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チリチリと日の光が差し込み熱さを感じる。眩しさから逃れるように布団の中に潜り込む。
「……ん……」
ふんわりと枕に頭が沈むと、微かなスズランの香りがした。枕がいつもと違う。
「……?」
目を開くと見覚えのない天井が見える。視線を横にずらすと見たことが無い格子の窓。
飛び起きて周りを見渡して胸がキュッとした。
「ここは……」
静かな部屋でごくりと唾をのむ音が響いた。何も分からず体がこわばった。
***
周囲を見渡しても見たこともない部屋。穏やかな日差しが室内に差し込み、カーテンがゆらゆらと揺れている。
「……っ。」
起きようとして腕に鋭い痛みが走り、すぐベッドに身体が落ちた。左右の腕には丁寧にガーゼが貼られていたので、どうやらケガをしているらしいことがわかった。腕を持ち上げて眺めていたところ視線を感じたので顔を向けてみると、開いたドアの前で一人の男がこちらを見ていた。
「目が覚めたか。」
ツカツカと私の元までやってきて、喉は乾いていないかと問われたので顔を少し動かして頷いた。薄いブラウンの髪で身長は170cmくらいか、それいでいて細身だけど、肩幅がガッチリしていた。知らない顔つきなので#外国の方__・__#なのかもしれない。
「あっ…」
「ちょっと待て。」
男は声が出なかった私に透明な液体を入れたグラスを差し出した。
「大丈夫。水だ。」
うなずいて受け取り、口に水を含ませた。
「……ありがとうございます。」
喉が潤ったからか、少し弱弱しいけれど声が少しでるようになった。
「擦り傷がたくさんあった。打撲もしていたようだが、痛みは?」
「動くと少しだけ……」
「何があった?」
窓際のイスに座った彼は優しく問いかけた。
「この辺りではみかけない服を着ていたようだが……。」
自分の服を見ると。クリーム色のシンプルなワンピースを着ていた。
「あっ、着替えは侍女がしたから安心するといい。」
服の違いもわからなくてワンピースを見つめたけれど、それを着替えの心配をしていると思ったようだった。
「わからない……です。」
怪訝そうにみる男を向いてもう一度言う。
「何もわからないの。」
***
目が覚める前のことを覚えていないことを話すと、男から質問された。
「名前は?」
「わからない……」
「年齢は?」
「わからない……」
男から質問されてはじめて自分のことさえ何もわからないことに気がついた。わからないことが増えていくごとにどんどん不安になり胸が苦しくなる。気がついたら目の前が滲んでいた。
「大丈夫だ。」
男はやさしく私の頭をなでて、医者を呼ぶからちょっと待ってくれと言った。
「待って。」
部屋を出ようとする男の背に向かって声をかけた。今一人にされたら怖い。
一人ぼっちが怖い。
そんな私の気持ちが伝わったのか、男は少しだけ目を細めてすぐ戻るから大丈夫だと宥めるように言った。無表情だった男が少し微笑んでいるように見えた。
***
男が呼んだ医者に診察をしてもらうと、ケガをしたときの衝撃かその時のストレスなどで記憶喪失になっているのではないかということだった。
「君の服装はこの辺りではみなし、ケガをして倒れていた状況から何かの事件に巻き込まれたということもあるかもしれないな。」
再び二人になると、私が倒れていた状況について教えてくれた。男の家から馬車で1時間くらいの森の中で倒れていたこと、近くにオオカミがいたので警戒してみていたところオオカミの視線の先に私がいたことを知った。
「ありがとうございます。」
男がいなければもしかしたら……そう考えたら、背中がゾクっとして身体が震えた。
「とりあえず今日はゆっくり休むといい。あれから2週間ほど寝ていたのだから、まだ体力ももどっていないだろう。続きはまた明日にしよう。」
「……はい。」
いろいろと話して疲れてしまったのか、身体がひどく重く感じた。
「私はオリバー。君は……。」
「えっと……。」
名前を思い出せないので言葉に詰まってしまった。
「リリィ。君が名前を思い出すまでの仮の名前だ。」
「リリィ?」
「そう。君が倒れていた場所には沢山のスズランの花が咲いていたんだ。」
目を細めてほほ笑むオリバーを見て顔が熱くなった。
「リリィ……素敵な名前ですね。」
