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第八話:こまった時には気軽に相談、あなたの街の法律家。行政書士の石橋さん(前編:その1)

     *


 夜中に目が覚めて、少年は、カシミヤ毛布から頭を出した。腰に痛みを感じ、足がしびれているのが分かった。八十いくつの彼の体は、眠ることにも疲れや衰えを感じるようになっているらしい。


 パンパン。


 と手を鳴らして、天井灯を点けたが、慣れない天井は、相も変わらず、とおくぼやけてよく見えない。


 枕もとの眼鏡に手を伸ばす。


 転がるようにベッドから這い出す。


 床に届いた足裏がチクリと痛んだ。


 やわらかな室内履きに逃げ込むと、


 そろりそろりと歩を進めた。


 ドアには鍵が掛けられていた。


 窓の方に目をやったが、ここは三階である。


 曲がった腰と神経痛の身体では、結局何処にも行けはしないだろう。


 しかし。


 それでも、そう少年は想うと、とにかく何かないものかと、どうにかやっと、東側に置かれた書き物机にまでたどり着いた。


 微かに、小止みなくぶつかり合う中指と薬指に左目を痙攣させながら、なんとか、そこの椅子にすわり込んだ。


 机の上は、埃と、おざなりにされた約束たちであふれ、封をされたままの手紙や、こちらも、包装を解かれないまま放置された小包たちが、地震直後のスクラップ置き場よろしく載せられている。


 そうして。


 そうして彼は、しばらくの間、その混沌の中で立ちすくんでいたのだが、


 それでも。


 それでもそれら混沌の向こう側に、一冊の、古ぼけた本があることに気付いた。


「ひょっとして」


 という想いとともに、それをこちらに引き寄せた。


 ぱらぱら。


 パラパラとページをめくり、中身を読もうとしたが、そこには――それは、敢えて訳すなら、『カイザーホフから首相官邸へ』と題された書物だったのだが――、そこには、彼がこれまで一度として見たことのない文字しか書かれていなかった。


 そのため。


 そのため少年は、すぐにその書物を閉じると、もとあった場所にそれを戻そうとしたのだが、ぶつかり合う中指と薬指、それにふるえる小指と人差し指が加わったおかげで、その書物を、


 パタン。


 と、床に落とすことになってしまった。


 痛みを続ける腰を折り、手を伸ばし、書物を拾い上げようとしたその見返しに、老人姿のこの少年は、救いがたいほど誠実な文字で書かれた――きっとそれは、彼の時間をだまし奪い取ったあの老人が書いたものであろう――短い文章を、ひとつ、見付けた。


『ああ、神様――、』


 それは、彼にもしっかりと読み取れる文字で書かれてあった。


『ああ、神様――、この世は地獄だ。』


     *


「すると、あなたが“ミスター”さん?」と、若白髪まじりの男が訊いた。「まさか、本当に?」


 年の頃なら五十前後、糊の利いた真っ白なシャツに地味な紺色のスーツ、それに同じ色のネクタイを合わせ、きっと苦労人であろう面長の顔には、幅広のおでこと、黒のセルフレームがのっかっている。わたしもご本人にお会いするのは初めてだが、


「こちらこそ、まさかお会い出来るとは想ってもいませんでしたよ」そうミスターも言うとおり、「人気の割にはレアキャラですもんね、石橋さん」


 こちらの、マジメで、朴訥&無骨そうで、やたらと姿勢のいい男性のお名前は、石橋伊礼さん。猪熊先生のマンガにも時々出てくれている、


『こまった時には気軽に相談、あなたの街の法律家』


 のキャッチコピーでもお馴染みの、行政書士さんであります。


「人気? なんですか?」と、ふしぎな顔で石橋さん。目をしばたたかせながら、「基本、頼まれた仕事をこなしているだけなんですが……」


 すると、


「それはもちろん!」と、ミスター。「あなたが出て来るだけで急にお話がすっきり整理されていきますからね」と、やけにうれしそうに言う。「ぜひ、僕のお話にも出て来て欲しいくらいですよ」


 そうね、あなたのとこのお話は、主人公のあなたが率先して話を複雑にしていくもんね。


     *


 と、言うことで。


 こちらは、前回の最後、ちょっと未来の石神井公園から突然、わたしとミスターが引き戻された現在――猪熊先生の物語上の現在の方ね――にある、町のちいさな喫茶店、青い扉の『シグナレス』、そこの、六人掛けソファの上であります。でありますが――、


