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第六話:練馬のシルバーバック(前編)

「いったいぜんたい、なにをそんなにソワソワしてんだい、タケシ」


 ある秋もおわりにちかい小春日和の昼下がり、四時をすこしまわった頃であっただろうか、堂々たる肩幅と腰回りの猪熊夫人が、こちらも堂々たる肩幅と腰回りの彼女の息子、猪熊タケシに、本日十回目……いや、二十回目にはなるであろう、質問と不満とを投げかけていた。


「アンタみたいなゴリラに、店のまえを行ったり来たりされたんじゃあ、こちとら商売あがったりだよ」


 このときタケシは十二才。いまだ小学六年のハナッタレであったが、背は高く、発育もよく、母親ゆずりの体型・体格もあいまってか、その個人商店『猪熊雑貨店』の軒先をあるく姿は、まさに群まもるシルバーバックが如くであった。であったが、


「だけどよ母ちゃん、ヤワラのやつ、まだ帰って来ないんだぜ」


 そう言う彼の声と表情は、いまだ少年のそれでもあった。「ひょっとしたら……、なにか事故にでも……」


「なあにバカなこと言ってんだい、このバカ息子」と猪熊夫人。「まだ五時にもなってないじゃないか」


 そう言うと彼女は、タケシのほうへと近付きながら、なかば無意識に前掛けの紐をゆるめ、


「それに、茂木さんとこの息子さんも一緒なんだろう?」


 と改めて、その堂々たる腰回りに前掛けを結びなおすのであった。


「だからそこもだよ、母ちゃん」


 と、近付いてくる母親から適切な距離を取りながらのタケシ。彼は、彼女からの拳骨、あるいは平手打ちを、警戒しているのである。


「あの気取り屋、あまい言葉でヤワラをユーワク、あいつをテゴメに――」


「タケシ!」


 と、猪熊夫人の怒声が町内にひびき渡り、


「テゴメだなんて、よく知りもしない言葉をてきとうに使うんじゃないよ!」


 そう言う彼女を、道行く人々がふり返る。そのため、


「ご近所さまに聞かれたらどうすんだい!」


 と言う彼女の心配事は、彼女自身がみずから当てることになるのだが、


「ちょ、ちょっと母ちゃん、声がデカいよ」


「まったくこの子は、デカいなりして「ヤワラ、ヤワラ」って、そー言うのを、世間じゃサンフランシスコって言うんだよ!」


 そう猪熊夫人は続…………、なんですって?


「なんだよ、母ちゃん、そのサンなんとかってのは」


 ふつうに考えると、アメリカのあの町だよね?


「なんだいなんだい、タケシはともかく、作者のあんたも知らないのかい? あんた一応、大学出だろう?」


 え? あ、はあ……、まあ……、いちおう出てはおりますが……、


「いいかい? サンフランシスコってのは、このバカみたいに、いい年こいて自分の姉や妹につよい執着をおぼえるおとこの――」


 え? あ、はいはい、お母さん、わかった、わかった。


「なんだい、知ってんのかい?」


 うちの弟も、ちょっとそれっぽい感じあるんですけど、それ、サンフランシスコじゃなくて、シスコ――、


 と、ここで突然、


 くすくすくすっ


 と、猪熊先生のわらい声が聞こえ、


     *


「それはたぶん、はじめてマンガサークルにいった日のことね」


 わたしはいつもの、先生の仕事場マンションにいた。


「五時にはもどるって言ってたのに六時をすぎちゃって、お兄ちゃんにむちゃくちゃ怒られたのをおぼえてるわ」


 そう先生はつづけ、


「でも、いま見て来たシーンは、四時をちょっと過ぎたくらいでしたよ」と、軽い時空間酔いを感じながらわたしは応える。「外も、ぜんぜん明るかったですし」


「お兄ちゃんは、いっつもそんな感じだったのよ」と猪熊先生。手もとのティーカップを口もとに近づながら、「あら、まだちょっと熱いわね」そう言って、すぐにそれを受け皿へと戻す。「自分が連れ出すときは、六時だろうが七時だろうがかまやしないのに」


