麒麟
「やあ、秋津クン」
あ、和田園長! おはようございます!
「うん、おはよう。今日も元気で何よりだよ」
えへへ~、あたし、元気が取り柄ですから!
「うんうん、元気なのはいいことだね! さて、前から伝えていたと思うけど、今日から1週間、君にはこの子の研修をお願いするよ」
わ、わ! そう言えば今日からでしたっけ……でも、本当にあたしでいいんですか……!?
「あっはっはあ、何を言ってるんだい。君はもうこの園ではベテランさんなんだから、もっと胸を張っていいんだよ! それにこの子と同い年だろう? そんなに畏まらないでいいんだよ」
うー……あたし、人に教えるのって初めてなんですよぅ……。
「誰でも初めての時はあるんだよ。それに何か困ったときがあったら、ボクか班長の尾形クンに連絡していいからさ――っと、そろそろボクは会議の時間だから、そろそろ行くね」
あ、はい! が、頑張ります!
あー、えっと、それじゃあ改めまして。
あたしはエントランスエリアで「麒麟」の担当をしてる秋津と言います! よろしくお願いしますね!
え? ええ、そうです、麒麟です! あの麒麟です! あなたには今日から1週間、あたしと麒麟のお世話をしてもらいます。
えへへ、大丈夫ですよー。麒麟と言ってもそんなに緊張しなくて大丈夫です! 幻獣の中でも特に大人しい子たちですし、いくつか注意点を押さえておけば難しい作業はありませんから! ……むしろ、あたしの方がちゃんと教えられるか心配なくらい……。
ああ、はい。同い年なんですよね? 園長からはそう聞いてます。
あたし、高校の頃からバイトでこの園で働いてまして、高校卒業したらそのままここに就職しちゃったので、キャリアは長い方だと思います。
はい! あたし、幻獣大好きなんです! 高卒でこんな夢のような職場で働けるなんて夢みたいで!
でも高校の頃の友達とか見てると、やっぱり大学行ってもよかったかなーって。あなたは大学で幻獣生態学を勉強されたって聞いてます。もしよければあたしの方も学ばせていただきたいなーって。
え、敬語……ですか。うぅ、あたし、緊張すると敬語になっちゃうので……。
も、もう少し、このままで……。
それじゃあ、さっそく作業に入りましょうか!
まず、うちの麒麟の展示スペースはこんな感じですね。
奥行30メートル、幅70メートルの空間に床材はコンクリ張りに砂を薄く敷いています。最大で5メートルまで大きくなる麒麟でもゆったりできる設計ですね!
ええ、床には何も敷かないんです。麒麟の足には馬の蹄みないになってるんですけど、ある程度の硬さがないと伸びちゃって歩くときにバランスを崩しちゃうんです。
あと、藁もダメです。理由は――そうです! 麒麟は殺生をしないという性質上、極力身の回りから極力死骸を排除する必要があるんです。草の死骸があったらストレスで病気になっちゃいますから。なので、外から藁を持ち込まないよう展示スペースに入るときは靴の裏を確認してくださいね。
作業の流れとしては、最初にお掃除ですね。
麒麟はさっきも言った通り殺生をしない幻獣ですから、エサもほとんど食べません。うちでは幼獣のうちは水で薄めた豆乳をあげてますけど、成獣はもっぱら展示スペースの植え込みについた朝露を舐めてますね。だからおしっこもウンチもほとんどしないんですけど、歩き回ってるとどうしても床材の砂は散らばっちゃうので、適度に均すのが目的ですかね。
はい、竹ぼうきをどうぞ!
えへへー、麒麟ってすっごい面白いですよね。これ、この真ん丸なのが麒麟の足跡です。これを辿っていくと……ほら、ここで直角に曲がってるの、分かります? 麒麟ってすっごく几帳面な性格でして、曲がる時って必ず直角に方向転換するんです! ……あ、もちろん知ってましたよね……え? 見ると聞くとじゃ全然違う? えへへ、そう言ってもらえると、とっても嬉しいです!
掃除の次はブラッシングですね。
それじゃあバックヤードに移動して、うちの子たちに会いに行きましょう!