     *


「この認識で合ってますよね?」とわたし。猪熊先生の方を向きながら、「なんか、時空間移動が多すぎて頭がこんがらがってるんですけど……」


「うーん?」と、こちらは先生。彼女は彼女で、ちょっと混乱しているのか、手もとのB7サイズキャンパスノートを確かめながら、「うん。合ってる、合ってる、大丈夫よ……たぶん」と、なんだか自信なさげにつぶやきます。つぶやきますが――、


「って言うか、そのノートはなんなんですか?」


「ああ、これ? メモ帳兼ネームノートよ。こうでもしておかないと、連載と現実と、ヤスコちゃんたちとのやり取り、それに“この連載”の壁の向こうの現実で、わけが分からなくなるからね」


「ああ、さすがですね」


「とくに、ミスターがいるときはね」


「あー、お話を取っ散らかす天才ですもんね、このひと」


     *


 と、言うことで。(二回目)


 猪熊先生のお墨付きももらえたところで、改めましてこんにちは、(こんばんは? おはようございます? ……ま、どれでもいっか)なこちらは、前回 (第七話)のはじめに、わたしと先生、それにミスターの三人で来た時間帯の方の『シグナレス』でありますが (ああ、メンドクサイ)、


 それはさておき。


「それはさておき。いまも、ちょっと未来の石神井公園に行って来てたところなんですがね、たしかこの後、石橋さんもお話に合流、そこでまさに快刀乱麻を断つが如きの――」


 と、ミスターも言うとおり、いま目の前にいる石橋さんは、このあとわたしとミスターが見学に行く、ちょっと未来の出来事を知らない時間帯の方の石橋さんで (ああ、ほんとメンドクサイ)、


 って、ちょっと待って。


「ちょっと待ってよ、ミスター」と、ここでわたし。「未来の情報を当人に流しちゃダメなんじゃないの?」そう言って彼の口をふさぎます。


 ふさぎますが、


「ふぇ?」とミスター。ふさがれた口のまま、「ふぁって、ひしふぁしふぁんは、よふぇんほうりょくひゃふぁから」


 そう言って続ける――んだけど、ごめん、なに言ってるか分からないし、ツバが手についてきちゃない。なので、


「いまなんて言ったの?」と、彼の口から手をはなしながらのわたし。石橋さんに聞こえないよう小声で、「預言がなんとかって言った?」


 すると、この質問にミスターは、テーブルの上のおしぼりに手を伸ばすと、


「それは、記憶に近いものなんだよ」と、こちらは石橋さんにも聞こえる声で続ける。「未来や過去の記憶、それを彼は、何者かから預けられているんだよ」それから、おしぼりで口をぬぐうと、「ですよね? 石橋さん?」


 すると、今度は石橋さん、例のやたらといい姿勢を保ったまま、


「おおむね……そうですね」と、両手の指を胸のあたりで合わせながら応える。「ただそれも、他のふつうの記憶と同じように、断片的であったり、曖昧模糊としたものがほとんどではありますが」そうして、なにかの事務手続きでも説明するかのように、「そこにときおり、やたらと鮮明な記憶がまぎれ込む感じでしょうか」


     *


 さて。


 実際のところ、石橋さんに預言――と言うか未来の記憶――を授けているのが何者なのかは、結局よく分からないが、それでも、


「それでも、話を聞く限りだと、デルタ宇宙域の 《見主 (ケス)》族のそれに近いもののようだね」


 と、ミスターも言うとおり――って、ごめん、ミスター、いきなりそんな異星人の種族名出されても分かんないわよ。


「え? ああ、ごめん、つい。南東銀河じゃけっこう有名な種族だからね、彼ら」


 そうなの?


「うん。ある研究によると、どうも彼らは、「宇宙が終焉するその時までに起こるであろうありとあらゆる事象を予知している」らしいんだ」


 ほう。


「ただ――、ああ、僕もいちど彼らの話を聞きに行ったことがあるんだが、どうもそれは、ぼくらが想い浮かべるタイプの、所謂「予知」とは、少々勝手がちがうようなんだな」


 へー。


「彼らの目というか認識からすると、この宇宙のありとあらゆる時間は、過去も未来も現在も、常に在り続けて来たし、常に在り続けていて、それを彼らは、一望俯瞰的に眺めることが出来るらしいんだよ」


 は?


