後編
聖女が拉致された。このあまりの緊急事態に、伝令が届くや否やカンナ砦でも急遽会議が開かれた。お通夜のような雰囲気で諸官が黙り込んでしまう中、インデガの副官が粛々と進行を勤め始める。
「皆様すでに聞き及ぶところでしょうが、昨日夜、聖堂への帰路にあった聖女アーナ様が何者かにかどわかされました。既に我が国の領内にあり、護衛の者たちも気が緩んでいたのでしょうが、油断で済まされることではありません。この事件により我が国は聖女を失い、対しアチノ国の魔女は依然変わらず。その脅威に対抗するすべはなく、我が国は一転窮地に立たされました」
「聖堂衆の連中、聖女の価値というものをまるで分っとらんのだ!!!戦略兵器であるぞ、最も狙われるところだ、赤子でもわかる理屈だ!!!これだから戦ったこともない者が聖女を管理するなど」
「陛下のご決断です。それ以上は大逆罪に問われかねませんよ、インデガ様」
「誰が聞いているわけでもあるまいに!」
一瞬の気まずい静寂を破るようにダーリヌが話し始めた。
「それより、最前線の我らがこれから如何に戦うかが問題でしょう。魔女といえど不死身でも無敵でもない。その体は年相応の少女のものと変わりなく、その驚異的な魔術は日に2発ほどしか使えない。まあ、それが我が国の聖女様と大差ないという仮定の上で成り立つだけの「推測」でしかありませんが」
「ダーリヌ」
「失言でした、お忘れください。ともかく、やりようがないわけではないということです。暗殺なり、同じことをやり返すなり」
「聖女が奪われたのはあの間抜け共のザル具合のおかげであろう!!!敵は全力でもって自分たちの有利を守るはず、同様の状況というものはまず生まれ得ん!」
「では他に手が?戦場という場においてははっきりいって勝ち目はないに等しいでしょう。急襲を仕掛けようにも囮が一瞬で殲滅されては作戦になりません」
その後他の諸侯たちもめいめいに意見を言い始め、会議は紛糾した。しかし状況を打開するだけの案は結局出ずじまいで、皆意気消沈して、あるいはやるせない怒りを抱えて解散した。
聖女様誘拐。噂は風となり瞬く間に戦場を駆け巡った。事情を知るものに対しかん口令が敷かれてはいたが人の口に戸は立てられず、すぐに皆の知るところとなり、そして皆が理解した。次に争いが起きれば自分たちは死ぬ。それは戦場で魔女と聖女の力を見たことがある者の総意だった。脱走者が続出し、残った者もほとんどが戦意を失っていくそんな中、アルノは一人、インデガの部屋を訪れた。
「失礼します」
「入れ」
ドアを開けるとどっすりと腰かけたインデガと、こちらに冷たい目を向けるダーリヌがいた。二度目だな、などというくだらない考えが頭をよぎる。
「何かあったか?アルノ」
いつになく落ち着いた声のインデガに少し驚きつつ、アルノは単刀直入に切り出した。
「少しお時間をいただきたく存じます。あの噂は本当なのですか?」
「そんなことを真っ向から聞くやつがあるか、馬鹿者。軍法会議ものだぞ、まあ隠し通せるわけがないことだったが」
「恐れながら一つ、進言したく存じます」
「言ってみろ」
「聖女救出部隊を編成してはいかがでしょうか」
「編成してなんとする」
「その名の通り、聖女様を連れ帰すための特別部隊です。さらわれた時間から考えて、野宿や道すがらの村にでも隠れていない限り彼女のいる砦はいくつかに絞られます。そこに少数精鋭で侵入し、聖女様を救出します」
「話にならぬな、数人で砦の壁を誰にも見つからずに上り、監禁されている聖女様を見つけ、拘束を解き、恐らく走れないだろう彼女を抱えて敵の包囲を脱すると、そんなことが可能だと?」
「この状況で真っ向から戦い形勢を覆すよりは容易であると愚考します」
「…くっくっくっ、ガーハッハッハ!!!聞いたかダーリヌ!!!!!!貴様の息子も捨てたものではなかろう!!!これだけの無謀を毅然と語れるバカはそうおらんぞ!!!」
「…相変わらずやたらにやかましい男だ」
突如笑い出したインデガにアルノは困惑するしかなかった。
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会議の直後、インデガの部屋の扉を叩くものがいた。アルノか、志願兵の誰かだろうとあたりを付けていたインデガは扉を開けた人物を見て驚きを隠せなかった。
「…ダーリヌか」