バックヤードも展示スペースと同じく、基本コンクリ張りですね。展示スペースの岩盤風の壁もなくなって殺風景さはさらに増した気がしますけど、結局、こっちの方が麒麟にとってストレスのない構造なんですよねー。
さて、現在うちにいる麒麟は3頭です。
手前から、メイリンさん、シュウファさん、チョウユさんです。オスはチョウユさんだけで、後の2頭はメスですね。あ、ちなみに麒麟のオスを「麒」、メスを「麟」って分けて呼ぶこともあるそうですよ。
メイリンさんは今年で400歳くらいの、大人の女性ですね。正確な記録は残ってないので鱗の年輪からの推定ですけど。性格は麒麟の中でも特に大人しい子です。
シュウファさんは18歳くらいだったかな。人懐っこくて、よく展示スペースから首を伸ばしてお客さんにアピールしてくれるのでうちの園のアイドル的存在ですね!
チョウユさんは今年で12歳のやんちゃ盛りです。一応、麒麟の性成熟は8歳って言われてますけど、まだまだ色気より食い気ですねー。今でもたまに豆乳ねだってくるくらいで……一応、シュウファさんのお婿さんってことで3年前に西部幻獣研究所からお引越ししてきたんですけど、まだまだ先は長そうです……。
それで、ブラッシングなんですけど、ちょっと大変だけど、ちょっと大きめの人間用のヘアブラシを使います。麒麟のたてがみは髪質が人間に近いですから、犬猫用だと柔らかすぎて奥まで梳けないんですよね。かといって家畜用のおろし金みたいなごっついやつだとたてがみを傷つけちゃうので、ちょっとずつ根気よくお願いしますね。
それじゃああなたはメイリンさんのブラッシングをお願いします。メイリンさんは梳いて欲しいところはお髭で指してきますから、リクエストに応えてあげて……って、こら! チョウユさん! あんまり裾引っ張らないで! もー……。
えへへ、ね? 麒麟って言っても、そんなに畏まらなくて大丈夫! 言っちゃあなんだけど、でっかい犬みたいなもんだからね。特に……このっ、チョウユさんは……! もう、裾やめてってばー!
はあ、作業着よれよれ……いいけどね、もともと替え時だったし……。
あー、うん、それで、ブラッシングの時の注意点は、角に気を付けるってことかな。
うん、角。
麒麟の角は個体によって大きさも数もバラバラで、だいたい1本から3本、たまに角のない個体もいる――って言われてるけど、実は全個体共通で3本なの。
えっと、シュウファさん、失礼しますよー、っと。
見える? 耳の上らへんから生えてるおっきな2本の角のほかに、眉間からちょっと脳天寄りのところにでっぱりがあるでしょ? これが3本目の角ね。後ろの2本の角はシカみたいに毎年冬に生え変わるから、3本目の角が大きい子は冬には角1本に見えるし、小さい子は角なしに見えるの。
で、この3本目の角なんだけど、見て分かる通り薄い皮膚で覆われてるの。うんそう、いわゆる肉角ってやつだね。昔の人は「麒麟は不殺のために角を肉で覆っている」って言ってたらしいけど、ここはすごく傷つきやすくて、すぐに皮が破れちゃうの。
そうするとね、ここの角は頭蓋骨から直接生えてるから、外気にさらされるとすっごく痛いの! それでストレスから病気になったり、ただでさえほとんどエサを食べないのが完全に絶食しちゃって衰弱しちゃうの。
だから、この部分だけは絶対に触らないように気を付けてね! あ、ちなみに麒麟を傷つけると不吉なことが起きるって言われるけど、この角以外はすごい硬い鱗で覆われてて、滅多なことじゃ傷つかないから安心してね! なんならデッキブラシでごしごし擦っちゃっていいから!
ふう、麒麟のお世話にについてはだいたいこんなところかな?
その他細かいところは気付いたら教えていくから――えへへ、とりあえず、1週間……ううん、これからよろしくね!
秋津「抜け落ちた麒麟の角はお守りに加工してお土産コーナーで販売してます! 御利益がありそうととのことで、結構な人気商品なんですよ!」