「つまり。彼らにとってあらゆる時間は、過ぎ去りもしなければ到来もせず、ずっとそこにあり続けるらしい。

 そのため彼らは、そのひとつひとつを、彼らの興味のおもむくままに、まるでぼくらが過去の記憶を想い出すかのようにながめては、それに近付き、見詰め、交わり、そうして愛でる」


 はあ。


「だから例えば彼らは、仲間の誰かが亡くなったとしても、とくに悲しむこともなく、もしその亡くなった誰かに会いたいと想えば、別の時間の彼らに意識をフォーカスして、彼らの下へ赴き、挨拶を交わし、会話を楽しむんだそうだ。例えば、そう、こんな感じにね。

「そう言えば、きみが亡くなったのは、三年後のいま頃だったね」

「ああ、たしかに。ウラムの木にも、白い花が咲いていた」」


 ふーーーーーーん。


 ごめん、ミスター、我ながら話が取っ散らかってまとまらなくなりそうだから、この辺で話戻しちゃってもいい? 無理やりだけど。


     *


 と、言うことで。(三回目)


「それじゃあ石橋さんは、その“ちょっと未来”で八千代ちゃん達のお手伝いをすることも、すでにご存知なんですか?」


 と、わたし。


 無理やり戻した話の中で、まだまだしゃべり足りなさそうなミスターを、フレームの外に追いやりながら訊く。すると、


「あ、“八千代さん”とおっしゃるんですか?」そう言って石橋さんは応えた。が、「なかなか勇気のあるお嬢さんでした……、じゃなかった……、になった……、でもないし……、となったでした? ……あれ?」


 うん。


 時制の混乱は時間系SFには付きものなんで、あんま気にしなくていいですよ。


「あ、はあ、すみません」


 いえいえ、このへん厳密にやり出して一番こまるのは、これを書いてるわたしですから。


「はあ……、まー、では、適当に?」


「はい、適当でお願いします」と、わたし。物書きとしてあるまじき発言だなあとは想いつつ、「でも、それってちょっとしたチート能力でもありますよね?」と、そのへんの職業倫理そっちのけで無理やり話を進めて行く。


「チート?」


 と石橋さんが訊き返し、


「だって、未来がわかっているんなら、善い行ないには悩まないし、悪い結果は避ければいいじゃないですか」


 とわたしは応えるが、これには猪熊先生が、


「そうもいかないのが、この能力のむずかしいところなのよね」と、彼の代わりになって話す。「石橋さんの出て来た作品を想い出してみてよ、そんな展開はひとつもないから」


 え?


「ああ、言われてみれば、たしかに――」


 たしかに。彼の単独作は、短編がみっつあるだけなんですが、それのいずれも、預言の解釈に悩んだり、その実現に右往左往する展開ばっかりだったような気がしますね。


「歴史は変えられないのよ、絶対に」と、続けて先生。「それが、石橋さんに預言を、未来の記憶を与えているナニカ、それが何かは分からないけど、そいつがそれに付けている条件」そう言ってコーヒーをひと口すする。


 すするのだが、この言葉にわたしは、フレーム外に押しやったミスターのほうを向きながら、


「え? でも?」と、だれにたずねるでもなくつぶやいた。「変えられる未来も、ありますよね?」


 この質問に先生は、しばらくすこし、こまった感じで黙っていたのだが、これにはミスターが、


「それは、事象が収縮されるまえの話さ」


 と、フレームの中にもどりながら答えてくれた。すこしとぼけた、おどけた口調で。


「未来は、いや過去も、本来なら、無限の可能性に満ちている。これは本当だ。

 可能性とは――君たち人類のことばを借りるなら、《希望》ってことだが――平行、あるいは独立するいくつもの固有状態が重ね合わされているときの、それら固有状態のことだ。

 で、この希望あるいは可能性ってやつが、ひとたびその重ね合わせ状態を観測された時に、その瞬間に、ひとつの固有状態へと収縮・収斂・決定され、それが、この宇宙における 《歴史》になるってことなんだよ」


 それから彼は、わたしの肩を、ぽんぽんっとかるく叩いてから、


「それが、《歴史の固定点》」そう言って、こまったようにはにかんだが、「こればっかりは、どうやっても動かせない、絶対に」


 でも……、


「でも、それって――」と、わたし。すこし考え、むかいにすわる石橋さんの顔を見ながら、「それじゃあそれってひょっとして、石橋さんは、その観測する役目を――」


 すると、


「だから、“むずかしい”って言ったのよ」と先生が言いかけ、「彼がみる預言には――」


「あ、でも、先生」そう言って石橋さんがこれを止めた。「でも、だからこそ、八千代さん? でしたっけ? 彼女のような方が必要なんですよ」


 ミスターのとはまたちがう、すこしこまった、とぼけたような、そんな口調だった。


「希望は、希望を信じるひとのところに、現われますから」



(続く)

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