俺×彼女
彼女と出逢ったのはバイト先でのことだった。
明るく、人懐っこい、おまけに人望もあって。
後から入ってきた俺に、仕事の仕方などを色々教えてくれていたのは彼女だった。
その彼女が、同じ学校に通う生徒だって知ったのは、俺がバイトを始めてから随分経ってからのことだ。
その日、いつもの俺のお昼寝(――つまりサボり)スポットに、彼女はいた。
「あれ?こんなところで会うなンて奇遇だね」
今、授業中なのに。あ、君もサボりだ?
そう言って笑う彼女に、俺は驚いて何も言えなかった。
まさか、同じ学校の生徒だなんて思いもしなかったのだ。
だって、この学校はバイト禁止のはずだし、ピアスやなんかも禁止だったはずだ。
それに何より、彼女みたいな人が同じ学校にいたら、今まで気付かないはずがないという自信があった。
なのに。
「美月さん・・・?」
「なぁに、尾瀬クン」
「俺と同じ学校の生徒・・・、だったんですね」
「んー。そうダよ?」
フェンスに寄り掛かってそこに立っている彼女は、間違いなく彼女だった。
「ねぇ、いつまでそこにボーっと突っ立ってルの?」
「え、ああ」
言われて、俺は未だに入り口側に立っているままだと気が付いた。
最初は寝るつもりでここに来たはずだったのだが、今はもう、まったくそんな気になれやしない。
「尾瀬君も、こっチ来て座ろうよ」
彼女はその場に座り込むと、自分の隣を示してそう言った。
確かに、俺もそのままここに突っ立っているわけにもいけないので、そこに行って「失礼します」そう言って座った。
横からではあるが、近くで見ても間違いなくいつもバイト先で会っている彼女だ。
化粧とかの違いなのか、若干、いつもと違うけども。
やっぱり、ピアスは学校ではしていないようだ。
でもそれは、見ればすぐに彼女だと分かる程度の違いでしかない。
何で、今まで気付かなかったんだろう。
同じ学校で、同じ学年で、彼女みたいな人がいれば、絶対に、今日までに気付いていたはず。
なのに、何でだ?
「いい天気だねェ。太陽はぽかぽかで、風は気持ちイイし」
「そうですね・・・って、え!?」
正直、彼女が何を話しているかなんて上の空の状態だった。
返事も、適当に相槌を打っていただけだ。
心の中で渦巻いていたものは、疑問や後悔、動揺、喜び、そして下心など、そんな色んな感情だった。
いつも制服姿ばかりを目にしていて、私服姿が新鮮、というのは学生にとって良くある話しであるが、彼女の場合、それがまったくの逆だった。
彼女はいつも、バイト先には私服で来ていて、制服姿を今まで一度も見たことがなかった。
もっとも、一度でも見ていれば、今このような状況に陥ることもなかったと思うが。
そんな彼女の制服姿は、俺にとってとても新鮮なものだった。
だから、ついつい彼女に見とれてしまっていた。
そんな時に気が付いた、彼女の制服のタイの色。それは、俺と同じく青色の・・・ではなく、赤色の・・・。
「・・・え、えぇ!?」
何故今まで気が付かなかったのだろう。
いや、あまりにも普通に似合いすぎてて違和感がなかったと言うか。
この学校では、学年ごとにタイの色が違う。俺達一年生は青、二年生は赤、三年生は緑、と言った風に。つまり、赤色のタイを付けてる彼女は・・・。
「じょ、上級生!?」
いや、でも確かに彼女は初めて会った時に、俺と同じ一年生だと言っていたはずだ。
ちなみに、俺が彼女に敬語を使っていたのは彼女が年上だから、とか言うわけでもなく、ただ、バイト歴が俺より長く、バイトの先輩だったから、というだけである。
そのつもりだった、のだが。
「あはは・・・。実は二年生だったりシて」
てへへ。ごめんね。
なんて可愛く言われても、騙されないぞ。いや、可愛いんだけど。
「美月さん、一年生って言ってましたよね・・・?」
「いやぁ、一年生って元気で若くていいなぁと、ついついサバを読みたくなったりしちゃっちゃり、なンて。
それに、その一年生のキミと一緒にバイトしてると、更に相乗効果で私も若返りそうじゃない?」
にこやかにそんなこと言われても、正直、理解不能だ。
大人が三、四歳サバを読むなら分かるが、一歳だけ読んで何になるんだと言うんだ?
