“飛天”を知る男
何故、映像の人物を三村敦宏と断定できたか。
その白い服は、横浜フォーゲルスのユニフォームだったからである。
“飛天”と交戦するつもりで荷物を纏めたのなら、コートの下に『死装束』を着込んでいても不思議はない。
きっと、自分に相応しい『死装束』はピラッツでは無くてフォーゲルスのユニだと思ったんだろうな。
それを思って、また少し寂しくなった。
再び映像が動き出す。アツの一声からロビーは大パニック。
今まで話をしていた職員に喰われる者、狂ったように鞄を振り回す者。
火災ベルを鳴らす者、消火器を取り出す者、荷物を置いて非常口へ一目散に向かう者。
「え、待ってください。職員たちも”飛天”だったんですか?」
「そうだ。人体実験を施し、人間としてのデータを体内に残せたものは職員というか、私兵として扱っていたらしい」
アツと連れは非常口へ向かったが、その時、もう一人が何故か階段の方へ向かった。
背丈と体格は、アツと同じ位。長い黒髪を後ろで括り、何か白くて大きなものを抱えて走っている。
何処かで見た気がする。
映像が止まる。
「これが『桂花』だ。君もその内会う事になるだろう。彼が抱えているのは―――繭だ」
そこで思い出した。
“飛天”としてこの世に生れ落ちるのは、雌しかいない。
その始祖は人間の雄を―――自らの血を分け与える事によって―――眷属にすると、繭を造るようになる。
その繭の中で三十年ほど眠り、繭から出て活動するのはたった三年間。
子を為せるのは、眷属とのみ。
(まあ、彼等と俺らでは流れる時間が違い過ぎるもんな)
そう思った時、また映像が動き出した。
桂花が去り、後は燃え落ちるのみ―――と思ったが。
非常口の前で、アツが急停止した。そして―――連れだけが、非常口を抜けた。
(おい、何してる、早くしないと死ぬぞ)
アツが振り返った瞬間―――アツの体が、壁に叩きつけられた。
一瞬、何があったのかよく解らなかった。
煙の向こうに目を凝らすと―――アツが、先程のオーナーに首を掴まれていた。
オーナーの服は切り裂かれ、その下には―――白い乳房があった。
いや、それよりも。
アツの首を掴むオーナーの腕は、明らかに人間ではあり得ない色と形状であった。
アツの口が、苦しそうにぱくぱく動いている。
ふと、オーナーが胸ポケット?から何かを取り出し、彼に提示した。
「オーナーが彼に何を提示したのかは、私達にもわからない。だが、あえて言うなら、彼を『誘惑』するための『切り札』ではないだろうか」
次の瞬間、オーナーがいきなり自分の左手を食い千切った。血飛沫が、アツの顔にまで飛んだ。
傷口が泡立って、あっという間に元通り。
「オーナーは、明らかに彼を”飛天”の仲間に引き込もうとする意図があった。そして、一度彼は―――」
オーナーの、血塗れの指が、アツの口元に近づく。
アツの頭が微かに吸い寄せられたように見えた刹那
――――とても美しい、女の歌声が聴こえてきた。
アツは我に帰ったのか、首を横に振った。
オーナーがアツの首を掴む腕に力を込めた様に見えた直後、またアツが吹っ飛んだ。
否、今度ははっきりと見えた。
アツが絞殺されそうになったその時、”飛天”らしき半分人間、半分化け物な容姿の男が割り込んできてアツを吹き飛ばし、オーナーの胸に長い爪を突き刺していたのだ。
アツは顔を上げたが、衝撃が強かったのか、それ以上動けない。
やがて、オーナーと男が何事か話している内に―――ぐらりと画面内が傾き、二人がアップになって
―――破壊音と共に、映像は終了した。
「カメラは破壊されたが、フィルムと映像は無事だった。最後に出てきた男は先述した建築士だ。以前からオーナーとの心中を画策していたようだが―――真意と共に、灰になった」
オーナーと建築士の過去の因縁はどうでもよかった。
俺が疑問に思ったのは―――
「―――アツはどうやって、この炎の海を脱出したんですか?映像を見た限り、この時点ではもう動ける状態ではなさそうですが」
「姿を変えた桂花が、主の指示に従って救出し、ホテルから少し離れた―――火の粉や瓦礫が飛んでくる恐れのなく、救急車が見つけやすい―――場所に置いてきた。後は直ぐに現場を立ち去ったのでわからないらしい」
「主の指示?」
「ああ。彼が脱出した時点では、彼女は繭の中から出て直ぐだったが、どうやら繭の中で大体のやり取りを聞いていたらしく、桂花に自分たちの恩人の救出を命じたらしい」
恋人の様な、主従の様な始祖と眷属の関係。
彼等は、もしかしたら人間より慈悲深い生物ではなかろうか。
「さて、映像の彼は三村敦宏で確定か―――処置を考えなくてはなるまい。増してや彼は、もう人間ではない可能性すらあるからね」
「人間ではない?」
「先程、彼はオーナーの血液を顔に浴びている。“飛天”との親和性が高い体質である場合は、経口摂取のみならず、鼻や眼球に浴びただけでも異常を来す場合があるんだ
―――更に、彼が吹き飛ばされるまでの瞬間に、オーナーの血液が彼の唇に触れていたとすれば、そこから摂取してしまったとも考えられる」
「―――殺すんですか?」
現役サッカー日本代表の、あいつを?
