誘い
リーグ戦が終わる頃、彼はJ2の水戸ハリホックの練習に参加するようになった。
だが、ハリホックに入団を目指していた訳ではなかった。
Jのクラブに入団したら、また『九州に帰って来い』の電話攻勢をクラブの皆が受ける羽目になる。
これ以上皆に迷惑をかける訳にはいかない。
プロサッカークラブなら世界中に沢山ある。
海外に行きたいだけなら、何も西ヨーロッパの強豪リーグである必要はない。
流石に国際電話はお金がかかるからしないだろう。
例えサッカーを続けられなくなったとしても、現地で働けばいい。
異国の地で野垂れ死にする羽目になったとしても、日本で傀儡の様な余生を送るよりはましだ。
―――我が組織がはじめて彼に接触したのは、その頃である。
***
練習終了後に車に寄って来た白人であるその男を、最初は海外クラブのスカウトだと思ったらしい。
『君、マイアミではとんでもないことをしでかしてくれた人だよね』
『君の家庭の事情も知っている。実家が二度と君に干渉しないように、我らが取り計らおう』
『その代わり、二度と表舞台には立てないが、いいかね?』
そのブラジル人は、組織のスカウト部員であった。
実家で信仰していた宗教の幹部クラスに、組織の構成員がいたらしい。
ブラジル人である彼は『マイアミの奇跡』の立役者の一人である彼の現況に興味を示し、取引と共に接触を図ったのである。
仮住まいをしていた水戸市内のホテルで、詳しい内容を聞くことにした。
そしたら、『我が組織の詳しい活動内容を聞いてしまった者は、もう元の世界に戻ることは出来ない。イエスと答えなかったら、君の命はない』と返された。
『元の世界に帰っても、実家に干渉され続けるだけだ。但し、もう少しだけサッカーは続けたい』と返して組織と”飛天”の歴史を聞かされた。
まあ、驚いたの何の。
食物連鎖で人間より上位にいる吸血動物。
歴史の影に隠れ、時々人間を招き入れ。
でも大昔一部の人間が彼等の血を悪用したおかげでてんやわんや。
このままでは人類が滅びるしそうなったら”飛天”もタダじゃ済まないからって人間たちで”飛天”対抗組織設立。
後には共存を望む”飛天”も協力。
世界中で今も戦争をやっているらしい。
でもこれを『元の世界に戻れない』と表現するのは俺にはちょっと抵抗がある。
その理屈じゃ、小さい頃からその『世界の裏話』を聞かされてきた俺なんて『元の世界』を知らないことになるんだが。
『君の高校の後輩も”飛天”との接触経験がある』と聞かされその映像を見せられた時は、全ての価値観がひっくり返ったらしい。
“飛天”とやりあったのはよりによって、自分にとって因縁深い三村敦宏だったもんな。
『アツも、お前らの一員になったのか?』と聞いたら、『彼は組織そのものには接触していないし―――何より、彼はスカウトするには有名になり過ぎた』と返って来た。
その時の彼の心境は『じゃあ、俺はスカウトしたのはどういう意味なんだよ』だったらしい。
***
兎に角、ハリホックには練習のみで入団せずに組織の戦闘部門へ編入された。
引退発表もせず、実家にも知らせずに島見のコーチとして身を潜めながら戦闘訓練を受けた。
訓練の際に初めて出会ったのが、アツと共闘したという『桂花』。
彼が戦闘に立って、見附ら人間は銃器によるサポートの立場らしい。
『桂花』が、17世紀生まれの中国人で世界史の教科書に載るような人物であることは聞かされている。
しかし島見高校サッカー部という所は凄まじい所で、アツの話によると3年間で休日はたったの1日だったという。
『高校生活はサッカーしか覚えていない』というから、多分教科書の内容は覚えてないな。
俺の高校は其処までではなかったが、残念ながらその後の人生で役に立たないとみなされた知識は脳内から廃棄されるのでやっぱり見当はつかない。
見附は桂花の顔を見ているが、彼が語った所によると。
『トイレの芳香剤の香りがする色白切れ長鼻高イケメン』らしい。
彼がどのような経緯で”飛天”の仲間入りをしたかも聞いたし、恋人の写真も見せてもらった。
但し恋人が次に出てくるのは2030年代なのでその時まで見附も俺も生きているかどうかわからない。
トイレの芳香剤って何だよ、トイレの芳香剤って。
それで一通り訓練を終えた見附は島見のコーチも辞めて東欧の某国で初任務に就いた。
地元のサッカーチームのテストを受けるという形で。
標的は、欧州某国の代表に新しく選ばれた若手選手である。
以前はパッとしない選手だったのが急に頭角を表し、西欧の強豪リーグからのオファーも舞い込んでいた。
だが、同時に彼の周辺で不審な失血死事件が相次いでいた。
その国の情報部の人間が調査をしたところその選手が捜査線上に浮かんだ為に戦闘部門に依頼したのだ。
潜入捜査の結果、見附は彼が”飛天”である決定的な証拠を掴んだ。
戦火の中東やアフリカからの移民に『職を斡旋する』と言って連れ出し、餌食にしていたのだ。
しかし、標的には見附の捜査はバレていた。
『お前、サッカーしに来たんじゃなくて俺を付けてきたんだろう?』
『俺はサッカー選手になっても貧しいままだったから、富貴を得る為にある男から貰った薬を飲んだ』
『お前に選択肢をやろう。俺と一緒にビッグになるか、それとも此処で死ぬか』
発砲したが、勿論効果なんてない。
万事休すと思ったその時、桂花が標的の首を刎ねた。
桂花は中国がまだ帝国だった頃の将軍らしいが、それに見合った戦闘力だったそうだ。
標的は、『地元のパブに行く途中の失踪』として扱われた。
期待の新星の謎の失踪に、彼の母国のサッカーファンは嘆いたそうだが、有名になってから”飛天”とバレるよりはマシだろう。
見附涼次もこれを最後にサッカー界から姿を消し、後は只管桂花達と共に戦いを繰り広げた。
彼の戦歴は3、4年程だがそれでも歴戦の勇者といってよい。それ程までに戦闘部門の死亡率は高いからだ。
組織(特に戦闘部門)は常に人不足です。