出だしは慎重に
「で、出発は?」
「できるだけ早くと思っているんだが、派利教授がまだ来ないんでな」
勢多が視線を送った作戦研究愛好会海軍部軍港の端に、阿蛇もつられて目をやった。桟橋には、海軍部所有の艦艇のうち、駆逐艦「雪風」、「春雷」、「五月雨」の3隻が停泊している。その3隻の向こうには、煙を噴いてドックに曳航されていく、くろしお型潜水艦の姿が見えた。しかし、肝心のそれらしい人影はまだ姿を現していない。
「阿蛇さーん、出航準備できてるわよー」
阿蛇の遥か上から、臨時に彼らの乗る艦の艦長に指名された舞の声が響いて来た。
彼らの乗る艦は、旧式フリゲート艦の「桜」で、全長80メートル、排水量2000tあまりの小型戦闘艦である。八角形の外壁全てをレーダーにした、建造当時としては斬新なデザインの艦橋と、大型艦護衛のためのハリネズミのような対空砲群はまだ十分実戦で働けるはずである。しかし、時代は既に最新鋭の対空砲を高出力のレーザー砲へと変えてしまっており、固体の弾を飛ばす小型砲は時代の彼方へ追いやられようとしている。
その結果、「桜」は装備が旧式になったということで、新型艦への移行に従って、舞が半年前に最後の艦長になった後は予備役へと編入されていたのである。艦齢30年ということもあり、ちょうど潮時であったと言えよう。
「大丈夫なんだろうな。こんなぼろ船で」
「ぼろとは何だ、ぼろとは。退役間近とは言え、全ての装備は完璧に整備してある。地球一周だって不可能じゃないんだぞ」
胸を張って勢多は言い放ったが、それでも、阿蛇の不安は拭い切れていない様子だった。ちらりと、港の端に目をやり、一人の白衣の年寄りが大きな鞄を抱えて駆けてくるのを確認して話を続ける。
「しかしなあ、相手があれなんだろ。ちと難しいんじゃないか」
「いや、たかが魚。釣り好きばかり集めた精鋭達にかかれば、たとえぼろだろうと錦の船だ」
「釣り好きね。だから乗員がいなかったのか」
「まあ、派利教授も来たことだし、詳しいことは中で打ち合わせることにしようや」
勢多が指さした先には、頭のてっぺんが完全にはげ上がったやせ形の老人が10メートルほどのところまで近づいて来ていた。先程阿蛇の視界に入った老人に違いないが、駆け寄って来た割りには、殆ど、息を切らしているようには見えない。
「わしが派利だが、準備はできておるのかね」
「ええ、後は教授の来るまで出港を待っていたんですが」
勢多の言葉を聞くと、派利教授は乱杭歯だらけの歯茎を見せながらツバを散らして大声で吠えた。
「よーし、出航じゃあ。急げい若人共!」
言うなり、船内に駆け込んで行った派利教授を見送って、阿蛇と勢多も舷側の乗降口から乗り込んでインターホンで艦橋を呼び出した。
「準備完了、いつでもいいぞ」
『了解。もやい綱外せ。第3船速、面舵2度』
舞の凛とした声が艦橋に響き、「桜」は出航した。千葉港を出て左に舵を取り、一路逃げ出した魚を追って東京湾を南下する。その間、全員を会議室に集めての打ち合わせが行われることになった。
東京湾を出るまでは、40ノットで疾走する艦とはいえ、科挙学園と東京シティーの行路管轄部の自動制御の元にあり、船員は基本的にする事がない。逃げ出した魚に取り付けた発信機からの位置計測によれば、「桜」が追いつく地点は東京湾を出てから10キロほどの太平洋上だと算出されている。しばらくは、目標に追いついて慌てる必要が生じる気遣いはない。
「速めに終わらせましょう。後1時間ほどで追いつくはずです」
まずそう言って会議の口火を切ったのは、司会として上座に座る勢多である。
勢多としては、対象のお魚を捕まえるための釣り具を準備したいところなのだが、今回の捕獲計画の責任者である以上あまり勝手なこともできない。
「まずは、派利教授に逃げ出した実験生物について説明をお願いします」
勢多の右側に座っていた派利教授が立ち上がり、それに応じて室内の明かりが消されて教授の背後にあったスクリーンに明かりが灯った。スクリーン上には、カジキマグロの姿が投影され、派利教授が乱杭歯だらけの口を開き、仕様の説明を開始した。
「ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世、
「全長123メートル、
「全高41メートル
「重量88t
「食用1次実験生物として登録。とまあ、基本スペックはこんなところだが、質問は」
派利教授はぐるりと一同を見回したが、3人を覗いて、全員が絶句しているのを確認するに止まった。
「ひゃ、ひゃくめーとる・・・」
「なんじゃそりゃ」
ザワザワとざわめく会議室内で、平静を保っていた三人の一人、勢多が隣の派利教授にに質問をした。
「食用だったんですか、あれは」
「そのとおり。生けすで食用の生物を育てておれば、自然に生息している生きとし生ける者たちをわざわざ捕まえてくる必要もない。そして、同じ育てるのであれば数が少なければ少ないほど、管理もしやすい。よって、少ない生態数で最大限の効果を上げるために開発が続けられていたのが、海洋型食用生物開発プロジェクトなのだっ」
一気に言い放って、肩で息をしている派利教授に対して、静かになった会議室の中から、全く動じた風のない基行が手を挙げた。
「ね、ね、強いの、それ」
「それではない!ちゃんと、ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世と呼ばんか」
「それで?どのくらいの戦闘力をもっているんですか」
ようやく平静を取り戻した華奈がなだめるように横合いから発言した。質問を受けた時の派利教授の顔に、満面の笑みが広がる。
「60ノットの推進力を生み出す強力な尾びれ、1200ミリの装甲を貫く鼻面の銛、厚さ500ミリの鉄板を易々と切り裂く胸びれ、いずれを取って見ても、このようなぼろぶねが対抗できるようなやわなものではないわっ!」
「対抗できなくて、どうするんですか!」
思わず声を荒げた華奈をなだめて、阿蛇が後を引き継いだ。
「そうは言っても、何か弱点はあるでしょう。この船よりでかいとなれば、それなりの準備が・・」
阿蛇が最後まで言い意切らないうちに、派利教授の怒声が周囲を圧した。
「この若輩ものっ!!
