異世界でピザを頼めば。
男はピザを愛していた。
その日も男は、車で駅前のピザ屋に赴き、注文したピザを受け取る予定であった。
宅配を希望せず自分で直接受け取りに行けば、二枚目は半額になるのだ。
一枚は、その日の晩のうちにビールと一緒に食い尽くしてしまう。もう一枚は切り分けて冷凍庫に保存し、一日一切れずつ一週間かけて消費する。
これが男の楽しみであった。
今宵男は、自宅から電話でお気に入りのピザを注文した後、これから始まるピザとビールの一人宴に胸をときめかせながら、安全運転でピザ屋に向かっていた。
月のやけに明るい夏の日の夜であった。
男が、ピザ屋のテーマソングを陽気に口ずさみながら赤信号を待っていると、突然、背後からダンプカーがものすごい勢いで突っ込んできた。
ドライバーの居眠り運転による玉突き事故である。ガラスの割れる音や、背中を鈍器で殴られたような鈍い痛みを一瞬感じ、男はそのまま意識を失った。
男が目を覚ますと、魔法陣の中にいた。
石造りの、教会のような古い建物の中で、黒いフードを被った五人の男性と不思議な光に、彼は囲まれていた。
男はハンドルを握ったまま、事故に遭った直後の姿でその魔方陣の真ん中に、ボロボロの車と共に召喚されたのだ。
「創造主様、成功しました。転移者です」
フードの男の一人がそう口にすると、彼らの合間を縫って背の高い細身の女が現れた。女は、男の困惑に満ちた瞳を見つめながら、良く通る低い声で話し始めた。
「よくぞきた。私はこの世界の創造主である。お前にはこれからこの世界で暮らしてもらう事になるが、その前に一つ、お前の願いを聞いてやろう。何でも叶えてやるぞ」
男は突然の出来事と発言に、一体何が起こっているのか、ここはどこなのか、何もかも把握しきれず混乱していたが、それでもその問いには迷わずにこう答えた。
「ピザ、ピザを、毎日食べていたいです」
「ピザ?」
女は、怪訝そうな目で男に訊ねた。
「ピザ、とは何であろうか」
男は驚愕した。この世にピザを知らない者が存在するなど、信じられなかったのだ。
男はすぐに、ピザについてこの女に教えてやろうと口を開いた。
「ピザというのはですね、小麦粉で作った生地の上に」
「小麦粉? 生地?」
「チーズとかトマトとか、好きな具材を乗せて」
「チーズ? トマト?」
「焼く」
「焼く……?」
ダメだこれは。と、男は頭を押さえてうろたえた。
小麦粉もチーズもトマトも知らぬ者にどうやってピザを説明すれば良いのだ。
男は、ならばピザの写真を見せてやろうと考えた。ズボンのポケットに入っている、ヒビだらけのスマートフォンを取りだし起動した。反対側のポケットには家の鍵と財布が入っていて、持ち物は無くなっていない事に安堵した。
男は、アルバムアプリを起動し、ピザと自分のツーショット写真を開いてそれを女に見せつけた。
「これがピザです!」
「これが、ピザ?」
「そうです。美味しそうでしょう?」
「この、光る板が……?」
「それはスマホです」
もう埒が明かなかった。男は頭を抱え込んだ。女はスマートフォンを手の中でこねくり回して興味深そうに観察していた。
「スマホ。スマホというのか。面白い板だ」
「スマホはどうでもいいんで、ピザを見てください。その、板に映ってるやつです」
女はスマートフォンの画面をまぶしそうにのぞき込んだ。
「お前に似た人間が、こちらを見ているぞ」
「その隣にある丸いのがピザです」
「これは、食い物なのか?」
「もちろん」
女は尚も疑わし気に男を見つめている。男はだんだんイライラしてきた。
「ねえ、というか、そもそも貴女は誰なんですか? ここはどこです。ピザが出てこないなら早く帰りたいのですが」
男の言葉を聞いて、女は同情するような目で男を見た後、落ち着いた口調で言った。
「先程も言ったように、私はこの世界の創造主だ。お前は、恐らく前の世界で死んだのだろう。ある日、召喚の術式が私の目の前に突如として浮かび上がったので、魔法陣を起動してみたら、なんか、出てきた」
「つまりここは?」
「君の世界で言うところの、異世界だ」
男は狼狽した。本当にそんなことがあり得るのか、男にはにわかに信じ難かった。なによりも、自分が死んだという実感がない。そもそも何故自分がこの世界に呼ばれたのか、いささか疑問である。
