魔女の呪縛
「公爵令嬢シュリア・サザンドラ、お前との婚約を今を以て破棄する!」
レイランド国立学園の卒業記念パーティの会場にレイランド国の王太子であるバイス・レイランドの雄々しい声が会場全体に響き渡る。
バイス王太子の目の前には、日に照らされた純白の雪のように煌く銀髪に、瞳までも雪のように冷たさを覚えるような銀目、日に照らされたことのないような真っ白な白磁の肌を持つ公爵令嬢シュリア・サザンドラが立っている。
今、正にバイス王太子に婚約破棄を言い渡された女性その人だ。
バイス王太子の腕の中にはふわふわの蒼い髪に紺碧の瞳を潤ませた女性が王太子にしな垂れるように寄り添っている。
更に王太子の後ろには側近であろう引き締まった身体の男、厳格で知的な印象を持つ眼鏡を掛けた男性、優しそうな顔立ちで艶やかな女性、その他にも何人もの男女が王太子の背後からシュリア・サザンドラという公爵令嬢を汚物でも見るかのように蔑み、嫌悪の眼を向けていた。
それだけではない。卒業生の親達までも、一人の女性をまるで鬱陶しい羽虫を見るようにその光景を見ていた。
「バ、バイス様は、私との婚約を取りやめ、そちらのメアリ・メイビス様を選ぶのですか?」
鈴のような響く声だが、悲し気で何処か切な気な声。
「当り前だ! お前のような色素の薄い亡霊のような女が今まで王太子である俺の婚約者であったことを有難く思うんだな。」
「王太子殿下の言う通りだ! メアリにいつも厳しく当たっていただろう!」
「そうよ! メアリは立派な淑女だわ。メアリの方が王太子妃に相応しいのよ。貴女なんてただ、魔力で幼少に婚約者に選ばれただけでしょう。」
「本当に暗い女だ。お前のような女を娶る貴族など、何処にもいないぞ。いや、この国にはいないな。クックッ。」
会場全員に疎まれているようなシュリア、それに対して皆に好かれているメアリ。
シュリアの親である公爵夫妻、そして兄姉までも、軽蔑の視線を向ける。
公爵の妾の娘であるシュリアは公爵家でも疎まれ、軽視され、使用人以下の生活をして来た。
それでも何故彼女が王太子の婚約者だったのか。
それは、魔力量が目に付き、国王陛下に見初められたためだ。シュリアが八歳の頃に婚約者とされた。
初めの頃はバイスもシュリアを好んでいた。よく話し、絵物語の話の感想を述べたり、魔法を一緒に学んだりと。
ただ、学園二年目に入ってから変わった。原因はメアリだ。王太子がメアリといる時間が多くなった。
王太子が気に入れば、周囲もメアリと一緒にいることが多くなり、シュリアに対しては公爵令嬢とはいえ妾の娘だと身分不相応の婚約者との陰口に拍車がかかった。誰もがシュリアを悪者にした。今まで傍にいたと思われる友人達までも離れて行った。
影の薄い女、魔力だけで選ばれた女と。
「承知いたしました。婚約破棄の申し出、有難くお受けいたします。」
身体の芯がブレることのない優雅なカーテシーをしながら、シュリアがバイスに応える。今まで十年、王城に通い妃教育を受けたのだ。王妃には駄目だしとばかりに扇で叩かれた。物覚えが悪いと罰として翌日までに眠る時間が無い程の多くの課題を出された。
まるで拷問のような日々。唯一の救いの時間はバイスとの茶会だった。
だから、彼女は王太子を見逃すか見極めた。
「ふふっ、意味はなかったようね。まぁあの人の子だから見極める必要なんてなかったかも...、あぁでも...」
誰にも聞き取れない程の声、いや誰かが彼女の傍に居てあげれば、もしくは彼女を庇えば聞こえていたであろう声。
「何を笑っている! 気色の悪い亡霊が! お前は国外追放だ!」
「あら? 国外追放までされるのですか? 何の罪状ででしょう? お聞かせ願いたいですわ。」
「次期王太子妃であるメアリへの嫌がらせや誹謗中傷だ。貴族筆頭であり、貴族の鏡である公爵家令嬢として公爵家に泥を塗った償いだ!」