「完璧な防御、絶対の攻撃力。全ての科学者が望んで止まなかった最高の生物がザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世だ。男のロマンを現実のものとしたわしの最高傑作に弱点なぞあるものかっ」
「確か、食用ではなかったのですかな」
平静を保ち続ける3人の内の最後の一人、三神が一言、小声のはずだが、全員に聞こえるよく通るバスでそうつぶやいた。派利教授が我に返って反論を探している間に、三神の横に座って半ば隠れてしまっている絵里香がためらいがちに三神をつっついた。
「でも、そんなのを捕まえることって、できるんですの?」
「あの程度の仕様のものを何とかできんような超常現象愛好会と作戦研究愛好会じゃない。ま、わしらもいろいろ準備は整えてある。心配するな」
いまいち安心できていない様子の絵里香をよそに、派利教授に対して舞が最初から抱いている疑問をぶつけていた。
「それで、そんな大きなものがどうやって東京湾に出られたんですか。この周辺の水深は10メートル程度しかないんでしょ」
「あれは潜水艦隊用の通路を通って行ったんだ」
派利教授の代わりにそう答えたのは勢多で、隣で派利教授が、あれとはなんだ、ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世と呼べ、と騒いでいるのを放っておいて、先を続けた。
「お陰で、くろしお級の潜水艦4隻がドック行きになっている。ついでに水上艦隊旗艦の「赤城」も損傷した。ドック行き2カ月だ」
自席の端末を確認しながら勢多はそこまで言うと顔を上げた。
「で、こういう荒事にはやはりプロフェッショナルが必要ということで超常現象愛好会に声をかけた訳だ」
「荒事、ですの?」
心外そうに言う絵里香が首をかしげるのと相前後して、派利教授背後のザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世の仕様を映し出しているスクリーンとは反対側にあるスクリーンが自動的に点灯した。
『目標視認。映像に出します』
航法を任せてある、阿蛇が運び込んだ軽量タイプの自己判断機能付コンピューターの声がしてスクリーンに海の映像が映し出された。遥か前方、左に房総半島、右に三浦半島を傍観する東京湾の遥か彼方に、波をけたてて疾走している何かの後ろ姿が映っていた。
「おお、ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世の勇姿じゃないか」
すでに、湾内を走る船舶には東京シティー湾岸警備部と科挙学園鉄道研究愛好会航法管制室の警戒警報が発令されていて、どの船も、ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世が接近する前に、沿岸沿いギリギリのコースをとっている。湾を横切る航路を取る東京湾フェリーと、金谷カーフェリーは科挙学園から警報が発令されてすぐに運航を中止していた。
科挙学園のこれまでの前科が知れようというものである。
「あんなのを、『桜』で追いかけることになるとは、半年前には考えもしなかったわ」
映像を見ながら舞がぼそりと呟いたのを、派利教授は聞き逃さなかった。
「小娘っ。あんなのとは何だ、あんなのとは。ザ・キング・オブ・オーシャンズ・パラメモリアル・ガイアス3世だ。いいかげんに覚えんか!」
「覚えても呼びませんよ。息が切れちゃう。それより、それ以上無意味なことで騒ぐようでしたら、ここで降ろしますよ」
「やれるもんならやってみろ、小生意気なチビ娘がっ」
「なんですってぇ!」
舞と派利教授が派手に喧嘩をを始めたのを機に、阿蛇は勢多の方に体を乗り出した。
「で、実際のところ、どうなんだ。捕まえられそうなのか」
阿蛇の心配を吹き飛ばすかのように、勢多はにかっと笑って華奈の方に顔を向けた。
「勝てない喧嘩は絶対にしない。それが作戦研究愛好会だ。そうですよね、竜翔中将」
「ま、ね。だからこそ、舞を引っ張り出したんでしょ」
「そういうことです」
華奈の苦笑に、阿蛇がまだ分からないと行った表情で答える。その不分明を吹き飛ばそうと、勢多は大きく頷いた。
「飯島少佐に艦を任せておけば、我々がいかに操艦のどしろうとでも心配いらないからな。で、お前さんには、機関のおもりを頼む。いいか?」
「・・・いいだろう。信用しよう」
組んでいた腕をほどいて、阿蛇は頷いて了承の意を全身で表現した。絵里香と基行に羽交い締めにされている舞と、三神に羽交い締めにされている派利教授にちらりと視線を送った後、勢多は勢いよく立ち上がった。
「ようし、お祭りの始まりだ。いっちょいってくるか」