男がそれを問うと、女は「しらん」と言い放った。
「私はお前のことなど呼んでいないし、そもそも誰も呼ぼうとは思っていなかった。ただ、ずっと目の前に術式が浮いているのも何だか目障りなので、起動してみたらお前が出てきたというわけだ」
「そんな、適当な……」
「本当であれば、私の求める物を持っている人物が召喚されるはずなのだが、生憎、お前からは何も感じ取れん。お前が、『この世界に新たな文明をもたらす者』というわけではないだろう?」
「新たな文明?」
「私のずっと求めているものだ。気にするな。お前には関係ない」
男は少し傷ついた。
「しかし、創造主として、この世界に召喚された者の願いは、一つ聞いてやるという決まりになっていてな。それでお前の願いを聞いたのだが、ピザというものは、生憎私には解らない。すまんが叶えてやれそうにない」
「じ、じゃあ、ピザはもういいので元の世界に返してください! それが俺の願いです!」
男は女にそう懇願したが、しかし女は静かに首を横に振った。
「一度聞いた願いは取り消せぬ。そういう決まりになっておる」
「でも、叶えられないんでしょう?!」
「すまんな」
男は憤り、女に掴みかかろうとした。が、すぐにフードの男たちに羽交い絞めにされた。男は、自分の無力さに涙した。
「じゃあ俺は、これからずっと、このピザの無い世界で生きていかなければならないのですか」
男は泣きながら、女に訊ねた。女は目を閉じて静かに頷いた。いっそ死んでしまいたいと思った。ではせめてと、男は問うた。
「せめて、せめてこの世界に、ピザに似た料理とかは無いんですか?」
「料理?」
女は首を傾げた。「料理」という単語のどこに疑問を持ったのか、男には解らなかった。
男はめげずに問い続けた。
「料理です料理! この世界の人間は、一体どんなものを食べて生活しているのですか?」
そう問うと女は、ああ。と納得したようにポンと手のひらを叩いて、言った。
「この世界の者は、イマを食っておる」
「イマ?」
「これの事だ」
そう言うと女は、どこからか丸い握りこぶし大の物体を取りだし、男に手渡した。
茶色くて、ごつごつとした感触のイマと呼ばれるそれは、こちらの世界で言うところの、じゃがいもに酷似していた。
食ってみろ。と女に促され、男は恐る恐るイマに齧りついた。
シャリシャリとした食感で、青臭い風味を醸し出すそれは、紛れもなく生のじゃがいもであった。
もそもそと口を動かしながら、男は訊ねた。
「……これ以外に食えるものは?」
「ない」
女は即答した。男は齧りかけのイマを投げ捨て、女に掴みかかろうとした。
しかしまたしても男は、フードの男性たちに拘束され、今度は喉元に短刀を突きつけられた。
「いいぞ! やれ! いっそ殺してくれ!」と男が叫ぶと、女は慌ててフードの男を引き剥がした。
「なにも死ぬことはなかろうに」
「一生ピザを食えずに、そのじゃがいもモドキだけを食って生きていくのなら死んだ方がましだ! 殺せ!」
男は尚も叫び、フードの男たちの腕の中で暴れた。女はだんだん、この男が可哀想に思えてきた。男の肩にそっと白い手を乗せて女は言った。
「そのピザという物が、お前をそうまでさせる理由は解らないが、なるべくお前の望みは叶えてやりたいと思っておる。お前の生きていた世界ではその、ピザとやらをどうやって手に入れるのだ?」
男は、生前の世界でのピザの入手方法について、小一時間涙交じりに語った。
途中、事故で受け取りそびれたピザ達のことを思い出し、わっと泣きだすこともあったが、そんな時には女が背中をさすって彼を慰めてくれた。
「つまりは、その、デンワというやつで注文すると別の人間が家までピザを届けてくれるという事だな?」
「宅配ピザの話であれば、そういうことになりますね」
「ふむ、そのデンワというものがあれば、なんとかなりそうなのだが……」
男が話し終えると、女は顎に手を当てて何やら思案し始めた。
男は、これも電話の一種だと言ってスマートフォンを女に手渡した。
女は、どれ、もう一度見せてみろ。と言ってそれを観察し始めた。その目には、不思議な光が宿っていた。