「やっぱり、茂木さんがらみだからですか?」


「うーん?」と先生。右手親指のペンだこを確認しながら、「コウさんはほら、あの頃からカッコよかったし、おんなの子の人気もあったからさ」コキッと、ちいさな首と肩を鳴らす。「お兄ちゃん的には、気が気じゃなかったんでしょうね」


「ほんと、兄バカですね」


「そうね」と先生。そう言ってまた、


 くすくすくすっ


 と笑う。


「マンガすら目のかたきにしてたんだから、ほんと、どうしようかって想ったわ」


     *


「男がマンガなんか描きやがってよ、気持ちのわりい」


 と、ここでふたたび時間と空間は切り替わって、ここは、先ほどの店先から数日後、先生たちが通っていた小学校の裏庭、話をしているのは、タケシさんとその子分的お友だちである。


「だけどさ、タケちゃん。タケちゃんだってマンガ好きじゃないか、『巨人の星』とか『あしたのジョー』とか」


「読むのと描くのはちがうんだよ」


「ちば先生も川崎先生も男の――」


 ゴチンッ!


 とにぶい音がして、子分的お友だちは頭をおさえることになる――が、ほんと、この時代の男の子って野蛮よね。


「こまかい理屈はいいんだよ」とタケシさん。「ようは、あの茂木って野郎にヤワラがカドワカサレないようにだな――」


 しかしこの子、さっきから言葉のチョイスがちょこちょこおかしいわね。


「かどわかされ……って、タケちゃん」とお友だち。頭のコブを確かめながら、「何人かで集まってマンガ描いてるだけだろ?」


「きっと、『ハレンチ学園』みたいなミダラでフシダラなマンガを描いているにちがいない」


 なワケないでしょうに。ほんと、妹がらみだとダメね、この子。


「おんなの子がいるのに、あんなの描くわけないだろ」とお友だち。


 そうそう、そもそも茂木さんが――って、永井先生の傑作を“あんなの”とはなによ、“あんなの”とは。


「だったらどんなの描いてんだよ」とタケシさん。お友だちの方に詰めよりながら、「お前は? 見たことあんのかよ」


「み、みたことはないけどさ」とお友だち。タケシさんから距離を取りつつ、「茂木以外はみんなおんなの子なんだろ? 『アタックNо.1』とか、『白いトロイカ』とか、『レモンとサクランボ』とか――」


 そう言って続けるのだが――ってなにげに詳しいわね、あなた。


「そういうおんなの子向けのマンガを…………どうかした? タケちゃん」


「“茂木以外はみんなおんなの子”?」とタケシさん。ガッ。と、お友だちのえりくびをつかむと、「“茂木以外はみんなおんなの子”だと?!」


 まあ、時代もあるとは想うけど、そういう文化的活動は、女子のほうが積極的よね。


「ゴ、ゴメン! タケちゃん」とお友だち。


 うん、まあ、君があやまる必要もとくにはないと想うけど、とにかく、そのまま、高く持ち上げられていく。


「し、知らなかったのかい?」


「じゃあなにか? あの野郎、俺のヤワラだけじゃなく、ほかの女子もハベラセテるってことか?!」


 はべらせるって、お兄さん。


「そんなうらやま――いや、うらめ――いや、いかがわしい」


 なんか本音出かかってるのが男の子だけど、やっぱあなた、言葉のチョイスがおかしいわね。


「俺は! てっきり! ヤワラひと筋だと!」


 え? そーゆー気持ちもあるにはあるんだ。


「それが! ほかの女子にも色目をつかっていたなんて!」


 でもあなた、茂木さんと先生がなかよくなるのイヤなのよね?


「それはそれ! これはこれだ!」とタケシさん。「オレのヤワラが! あんな野郎にふられるなんて!」


 いやいや、だからタケシさん。ふるもふられるも、あのふたりはまだそんなこと考えてもないって。


「そ、そ、そう……、」と、ここでお友だち。わたしに同意するかたちで、「それ……、に……、さ……、」


 タケシさんにくびを締めあげられたかっこうで――って、あなたはあなたで大丈夫なの? それ?