「メアリ様、本当でしょうか?」
シュリアに質問されたメアリが王太子の腕からスルリと身体を離す。王太子が怪訝な表情でメアリに訝しむように呟く。
「メ、メアリ?」
「いいえ、シュリア様からそんなことはされておりませんわ。全て殿下と後ろに控えている方達の妄言ですわ。」
微笑を浮かべ、楽しい悪戯が成功したかのようにメアリが言葉を発し、会場全員が驚いた表情になる。
「ど、どういうことだ、メアリ?」
「まだわからなのですか? 私は殿下がシュリア様の婚約者として相応しいか判断するために、殿下と側近の方を試したのですよ。」
「そういうことなの。殿下、そして皆様。私はこの国に復讐をさせてもらうわ。お母様であるシーリスの復讐を......」
シュリアが語りだす。
シュリアの母シーリスはシュリアと同じ美貌を持ち、魔力が高く聖女と持て囃された。彼女はただ健気にこの国の為、そして愛する婚約者であった現陛下の為に尽くした。それこそ、毎日魔力が尽きるまで。
人を癒し、土地に恵を与え、他国が攻めてくれば先頭に立ち敵を退けた。
そうしたにも関わらず、陛下は周囲の貴族達の言いなりとなり、シーリスを捨て、侯爵家である現王妃を娶った。
更に現王妃は、シーリスの聖女としての国民からの羨望と地位を妬み、シーリスに罠にかけて魔法が使えないような魔道具を身につけさせ、当時の陛下の側近達の慰みものとした。更にサザンドラ公爵家の妾として公爵家に監視させた。サザンドラ公爵も同様に美しかった母を嬲り、弄び、慰みものとした。
陛下もそれを知って居ながら放任した。
「いいように使われ、散々な人生を歩んだ母に変わって私が貴方達を断罪させてもおうと思ったの。
バイス殿下は何も知らなかったから、あの醜い王妃の子でも見逃そうと思ったのだけど、必要なかったみたいね。」
王太子もその後ろの者達も自分達の両親や近親がそのような非道な行いをしたのかと青い顔をしている。
「嘘だ!」
「違う!」
「それこそ、妄言よ!」
王妃、そして関連していた親達が口々に否定する。気の弱い貴族子女はガタガタと震えていた。
「お前が、そんなことを知っているはずがないだろう! お前が生れる前の話しだ! お前の母が嘘を吹き込んだんだろう! そうだ、そうに違いない!」
まだ信用ならないという王太子が異を唱える。その言葉を待っていましたとばかりにシュリアが映像水晶を手に持ち、映像が流れる。
陛下の側近達が母に無慈悲に、そして残虐に暴力をあたえている映像だ。
何人もの令嬢は、おぞましいものを見たかのように口を押え、目を背けた。メアリすらシュリアから話は聞いていたが流石に目を背けていた。
映像を止めて、「どうかしら? 作り物に見えたかしら?」と冷めた目でシュリアが王太子達に告げる。
「陛下の側近達が勝手にしたことね。あの女が陛下から寵愛を受けていることに調子に乗って、周囲の者にまで手を出したのがバレたからでしょうに。あの女は魔女よ、自業自得ね。」
「王妃様ともあろう御方が嘘はいけませんわ。」
そう言いながら、止めていた水晶の映像を続ける。映像は薄暗い場所、寝所が映されていた。
ベッドには明らかに行為が終わり微睡んでいる男女がおり、女が男の胸を手で撫でながら媚びているのがわかる。
女性は現王妃、そして男性は陛下の側近の一人で今は騎士団長、先程の映像で非道な行いをしていた一人だ。
『陛下にはあの女が側近の一人と不誠実な行為に及んだように伝えた。これでお前が王妃に近づく。』
『後はあの女に熱を上げていた次期サザンドラ公爵に監視させて好きにさせればいいわ。』
『酷い女だな。』
『貴方だって楽しんだんでしょう?』
『もう少し良い様に鳴いて欲しいものだ。最後まで陛下を信じていたぞ。御陰で興覚めだ。』
映像が止まり、現王妃と騎士団長に冷たい視線が降り注ぐ。
