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残夢  作者: はぐれイヌワシ
9/12

己のままでいたかった男

見附の実家は、長崎市の建築会社。

上田家程ではないが、割と経済的に恵まれた家の出身であった。

ただ、親は彼の生まれる以前から本人も『未だにわけのわからない』宗教にはまっていて、その教団の偉い人が家に出入りしていたし、どうやらその教団の施設の建造にも携わっていたようだ。

幼心にもその宗教に違和感を持っていた見附兄弟は、たまたま他の少年より上手くてかつ、好きだったサッカーによって食べて行く為に―――『今思えば、二人とも無意識に家業を継ぐのを拒んでいたのかも知れない』と語った―――同じ県内ではあるが寮に寄宿する形でサッカーの名門校、島見高校に入学した。


元々、故郷である島見高校の恩師から『プロでは無理だ』と断じられた過去があった。

だが、彼も俺と同い年。日本サッカーのプロ化の『風』をまともに受けた世代である。

既にプロ化を決めていたトレフレッシャ広島に入団していた兄を追う様に、プロの世界へ飛び込んだ。


『本当にサッカーで食べて行きたかったのか、長崎に戻るのが嫌なだけだったのか、今ではわからない』

らしいが。


***


兄の方は、プロリーグでの活躍は出来ずに20代前半で引退した。

そして、そのまま京都アジャーレのフロントに入ることを決めた。

『“俺は実家に戻らんぞ”という兄の意思表明だと受け取った』彼は、それ以来兄とは会っていない。


一方、彼も必死だった。

オランダ人の監督に抜擢され、同じ左サイドの人気選手に移籍を決意させるまでになった彼は、日本代表にまで上り詰めた。


ブラジルを破ったオリンピックで彼がつけていた背番号は『17』である。

彼はその背番号を気に入り、半ばトレードマークにしていた。

U-23のみならずA代表にも選出され、彼の前途は明るく見えた。


***


しかし、Jリーグのバブル崩壊が彼の未来をも暗転させた。


トレフレッシャのメインスポンサーである自動車会社が苦境に陥り、クラブは消滅寸前にまで追い込まれた。

日本代表でもある彼は減俸を飲めず、左サイドの人材難に喘ぐ、同じく自動車会社がメインスポンサーの横浜ピラッツに転売された。


ピラッツには共にアトランタに行った桝田と川内がいたので直ぐ馴染めた。

同い年の俺の事は「サッカーは上手いけど口数の少ない奴」だと認識していたらしい。


俺は彼以外にも『寡黙な男』と評されることが多い。

自分ではそうは思っていないのだが、やはり何処かに『話してはいけない真実がある』という意識があり、知らず知らずの内に口数が少なくなっているのかもしれない。


***


ピラッツでも『17』を背負い、スタメンを確保しつつあった10月の末。

日本代表の試合の最中に飛び込んできた『凶報』は、夜が明けるまではスタッフも巻き込んだ大規模なドッキリか何かと思っていて、とても現実とは思えなかったらしい。


合併相手のフォーゲルスには、島見高校の先輩と後輩が各1名いたからだ。


先輩は去年ベルデから移ったばかりのドリブラー、永木英樹。

後輩は―――同じ左サイドの、三村敦宏。


翌朝、スポーツ紙を見れば『フォーゲルス消滅』の見出しと共に『フォーゲルスの有力選手』として三村敦宏の顔写真も収まっていた。


俺が『不謹慎な安堵』をしていたその横で、見附涼次は戦慄していた。

曰く、

『情けない話だが、もうチームがどうこうは頭に入って無くて、ひたすら我が身の心配をしていた』

『一番辛いのはアツだったろうに』と。


嘗てトレフレッシャの年長の人気選手を移籍に追い込んだ―――移籍決定後、事務所には抗議の電話が相次いだらしい―――ように、今度は、自分がそうなってしまう番なのかも知れない、と。


事実、そうなった。


下位に低迷していた浦和レッドローズ、通称浦和ローズと期限付き移籍で合意し、戸塚区のグラウンドで最後の練習を終えた後に駐車場に向かうと、丁度赤いフェラーリが道路に出ようとしていた。