「も、も、もとも……、と……、モ、モギ……モギには……、か、か、かのじょ……、が……、」


 え?! そうなの?!


「なーにーー!!!!」とタケシさん。そのままお友だちの頭をグワングワンさせながら、「それはッ! ホントのッ! ことなのかッ!!! トモカズッ!!!!!!」


 あ、“トモカズ”ってのは、この子分的お友だちのお名前ね、金田智一さん。


「俺のッ! ヤワラがッ! 失恋なんてッ!  ゆるさねえぞッ!!!」


 このトモカズさん、この後もなんだかんだで、ずーっとお兄さんのお友だちをしてくれているらしいんだけど…………ね、ねえ、ちょっと、その子白目むいてない? 大丈夫? ほんとに大丈夫なの? これ???


 と、物語の進行よりもトモカズさんの生き死にを心配するわたしだが、ここで、


 くすくすくすっ


 という先生のわらい声が聞こえ、


     *


「ま、いまでも生きてるし、大丈夫なんじゃない?」


 と、とつぜん、時間と空間は切り替わり、


「いわゆるくされ縁ってヤツなんだろうけどね」と猪熊先生は言った。


 熱かったレモンティーもほどよく冷めたのだろうか、シナモンクッキー片手に、美味しそうにそれを飲んでいる。


「なんだかんだでお兄ちゃんの暴走を止めてくれるし、いい人なのよね、智一さん」


 そうしてまた、


 くすくすくすっ


 と楽しそうにわらい――、


     *


「あれが茂木の彼女か?」


 と、子ども時代のタケシさんは言った。


 彼はいま、阪神タイガースのキャップを目深にかぶり、目にはサングラス、しろい大きなマスクを着けて、物陰からこっそり通りをながめている。


「くそっ、ふつうにカワイイじゃないか」


 と、言うことで。


 時空間跳躍にもすっかり慣れた――と言うか、気軽にひとを時の旅人にする先生のせいで慣らされてしまったわたしは、さき程の裏庭の翌日、学校帰りの茂木さんとその彼女――なのかなあ? まだ小学五年なんでしょ? あのふたり――のようすをのぞくタケシさん――、のようすをこっそりのぞける裏路地に、飛ばされていた。


「だから言ったろ、タケちゃん」


 と、こちらも帽子にサングラス姿のトモカズさん。


「彼女、タイラさんって言って、美男美女カップルだって、けっこう有名らしいよ」


 ってか、ちゃんと生きていてくれてお姉さん安心したわ、トモカズくん。


「あの子もマンガを描くのか?」と、タケシさんが訊いて、


「僕のあつめた情報によると」と、手元の手帳をめくりながらのトモカズくん。「そもそもふたりはご近所同士で、例のマンガサークルも、茂木と彼女で立ち上げたらしいよ」


 ふーん。仲のいい幼なじみが趣味を通じて更にキズナを深めていくってパターンかしら……、うらやましい。


「マンガサークルのほかの子たちも、ふたりの仲は了解しているらしく――」とトモカズくんは続けるが、ふとふり返り、「……どしたの? タケちゃん」


 そこには、むずかしい顔で腕組み仁王立ちの、タケシさんがいた。


「なるほど、それでか」


「それでかって、なにが?」


「ヤワラだよ。あいつ、例のサークルから帰って来た日はすごくうれしそうだったのに、ここ数日、目に見えて落ち込んでるんだ」


「……ヤワラちゃんが?」


「ほら、あいつ、俺に似て、ガラスのようにセンサイなカンセイのもち主だろ?」


 は?