「ふん! 偽りの映像をよくもまぁ、ここまで作った者だ。なぜ、何十年も前の映像が今ある!? 映像水晶はここ十年で開発されたものだ。」
勝ち誇ったように騎士団長、それに同意する王妃が頷く。そして皆もそれを不思議に呟いている。映像水晶が開発されたのは、騎士団長のいう通り、最近の代物だ。過去の映像が残っているはずがない。
「あらら、バレてしまいましたか。」
「やはり、お前の創作か! 王家を愚弄するとは死罪でも生ぬるい!」
先程まで青い顔していた王太子が息を吹き返し、怒鳴り散らす。王妃と同じく醜く顔が歪んでいた。
「創作...言い得て妙ですわね。『時渡り』の魔法で過去その場で起きた物事を再現する魔法です。魔法で再現させたのですから、創作というのも間違ってはおりませんよ。それにしても、苦労したわ。今の二つの過去を探すのに、十年王城に通って漸く見つけたのですよ。」
「『時渡り』!? そんな魔法聞いたこともない!」
「膨大な魔力のある私しか使えませんし、私でさえ日に一回が限界なのですから。」
「墓穴を掘ったな、なおの事信ぴょう性などあるまい! ここまで王家を侮辱し、他にも多くの家臣を侮辱したのだ。その罪は死より重い! さて、虫の囀りも聞いた。もう十分だ。」
勝ち誇り、愉悦にまみれた表情でバイスがシュリアを見る。そして、メアリに視線を向ける。
シュリアの横に立ち、シュリアの手足となっていメアリが、視線を向けられたタイミングで、隠し持っていたブレスレットをシュリアの腕にカチリと嵌めた。
「メアリ!?」
「残念です、シュリア様。」
そう言いながら、再びバイスの横に立ち、不敵な笑みを浮かべながらバイスの腕に抱かれる。
「...裏切るのね、貴方も。」
「裏切る? 貴方とはバイス王太子殿下から婚約破棄を言い渡されるまで協力するとは言いましたが、そこから先は、何もお約束していなかったはずですよ?」
彼女の心をそのまま顔に写したような笑みを浮かべながら、何を言っているの?というかのように首を傾げるメアリ。項垂れるかのように床を見るシュリアの表情は誰にも判らない。
屈辱に歪んでいるのか、それとも裏切りにより悲痛な哀しみを耐えているのか。
「愛し合っているメアリが私を裏切るはずがないだろう? そのブレスレットは、魔法を封じる。つまり、お前はもう魔法が使えないということだ。だが、お前はまだ体術や剣術もそこそこ使えるだろう? 影ながら練習していたようだしね。」
――パチン!
バイスが指を鳴らすと、会場の周囲から立派な軽鎧に身を包んだ近衛騎士が数十人が雪崩込み、シュリアに剣を向けて包囲する。
「君に油断はしないよ。君の力は誰よりも判っているからね。」
「......」
「更にだ、ブレスレッドだけでは心もとないからね。お前の親族であるモルス伯爵家とそのご令嬢マーラにもこの会場に結界を張ってもらっている。ゆえに君には何もできないんだ。はっはっはっ!」
俯いて居たシュリアが顔を上げ、ニコリと微笑む。
「ふふふっ、あーはっはっはっはっは」
「何が可笑しい! 気でも狂ったな、汚らわしい魔女め!」
「あはは、ふふふっ。メアリが裏切るのも叔父様や従姉妹が裏切るのも、想定内です。バイスにだけチャンスを上げるとでも? 皆にもチャンスを上げたのに...、本当に残念ですわ。メアリの母、シーザス夫人も母の友人であったようですが、王妃の甘言に惑わされ、母をあの非道な男達の元に連れて行ったのです。そして母の弟であるモルス伯爵も母の魔力を妬み、そして口を噤んでいた。更には公爵家に出向いては、公爵と一緒に母に暴力を振るっていた一人。その娘も王太子の側近として私に牙を向いた。ふふふっ、本当に腐っているわ、この国は...。
今まで母の力に助けられていた民も母に汚名を聞くと、それを真に受け、母を蔑んだ。王家もその家臣も皆、母を騙し、貶めて、最低な国よ!
