表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

01-02 毒蛇

 ミースは見た。バルダスも見た。心ならずも、二人は目撃してしまった。


「う……うわ……ちょ……あれ……ぇー……。すご……うわぁ……うわ、女同士であんな事やっちゃうんだ……大……胆……」

「なんだよミース、何か見えるのか? オレにも見せろよ」

 ゴクリと息を呑んで伝えるミースの実況に、頭を抑えられたレーンは不満顔だ。


「ダメ! 子供は見ちゃダメなんだから!」

「これはこれは……老いて萎えたこの躰にも、まだまだ生気が残っていたと実感させてくれる光景ですな……ああ、清冽で優しく、そして美しかった亡き妻を思い出します。あの頃は実に良かった」

 ミースはさも意外だと言わんばかりに目を剥き、興味津々な瞳を、黒くてしわだらけのバルダスの顔に向けた。


「なんだよ、見ーせーろーよー! ずるいぞ二人とも!」

「ちょ、どこ触ってるのよレーン! あんたはダメだ、って言ってるじゃない!」

 そういうミースの視線は揺れ動くレーンの頭と体に上下左右に揺れたのだ。


 ◇ ◇ ◇


 シナーリュートはほっとする。彼女が心の底から安心を感じたのは、いつだったろう。老いて乾いた心に優しく染み渡る湯は、心地よい暖かみを感じさせてくれ、彼女はほんのりと赤くなっている己のきめ細かな白い肌を何度も擦っていた。とはいえ、この素敵な隠し湯に招待してくれた彼女の変わり様は一体どうしたことだろう。シナーリュートは髪が湯の中で濡れて広がらないように、豊かな翠の髪を頭頂にて結い上げる。シナーリュートは呆れていた。乳のごとき白き湯に浸かり、彼女の目の前で、その湯よりも白い肌を晒して童女のように微笑む、未だあどけなさを残すオルファの姿があまりにもらしくないと思えたからだ。


「ねぇシナー? 幾ら貴女がエルフの生まれで長生きだったとしても、この場所は流石に知らなかったでしょう? この森には私のとっておきの秘密の場所が、まだまだあるのよ?」

 鈴を転がすような透き通ったオルファの呼び声は、岩場から昏々と湧き出でる湯より立ち上る湯気の間に水音をともない木霊する。森の深部、深層林の生い茂る太古の息遣いの残るこの場所に、その肌と心に優しい泉、雪の魔女の大事な宝物の一つである温泉が存在していたのだ。シナーリュートは確かに知らなかった。だが、この娘に一言口出しせずにおれないエルフがいる。


「いい年頃の乙女が衆目の前で肌を晒すなど……嘆かわしい」

「衆目? ……そんなもの、どこに? 先ほどから顔を出している、菟さんやお猿さんの事? それとも、熊さんかしら」

 オルファはいつになく機嫌が良いのか、音を立てて湯の中から立ち上がると、見せつけるようにシナーリュートに半身を晒した。女神も羨むに違いない雪のごとき肌を晒すその姿は、奇跡のように整い、数年の後には美を競って女神らが己の身姿に似せて作り込んだ死すべき種族の最高傑作と呼ばれることは疑いない。シナーリュートは本気で危惧した。彼女の眼には、危うい魅力を放って止まぬ、この可憐すぎるオルファと言う名の娘が、その麗しさを妬み羨む神々に今にも攫われてしまうのではないかと、底知れぬ不安と共に映るのだ。


「オルファ。お館様がお隠れになられてもう三年、今だ幼いながら、お主は家督を継いだ立派な領主様なのじゃぞ?」

「貧しい民への施しは充分にやっているつもりです」

 オルファの領地は貧しい。だが、貧しさを克服すべく、オルファは次から次に手を打っている。


「民など、どうでも良いではないか」

「民草あっての領主です」

 オルファは常に民の事に気を配っていた。民のため、なにごとについても民のため。この三年、オルファが行動するときは、常にそれが頭にあった。


「そうじゃな。じゃがオルファ。お主、油断しておると蛇が出るやも知れぬぞ?」

 エルフの軽口に、オルファも笑顔で応じた。


「蛇さん? ……そんな時は、蛇さんも私達と一緒に仲良く温泉に浸かると良いじゃない」

「それもそうじゃな……それでは儂は、地上に降りた女神の化身が蛇共に攫われる前に愛でるとしよう。オルファ、良いか?」

 その言葉にオルファの頬が朱に染まる。シナーリュートの世辞とも事実を言ったまでとも取れる言葉に固まるオルファの手を取ると、自分の方へ引き寄せた。


「……え……? シナー……?」


 ◇ ◇ ◇


 水音と共に、二人の娘たちの遠慮仮借の無い嬌声が聞えてくる。ミースの頭を押さえて顔を出したのだが、レーンはそれきり固まっていた。見なければ良かった。確かに凄い光景だ。実に拙いことになっていた。いや、拙くはなく、むしろ眼福の極みなのだが、一歩も動けないことに変わりは無い。そんな事より、先ほどから繰り返し耳にする名が問題だった。聞き間違えるはずがない。それはあの城の、呪わしき血の魔女と、その忠実なる妖精騎士の名であったのだ。それに指の間から垣間見えるあの悪魔のように整った容姿。これが本人でないことは、まず考えられなかった。しかし、どうしてこの場所に?


「……あ……あれが、噂の辺境の姫……なのか……? ……なんだあの美しさ……ニンゲン……なのか? ……いや、きっと女神に違いない……ミースとは偉い違いだ……」

 レーンは実に正直な感想を述べた。


「悪かったわね! どうせミースはハーフエルフ。そうですよ、骨と皮ばかりで肉付きも悪いですよ! ……仕方ないじゃない!」

 ミースは自分の平らな胸を見て言い放つ。


「坊ちゃま。噂は本当でしたね。男をかけた勝負、きっと坊ちゃまなら勝てますよ」

「ありがとうバルダス。オレは今、己に降って湧いた幸運に猛烈に感動している。最後まで希望を捨てず、オレは必ずあの姫を振り向かせてみせる!」

 レーンはバルダスの声援を受けて言い切った。


「……はぁ!? あんた、少しは立場ってものを考えなさいよね!? どう考えても無理でしょ。身の程を知りなさいよ! ……って、あのバカ! 言ってる傍から!」

 レーンはいつの間にか、よせば良いのに、ミースの手から逃れて件の姫のほうに向かっていたのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