「ふむ、思ったよりも単純な構造なのだな。これなら何とかなりそうだ」
「何とかなるって、つまりピザを食べられるって事ですか!?」
「左様。しかし、一日だけ待ってくれ。きっとお前の元にピザを届けてやる」
それから男は、女に村の空き家を案内され、そこで一晩を過ごした。
これから自分は、この世界で生きていけるのだろうかという不安と、本当にピザが食えるのだろうかという疑念で、男はなかなか寝付くことができなかった。
そして翌朝、男は玄関の扉を叩く音で目を覚ました。
玄関を出てみるとそこには、昨晩の女が平たい箱を二つ、手のひらに載せて立っていた。
「よう、待たせたな。これがピザで間違いないか?」
女がそう言って、その箱のふたを開けると、チーズの強い香りが男の鼻腔をくすぐった。
それは、紛れもなくピザであった。男は飛び上がって喜び、女に抱き着いた。
「ありがとう! そうです! これがピザです!」
「ええい、離れろ。うっとうしい。でもまあ、これで、お前の願いは叶えてやれそうだな」
女はほっと胸を撫でおろすと、男のスマートフォンに手をかざした。淡い光が、スマートフォンを包み込んだ。
「ほれ、これが私のデンワバンゴウだ。また食いたくなったらデンワしてこい」
そう言って女が手をどけると、その画面には見知らぬ電話番号が表示されていた。
「また食いたくなったらって、この一回きりじゃないんですか?」
「当たり前だろう。お前の願いは『毎日ピザを食べる事』だからな。毎日届けてやる」
「でも、お代は?」
「報酬のことか?そんなものはいらん。私はただお前の願いを叶えているだけだからな」
男は、これは夢じゃないかしらと疑った。
大好きなピザを、好きな時に好きなだけ、毎日食べられる。しかも無料で!
本当にこんなことがあっていいのだろうか。男はそれから毎日女に電話をし、ピザを手配した。
普段、イマしか食っていない近所の村人にもピザをお裾分けしてやると、その衝撃的な味わいはたちまち村中に噂され、毎日毎日、ピザパーティーを大勢の村人たちと開催した。
男はぶくぶくと太っていった。それでもピザを食い続けた。
女もまた、文句ひとつ言わずに男にピザを送り続けた。たまに、ぐちゃぐちゃになったピザが男の元に届けられることもあったが、味は変わらないから問題ないと、女の顔に免じて許してやった。
女は、「デンワを通じて別の世界と繋がれるのは、大きな発見である」と言って、男に感謝していたそうだ。
ある日、隣の村に新しい転移者が住み始めたという噂を聞き、男は彼をピザパーティーに誘ってみることにした。
その転移者は高校生くらいの、薄い顔をした少年で、男と同じ日本人であった。彼らはすぐに意気投合した。
少年は、まさかこの世界でピザを食べられるとは思わなかった。と喜んだ。
男は、ピザは創造主が持ってきてくれるからどんどん食い給え。と言った。
「なら、僕の近所に最近やってきた日本人の転移者も誘っていいですか?」
少年がそう問うと男は、もちろんだとも。と言ってピザをもう一枚注文した。
こうしてその日を境に、ピザパーティーの噂は隣の村にまで広がり、ついでは隣の隣の、そのまた隣の城下町にまで噂が飛び交い、国中から大勢の者がピザを求めて男の元へやってくるようになった。男はこの世界で、食料革命を引き起こしたのだ。
そうして、男の元居た世界から新たな転移者がやってくる度に、ピザの噂を聞きつけ、一人、また一人と男の村へやってくるようになった。
男は、最近ちょっと、転移者が増えすぎではないかと訝しんだ。
ピザも場所もあるし別段困ったことは無いのだけど、これだけの転移者が、毎回元の世界で死んでこの世界にやってくると思うと、それはそれでおぞましい気がしたのだ。
ある日のピザパーティーでのこと。
男はチーズの香ばしい風味に酔いどれながら、興味本位で宴会の出席者たちに訊ねてみた。
「ところで君たちは、前の世界で死ぬ直前、何をしていたんだ?」
宴会の客達は、ほぼ一斉に声をそろえて言った。
「ピザの宅配です」
その日から男は、イマしか食っていない。
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