横浜に見た夢
だが、俺は自らの選んだクラブ―――横浜ピラッツ、もとい、横浜V・ピラッツで実に14年もの間プロサッカー選手として戦い続け、たった45分の間ではあったが代表のユニフォームも纏った。
日本代表を率いた事も有る監督に干された時には、一日でも長くサッカー界に居たいが為に、プレースタイルも転換した。
だが、サッカー界にいられる時間が長くなるという事は、だ。
その分、『その瞬間』に捨て去らねばならないものが多くなっていく、という事でもあったのだ。
サッカー選手『上田義治』が手にした全ての名声と栄誉。
共にV・ピラッツや日本代表の勝利の為に戦った全てのチームメイトやスタッフとの絆。
クラブ同士の合併という、二度とあってはならぬ災禍を経て尚、V・ピラッツを愛し続けた全てのサポーター達。
――― 後半生に持ち込めるのは、稼いだ給料と、家族だけ。
サッカー界から去るその日には。
きっと、俺はとっても後悔する瞬間が来るものだとばかり思っていた。
***
それはもう随分前の11月だった。
急激に試合出場の機会を減らした俺は、薄々そうなるだろうとは思っていた。
『その瞬間』が訪れた時、随分と長い事俺は立ち竦んで、これまで自分がいたクラブの事を考えていた。
このクラブに於いて、リーグの夢と理念は、一度無惨に捻じ曲げられた。
そして、俺はいつしかこのクラブの夢の『嘘』に気付いた。
それでも、横浜V・ピラッツは夢を語り、サポーターを魅了し続けるのだろう。
何処まで行っても『親会社』の掌の上にしか居ないとしても。
やがて、俺は、Jリーガーになった事、そして、横浜V・ピラッツに入団した事を全く後悔していない事に気が付いた。
***
直後のホームゲーム最終戦。試合は、1-0の勝利で終わった。
俺は、その勝利をベンチで見届ける事を許された。
俺がピッチに最後に立ったのは9月である。
ホームスタジアムのピッチにこだわれば8月の、大勝したダービーにまで遡ってしまう。
ベンチに入れたのは、フロントと監督の好意だと思う。
勝利の後、ベンチにいた者も含めてサポーターへ向けたセレモニーの為にゴール裏へ向かった。
もう二度と踏む事のないピッチ。
もう二度と会う事のないチームメイト、スタッフ。
もう二度と目にすることのないサポーター達。
普段だったら気に留めるような事も無い一般のサポーターの顔も、頭に焼き付けていたかった。
その時だった。
脚立の上に乗った、メガホンを持っていたコールリーダーが俺のユニフォームを掲げた。
それと共に、大観衆は俺のチャントを歌い出した。
この時点で、俺の契約非更改は発表されてはいなかった筈だ。
冷静に考えてみれば、コアなサポーターの一部には来季契約の情報ぐらい入ってきているだろう。
しかし、あたかも今期を最後にサッカー界そのものから去りゆく俺に向けての餞別のようでもあった。
そのユニフォームが、見えなくなるまで、何度も何度も振り返った。
***
俺の退団を全ピラッツサポーターが知ることになるのは、Jリーグ最終節の当日である。
アウェーには帯同しなかった俺は、みなとみらいのクラブハウスでフロントと口論になっていた。
「強化部にポストは用意してある。ピラッツに残る気がないならトライアウトには顔を出してくれ」
と説得してくれるフロント。
「このまま引退し、サッカー界には顔を出す予定は御座いません。引退の発表も無しの方向で」
と返す他にない俺。
俺の事情を、彼等に話す訳にはいかないのだ。
「顔を出さない!?そんな!君の新たな活躍を待っているサポーターも多いんだぞ?!」
「日本のサッカー界は元Jリーガーを全員養うには存外狭い所ですよ」
「サッカー界を離れても、その後どうしているかぐらいは、我々は伝える義務があるだろう―――実は、ピラッツの選手だった人物で、どうやっても連絡のつかない者がいるのだよ」