***
森の中で少女を拾ってから2週間ほどたつ。私は毎日朝と夕に少女の様子を見に行くようにしていた。黒髪だが顔の横の髪だけなぜか赤い色をしていてそのコントラストがとてもきれいで目を引いた。
身長は150cmくらいだろうか。小柄で眠っている少女の顔はなんだか幼すぎるような気がする。14~15歳くらいに見えるが、会話もしっかりしているので17~18位で成人しているのかもしれない。それでも自分よりも一回り近く年が離れている。
「ご家族が心配しているのではないか。」
隣にいる執事のテイラーに尋ねる。
「あまり持ち物がないようで……。見たことがない道具もありますし、特定は難しそうですね。」
テイラーはサイドテーブルに置いた少女の荷物に目をやる。彼女は出自がわかるようなものは持っておらず、あるのはシルバーのプレートのようなものだけであった。シルバーのプレートは、ボタンのようなものがついているけれど、押してみたが何も変わらない。見たこともないものでどのように使うかもわからない。
「そろそろ目を覚ますころだろうか。」
腕や足には細かい切り傷や擦り傷が多数あり、身体は打撲しているとのことだった。強くぶつけているかもしれないので、目覚めるまでに時間がかかるかもしれないと医者は言っていた。
「客室は空いていますし、髪の色や見慣れない服装からも……。」
「異世界人かもしれんな。だが、赤い髪も混ざっていて奇妙だ。話を聞かないうちにはなんともいえんな。」
「まだ子どものようにお見受けしますし、このまま放りだすこともできないでしょう。」
「あぁ。客間は空いているし、事情がわかるまでは預かるしかないな。目が覚めたときには教えてくれ。」
「かしこまりました。」
少女が目を覚ましたのは翌日。顔を見るために部屋を訪れるとベッドに身体を起こそうとしてベットに倒れる少女をみた。すぐに起きることは諦めたようで、腕を持ち上げて包帯がまかれた腕をぼんやり眺めていた。
そのぼんやりとした黒い瞳で腕を見つめる姿がなんだか儚く脆くも見えた。
「目が覚めたか。」
彼女の視線が自分に向けられていることに気が付いて息をのんだ。
私の動揺は彼女に伝わってしまっただろうか。彼女を見つめていたことに気づかれてしまっただろうか。
いや……怖がらせていないだろうか……
***
「わからないのです。」
彼女にどこから来たのか、尋ねた所何も覚えていないという。そして名前も年齢も何も覚えていないという。
彼女に聞きたいことは沢山あった。
しかし、体をこわばらせていた彼女が次第に小さく震えだし、小さな身体を自分で抱きしめるようにしている彼女を見てこれ以上問うことがためらわれた。
「とりあえず今日はゆっくり休むといい。あれから2週間ほど寝ていたのだから、まだ体力ももどっていないだろう。続きはまた明日にしよう。」
「……はい。」
小さくか細い声に背中がゾクっとした。助けたい。守りたい。見ず知らずの彼女にはじめての感情が生まれた。
「私はオリバー。君は……。」
名乗っていないことを思い出し、いまさらだが自己紹介をした。とっさに彼女に名前を訊ね失敗した。彼女は名前も思い出せないのだ。焦ってどうにかフォローしようにも言葉が出てこない。
「リリィ。君が名前を思い出すまでの仮の名前だ。」
彼女と出会った場所には沢山のスズランの花が咲いていたから、彼女の名前をリリィという名前で呼ぶことにした。彼女から柔らかい笑みが漏れたのを見て、どうやら嫌ではないようだ。勝手に名前を付けてしまって良かったかは今は考えないでおこう。
***
この世界には#異世界__・__#からやってくる人が時々いる。異世界から来た人には何かしらの力を持っていて、時には"聖女"、"勇者"などと呼ばれることがあるという。別の世界の知識や能力をもっていることもあり、異世界人が国にいるということは、イコール国力の増強になるためどこの国が保護するのかと時には戦になりかねない。
とはいえ、奪われる危険もあるため異世界人が来たからと言っても極秘で囲っているケースの方が多いだろう。故に異世界人についての情報は一般的には知られていない。
なぜ私が知っているのかというと、それは私が王族に近い位置にいるからだ。
「リリィも異世界人ではないのか……。」
