業務報告2 「トミー・アーサーと勇者」
気付けばやすずのトラックは視界には無かった。ぶつかった後にブレーキが利かず、更に進んだのだろうか。
エアーバックは作動したようだ。萎んだ白い布が車内に飛び出ている。
残念ながら、「本当についてるのか?」と訝しがられる衝突軽減ブレーキが作動したかどうかは定かではない。
その恩恵か。私の肥えた体は怪我一つ負っていない。
私は落胆した。このまま死んでしまえば良かったのだ。
死んでしまえば事故の責任は負わされない(向こうの方が悪いは悪いが、それは相対的な話であって、私の非がゼロかと言われればそうではない)。毎日のストレスからも開放される。
そして、杏奈がいない生活からも抜け出せる。
私は保険屋と拠点に電話するため、とりあえず、外に出る。勝手に相手と示談交渉をしないこととホウレンソウは原則だ。
「え……?」
辺りを見てもぶつかったトラックなど無かった。
それどころか明らかに国道ではない。私と、ボンネットがひしゃげたラックルスはポツンと、どこぞとも分からない、舗装すらされていない場所にいたのだった。
『ただいま、電波がつながらない場所にいるか電源がーー』
拠点の固定電話も保険会社の担当の携帯も駄目だった。そして、携帯電話のGPSも使い物にならない。
「あれ。圏外か」
そもそもの話だった。
私は仕方なく車に戻る。Jから始まるロードサービスを呼ぶべきレベルで壊れていたが、もちろん、圏外であり、「ハイサンキュー」とはならない。
仕方ないので、自走できるかどうか確認するためにプッシュスタートを押す。
「お。儲け儲け」
バンパーもハロゲンランプもひどく割れている状態で、間違いなくフレームも変形していて、新価特約が下りることは確実だが、動くは動く。
事故車両を勝手に現場から動かす行為は普通ならばあり得ないが、これはどう見ても普通ではない。まるで、事故現場から気付かないうちに無人島にでも移動してきたかのような現実が目の前にあるからだ。
いつどこがどうなってもおかしくない状態での走行だから、無意識的に徐行していた。
ホイールキャップが吹っ飛んだ鉄製タイヤもガッタガタに曲がっている上に、車が走るのに適していない道なので激しく揺れる。
乗り心地を犠牲にしてまでラダーフレームを採用し、悪路走行性に特化させた弊社製のペティボルダーよりもよく揺れる。
むしろ、この状態でなくとも街乗り車でクロスカントリーは無茶なのである。
それでも車酔いに耐えつつ、しばらく寄る辺なく徐行運転を続けた。
さながらGMC-13で西部開拓時代末期へタイムスリップする映画のような気分だ。確かこの後は先祖の農場へ行くんだったかな。
すると、少々見慣れない光景が前方に広がった。
三人程の屈強な男性が、鈍く光る何かを囲んで、足蹴にしている。
鈍く光る何かはどうやら人間のようだった。
男性達の服装も見慣れないものであるが、暴行を受けている人間の姿はどう見ても西洋甲冑を着込んだ兵士か何かに見える。
映画の撮影か何かだろうか。
少し、見物でも決め込もう。
どうせ、戻る宛もないしここが何処かも分からない。もしかしたら何か事情が聞けるかもしれない。
男性の暴行は何分も続く。映画のワンシーンとしてはあまりにも冗長で単調はないだろうか。
それが映画の撮影ではないと気付くのにあまり時間は掛からなかった。カメラクルー的なスタッフがいない。
映画でメイキングとか見ると時代掛かった服装の役者とジャンパーを着たスタッフが談笑している微妙に興醒めな映像が流れる。
どんな事情があるかは分からないが、とりあえず穏やかな場面ではなさそうだ。
私はリアに入れてバックする。
そして、十分に下がったら、今度はドライブに入れてアクセルを踏み切った。
この感じはたまらない。しかし、尻が非常に痛い。
安物の車とは言え、Gを体感できる速度だ。道交法など知ったものか。
そして、私はクラクションを押し続ける。
奇怪な機械が異音を放ちながら突っ込んでくることに気付いた三人は一目散に逃げ出した。
私はそれを確認すると、急ブレーキをかける。間抜けにもピピピと言う、ドライブレコーダーの起動音が鳴った。
そして、鎧の人物の目の前に停車すると、ボスンと言う音と共にエンジンが止まって、ハッチとボンネットが勢い良く開いた。ボンネットからは黒煙が巻き起こる。
私は完全に駄目になってしまった商売道具から降りる。もう、正直言って会社からも降りたい。
「うう……どこの誰とは分からぬが、助かった」
甲冑の人物は鈍色の右手で頭をもたげながら、四つん這いとなり、そして立ち上がろうとする。
その厳しい容姿とは裏腹に声は高めである。
「だ、大丈夫ですか……?」
私は戸惑いながらも手を差し伸べる。
「うム。助かったぞ。まさか『ンザンビ』ごときにしてやられるとはな……」
その人物は完全に立ち上がると、甲冑の砂を払い、そのフルフェイスの兜をこちらへ向ける。