私は嬉しいよ。思う存分復讐が出来る。何の憂いも抱く必要はないのだからね。」
「復讐だと? 今の貴様に何が出来る! 貴様はここで殺されるのだ! 殺せ!」
バイスの一声に一斉に近衛騎士が剣をシュリアに突き立てる。容赦なく、首、心臓、腹部と三本の剣がシュリアを串刺しにする。
笑みを浮かべたままのシュリアの口からは黒い血のようなものが流れ出る。青いドレスにも黒い血が滲む。
剣が抜かれると、バタリとシュリアは伏した。
何とも言えない空気だけが、その場を包む。
本当に彼女の言葉に真実が無かったのかと思うものもいたが、誰もが口を閉ざしていた。この場には陛下も王妃も国の重鎮達もいる。その場で彼女を庇えば、疑いの言葉を発すれば間違いなく死罪となるであろう。
「な、なんだあれ?」
学生の一人が声を出す。
剣で串刺しとなり、倒れていたシュリアの身体が真っ黒なドロドロとした液体となり、ゆっくりと溶け、そしてゆっくりと周囲に広がっていく。近衛騎士もその場を後ずさる。
ゆっくりと黒い液体が這いずり、やがて何かの陣が構築されていた。
「マーラ! 魔法無効の結界は絶対解くでないぞ!」
「は、はい、お父様。」
魔法が得意とされるモルス伯爵も見たこともない魔法陣に寒気を感じ、さらに魔法無効の結界を張る。だが、黒い陣が完成すると、黒い靄となり霧散する。魔法無効の結界で魔法陣が不発となったかと額を流れる汗を掌で拭う。だが、嫌なじっとりした汗が止まらなかった。
「流石は魔女と言ったところか! 最後まで嫌な思いをさせる奴だ。」
バイスがそう声を掛けたことで、皆の緊張も解けた。会場にいる誰もが不快な冷たい汗を掻いていた。
『ふふふっ、まだですよ、殿下。』
どこからともなくシュリアの声が聞こえる。すぐ傍にいるようで、遠くから聞こえるような鈴の鳴るような声。
「魔法は無効化されている。亡霊め! 未だ死と向き合えぬか! 忌々しい!」
『先程のは魔法ではありませんよ。呪術人形です。人形に危害を加えると、呪術が発動するのです。その会場全員に。殿下が全員に呪いを掛けてしまったのですよ。私は言いましたよね。誰にでもチャンスを与えると、その会場の人達の誰も殿下を止めなかった。つまり、そう言う事です。』
「ふ、ふざけるな!」
『さて、呪いの内容を伝えましょうか。
――日に一殺しなければ、翌日には死を。
そういう呪いです。そして、モルス伯爵達の結界の外側に、私の魔法でこの会場を物理結界で覆いました。最後の一人になりましたら、迎いにあがりましょう。
それでは私からの死の舞踏会を楽しんでくださいませ。』
全員がシュリアの声に聞き入っていた。
誰もが同じことを考えていた。つまりは、この会場にいる人間で殺し合えということだ。
本当にそんな呪いなんかあるのか? それとも空言か?
誰もが嘘だろうと思いつつも、周囲を警戒している。誰もが他人を疑い、距離を取る。
マーラもマルス伯爵も魔法を解いている。魔法が使える状況となる。その二人にバイスが近くまで歩み寄り、ひっそり声を掛ける。
「二人共物理結界を何とか出来ないか?」
「くそっ! 駄目だ、あの女、魔力量が桁違いだ。この結界に穴はありません。弱い部分すら、しかも球体状にして地面も含んでいる。ここに居る全員の魔力を合わせても結界は壊せないでしょう。」
緊張が辺りを包んだままだ。
その糸も一時間もすると、切れた。
「キャーーーー!」
男子学生の一人が女性を殺した。
「これで、俺は一日生き残れる!」
「馬鹿が! あんな魔女の戯言を信じおって!」
バイスが近衛の一人にあの男を殺す様に指示を出す。近衛の刃で一瞬にその男子学生は死を迎えた。
「今から魔女の言いなりになるなら、近衛に指示を出す!」
狂気に染まろうとした空間が鎮まる。だが、長くは続かないだろうことは明白だ。あと三時間もすれば日が変わるのだ。
もしあの女の呪いが本物なら、何もせず、ここで全員が死ぬことになる。優先順を付けるか? それとも...。
『あら? まだ二人しか死んでいないのですね。それもまだ生き残りは一人。
大方、呪術について疑っている。
ここから出る方法がないか探っている。
そんなところでしょうね。
ふふっ、では皆様にプレゼントをしましょうか。』