「どうかしましたか?大分間の抜けた顔をされていますよ。私が自分からここに来るのがそんなに不思議ですか?」
ダーリヌの慇懃な態度に顔をしかめる。
「敬語で皮肉を言うのはやめるのだ、余計に腹が立つ。それで、なんの用だ?」
「この状況を覆す方法がある」
「…なぜそれをあの場で言わなかった?」
「他の凡骨らに聞かれたくはない内容だからだ」
「ふむ…」
「これから話すことは当然他言無用だ、無論王にさえもな」
「それは出来ぬ、王に一つの秘事も作ることなど許されん」
「あの国に一泡吹かせられるならば貴様はどのような手を使うことも厭わないだろう。乗れ、インデガ」
「内容による、とまでしか言えぬ」
「…分かった、話そう」
ダーリヌはインデガの右手側にあった椅子に腰かけ、少し間を開けた後、切り出した。
「聖女奪還のために兵を集め、聖女を監禁している砦に突撃する」
「…なんだと?」
「ここからが他言無用の部分だ、まずは聞け。とりあえず、襲撃時に殺さず連れ帰った時点で、奴らは聖女を殺すつもりはなさそうだとはいえるだろう。監禁後どのような扱いを受けるかは分からんがな。それでだ。私の家にはある魔道具がある」
真鍮の棒の両端にルビーのような丸い宝石が付いた、おそらく魔道具である物を取り出し、インデガに見せる。
「こいつは子機だ。これを作動させることで、親機の場所に一瞬で飛べる」
「馬鹿な!そんなものが」
「もとはリーフガーラのものだった、といえば少しは納得できるか?」
「か、彼女の発明ということか…?いや、それにしても…」
「あのおせっかい男が彼女の忘れ形見と共に置いていったのだ。娘が世話になる礼だなどといってな、自分が戦場にいくときにだ…いや、今はそれはいい、重要なのはこいつがあれば聖女を見つけた瞬間連れ帰ることができるということだ。こちらもあちらも、全ての前提、想定が崩れる」
「なるほど…そして聖女の場所は、」
「大体検討はついている、だろう?貴様も俺もこの辺の地勢は奴らよりも知っているくらいだ。だがそれも今だからだ、時間が経てば経つほど奴らの選択肢も増える。インデガ、すぐさま兵を集めろ」
「…恐らく聖女がいるのはクヒョモ砦だ、しかしあそこは小さいながら堅牢な砦だぞ。壁を上るにも城門を破るにもそれなりの戦力が必要だ」
「歩兵で砦攻めをするとでも?それに恐らく馬車にでも乗って逃げた連中に、急襲部隊とはいえ歩兵で追っても追いつけるわけがない。それに関してはお前の切り札を切ってもらうぞ。最近うつけ王女様が王都の空を飛んだそうではないか」
「貴様というやつは…」
インデガが思わず笑ってしまったそのとき、ドアがノックされた。まるで演劇のようなタイミングにインデガはその恐ろしい笑顔をさらにゆがめ、ダーリヌは眉間のしわを深くした。
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「…というのが作戦の全容だ、アルノ。当然、少数精鋭の部隊だ。さらに子機を扱うものは一人のみ、後は残念ながらデコイだ。そして要の一人はシーン家の魔道具の秘密を守れる者、という条件も付く。だが、その点アルノはある意味最も安全であろう?ダーリヌ!」
ダーリヌはだんまりを決め込んでいる。インデガはにやりと笑い、アルノに問いかけた。
「今更問う必要もないだろうが聞いておくぞ!貴様は義理の姉のために、九死一生の死地に飛び込む覚悟はあるか!?」
「はい!!!」
「それで、砦をこえることができるインデガ様の切り札というのは…」
「うむ、それはズバリ、空を飛ぶ魔道具というやつである!つい最近開発されたもののまだ量産もされておらぬ、超貴重品のそれらを、戦略的に重要なここに回してもらったのだ!」
「実際はかなり無理を言ったようだがな、いったいどれほど手を回したのやら」
「ムフハハ、軍人たるもの常在戦場、少しでも戦いに役に立ちそうならばどのような手を使ってでも入手するものだ!」
「それで、その魔道具はどんな…」
「うむ、まあ実際に見せた方が早かろう!ついてまいれ!!!」
移動中インデガがこっそりとアルノに話しかけてきた。
「アルノよ、残念ながら今回の作戦は貴様の蛮勇ではなく、ダーリヌのおかげで成立したものである!!!だからアルノ、父に感謝しておくがよいぞ!!!!!!」
「は、はい」