見慣れない服、髪色、持ち物、そして徒歩で移動できるような場所ではない森の中にいたリリィ。特に黒い髪はこの世界には存在しないが、少女の髪は黒と赤の2色。赤毛はこの世界にも存在する。異世界人でありそうな条件も見受けられるが……。
「とんでもない拾い物をしてしまったな……。」
寝室の窓から空を見上げると星がキラキラと輝いていた。
***
「よくできました。」
マナー講師に褒められてリリィは頬が緩んだ。
「気を抜かないようにしなければなりませんね。」
指摘されてリリィは急いで口元を引き締めた。
リリィはオリバーに保護されたものの記憶喪失なので行き場所もない。幸い部屋が空いていることもありしばらく安きに住まわせてもらえることになった。もちろんリリィが#異世界__・__#から来た疑いがあり、政争に巻き込まれる可能性もあるからだということをオリバーは伝えていない。
「少しは形になっているかしら?」
リリィは侍女に向かって、教えられたように話しかけ、カーテシーを披露してみる。幼く見えるリリィを一人にすることもできないのでオリバーは保護することにしたのだ。
「自然になってきましたね。オリバー様が午後には戻られる予定なので、庭園でお茶をしてみてはいかがでしょうか?」
令嬢はお茶会に呼ばれるらしい。
リリィはオリバーの遠縁の親戚として預けられたことになっている。リリィは病気で長く臥せていたため教育を受けられなかったため、教育を頼まれたということになっている。親戚としている以上、リリィもそういった場所によばれることもあるのかもしれない。そのための予習なんだろうな……とぼんやり考えた。記憶がない自分を保護してくれ、さらに必要なマナーなどを教えてもらっているので断る理由もない。
「庭園でお茶ができるなんて素敵ですね。お願いします。」
「では、後ほど御着替えに伺いますね。」
「……着替えなくてはなりませんか?」
リリィは朝着替えたばかりのドレスを見て、着替えるなんてもったいないしちょっと面倒だな……と思った。
「お茶会に合ったドレスに着替えるのも、その準備をするのも勉強ですよ。」
侍女はにっこり笑い紅茶を入れると、お茶会の準備のため部屋を後にした。
「朝から晩まで、お茶を飲んでご飯食べて勉強して……。これでいいのかな……。」
これまで自分がどのような生活をしていて、どのように生きてきたのかも覚えていない。このような生活が当たり前なのかもわからないが、もやもやとした気持ちになる。分からないことは教えてもらうようにしているけれど違和感が無くなることはなかった。不安を感じたものの、リリィにできることは何もないのでただ流れに身を任せるしかないとため息をついた。
***
「リリィさま!!」
綺麗にセットされたカップをなぎ倒してテーブルに突っ伏して呆然としていた。
教えてもらった通りに席に案内され座ろうとしたはずが、つまずいてテーブルに突っ込んでしまった。
侍女は慌ててリリィを起こし、体にケガがないか確認をしている。
「……ぶはっ」
低い声がしたほうを向くと、オリバーがちょうど来たところらしくリリィをみて噴き出していた。
「それはどんな遊びなんだい?」
リリィは顔が熱くなってようやく自分が綺麗にセッティングされたテーブルをぐちゃぐちゃにしてしまったことに気が付いた。
「……ごめんなさい……。」
恥ずかしいやら格好悪いやらでリリィの目に涙がたまっている。
---こんな姿はみせたくない。---
毎日のようにマナーのレッスンをし、やっと褒めてもらえるようになった。ドレスだってこのために着替えさせてもらったのにこの失態だ。リリィはオリバーだけには良く見せたかったので情けなかった。
「怒っていないよ。ほら。ケガはなかったか?」
隣に立ったオリバーはリリィがけがをしていないか確認する。
「……っ。」
オリバーがそっと彼女の首筋から方にかけて指でなぞる。
優しく方のあたりから何かをつまんだ。
「ほら。あぶない。ガラスの破片が肩に……」
オリバーは慣れた様子で侍女にリリィを着替えさせるように言った。
「あの……。」
「時間はまだある。待っているから着替えておいで。」
オリバーはリリィの頭をなでるとそっと背中をおした。
「……はい。」
リリィは侍女に手を引かれその場を離れた。
待ってくれるオリバーに申し訳なく思っているのに謝ることがでできなかった。
"こういうときはすぐに謝ったほうがいい"
リリィの頭の中で声が聞こえた。