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中編

 隣国とのいさかいが激化していき全面戦争まで秒読みという局面の中信託を受けた王が考え付いた戦略は、絶大な力を持つ聖女を中心に国中から粒ぞろいの兵を集め「神聖隊」なるものを結成する、というものだった。なんということはない、聖女、ひいては協会に戦局の勝敗を放り投げるということだ。そしてダーリヌは若いころその筋では有名な剣士であったらしく、それをどこからか耳に入れた神聖隊編成の実務係が書類を書き、王が判を押した、以上がことの顛末である。

 アルノは完全に腐っていた。成り行きとはいえ領地に縛り付けられ、内容も分からない書類に言われるがまま、ただただ判を押すだけの日々。アーナは今や国の命運を左右する聖女様で、どうしたってもうここに戻ってくることはないだろう。ダーリヌが神聖隊に入ると言われても、あの父が気を回したりなどするわけがない。自分にできることなど何もない、いやそもそも何もしないことが最善なのではないか。どうせアーナは王都のきらびやかな神殿でそこそこうまいことやっているだろう。そんなことまで思い始めていた。肉体は父親を追いかけるように立派になっていっても、心は完全に折れてしまっていた、そんな日々のなか、ある日マリーが一通の手紙を持ってきた。

「インデガ様からです」

「インデガ様?」

 戦争のことにしろアーナのことにしろ、こちらに話を回さなくとも今はよほど話の分かるダーリヌが近くにいるはずだ。当然アルノは訝しみつつも、封を切った。

「聖女様をそなたの元から連れていった我が手紙を送ることに思うところがあるかもしれぬが、どうか破り捨てず、まずは読みたまえ。あの時はダーリヌに邪魔されたが、そなたには聖女様とまた会える可能性があるのだ。容易な道ではない、聖女様になられてからというものかの方に会える人は非常に限られている。なれば道はたった一つ、そなた自身が聖女様に並び立つほどの存在になるのだ。そしてそのためには、そなたが騎士になるのがもっとも手っ取り早いと我は信じている。そなたの父ダーリヌはその昔、それはそれは強い戦士であった。騎士として名を残したのは我だが、今また剣を取ったダーリヌは依然最高の戦士であった。年甲斐もなく、10年ぶりに血がたぎった。そして、その資質がそなたにも受け継がれているのではないか。これは一人の老人の独りよがりな妄執であり、そうであってほしいという願望でしかないが、わかっていようともそう考えずにはおれぬのだ。もし、そなたに少しでも志があれば、我が家を頼ってくるとよい。必ずやそなたを英雄に仕立ててみせよう」


 インデガに対するわだかまりなどはとうに消えていた。インデガに怒るのはお門違いだと流石にわかっていたし、そこまでの感情をアルノは最早引き出せなくなっていた。それでもアルノは鼻で笑った、内容がアルノにとってはあまりに支離滅裂なものだったからだ。戦士?英雄?戦いの訓練など生まれてこの方したことがない自分が行っても大したことなどできまい。アーナは自分のことなど最早忘れているかもしれない。アルノから見ればインデガの誘いは公算も動機もない無意味な挑戦でしかなかった。

 ふと目を上げると、じっとマリーがこちらを見ていた。手紙を渡しに来ただけではなかったのかと、アルノが口を開く前に、マリーが意を決したように話し始めた。

「すみません。わたし、お屋敷に来る手紙とか小包のなかを盗み見るのが趣味なんです」

「は?」

「インデガ様の手紙の中身も見ちゃいました。聖女様って…アーナ様のことですよね?」

「いや、え」

「アーナ様、いえ、アーナは、私の親友は、強がっていても実はとんでもない寂しがり屋なんです」

「…」

「あの子、ずっと必死だったんです。ぜんぜん平気そうに振る舞ってても、いつでも人を求めていました、友達とか…家族とか。あの家の一人になろうと必死でした、それが、急に一人ぼっちで連れてかれて、寂しくないはずがないです」

「…うん」

「お願いですアルノ様…アーナを安心させてやってください。英雄にまでならなくても、王都にいるのなら行けば会えることもあるでしょう、せめて一目だけでも会ってやってください。アーナの孤独を慰めてやってください」