「…聞こえていますよ、インデガ殿」
「ガハハ!そう恥ずかしがるでないわ!!!」
なんとなく、歩く速さを緩め、後ろのダーリヌに並んだ。しばらく無言で並び歩いていたが、おもむろにダーリヌが口を開いた。
「…お前が生まれてきたとき。なんと頼りない姿なのだと、そう思った」
アルノもインデガも『それは赤ん坊なのだから当然なのでは?』と思ったが、流石に空気を読んだ。
「その所感は今も変わらないままだ、アルノ。だがお前は何度追い返してもここに残った。そしてことここにいたり、何かに導かれたかのように私の隣に立っている」
「聖女様の危機ですから、光明神様の思し召しかもしれません」
「私はもう諦めたよ」
「いつか納得させてみせます」
「…これが、空を飛ぶ魔道具、ですか…」
アルノ他志願兵たちの目の前には、イカの干物に大樽が二つ付いたような、何とも形容しがたいへんてこりんなものがあった。
「『ジェットグライダー』というらしい!!!大枚をはたいたが五機しか譲ってもらえなんだわ!操縦者の訓練が必須とのことだが事態が事態であるからして、練習は無し!早速乗ってもらう!!!」
「ええ…」
「ちなみに一機で吾輩の邸宅が買える、ゆめゆめ落ちてくれるなよ!!!ガハハ!!!」
この作戦一番の難関はこれの操縦なのではないか。5人は訝しんだ。
5人の勇士が集い、ジェットグライダーに手をかける。問題なく起動しているようで、10個の樽がけたたましくほえている。
「よいか!!!アルノ以外は囮!それ以外のものの作戦目標は第一に飛行魔道具を相手に拿捕されぬこと!次に相手のかく乱である!命はここに捨てたと思え!!!」
「「了解!」」
すでに説明されたところである。ここには使命のために命を捨てた狂人しかいない。
「では行け!」
ジェットグライダーはよく飛んだ。初めての操縦、姿勢の制御もままならないはずが、風にあおられても誰一人落ちることもなかった。
2時間でクヒョモ砦が見えてきた。歩兵ならば一週間はかかる距離だ。その尋常でない速さに驚きながらも、アルノはいよいよ腹をくくった。着地した先は死地である。
クヒョモ砦はどこから聞こえるのか分からない、聞きなれない轟音に浮ついていた。
「ほ、報告、南方空中、なにかが飛んできております」
「空中?飛んできている?」
報告を受けるデランド卿は、若干28ながら前線司令官に任ぜられた傑物である。しかしその明晰な彼をもってしてもその報告にはいささか混乱せざるを得なかった。
「トリを見た報告か?」
「い、いえ…。轟音を立てながらこっちに向かってきているようで…」
「何がだ?容量をえんな」
「それが、見たものもうまく説明できないようでして…人が乗っているだとか…いかだとかたこだとか…」
「うーむ。人が乗っているといったな、数は?」
「5です」
「脅威になるとも思えんが。まあ一応警戒態勢を取らせておけ。のんびり飯を食っている間に襲われては無用の被害を出しかねん」
「はっ」
そのとき、伝令が出ていこうとするのと入れ替わりに、焦った様子の兵が飛び込んできた。
「報告!飛来物が砦内に飛び込んで…!敵兵が暴れていて!」
「数は!」
「4人です!」
「そんなものさっさと片付けろ!」
「そ、それが!敵も相当のやりてのようで!機械が爆発して火災が!それに巻き込まれたものも多く!」
「くそっ…面倒な…それに飛来物は5つ、一人紛れ込んだか…?こんな無謀な突撃、目標は確実に…お前たちは引き続き敵兵の対処に当たれ!」
デランドは剣をひっつかみ、侵入者を一人で追った。心当たりはあるが、そこに兵卒を引き連れていくわけにはいかない。
地下の封魔牢についたとき、デランドは入口に4つの死体が転がっているのを見つけた。
「遅かったか…!?」
デランドは間に合ってはいた。しかしそれは即危機が去ったことを意味しない。
「貴様が本命というわけか…」
一人の血にまみれた男が「捕虜」の檻の前でたたずんでいた。
「この扉の鍵を持ってはいないか?」
「とぼけたことを!」
デランドは一括して男に斬りかかったが、男の持つ剣によって止められた。そのまま2合3合と斬り合うが、力は拮抗しており、決定打がない。
埒が明かないうちに、剣劇の間の一瞬、男が大上段に構えた。試合を焦ったのだろうが、デランドにとってそのような大振りがかわせないはずがない。
(振り下ろした後の隙をとる)