全員の手元に刃渡りニ十センチ程のナイフが手元に現れる。数百人それぞれに。
『そのナイフは今から十五分間だけ手にした本人のみを傷をつけることができます。そして十五分を過ぎると、他人のみを傷つけることができる呪いのナイフです。魔法無効の結界も私が張っておきましたので、魔法も使用不可能ですので、魔法具も発動はしませんよ。
そうそう、若干ながら公平を期すために他の武器は全て没収させて頂きました。
つまり、この殺戮の宴に参加する前に自害をするには今だけ、以降は自害も出来ず相手を殺すしか生き残る道はないという事です。それではゲームを楽しんでくださいませ。』
淡々と述べるシュリアの言葉に全員が耳を傾けていた。そして学生の男女が自身のナイフで自分を傷つけられることを確認し、そして相手が傷つけられないことを確認していた。
これから十五分、決断の時が迫る。
誰もがナイフを見つめて、押し黙っていた。
日が変わるまで、あと一時間。
ほとんどの人間が死と隣り合わせだという事実に直面している状況で冷静でいられる訳がなかった。
刻々と時が刻まれ、恐怖がこの会場を支配する。
『残り三分よ』
静寂の中、無情なシュリアの言葉だけが会場に響く。
「もう嫌だ~、ど、どうせ死ぬなら自害した方がいい!」
一人がナイフで自身の心臓に突き立てて倒れた。
「私は人を殺せない。なら、自分で...」
だが、早々自害なんて出来るわけがないのだ。手が震えて心臓の前で止まっていた。だが、それでも近衛が数人、何も言わず自害した。学生は最初の一人以外、皆震えて手が出ないままだ。
『残り一分よ』
その声と共に学生が数人、自害した。
『あら、意外と残ったのね。さて、あとは殺し合うかしら、それとも時間満了で朽ちるかしら。』
もう歯止めが利かなかった。人が人を襲う。友人が殺されれば、それに怒り、襲った人が襲われた。
王妃すらも近場の男爵夫人を襲った。
「死ぬのなら、身分の低い者が身分の高い者に殺されなさい!」
そう言った王妃は、陛下に殺された。
会場は凄惨な血の海と化した。
悲鳴と怒号、呻き声、助けを乞う声。
バイスも背後から襲われ、それを避けて、相手にナイフを突き立てる。
「メアリ!? うそ、嘘だろう?」
「ぐふっ、お前達王家の所為で......。」
血を吐きながら体重を掛けられ、そのまま目から光が失われていくメアリの顔を真正面で見ながら、もう物言わぬ躯と化したメアリにナイフを突き立てたまま、倒れた。
日が変わる。
その途端、誰も殺さなかった近衛達、もう死にきれず、だれも殺せなかった学生達が一斉に藻掻き苦しみながら、死に絶えた。正に彼女の言った通り。
生き残った者は即ち、人を殺した人間だ。
そして数日が経った。残りは二人。
残ったのは、王家に妄信的な忠義を持った近衛に護られていたバイス王太子殿下。そしてもう一人は、王太子の側近で乳兄弟としてずっと一緒に育ってきたギア。
「少し話しませんか、殿下。」
「殿下は止めろ、もう俺達二人だけだ。だが、残ったのが俺達二人とは、これも何の因果だろうな。」
「あぁ...。そうだな、バイス。」
「俺を殺して、お前が生きろ。」
「違うな。俺は、いや王家は、シュリアに憎まれている。生き残ったところで殺されるだけだ。ここで生き残る意味なんてない。」
「...それは俺も同じだ。」
俯くギアには後悔が見えた。
「お前は、シュリアに何もしていないだろう。シュリアを疎んじてもいなかった。お前なら生き残る価値はある。」
「違う! 俺もシュリアの復讐の対象の一人だ。陛下と同じだ。知っていてお前を止めなかった。
俺はお前の婚約者だと知っていて、ずっと以前からシュリアが好きだった。」
バイスはギアとずっと一緒にいたが、そんなことを微塵も感じられなかった。驚き息を呑み、何を口にすれば良いのかもわからずにいた。
「そこは俺の方が隠すのが上手かったんだろうな、褒めてくれ。二年の初めにこっそりとシュリアに告白もした。バイスの気持ちはシュリアにはないと。俺を選んで欲しいと。
そしたら、『私はバイス殿下を愛しています。』とあっさりと振られたよ。
それが今でこそ彼女の本音だったのかは判らないが、振られても諦めきれなかった。情けない男だよ。