しかも、相乗効果で、って何なんだよ、と、突っ込みどころ満載としか思えない。
「男の子には複雑な乙女ゴコロは分かりません」
若い後輩に憧れちゃうこともあるんです。不満が顔に出てしまっていたのか、そんなことを言われてしまった。
納得はできないが。彼女は意味もなく嘘を吐く人には思えなかったから、何か事情があったのかもしれない。
今思えば、俺は彼女のことを何も知らなかったのだな、と思う。
「・・・今まで学校で見たことがなかったんで、びっくりしましたけど。
同じ学年でなかったなら納得です」
「あー、ソレは、まぁ」
さっきまでと違い、歯切れの悪い返事が返ってきたので意外だった。
「そんなことより、せっかくここで逢えたわけだし。何かお話しようよ」
「話って?」
「んー、そうだなぁ。キミの話、聞きたいな」
「俺のって、何を?」
「いつもクラスで何してるトか、部活のコトとか、家族のコトとか。
尾瀬クンのコト、聞きたい」
「それなら、俺も。美月さん・・・いや、美月先輩のこと、知りたいです」
俺の言葉に、彼女は驚いた顔をした。
それから一瞬真面目な顔になり、少し寂しそうな表情を見せて。
「そうだね。でも。私の話はまた今度にしよう。今日は、キミの話が先」
俺は何か、彼女に言うべきでなかったことを言ってしまったのかもしてない。
それでも。
不謹慎だけど、そんな彼女も美しい、そう思ってしまったんだ。
それからの時間はあっという間だった。
普段なら、授業終了のチャイムを待ち侘びているのに、それが今日は邪魔な物でしかなかった。
俺は、今まであったバカなことを面白可笑しく話し、彼女はそれを聞いて楽しそうに笑ってくれた。
また今度、ここで遇えるといいね。
授業が終わると、名残惜しさに駆られながらも、俺はクラスへと戻って行った。
それから、幾度か授業をサボって屋上へ向かったが、もう一度遇う事はなかった。
考えてみれば、今までだってサボってきたが、一度も遇えなかったのだから、この前のことはほんとすごい偶然だったのだ。
また、それからは二年生の人も気にして見るようにしたが、校内で彼女を見ることはなかった。
でも、相変わらずバイトに行けば彼女に会えた。
その時は、時間があれば二人で話しをしたり出来たし。
彼女は自分のことをあまり話したがらなかったが、俺の話を聞くのは、好きだったんだと思う。
いつも、楽しそうに聞いてくれていた。
そんなある日、クラスメートの口から彼女の名前が飛び出した時は、本当に驚いた。
「美月先輩だろ?お前、知らないの?」
「何が?」
「この学校じゃ、有名人だぜ。なんたって、全国模試トップの人なんだから」
――その翌日。
姉貴が彼女と同じクラスだと言うそいつに、彼女が写っている写真を持って来て貰った。
そこに写っている彼女は、俺の知っている彼女ではなかった。
見た目も、雰囲気も、まるで違う。
でも、微かに彼女に見える面影は、彼女が彼女だと言うことなのだろうか。
「姉貴に詳しく聞いたんだけどさ、あまり、いい話はないらしい。
ほら、見た目もこんなのだしさ。いつも一人でいて。噂では、一年留年してるとか。
一年の時はそのせいで模試もトップだったんだろうって、いじめとかもあったらしいぜ」
衝撃的だった。
信じられない。けど、そいつが嘘を言っているようには思えなかった。
でも、そいつが言う彼女は、俺が知っている彼女とは別人だ。
ならば・・・。何が本当なんだ?
「おい、大丈夫か?」
気持ちの整理が付かないまま、授業が始まり、俺の様子がおかしいのは周りから見ても明らかだったようだ。
「保健室に行って来ていいですか」
そう言うと、あっさり先生は許可した。
でも、俺が向かった先は保健室ではなかった。
初めて学校で彼女に遇った場所。
いつものサボり場所だ。一人で、ゆっくり、落ち着いて考えたかった。
そう、あの時のように。フェンスにでも寄り掛かって。
「あれ?こんなところで会うなンて奇遇だね」
あの日と同じ。予想外の人の声の、予想外の言葉。
俺はタイミングがいいのか、悪いのか、よくわからなかった。
「美月さん・・・?」
「なぁに、尾瀬クン」
「俺と同じ学校の生徒・・・、だったんですよね」
「んー。そうダよ?」
そこにいるのは、写真の彼女ではなく、間違いなく俺の知っている彼女。
「ねぇ、いつまでそこにボーっと突っ立ってルの?」
尾瀬君も、こっチ来て座ろうよ。
その言葉に、俺は答えを返さなかった。
「美月さん、有名人だったんですね」
「そんなコト、ないよ」
「でも、全国模試トップなんて、凄いです」
「いいコトなんてないけどね」
「なんで、学校ではあんな格好してるんですか。
なんで、今の貴女と全然違うんですか。留年って、いじめって、本当ですか。
だから・・・、だから貴女は・・・」
疑問を、すべて彼女に投げつけた。