「はあ……」


「こんどの日曜も、例のサークルにさそわれているみたいなんだが、なんかのり気じゃないみたいなんだよな」


 うん? あー、はいはいはい。


「まあ、好きな男子が、ほかの子となかよくしてるところは、あんま見たくないよね」


「だから最近、自分のお絵かき帳を見ては、なんだかむずかしそうな顔してるんだよな」とタケシさん。「そういうきもちをまぎらわしたいのか、絵も、描いてはいるみたいなんだけど、なんども消したり描きなおしたり、どうもうまくいかないみたいなんだよ――」そう言って、しょんぼり肩を落とす。


 落とすんだけど、でも、けっきょくそれはさあ、


「こればっかりはしようがないよ、タケちゃん」


 と、トモカズくんも言うとおりで、


「ひとの気持ちを変えることは出来ないわけだから」


 ほんと、そうなのよね。それにさあ、こういう失恋やらなんやら、いろんな経験をくり返すことで、女の子は大きくキレイに成長していくわけだし、このお姉さんだって、こう見えていくつもの失恋を――、


「オバさんの話はどーだっていいんだよ」


 と、ここでタケシさん。わたしの言葉をさえぎると、


「俺はただ、ヤワラにかなしい想いをしてほしくないだけなんだ……」


 そう言うと、帽子とマスクとサングラスをはずし、トボトボとお家のほうへともどって行くのでありました――って、ちょい待ち。あなた、いま、わたしのこと、“オバさん”って言った?


「ちょ、ちょっと、“お姉さん”、いまはすこし、そっとしておいてあげてくださいよ」


 と、これはトモカズくん。わたしとタケシさんのあいだに立ちながら、


「タケちゃん、ほんとにヤワラちゃんのこと好きだしさ、いっきに色々ありすぎて、混乱してるだけだと想うんだ」


 そう言って、タケシさんのあとを追いはしって行く。


「じゃあまた、きれいなお姉さん」


 え?


 って、あらやだ、なに? トモカズくん、ちゃんと女の子のあつかい分かってるじゃない。


 そうそう、そーゆーね、ちょっとしたことばの気づかいとかがね、このあとのお話の展開とかね、作者の筆運びにもね、影響してくるわけだからね、もっとほめて――って、あれ? 猪熊先生?


     *


「うん? なに? どうかした?」


 これ、そろそろ場面転換って言うか、時間と空間切り換えるタイミングじゃありません?


「え? あー、そうね、そろそろかもね」


 と、こちらをふり返りながら猪熊先生は言うが――ってか、いまどこですか?


「うん? ああ、晩ごはん用のお肉を解凍し忘れててね、」と、冷凍扉を閉めながらの先生。「いまはちょっと台所」そう言って作り置きのピクルスをひと口かじる。「食べてくでしょ? ごはん」


 あ、はい、ゴチになります。


「そしたら私、ごはんの準備はじめちゃうからさ、時間変えたいときはヤスコちゃんの方から言って」


 え? あ、はい、じゃあ……、と言うか、これ、次はどこに行く感じですか?


「うん? …………あー、じゃあ、もう、次の日曜でいいかな。つぎのサークルは、ほら、その日に平良さん、平良絵美さんのお宅で開催されたんだけど――」


 えっ?


「なに?」


 さっきの平良さんって子、絵美さんってお名前なんですか?


「ええ、そうよ」


 え? 絵美さんって、あの絵美さんですか?


「あら、見てて気付かなかった?」


 わたし、絵美さんのお写真とか見たことなかったんで。


「え? 見せたことなかったかしら」


 見せて頂いたことないですよ……って、え? じゃあ、この頃からずっとなんですか?


「ずっとかどうかまでは知らないけど、コウさんならあり得ない話じゃないわよね、マジメで一途なひとだから」


 ……ひょっとして、見るのつらかったりします?


「……なんで?」


 いや、ほら、絵美さんってあれですよね、茂木さんの……、


 アハハッ


 と、先生がわらった。


「たしかにそうだけど、このときのはそうじゃないわよ」


 ……どういう意味ですか?


「っていうか、このときだけじゃないけど、このお話、『カトリーヌ・ド・猪熊のバラの時代』なのよね?」


 え? あ、まあ、いちおう、そういうタイトルにしてはいますけど……


「だったら、あなたやお兄ちゃんの心配は、“猪熊和楽”への心配であって、“カトリーヌ・ド・猪熊”にはあたらないのよ」


 うん……? ごめんなさい、やっぱりよく分からないんですが――、


「あー、じゃあ、まあ、論より証拠、とにかく見て来なさいよ」


 ……はあ。


「うん、じゃあ、いくわよ」


 くすくすくすっ



(続く)

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