そして、バイスが彼女を遠ざけ、婚約破棄され、断罪されたら、彼女を再び護ろうと思った。
たぶん、彼女はそんな俺の浅ましい考えも知っていたんだろうな。」
どこを見るでもなく、視線はどこか遠くを見ていた。ギアの独白に、そう思うのも仕方がないとも思っているバイスがいた。バイスはシュリアという婚約者ではなく、シュリアが婚約破棄させるための手駒としてメアリを送って来て、それを逆手にとってまで彼女と別れようとしたのだ。
二人共、一方的な恋に溺れ、そして道を誤ったのには変わりはない。
「乳兄弟だけあって、愚かさは一緒だな。」
「あぁ、全くその通りだ。」
二人は、そう言って苦い顔で笑い合う。
親兄弟、友人、知人、恋人、果ては忠義を尽くした者達を殺して生き残った。直接的でも間接的でも、同じだろう。
近衛騎士達は、王族を護るという職務を全うすることで精神を持ちこたえながら、最後にはバイスに殺されることを望み、散っていった。
ギアは、知人、友人やその親を殺した。
二人共、なぜこの地獄をここまで生き残ったのか、正直なところ目的なんかない。そして生き残ることすら価値がないと思っていた。
それでも生存本能のような無意識の生への渇望が二人を突き動かしていたのかもしれない。
「そろそろやるか、あの女を待たせるのも悪い。」
「そうだな。もう決めよう。」
二人がゆっくりと立ち上がり、真正面から向かい合う。二人共身体中、どす黒く変色し血糊を纏い、身体も傷だらけ、武器は刃渡りニ十センチの血濡れたナイフのみ。
二人ともいつも手合いをして、お互いの手の内を知っていた。だからこそ、最後はバイスが勝っていた、いや勝たされていた。
そして、今回、最後に刃を相手に突き付けたのは......。
「ごふっ、や、やっぱり、こうなる、かな。」
「手を抜いたな!」
「ち、違うよ。それは、ごふっ、違う。いつもの最後の一歩が...、足り...ない...だけだ。」
「ギアーーーー!!」
バイスがギアの亡骸を抱きながら、嗚咽だけが周囲を包んだ。
コツ、コツ、コツと靴音と微かな衣擦れの音だけが聞こえた。バイスが涙を拭く。あの女、シュリアだけには涙に濡れた顔など見せたくなかった。そんな情けない顔を見せれば、屈服したように自らが感じてしまう。王太子としての矜持、いや男としての矜持が僅かながらにバイスの心を保っていた。
そして、音の方を見て、驚愕の表情を浮かべる。
そこには二人いたからだ。
なぜ、彼女がそこに居る。なぜ連れて来た。
一人はシュリア、銀色の瞳が冷たくこちらを見る。いつもバイスはこの瞳で見つめられるのが嫌だった。魔力もあり、成績も優秀、見る者が見れば美しい女だ。欠点も欠陥もない完璧な女が嫌いだった。
そしてもう一人が問題だった。
まだ十四歳のあどけなさのある少女が彼女の横に居た。腹違いの妹、側妃の王女カーラだ。
「なぜ、カーラがいる。その子は関係ないはずだ。」
「貴方が生き残るとは思いませんでしたわ。」
シュリアのその声には何の感慨もないように平坦な声色だった。誰が生き残っても興味もなければ、関係ないというような声だ。
「カーラ王女は最後の王族ですからね。」
「何をさせるつもりだ。」
「復讐の最後です。」
カランと乾いた音ともにナイフが目の前に投げ捨てられた。今までと同じナイフだ。
「そのナイフで、自害するか王女を殺しなさい。」
「な、に? ふざけるなーー!」
バイスの怒声が辺りに響く。だが、カーラはそんなことは関係ないとばかりに歩み、バイスの目の前で止まる。
「カ、カーラ?」
「お義兄様、どうぞご判断を。」
「シュリア!! カーラに何をした! 精神まで操ったか、この魔女め!!」
「お義兄様、おやめください。これは私の意思です。お義兄様がこの国の王となるか、私が女王になるか、それを決めるだけです。お義兄様がお決めください。」
そう言って、カーラが目を瞑り、膝をつく。
「な、何を言っている、カーラ。選べるわけないだろう。何故だ? シュリアに何を吹き込まれた?」
カーラは言葉を発しない。代わりにシュリアが話す。
「誰が勝っても私は同じことをしたまでです。王族であれば、一人だけを残す。王族でなければ、簒奪者として国王となって頂くだけです。」