赤いフェラーリに乗る選手なんて、一人しかいない。

彼はふと、フェラーリに向けて呟いた。


『こういうのはきっと、順番があるんだ…精々、頑張れよ』

殆ど呪いの様なエールを。


***


ローズは結局、最終節で降格が決定した。

ローズの降格決定後のVゴールは『世界一悲しいVゴール』らしいが、アツが経験してしまった『世界一悲しい優勝』よりはマシだろうと、何処かで思った。


そのオフに、彼は浦和への完全移籍を決断した。

そして同時に、彼は『17』を捨てた。

以後、彼は在籍選手では末尾の番号を付けるようになる。


***


見附涼次がJ2で苦闘していたその時、三村敦宏は二つの大きな大会に出場していた。

ピラッツも1stステージで優勝し、誰もが輝かしいキャリアを送っているように見ていた。

だが、ある時ピラッツの試合を自宅のTVで観戦していた際に、アツの顔がアップで映された。


曰く『アツの瞳は、暗かった』

『スコア上は勝っているのに、サッカーを楽しんでいるようには全く見えなかった』と。


彼は、先程のエールを後悔した。


***


浦和レッドローズは、最終節でギリギリ2位昇格を決めた。


その年のオフに、アツはピラッツからベルデに移籍した。

移籍の発表は年が明けてかなり後だったから、何事かと思ったが彼がその真相を知るのはサッカー界を離れた後である。


***


J1に復帰しても、彼はスタメンを確保しきれなかった。

そして――――復帰2年目のオフ、引退を決めた元日本代表2名の影で、ひっそりと戦力外通告をされた。


彼も、もう29歳だった。

10年以上ピッチに立ってきたのだから、Jリーガーとしては成功した部類だろう。

だが、戦力外通告を受けた後も彼は現役続行を求め、一度は―――当時はまだ地元出身のIT企業が関与する前で、財政的には常に青息吐息だった―――ヴィトリア神戸に入団した。


***


没交渉だった長崎の実家から一本の電話が来たのは、開幕から一ヶ月を切った、清水でのキャンプ中の事である。


『お前、Jリーグ移籍はまだ出来るのか。えっ?もう夏まで出来ない?』

『神戸は今すぐ退団しろ。夏になったら九州のチームでやればいい』

『まだ独り身だろう、いい縁談もあるんだ』


一度は着信拒否したが、今度は神戸のスタッフやフロント、果ては監督や選手にまで『見附涼次を今すぐ退団させろ』という電話が昼夜を問わずかかるようになった。


結局、彼は折角見つけた新天地を『家庭の事情』として離れる羽目になった。


***


清水を離れたその足で、長崎に向かった。


生家は、見る影もなく荒れ果てていた。

家に入ったら母親だけで、父親の姿は何処にもなかった。


母親の告げた事実はこうだ。

『父はある政治家の汚職事件に巻き込まれて逮捕された』

『このままではウチの会社は本当に潰れてしまう、サッカーが出来なくなったら家業を継げ』

『兄にも電話をしたが、“俺はもう子供もいるから京都から動くことは出来ない”と返してきて、それから連絡がつかなくなった』

『九州のJ1チームなら、地元効果もあって金を稼げるだろう。結婚相手も探してやれる』


当時、長崎にはまだJチームはなかった。

九州のJ1チームは、昇格したばかりの大分トリニタスだけだった。

夏の移籍市場が開くと同時に、トリニタスへ入団した。

しかし、Jリーグカップに一度出ただけでまた退団した。


何故か。

―――母親が紹介してきた見合い相手というのが、全部が全部例の宗教の関係者だったからである!!


お見合い相手には、そりゃ美人や好みのタイプの女の子もいなかったわけではなかった。

しかし、結婚を承諾してしまったら最後、彼の人生もまたその宗教の支配下に置かれることは容易に想像できた。


あれ程嫌っていた宗教に、魂ごと支配されるぐらいなら。


俺は、己のままでいたい。


かくして、見附涼次は、実家やフロントの説得も振り切って、大分トリニタスをも退団した。


見附氏の台詞は、《進撃の巨人》より、サネスがハンジにかけた言葉を意識。

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