
*
と、言うことで。
「だいじょうぶですか? 樫山さん」
と、落ちかけていたわたしを、《何処にでも開き戸》の向こう側、元の石神井公園側に引き上げてくれたのは、日ごろから身体を鍛えているという、実は細マッチョな石橋さんでありました。
「す、すみません、ありがとうございます」
と、(互いに)同性愛者でなければ、その筋肉質ボディにポーッとなってしまっていたかも知れないな、とか想いつつのわたし。めくれたスカートの位置を直してから、
パタン。
と、開きっぱなしだった 《何処にでも開き戸》をいったん閉め直します。それから、
「たいへん、お見苦しいところとモノをお見せ致しました」
と、彼と八千代ちゃん、それに、まじめにお話を読んで頂いているであろう、読者諸姉諸兄の皆さま方に、ふかく、ふかーく頭を下げてから、
「それでは、仕切り直しまして」
と言ってふたたび、
かちゃり。
と、その 《何処にでも開き戸》の扉をひらいたのでありました。
すると――、
「なんだ! おまえたちは!」
と、さっきとは微妙にセリフを変えて悪魔メフィストフェレスは叫びます。
きっと、先ほどのドタバタは、ネーム推敲時にカットされるだろうと気を利かしてくれたのでしょう、
「いったい! どこから現われた?!」
と、まるで何事もなかったかのように話をもとに戻してくれます。
なので、おかげで八千代ちゃんも、
「お客さん!」と叫んでは、
「お嬢さん?」
と、こちらも何事もなかったかのように、例の老人との再会へとコマを進めてくれます。
本当に、気の利く登場人物たちで、大変大助かりな作者でありますが、それはさておき。
「どうしてここが?」と、少年姿の老人は訊きます。「それに、そちらのひとたちは?」
もちろん。
ここで、ひとつ目の質問には――色々と説明が面倒なので――彼女は答えず、
「すぐに戻ってくるって言ったでしょ?」
と、猪熊先生の構成力を信じてお話を続けます。
そうして、ふたつ目の質問に対して彼女は、
「こちらが、さっきお話した行政書士の石橋さんと……」
と言ってわたしの方をチラッと見ますが――あ、わたしのことも説明がめんどうなんで、スルーして下さい。
「……石橋さんよ」
うん、ありがとう。さすがは八千代ちゃん、猪熊先生の秘蔵っ子だけはある。
「行政書士?」
とここで、彼女のこのセリフに、一番に反応したのは――わたしの存在は無視することに決めたらしい――悪魔のメフィストフェレスでありました。
「たかが代書屋が! なんの用だ!!」
と、ひろがる炎のような顔と、地の底から響いてくるような大きな声で、石橋さんへ近付く悪魔でありましたが、当の石橋さんはまったく平気なご様子で、
「さあ?」
と言って、悪魔の胸もとからのぞく、一枚の人皮紙に目を止めます。そうして、
「私はただ、契約の内容を確認するよう頼まれただけでして、」と言って、問題の証書を指さします。「拝見させて頂いても?」
「ふん」
と、ここで悪魔は、すこしだけ眉根を曇らせたのですが、きっと、わたし達の視線が気になったのでしょう、
「もちろん、存分に見てみろ」
そう言って、彼に契約書を渡します。すると、
「椅子をお借りしたいのですが」
と石橋さん。いまや部屋いっぱいに炎をまき散らしている (ように見える)悪魔相手に、ひき続きひるむ様子もなく、客間隅にあった、地味なアームレスチェアに腰をおろします。そうして、それから彼は、
「ふーむ」
とか、
「ああ、なるほど」
とか、
「この部分は、タカハタ君にも確認した方がいいかな?」
とか呟いては、その契約書をめくったり眺めたり、縦にしたり横にしたりしていたのですが、