バイスは迷う。自分が王になればこの国は終わる。この会場で多くの者が死に、そして自分だけが生き残った事実は残る。そして王女までも殺害され、自分が王となっても残った貴族の誰もついては来ない。
さりとて、カーラが女王になるにしても若すぎるし、多くの有力貴族が亡くなった今、破綻する国を十四歳の少女がどうにか出来る程甘くはない。苦難どころか地獄のような人生を歩むことになる。
「カーラが生き残れば、シュリア、お前が彼女を助けてくれるのか?」
僅かな希望だ。仮に復讐でこのようなことを下にしてもそれが終われば、カーラの力になってくれるのならと考えた。シュリアには周囲を黙らせるだけの力がある。そしてカーラを護ることも出来る。シュリアの傀儡となるかもしれないが、それでもと思ってしまう。
「この生死が終われば私は国を出ます。国に捨てられた私が、カーラ王女を助けることはしません。これがこの国への復讐の最後なのですから。」
「くっ...」
どこまでも厳しく、この国に茨の道を歩めという
「済まないカーラ...」
それだけ言って、バイスはナイフを振り下ろした。
「なぜ、貴女が涙を流すのです?」
「ふふっ、何故でしょうね。復讐が終わった安堵という所でしょうか。」
シュリアは穏やかな声色で返事をするが、表情は真逆とも言える表情をしていた。大切な人を失ったような胸の奥がつかえたような悲しみがありありと見えた。
シュリアを見つめる二つの瞳を持つ少女カーラが不思議そうに首を傾げる。
彼女を貶めた張本人である王太子であるバイスは、妹である王女カーラを殺せず、自害したのだ。
シュリアの母の復讐は既に会場で横たわる多くの貴族に亡骸により果たされ、シュリアの復讐に関しても王太子やその側近、そして中傷していた学生たちの亡骸で果たし終わったはずだ。
「貴女の復讐には兄と私が相対することは、想定外でしたか? 私の我が儘を押し通して頂いたことですからね。」
「何故、カーラはこのようなことを願ったのですか?」
十四歳ながらも、カーラが話したのは、今後の王国のことだった。
会場の誰かが生き残れば、偽りでも魔女を打ち滅ぼした英雄として国を纏めていける。その時王家のカーラが生き残っても邪魔になるだけだ。
カーラが生き残ったとしても十四歳の側妃の王女では纏めていけない。会場に出席しない古い重鎮や野心のある下位貴族の傀儡として国を支えなければいけず、自由もなく苦しむだけだと感じていた。だから殺してもらおうと。そして、王太子ならその判断をしてもらえると考えた。でも王太子ではなく兄という立場を取り、妹を生かした。それならばもう諦めて従うしかないだろう。
「私や最後の生き残った者への復讐だったのでしょうけど、苦しむのは一人で十分です。私もこれで今後の人生に決断できました。最後くらいは貴女に贖いたかったというところでしょうか。」
「そうでしたか。」
「もしかして、貴女は兄が生き残ると思っていたのではないですか? 貴女、本当は...。」
「はい、思っていた以上に...、貴女の考える通りだったのかもしれませんね。」
「貴女に対する復讐...になったようですね。これで私は魔女の女王にでもなるでしょうね。」
二人の会話は淡々として互いに興味のない者同士の会話のようだった。
それでもシュリアの顔は相変わらず悲し気だった。十四歳の少女が背負うには過酷な重荷だ。誰が残っても同じだが、それでも恋も知らない少女なのだ。
いっそのことシュリアが背負って上げたいとすら思うがそれはどうしても出来なかった。シュリアがこの復讐を行ったからではない。そんなことはいくらでも事実を捻じ曲げれば可能だ。それでも出来ない理由があった。
「一、二...、四...、五人ですか。」
シュリアが小声で人数を数える。それにカーラは怪訝な表情をする。
「最初に自害した者で、状況を見極め、そして人殺しを良しとしなかった者が五人います。その者達は仮死状態です。今なら生き返らせることができます。同じ秘密を持つ者として、側近となってくれるかもしれませんが、どうしますか。」
「貴女は本当に人の命を弄びますね!」
カーラが不要と判断すれば、五人は死ぬしかないのだろう。これにはシュリアを慕っていたカーラにとっても怒りを覚えずにはいられなかった。
