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でも、夢じゃない


 その日は梅雨が明けたばかりのよく晴れた、夏の訪れを感じさせる蒸し暑い日だった。いつものように放課後、裏門から出て行った心詠は、相変わらず戸惑う束咲の手を引いてルンルン歩いていた。

 これが護衛たちの監視の目を欺く唯一のチャンス。とはいえ、流石に遊んで行く事はしない。あくまでも、表門の迎えの車までの距離を自由に二人で歩くだけであった。ほんの二、三分。途中学校横にある公園を横切って行くその僅かな時間が、十歳の心詠にとっては息抜きとも言える時間であったのだ。


「あ、見てご覧なさいタバサ。あのヒマワリはすごく背が高いです! 私たちよりずっとノッポですよ!」

「は、はい。うー、コヨミ様、やっぱり私は少し不安です」


 どこまでも楽しそうにしている心詠とは対照的に、束咲はキョロキョロと辺りを見回して落ち着かない様子だ。

 束咲は、常日頃から主人を守るという教育を家で叩き込まれているのもあって、まだ十歳と言えど貴守の子という自覚をしっかり持っていた。だからこそ、だろうか。主人の願いを無碍にする事も出来ず、かと言っていざという時には守らなければならないというプレッシャーで板挟み状態だったのだ。


「もー。いつもの事じゃない。もう一週間もこうして帰ってるけど、大丈夫だったでしょう? それに、ほんの数分だから、ね?」


 心詠がこんな風に自分の意思を無理に通そうとする、いわゆる我儘を言うのは本当に珍しい事だった。むしろ、束咲としては初めての事であった。それに、普段は勉強に礼儀作法、護身術の稽古やピアノに舞踊などで大忙しな心詠が、息抜きしたいと思うのは当然とも思えた。何より。


「夏ってこんなに暑いんですね。蝉の声もうるさいくらい。あまり家や学園の敷地外に出る事がないから知りませんでした」


 こんなに嬉しそうな主人の笑顔を見たら、束咲には断ることなど出来なかったのだ。

 今の自分は弱い。何かあっても心詠を守ってあげられないけれど、せめて彼女の心は守ってあげたい。それが束咲の小さな決意だった。


 しかし、現実とは無情である。

 高嶺を妬む輩や金銭を狙う者、単純に可愛らしい美少女を狙う者は本当に後を絶たない。数日前、偶然にもこの二人を見かけたある男は、これは千載一遇のチャンスだと思った。そして簡単な準備をした男はこの日、ついに稚拙な計画を実行したのだ。


「……来い」

「え……」


 唯一、道路に面した公園の出口。裏道であり、木陰になっていて人目に付きにくいその場所で、男は心詠と束咲の前に立ちはだかった。

 突然の事に理解が追い付かない心詠はただただ呆然としていたが、束咲は二秒ほど固まってしまった後にすぐ心詠を背中に庇う。しかし男はそんなものには気にも留めず、後ろにいる心詠に手を伸ばした。


 焦った束咲は突破にその腕に噛み付いた。力のない子どもに出来る、大人にダメージを与える方法の一つでもあったその噛み付きは、実際男に数瞬の間を与えた。その間を利用して束咲は防犯ブザーを鳴らし、近くにいるだろう他の護衛に自分たちだと知らせる為に連絡用携帯を取り出した。

 わずか十歳の少女が咄嗟にここまで出来たのは、束咲だからであると言えよう。だが、そこまで。ブザーを鳴らされた事に焦った男は、手に持っていたナイフで束咲の背中を迷う事なく刺したのである。


「た、タバサっ、むぐぅっ……!」


 思わぬ光景に息を呑み、すぐ様叫ぼうとした心詠の口を、男がタオルを突っ込んで塞ぐ。その上から手で押さえられ、反対の腕で心詠は男に担ぎ上げられてしまった。叫びにならないくぐもった心詠の悲鳴が、口の中のタオルに吸い込まれて消えていく。いくら叫んでも届かない。まるで夢の中にいるみたいだ、と心詠は思った。


 でも、夢じゃない。


 目の前には背中に突き立てられたナイフからじわじわ血を流す、大好きな親友。心詠は全身がガタガタと震えるのを感じた。人ってこんなにも震える事が出来るのかと、おかしくなりかけた頭で考えた。


 為す術なく連れ去られて行く心詠。だが、束咲は諦めなかった。必死で男の足を掴み、どうにか逃すまいと両腕でしがみつく。


「くっ、くそっ……このガキ! 離、せっ!」

「ぐっあぁぁ……っ!」

「おらぁっ!!」

「…………っ!!」


 しかし、男は掴まれていない方の足で束咲を踏みつけて拘束を解き、苛立ちをぶつける様に束咲の腹部を思い切り蹴り飛ばした。

 そのまま、ボールのように飛んで地面に叩きつけられた束咲は、ついにそのまま動かなくなる。心詠は、目の前の光景が信じられなかった。


「んむーうっ! んむーっ!!!」


 泣き叫ぶ心詠だったが、その叫びは誰にも届かない。車のトランクに乱暴に放り込まれた心詠は、その衝撃と恐怖、そして車内の尋常ではない暑さにより、いつの間にか気を失ってしまったのだった。


 現場には、倒れたまま動かない束咲と、未だに鳴り響く防犯ブザーの音が虚しく鳴り響いていた。

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