 あっけにとられながらアルノは思い出していた。出会っていきなりアルノを連れまわしたアーナの手が、絶対にアルノの手を離さなかったことを、常に周りに人を置き、自室以外では決して一人にならなかったことを、自分の姉として振る舞いながら、使用人には親身に、時には下手にすら出ていた彼女を。

 あれだけ大きな存在だった記憶の中の姉は、しかし確かに孤独を恐れていた。

 その日から、忘れようと努めていたアーナの姿を、ふとしたときに思い出すことが増えた。何気ない風景が、アーナと過ごした日々に重なった。そしてある朝、一晩中アーナのことを考えて迎えた朝、アルノはついに悟った。マリーが理由を与えてくれたことで、考えるのをやめていたことにいまさら気づいた。

 結局のところ自分はアーナに会いたいのだと。


 子供ながらの無鉄砲で家を飛び出した。領地?名目上代行の椅子に座っていただけで、どうせ実務は政務官と母が全てやっていたのだ。母は激怒して、ついで泣き始めたのは流石に哀れだったが、しかし食事時以外ほぼ顔を合わせることもなかった、さらにはアーナにせせこましい意地悪をしていた実母と比べて、九年もの間姉として一緒に暮らしていたアーナの方を大切に思っているというのが実情だった。

 公算は未だない。だがそんなことどうでもいい。今はそこに道がある、それだけで満足だ。心の示すまま、アルノはインデガの屋敷まで馬車を駆らせた。


 インデガは屋敷にいなかった。当たり前だ、このご時世にインデガが前線から離れるわけがない。ただインデガは家令に言づけていた。もし強くなりたいと志願してくる戦士がいたら、家人総力を尽くして鍛え上げるように、と。こういうことをインデガはよくやるらしく、案内された訓練場には若い男連中が剣を振り回していた。その日からアルノもその光景に混ざることになった。

 アルノは死に物狂いで訓練に打ち込んだ。アーナに会うという、ただその思い一つを胸にしまって。そしてアルノは自他共に認める屋敷で最強の戦士になった。

 一年後、訓練場の男たちは家令に集められた。戦場にいるインデガから手紙が送られてきたという。

「『火蓋は切って落とされた。戦場にて待つ』、とのことです」

 アルノは第一に志願し、他の志願者と共にインデガのいる戦場に赴いた。


 コチノ国最前線にあるカンナ砦の一室にて、アルノたちはインデガの前に整列した。

「よくぞ来た!!!名を捨て、家を捨て、命も捨てんとするそなたらの勇気こそがこの国を救うだろう!!!そなたらには我の部隊に入って戦ってもらうことになる、ついにアチノ国が宣戦布告し腐りおったのだ!恐らく最初の戦は最前線にあるこの砦になるであろう!!!そなたらにとっての初陣、アチノ国兵1800、こちら1600の戦いだ!数では劣勢だが、なに、訓練のときと同じように戦うがよい、訓練のときとの違いは敵を殺すか否か!それに尽きる!!!まずは死なず、次いで敵を屠ることを考えよ!!!」

「「「はいッ!!!」」」


 初陣はすぐに始まった。右も左も分からぬまま同窓たちと別れ、知らない上官の下につき、命令に従い走り出した。滑り出しは上々だった。飛び込んできた兵卒を突き殺し、五人に囲まれ死にかけつつも、一人を一刀のもと切り捨てどうにか切り抜けた。それからあとは何がなんだかよく覚えてはいない。ただ何度も突き殺されかけ、矢や魔法の飛び交う中を無我夢中で走り回っていた。


 後方から伸びる一条の閃光が走ってくる敵前列を舐め、アルノは正気に戻った。前線にいる百の敵兵が一瞬で引きちぎれ宙に舞い、次いでどこからか檄が飛ぶ。

「進め!進めぇ!」「光明神はわれらに味方なさった!」「遅れるな!全霊を以て敵兵を殲滅せよ!」

 戦局は一気に傾いた。前線にいた兵が全滅しひるんだアチノ国兵に、コチノ国の兵が畳みかける。


 味方兵が自分の横を駆け抜けていく。だがアルノの視線は突然の光に思わずその元をたどり、そして釘付けになっていた。そこにに立っていたのは、荘厳な衣装を身に着け、信仰絵に描かれるような神々のごとき美しい女性であった。しかしアルノは一目で確信した、それが確かにアーナだと。