分からなかった。
俺は、どうすればいいのか。ただ、沈黙がその場を支配し、風が、俺達の間を吹き抜けた。
「こっち来て、座ろうか。長い、つまらない話しになるから」
それから、彼女は彼女のことを話し始めた。
両親の離婚。
暗かった中学生時代。
高校生になって、やっと明るくなったら、今度は病気で入院。
友達もみんな先輩になり、ついていけなくなったこと。
そして受験をし直して、今の学校に入ったこと。
でも、友達も出来ず、逆にクラスメートからのいじめや先生達からの無駄に大きな期待。
そんな中で、心を開くことが出来なくなったこと。
今のバイトは、そんな時に叔父さんから勧められたもので、あそこの店長さんは彼女の叔父さんの知りあいだということ。
唯一、そこでだけは、本当の彼女でいられたこと。
「私、キミのことずっと知ってたの。入学式の日から、ずっと見てた。
キミの周りには、いつも人が集まっていたから。
楽しそうで、羨ましくて。
まさか、入学早々、校則を破ってバイトを始めるとは思わなかったけど。
でも、嬉しかった」
何を言い返せばいいのかわからなかった。
バイト先での彼女を知っている俺からすれば、そんな彼女の話しは嘘の話しみたいで。
でも、それが真実だった。
「ね。私の話しなんて、ツマンナイだけデしょ」
そう言って自嘲する彼女は、とても悲しそうに見えた。
まるでまた、大切な友達を失ったみたいに。
「キミを見てるとね、私まで楽しい学生生活を送れているみたいで、とても楽しかったの。
今まで、ありがとう」
彼女は何かを勘違いしている、と思った。
彼女は俺を失うつもりでいるみたいだけど、俺は、彼女を失いたくない。
「俺、美月さんの話聞けて、嬉しかったです」
俺からどんどん離れていこうとしている彼女の背中に、俺は話しかけた。
俺の精一杯の俺の気持ちを。
「俺にとって、美月さんは美月さんです。
美月さんが、俺の話を聞いて、楽しめるなら、いくらでも話します。
俺はこれからも、美月さんと一緒にいたい。だって俺は・・・」
「私なんかといたって、キミにはいいことなんてないよ?」
「俺は、美月さんといられることが、嬉しいんです」
「でも私、私・・・」
彼女の声が、震えていた。
顔は見えないけど、多分、泣いているんだろうと思った。
いつもの、明るく、人懐っこい彼女ではなくて。本当の、本物の彼女がそこにいる気がした。壊れ物を扱うみたいに。背中から、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
温かくて。
彼女は確かにそこにいた。
「好きです、美月さん」
そう、多分、初めて会った時から。一目ぼれだった。
「私も、ずっと尾瀬くんに惹かれてた」
そんなこと言われると、俺、期待しちゃいますよ。
そんな軽口を叩いて。
「ばかぁ」
彼女はまだ泣いたままだったけど、今度は、顔に笑みを浮かべていた。
初めての彼女とのキスは、涙の味がした。
「あーぁ。私の方が先輩なのに。キミ、私のこと先輩だと思ってないデしょ?」
あれから、俺達の関係に、大きな変化はなかった。
バイト先で会って、学校でも、たまにサボると彼女がいたりして。
そして、休日には二人で出かけたり。そんな関係。
それは、彼女が大学生になっても変わらなかった。
「十分先輩だと思ってますよ。ほら、ちゃんと敬語、遣ってるじゃないですか」
「キミの場合、言葉ダケ、だよね。人を敬うココロが、態度にでてない」
「酷いなぁ」
そうかもしれない、と否定は出来なかった。
だって、やっぱり彼女は彼女なのだ。敬う、ってのはちょっと違う。
「最近、学校はどうです?」
「んー。まぁまぁ、楽しイよ」
「それはよかった。相乗効果、ってヤツですかね」
俺が学校を楽しんでるから。
よく覚えてたねぇ。
と、呆れるように言われたその言葉に、記憶力だけは良いんです。そう言い返す。
「で、今日はずっと美月さんの家ですか?」
「だって、レポートが終わらないんだもん」
「大変ですね」
「ヒトゴトとだと思って。キミこそ、受験勉強はイイの」
「大丈夫です。ほら俺、記憶力だけはいいんで」
来年はまた、彼女と同じ学校に通える予定だ。そして、これからもずっと、一緒に・・・。
「っちょ、ちょっと。何やってるの。レポートやってるって言ったでしょ」
邪魔しないで。そう言われても。
「だって、美月さんが可愛すぎるのが悪いんです」
「ダメ。これは締切りがホントヤバいの」
「大丈夫。後で俺も手伝いますから」
やっぱりキミは、私を年上だと思ってない!
そう言われたけど、それは綺麗さっぱり無視させて貰った。
俺は今、とても幸せだから。
彼女も今、とても幸せ、になれるといい。彼女も幸せで、俺も幸せに。二人の、相乗効果で。
俺と彼女を掛けて。
永遠に・・・。
end