「おいこら、代書屋」
と、しびれを切らした悪魔が、彼の顔をのぞき込もうとしたその瞬間、
「失礼ですが、」と、逆に悪魔の顔をスッと見つめ返します。「こちら、文書作成はご自身で?」
「いや、」と悪魔。すこし身を引きながら、「●●法律事務所に依頼を」
「ああ、なるほど、大手だ」と石橋さん。
「うむ。この辺では、いちばん信頼出来ると聞いてな」と悪魔。
「ただあそこは、法人関係がメインなんですよね」と、石橋さん。
「は?」と、悪魔。
「佐倉さん!」と石橋さん、悪魔の肩越しに、「たしかに、このままでは、おふたりの時間は、元に戻りそうにありませんね」
すると悪魔は、
「それはそうだろう」と鼻で笑おうとしますが、「契約にぬかりなぞないわ」
「ただ、その代わりに」と言う石橋さんの声に、その笑いを止められることになります。
「ただ、その代わりに、たとえば誰かが、甲の者――つまりはそこの彼ですが――に、書面通りの時間――つまり六十年分の時間ですね――を与えれば、乙の者――いま問題になっている、彼に時間を与えた方の少年ですが――の時間を戻すことは出来ますね」
「は?」と、悪魔。「そんなことが!」彼に向かって叫ぼうとして、「……出来るのか?」
「ええ」と、石橋さん。契約書をトントン叩きながら、「再委託の禁止が明記されていないので、覚書さえあれば」
「覚書?」
「きっと、こんなことを再委託する人間がいるとは想定していなかったんでしょうけど、いやあ、●●さんは、相変わらず鷹揚だなあ」
「本当ですか!」と、ここで八千代ちゃん。「よかったですね! おじいさん!」
と、自分のことのように喜びますが、ただ、それでも、
「ただ、それでも、」と、石橋さんの説明は続きます。「そちらの方に、あらたに六十年の時間を売り渡す方が必要ですが――」
すると、ここで、
「そ、そうだ、そうだ、そうだった!」と、悪魔。先ほどまでと同じ、地獄の底から響いてくるような (気がする)声で、「そんな狂った者なぞ! おいそれとは見付からぬわ!」と、改めて少年姿の老人をおどしにかかります。「また仮に見付けたところで! 同じ後悔をするだけだぞ! 人間!」
が、このおどしには、なんと八千代ちゃんが、
「だったら、」と、彼らの間に立ちながら、「私がおじいさんに、その六十年をあげますよ」
と言い放ちますが――って、ちょ、ちょっと、ちょっと待ってよ、八千代ちゃん。
「いや! それはいけませんぞ! お嬢さん」と老人は叫び、「それだけは! いけません!」
「そうそう、さすがにそれはダメよ」と、わたしも彼女を止めようとします。
が、しかし、彼女は彼女で、
「だって、お客さん、あんなに楽しそうだったじゃないですか」
と、なぜだかそれを、譲ろうとはしません。
「ご飯の味も、忘れてたんでしょ?
野球だって、もっとやりたいんでしょ?
行きたいとこ、話したいひと、
歌いたいうた、聴きたい言葉、
春とか、夏とか、秋とか、冬とか、
気付かぬうちに過ぎて行った時間を、
取り戻したいんでしょ?
だったら、私の時間を使って下さいよ」
「お嬢さん……」と、これに応えて老人。
なんだかいたく感動したご様子で、いまにも涙を流さんばかりですが――って、こら、ジジイ、元はと言えば、お前が、こんなバカげたことを始めなければ――、
「はーッ! はっはっはっはっはッ!!」
と、ここで悪魔。わたしの地の文すらさえぎりつつ、
「こいつは面白い! こんな世界にもッ、こんな女が残っていたとはなあッ!!!
いいぞ、小娘ッ! その申し出ッ、私の方に異論はない!