「それは彼が人間ではなくなっていた時の話だ。幸い、調査する方法はある。―――君は、ピラッツに入団した時にメディカルチェックというものを受けた記憶はないかね?」
「ありますが…あっ、もしかしてその時の血液検査?」
「そうだ。”飛天”は血液を摂取した人間のあらゆる情報をわが物に出来るが、たった一つだけ偽装できないものがある。
それが、血液中の塩基だ。
人類、いや地球上の生物には存在しえない塩基が、”飛天”を”飛天”たらしめているのだ」
「ということは、アツの血液検査の結果を何とかしてベルデから入手すれば…って、どうやって入手するんですか!そもそも、”飛天”を知らない一般のチームドクターが、血液検査で塩基構造まで見るんですか!」
「その心配はない。ベルデのみならず、全Jクラブから提出される選手の検査結果を管理するJリーグの医療部門に我が組織の構成員がいる。
我等の指示があれば検査結果どころか血液サンプルそのものだって入手はできる」
「―――― ピラッツでも?」
「ああ。例えば、君の血液だって必要とあらばこちらで検査できる」
「―――アツの結果が陰性である事を祈ります」
「私達もだ」
***
『三村敦宏の血液サンプルを精査した結果、異常は見られなかった』という報告が届いたのは、Jリーグ開幕前夜の事であった。
俺は元チームメイトがまだ人間であった事に安堵すると同時に、一生組織に監視され続ける彼の事に想いを巡らせた。
***
三村敦宏のベルデ移籍は、開幕戦のダービーでフリーキックを決めるなどして最初は上手くいったように見えた。
しかし、ワールドカップ直前に骨折して欠場する羽目になり、
次の監督が率いた代表では再びアジアカップに優勝するなどしたが、代表でクラブを空けるうちに若手にスタメンを奪われた。
悩み抜いたのだろう、色を変えたばかりでチームの腰が定まっていなかったヴィトリア神戸に移籍した。
***
ヴィトリアはアツ中心のチームとなった。逆境に喘ぐ代表を鼓舞し、ドイツに導いた。
だがシーズン中盤に負傷し、一時的に戦線を離脱した。
アツ中心のチームということは、アツが居ないと勝てなくなるということでもあった。
瞬く間に最下位へと転落したヴィトリアは、とうとう最下位のままシーズンを終えた。
当時の代表監督は、『J2でプレーする選手はドイツには連れて行かない』と明言していた。
一方、アツは代表の有力候補。怪我で前回大会を逃した過去もある。
誰もが移籍を予想していた。
アツの下した決断は、思いもよらぬものであった。
「降格について、キャプテンとして自分に責任を非常に感じていましたし、このまま移籍することは男として絶対に出来る事ではありませんでした」
この時、アツは31歳。
残留表明は、ワールドカップの夢を断念したと同義であった。
***
アツが真っ先に残留を表明したことによって、ヴィトリアは団結した。
主力の殆どが『1年でJ1に戻ろう』と残留を決意した。
J2での1年、アツはチームの最多得点数を記録した。
しかし、ヴィトリアは首位独走と言う訳にもいかず、最終的には入れ替え戦で何とか昇格した。
アツは落涙し、ヴィトリアのサポーターと喜びを分かち合った。
在籍2年にして三村敦宏は既にヴィトリアのレジェンドであった。
そしてアツは『生涯神戸』を宣言した――――したはずだった。
***
翌シーズン開幕直後、アツは全治1ヶ月の負傷で戦線を離脱した。
戻って来たはいいが、何故か試合に出られない。
その内身に覚えのない『監督批判』を咎められて、キャプテンマークを剥奪された。
進退窮まったアツは、『生涯神戸宣言』の僅か半年後にヴィトリア神戸を退団した。
故郷である九州のチームへの移籍も噂されたが、三村敦宏が選んだのは横浜フォーゲルスサポーターが立ち上げた、同じく昇格組の横浜FSCであった。
横浜FSCには、フォーゲルスのキャプテンでもあった山内基弘がいた。
彼等を慕って、昔アツが言っていた『三ツ沢でよく見かけた顔』も大勢いたのかもしれない。
彷徨いながらも、変わらない三沢へ、やっとたどり着いたのだろうか。
だが、横浜FSCは前年度のJ2王者であるにも関わらずJ1では殆ど勝てておらず、アツの加入が発表された時点で降格はほぼ確定的であった。
検討虚しく、横浜FSCは10月に降格が決定した。
皮肉にも、降格が決定した試合の相手はヴィトリア神戸だった。
移籍時の契約によって、アツはヴィトリアとの試合には出場できなかったのである。
そのアツが、ジャイアントキリングの試合上のピッチに立っていた。
その姿を見て、確信した。
―――三村敦宏は横浜FSCで現役を終えるだろう、と。
カメラは、瓦礫となった柱についてた。
進化の果てか、それとも地球外生物だったか。
Jリーグのメディカルチェックの結果の保管は、資料読んでもよく解らなかったので、あやふやです。