どこまでも人に判断させれば気が済むのか。これが優しさと錯覚させるようでいて非情な決断を迫り、本当に嫌になっていた。秘密を共有できる人間は嬉しい、だが一歩間違えれば王家の汚点である秘密を暴露され、裏切られる可能性だってあるのだ。
人の心なんて、移ろうものだ。そう冷静にカーラは頭の中でも考えていた。
「えぇ、復讐の魔女ですからね。」
「生き返らせてあげて。貴女はこの後どうするの?」
「国を出ます。人里離れた場所で母の遺骨と共にひっそりと生きます。」
「なぜ? 貴女なら他国でも...。」
シュリアは否定するように静かに顔を横に振る。それは出来ないとシュリアは考える。また利用されるかもしれない、騙されるという恐怖も確かにあるが、本当の理由ではなかった。
「母の呪いはまだ残っています。この国から運べる程度には呪縛の鎖が漸く弱まったのです。私が運び、慰めなければいけません。」
「貴女、もしかして――」
カーラはそれ以上話せなかった。シュリアこそ、母親の呪いの犠牲者なのではないかと言葉が漏れそうだったがそれを飲み込んだ。
そして、母親の呪いをこの国から解き放つために、こんなことをしたのだと結論づけた。だが、それを口にしたところでもう意味はない。
その後、シュリアはカーラと仮死状態の五人が王城に転移し、仮死状態の五人の呪いを解き、姿を消した。
サザンドラ公爵家の裏の雑木林、石で出来た祠を前にシュリアが解呪の呪文を唱える。
祠が動き、壺が現れる。
「お母様、復讐は果たしました。行きましょう。」
その言葉に壺から黒い靄がぞわぞわと漏れ出し、シュリアを囲む。それと同時にシュリアの表情が苦しそうに歪む。
「お、お母様、こ、これ以上は、だ、駄目です。」
そう言いながら、今度は浄化の呪文を唱え、黒い靄の動きが鈍くなる。
そして、この国からシュリアの姿が消えた。
二十年後。
レイランド王国は、周囲の国から攻められながらも女王カーラの元、残った貴族が団結し、王国としての体裁を保った。その後王配を得て、国力を持ち直し、現在も王国は滅びずに残っている。
人里離れ、日当たりの良い山の中腹の草原に二十歳前後の色白で銀髪の女性が一本の大木に寄り添う祠に祈りを捧げていた。
「お母様の怨念も完全に消えたわね。あれから二十年。」
母親の呪いから解放された年若い女性は、これからのことを考えていた。この場所に来てから、シュリアは全く歳を取っていなかった。
「特に考えていなかったけど、どうしようかしらね。」
レイランド国に戻る気はなかった。この場所でこれまで通り、のんびりするのも疲れていた。ただ、人が恋しいということでもない。
ただ、解放された喜びだけは感じていた。
転移で何処にでもいけるが、それでは面白くない。お金はいくらでも稼げるが今更裕福な生活もしたいと思ない。
「冒険者にでもなって、ゆっくりと世界を見て周ろうかしら。」
思わず言葉に出したが案外悪くないと考える。
「そうしましょう。お母様、暫くしたらまた様子を見に来ます。景色の良い落ち着ける所があったら迎えにきますね。」
そして、シュリアはゆっくりとその場を離れ、小さな小屋に移動し、準備をして軽い足取りで旅立ちの準備をした。 美しい長い銀髪を切り、軽防具に身を包み、更にローブを羽織る。
爽やかな風が吹き抜け、魔女と言われたシュリアの頬を撫でる。
「呪縛は解けたけど、これから歩む道は破滅かしら? それとも幸福な道かしら。」
呪いの呪縛から解き放たれた魔女は一人歩き始めた。
- end -
どうでしたでしょうか?
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どんよりとした気持ちの中で思い浮かんだ話だけあって、暗い出来でした。
最後は少し持ち直したのだけどれでも...。
少々この『魔女の呪縛』について、補足です。
シュリアの血縁上の父はいません。
母シーリスが自身の魔力と呪いから産んだのがシュリアです。
シーリスは亡くなりましたが、レイランド国への呪いは彼女の躯に宿り、
その呪いが強すぎました。
シュリア自身もシーリスの呪いを受けているので、一人でこの国から出ることは
出来ず、自らも居たいと思えないこの国から出ていくためシーリスの復讐を遂げたのです。