これがなんと、かなりの小柄だった。杏奈、もしくは新人の女性の畑中君ぐらいの身長だ。
「はあ。そりゃ何よりです」
そして、いまいち私は状況が掴めていない。取り敢えず、轢き逃げ未遂は功を奏したようだ。
「あ。顔を隠したままですまなかったな。こいつはちと視界が良くない」
そして、その人物は兜を取った。その瞬間、長い栗毛色の髪が一房揺れた。
「え……」
「あ……」
驚いたのはお互い様のようだった。しかし、次のアクションは相手方の方が早かった。
「失礼致しました! 貴公が異国の貴人とは露知らず! 無礼な態度を!! このシャロー・ド・メルキリッシュ、しょ……粗忽者故、何卒お見逃しを!」
しょこつものの「彼女」は瞬時に片膝でひざまずく。
「いや、あの、なんか誤解してない? 俺はただのクルマ屋だぞ?」
「いや、しかし、その服装は西の国の貴族の正装では……?」
「服? ただの背広だろこれ」
しかも、洗車で泥はねしても大丈夫なウォッシャブルの安物。と言うか、この姉ちゃんは背広見たことねえのか。自分のことを「しゃろーなんとか」って言ってたし。
「いや、では、あなたは一体……?」
「だからクルマ屋だっての。それもぺーぺーのな。それより、あんたは誰なんだよ。そんなコスプレなんかしてよ」
年の頃は杏奈と同じくらいに見えるな。この位の子はマンガのキャラクターとかゲームのキャラクターの衣装を着て逆さまピラミッドに集結するんじゃないのか。それがなんでこんなガッチガチの鎧なんだ。
「コス……? いや、失礼した。私の名はアンナ・シャロー・ド・メルキリッシュ。メルキリッシュ領の勇士だ。貴公の名は?」
「あんな……」
まさかな。単に名前が似ているだけだろう。アンナと言う名前は英語の人名が由来と聞く。
「なんだ。私の顔に何かついているか?」
しきりにガチャガチャと音を立てながら、ペタペタと自分の顔を触る。
「いや、何でもない。俺は浅野……いや、アーサー。トミー・アーサーだ」
我ながら適当な名前を考えついたものだ。トミーもアーサーもファーストネームだな。これ。イトウ・フジツウに繋がるものがある。
「……やはり、やんごとなき方でございましたか」
「なんでそうなる?」
「いや、アーサー卿。ファミリーネームはどの国も国王陛下より賜るものではないのでしょうか? それとも、ダイヴァリシア王国だけの仕来りなのでございましょうか?」
「……残念ながらそうみたいだ。俺の母国では取りあえず苗字ない人はいないかもしれない。そして、俺はアーサー『卿』じゃない」
私の見落としと記憶違いが無ければ誰の車検証にも印鑑証明にも自賠責にも、おおよそ、公的書類と言える物には氏名の記載はあった。仮に無いとすれば、お役人のポカだろう。「税金泥棒め」と、投石される事態だ。
「むむむ……分かった。しかし、命の恩人には変わらぬ。困りごとがあれば協力しよう」
困りごと……。まあ、色々あるけれども。まずは何気なく流してしまったことを確認しなくてはならない。
「……姉ちゃん、ここはどこだよ?」
「ふむ。ここは、なんと表現したらいいのか。一応『禁領』と言うことになるのか」
「だめだ。分からん。きんりょう?」
「すまぬ。貴公の国ではもしや馴染みないか。禁領とは国王の直轄地のことだ」
「いや、まあ、それはそうなんだけどな。もっと、こう、もっと根本的にさ。なんだっけ、何王国って言ったっけ?」
「ダイヴァリシア王国……だ」
さて、さっきのリンチの様子からして、彼女にはどうにも真面目に取り合う必要があるらしい。そして、ここが日本国外であると言うことも、ある程度は真摯に受け止めるべきか。
「あーそれそれ。ダイヴァリシア……って、どの辺? 名前の響き的にヨーロッパの方か?」
「ヨーロッパ……? それがどこの国かは分からぬが、ここは東大陸の国だ」
本気で言っているのか、彼女の教養がなさ過ぎるのか。
流石にウチの杏奈もヨーロッパと言う単語を国とは表現しない。
しかし彼女の場合、立ち振る舞いからして無教養って訳ではなさそうだ。
「……とにかく一度、人のいる方まで案内して欲しい」
薄々思うことがある。微妙に話が噛み合わないのは彼女のせいではなく、私のせいなのだろうか。であるならば、私の方がズレている可能性がある。彼女以外の誰かに会って、どっちがオカシイのか確かめたい。
「うむ。承知した。しかし、その、なんだ、その形容しがたい『何かしか』はどうする?」
ラックルスを指して「何かしか」と来なすったか。確かにハイトールの中では三番手の売れ行きだが、CMもアイドルを使っているし知名度はあると思うんだけどな。
いや、これを「車」と認識していないだけかもしれない。
「あー。いいよいいよ。後でレッカー呼んでもらえればさ」
「れっかー……? よく分からんが出来るだけのことはしよう」
人気のあるところへ行くまでも無さそうな気がしてきた。