さあ! どうする小僧! 二階の坊主と、この娘! どちらの時間なら満足だッ!!」
そう凄んでは、老人に選択を迫ります。
が、
「あのー」
と、ここで石橋さん。
いまや客間いっぱいに膨らんだ悪魔の背中を、とんとん。と叩きつつ、
「盛り上がっているところ大変恐縮なのですが、」と、われわれ四人に声をかけます。「誰が、“ひとりからしか買えない”って言いました?」
「は?」と悪魔。ひろげた身体をしぼませつつ、「それは一体!」そう叫ぼうとして、「……どういう意味ですか?」
「契約書には、売買される時間の量と、その単価しか明記されておりませんよね?」と石橋さん。
「そうなのか?」と悪魔。
「はい」と石橋さん。「そうして、再委託の禁止も明記されていないのですから、当然、その再委託先の数も限定されていないことになりますよね?」
「はあ?」
「つまり、「一年を一億円で」売ってくれる方が60人集まれば――」
と、ここで石橋さん、上着のポケットからスマートフォンを取り出しと、
「ちょっと失礼、」そう言いながら、
テトテトテト。
と何事かを打ち込み送信、それから、
「あ、失礼しました。――つまり、60人の方が集まれば、それで問題は解決するはずですし、なんなら私も、ひと口乗りますよ」
「なに?」
「六十年すべてを個人で賄うのは難しいですが、「一年を一億円で」だけなら、悪くない取り引きだ」
「し、しかし、そんなヤツらが60人も」と悪魔は言うが、
ピロン。
と、ここで石橋さんのスマートフォンが鳴り、
「あ、たびたび失礼します」
と彼は、先ほど送ったメッセージへの回答を確認します。それから、
「うん。これ、私のパートナーからなんですがね」と、その画面を悪魔に見せるのでありました。「彼も、ひと口乗るそうです」
「なんだと?!」と、叫ぶ悪魔。
「私の彼氏だけではありませんよ」と、応える石橋さん。「悪魔のメフィストフェレスさん」
そんな悪魔の、巨大な目玉を見据えながら、
「私の彼氏だけではないんですよ、悪魔のメフィストフェレスさん。
私の顧客の中には、この国の無知無策のせいで、お金に、生活に、困っている方々が、たっくさんおられます。
彼らの貯金は底をつき、借金は重なり、明日の食事すらままならない方々も、たっくさんおられるんですよ、悪魔のメフィストフェレスさん。
しかし。
しかしそれでも善良に、彼らは、うらみつらみは心にしまい、この世界をすこしでも、よくしてやろうと、これ以上、悪いものにしてなるものかと、日々をまじめに、真摯に、言わばまっとうに、暮らしているんですよ、悪魔のメフィストフェレスさん。
それを、あなた方はなんですか?
彼らの、苦しみ悲しみなどには目も向けず、関心も示さず、六十億ものお金を、自分ひとりの苦しみ悲しみ、テメーの自己顕示欲のためだけにやり取りなどされて――、本っ当に、なさけもない。
よろしいですか? 悪魔のメフィストフェレスさん。
あなたの言われた、“そんなヤツら”なんてね、いっくらでも集まるんですよ。――ふざけるんじゃあ、ありません。
よろしいですか? 悪魔のメフィストフェレスさん。
この世の地獄をつくるのは!
あなたがた悪魔でも!
その同類の天使でも!
ましてや!