果たして、剛剣が振り下ろされる。しかしその剣はあまりにも速く、逃がし遅れた足を深く斬られる。
「だがとった!」
心臓を狙いすました突きが一閃する。男は身をよじるが、左肩に深々と突き刺さった。
信じられないことの連続だった。アーナは獄中で全てを諦めていた。家を失い、家族を失い、果てはこの命も失わねばならないのか。少女の身には重すぎた試練が、死を目前にしてアーナの心を殺しかけていたのだ。
「アーナ」
ありえないはずの声がした。顔を上げると、ありえないはずの顔があった。
「アルノ」
「よかった…生きてた」
「アルノ…?」
「そうだよ姉さん、アルノだ。でも待って、今はこの檻から出ないと…面倒だ、鍵を壊すか…」
「アルノ、アルノ!?どうして!?ありえない、夢?」
その顔は紛れもない希望であったが、それ以上の猜疑がそれを覆い隠した。だがそれもすぐに消えた。アーナを連れてきた張本人の男が飛び込んできたのだ。すぐに戦闘に突入し、そしてアルノが斬られた。妖精とてこのような幻覚は見せない。アルノはどうやってかアーナを助けに来て、そして斬られたのだ。
「アルノッッッ!!!!!!」
「大丈夫」
アルノは右腕で剣を振りかぶった。虚を突かれ、デランドは一瞬の硬直ののち、剣を引き抜こうとするが、アルノが前に出る。手を離してかわそうとするが、最早間に合わない。剣が走り、デランドの首を斬り飛ばした。
「アルノ!?大丈夫!?」
「大丈夫…それより早く…鍵を壊さないと…」
アルノは剣を鍵に叩きつけるが、片腕では思うように力が入らない。
「足音が近づいてくる!」
たくさんの兵が近づいてきていた。
「4人やられてるぞ!突入しろ!」
「デランド様!?」
「貴様っ!」
もはや猶予はない。
「アーナ!手を出して!」
「わかった!」
剣が振りかぶられる。
「死ねっ!」
「一か八かだ!」
アルノはアーナの手を掴み、転移の道具の宝石部分を引き抜いた。光が満ち溢れる。
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気が付くと、二人は部屋にいた。奇妙な装飾が壁一面にどす黒い赤で描かれ、部屋の中央に祭壇のようなものがあるほかは何もない。
「ここは…?」
「もしかして…」
アーナは重傷を負ったアルノを背負って、扉を開け外に出た。地下のようで、薄暗い廊下に出た。むしろ今いた部屋があたたかな光に満ち溢れていたことにアーナは気づいた。廊下は短く、右手は行き止まりのようで、左手には登り階段がある。アーナはおぼろげながら思い出していた。あのさきはおそらく、
「私の家だ」
「え?」
「私がアルノの家に行く前住んでいたところだよ」
階段を登り、天井扉を押し上げると、果たしてそこはアーナにとってとても懐かしい、父母と過ごした家だった。
「帰ってきたんだ…」
泣きそうになる郷愁に襲われるのもつかの間、アルノがうめき声をあげる。アーナははっと目が覚めたような心地がした。
「頑張って、アルノ。帰ろう、私たちの家に」
アーナにとって帰るべき家は最早ここではなかった。
二人はすぐに救出された。この家に飛んでくることはわかっていたダーリヌが人をよこしていた。二人はダーリヌ邸に担ぎ込まれた。アルノが傷を癒す間、アーナも少しの間、この家に滞在していた。主の帰りを待っていたこの家は二人を大いに歓迎した。
「あの砦、取り返したんだって。私が脱出した後すぐに攻め込んで」
「そうなのか、よかったじゃん」
「よかったのかな?戦争はまだ続きそうだよ。アルノはまた戦場に行くの?」
「うん」
「私はもう行きたくない~。臭いしきついし、あれしろこれしろってうるさいし。それに、ここにも戻ってこれなくなるし。友達にも会えないし。マリーなんか泣いて崩れ落ちちゃってたし」
「そうだね、アーナはもう戦場に行かなくていいようになったらいいね」
「アルノもいかなくていいよ」
「僕は父さんと一緒に戦いたいんだ。あの人の隣で戦いたい」
「しょうがないな~。アルノが死んだらこの家の後継者もいなくなるしな~。私が助けてあげるよ。私が敵全部倒しちゃうから」
「頼もしいけど、戦争にならないなそれじゃ」
「いいよそれで。さっさと終わらせてさ、帰ってこよう。ここに」
「うん。みんなさみしがっちゃうからね」
「マリーとか」「マリーとかね」
二人は幸せそうに笑った。