 次の瞬間背中側から激しい閃光と衝撃が走り、アルノは吹っ飛んだ。受け身を取ったが強く地面に叩きつけられ、そのまま失神した。

 目が覚めると野戦病院の薄っぺらい布の上だった。戦闘が終わり、ここまで担ぎ込まれていたらしい。体を調べたがさしたる外傷はないようで、周りも軽傷者ばかりのテントらしく、付き添いの人もいない。テントを出、自分の隊に報告しに行こうとすると、同年代ほどの伝令に話しかけられた。なんでもインデガが呼んでいるということで、本営に向かうと、インデガと空き椅子が一つ、そしてダーリヌが卓を囲んでいた。一瞬ひるむも気を引き締め、空き椅子の隣に立つ。ダーリヌはアルノを認めるとあからさまに不機嫌になり、低く怒りを抑えた声でアルノに声をかける。

「何をやっている、アルノ?」

「インデガ男爵隊の一兵としてこの戦線に加わることになりました、ダーリヌ男爵」

「馬鹿にするのも大概にしろ、アルノ。私はお前に領地の運営を任せたのだ、こんなところで野垂れ死ねなどと命じた覚えはない」

「無責任な行動、許されるとは思っていません。私はアーナに会いたい、ただその一心でここにいます。そして、これからも戦い続けます。アーナがこの戦場に立ち続けるのならば」

「立派な覚悟をしてきたようだが、自身の責務も果たせない小僧が何を偉そうにほざいている?すぐさま帰れ」

「お言葉ですが…」

 アルノが反駁しようとしたところにインデガが割り込んだ。

「うむ、この件に関しては我にもそそのかした責任がある故少し口を挟ませていただくが、ダーリヌ、何度も話したようにこれは国難であるのだ!剣を振れるものならば全員戦列に参加すべきだと」

「このもやしが剣を振って何の役に立つというのです。戦場とは強き者の場所です、蚊が飛び回っても目障りなだけです」

「剣の腕についてはいらぬ心配よ、我が屋敷で鍛え上げられたいずれ劣らぬ剛の者よ!それよりも、戦場で最も大事なことは死なぬことだ、そしてこやつは帰ってきた!」

「それがなんだというのです?最早数をそろえようとも戦にはなりません。それはあなたや私、何よりも聖女様がそれを示しているでしょう」

「兵隊無しにどうやって制圧するのだ?よいかダーリヌ、総力戦は国王陛下の意志である!貴様が戦争を嫌っているのは知っておるが、いい加減腹をくくれダーリヌ!」

 兵法から国家まで、ひとしきりの押し問答ののち、ついにインデガが我慢ならなくなったか、立ち上がり吐き捨てた。

「もうよい!!!何と言おうとアルノは陛下のアルノ国軍、我が隊の所属である!!!軍権のない貴様にはどうしようもなかろうが!!!」

 その一声でその場は終わりとなった。ダーリヌはテントを出ていき、結局座れずじまいのままのアルノも気まずいながらそれに続いた。


 どうやら、結局アルノは軍に所属し続けることになるようだった。その後三度の戦闘を経たがアルノは大きな手傷もなく、さりとて手柄をあげられないままだった。アルノは明らかに焦っていた。何が正解かわからない、間違えれば即死の戦場で、手柄をあげようとしてあげられるものでもなく、生き延びるのに精いっぱいの日々。

 アーナの活躍を戦場で見続けていることも大きかった。アチノ国にも同等の力を持っているものがいるらしく(こちらでは魔女と呼んでいる)、初めの戦で吹っ飛ばされたのもその攻撃であった。開幕互いに敵陣営に大きな損害を与える彼女たちは、戦場で畏怖とやっかみの目で見られていた。神だの悪魔だののように噂されるアーナがどんどん遠くに行ってしまうように思え、アルノの心は休まらなかった。そんな中、事態は動いた。


 アーナがアチノ国に拉致された。

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