天にましますあの!! …………あのお方などでもなく、
われわれ、人間です。
しかし、それでも、
その地獄を、
すこしでも住みやすく、
すこしでも暮らしやすいものにするのも、
われわれ、
人間の仕事なんです」
*
「え?」
と、ここで突然、時間と空間が切り替わり、
「それからみんながどうなったか?」
と、猪熊先生は言った。
ここは、先生のタイムライン上の『シグナレス』。ミスターの注文した大量のケーキやお食事が、ところせましと並べられているところであります。そうして、
「ほんと、無理しなくていいですからね」
と、ミスターの顔をのぞき込みながら注意するのは、この時間帯の佐倉八千代ちゃんでありますが、
「わかってるよ、勇敢なお嬢さん」
と、手ぐすね・舌なめずりのミスターのセリフに『?』な彼女でもあります。――「勇敢?」
「あ、いいのよ、いいのよ、八千代ちゃん」と先生。「このひとの言うことはあんまり気にしないであげて」
と、言うことで。
「それでは、私はこの辺で」と、わたしの前にすわっていた石橋さんが言いました。「なにやら未来のお話になりそうですし、そろそろ事務所に戻らさせて頂きますね」
「あら?」先生が言った。「預言は? まだ来てないの?」
「さあ?」石橋さんは応えた。肩をすくめながら、「私に届くのは、ボヤッとしたイメージばかりですし、いま皆さんが見られて来た未来を、いまの私が聞いてよいのかも、いまの私には、分かりません」
「ああ……」と先生。「まあ、たしかに。そうかもね」
「それでは、先生、樫山さん……には、また将来会いそうな予感はしますが、そちらのミスターさんも、どうかお元気で」
「ぼくとは? 会う予感は?」とミスター。ストロベリーパンケーキを口いっぱいにほうばりながら、「あなたの預言に、出て来てないかな?」
「さあ?」と、石橋さん。すこし考えるが、それでも、「それでも、縁が会ったら、また会えるでしょう」
そうして彼は、出口へ向かうと、そこに立っていた八千代ちゃんの顔に一瞬ちょっと驚いてから、軽い会釈をし、そのままお店を出て行った。
「それで?」とわたしは訊いた。前の通りを去って行く、彼の背中をながめながら、「あれから彼らは、どうなるんです?」
「さあ?」先生が応えた。ミスターのパイを、ひと口盗みながら。「そこまでは分からないわね」
「……分からないんですか?」
「私がマンガで描いた? 描くことになる? 見えた? 見ることになる? 未来はあそこまで。そこから先は、まだ分からないし、たぶん、八千代ちゃんと石橋さんはさておき、あの老人と少年、それに、悪魔のメフィストフェレスについては、あれ以上は、描くことも見ることも、ないんじゃないかしら」
「そうなんですか?」
「私のコレはほら、あくまで、私の周囲やマンガに関するところまでだからね」
「ふーん」とわたし。となりに座るミスターの、クリームまみれの顔を見ながら、「ま、たしかに、そんなもんかも知れませんね」
すると、
「あ、でも、」と、想い出したように先生。「これだけは、はっきり言えると想うわよ」紅茶をひと口飲んでから、「うん。はっきり言えると想うわ」
「なんですか?」と、わたしは訊いた。
「きっとあのふたり」と、先生は答えた。
「あの、少年姿のおじいさんと、少年にもどった少年、それに、彼らにすこしずつ時間を分け与えてくれたひとたち。彼らはきっと、たぶんきっと、それからの毎日ってやつを、その一日一日ってやつを、いまよりずっと、きっともっと、ずっと大事に大切に、生きて行ってくれるでしょうね」
(続く?)
…………、
……………………、
…………………………………………、
……………………………………………………………………………………プップー
「おーい、伊礼」
「あ、重雄、仕事は? 終わったのか?」
「いや、ぜんぜん。資料が届かなくてな、これから直接、先方にもらいに行くとこなんだ」
「なんだ、そうなのか」
「ただ、直帰で家で仕事していいって言われてるからさ、そのままお前のところに寄らせてもらおうかって想ってたんだけど――」
「えっ? ああ、それはうれしい、ぜひ来てく…………」
「伊礼?」
「…………」
「伊礼?!」
「…………」
「お、おい!」
「……うん?」
「…………大丈夫か?」
「う……ん? …………あ……、ああ、ごめん。また、行ってた?」
「あ、ああ……いつものあれか?」
「う……ん? まあ、そうだとは想うけど……」
「けど?」
「いや、なんだか、いつもより“多い”感じがして……、それになんだか……、知り合いの先生が…………泣いていたような?」
(続く)